4・25弾圧救援対策本部からの声明と御礼
2013年5月9日
4・25法大弾圧の6学友全員の奪還かちとる!
処分撤回・学生自治会建設へ、全国学生は団結して闘おう!
4・25弾圧救援会
武田雄飛丸(代表・法政大学文化連盟委員長)
庭田尚一郎(同上・広島大学学生自治会準備会副代表)
石田真弓(同上・東北大学学生自治会前委員長)
須見川守(法政大学文化連盟副委員長)
岡田勝彦(法政大学文化連盟書記長)
斎藤郁真(全学連委員長)
菅谷圭佑(法政大学卒業生)
(1)
4・25法大集会当日に、昨年10・19法大集会への「建造物侵入」を理由に、令状逮捕された青野弘明君(東北大学学生自治会委員長)、百武拓君(広島大学学生自治会準備会代表)の2学生の釈放を5月5日ついにかちとりました!獄内における完全黙秘・非転向の闘い、ならびに獄外における救援活動と弾圧に対する一糸乱れぬ団結が、捜査当局が半年間かけて捜査を行い、令状まで準備した今回の弾圧を完膚なきまでに打ち破ったのです。
今回の勝利は獄外のみなさんのカンパ・激励など種々のご支援とご協力なしには考えることができません。この場をお借りして、改めて感謝の意を申し上げたいと思います。
(2)
今回の弾圧は徹頭徹尾、不当きわまりないものでした。それゆえ、捜査当局は、勾留延長をつけることができず、釈放せざるをえなかったのです。
第一に、今回の弾圧は4・25法大集会の破壊と妨害として行われたものです。
4月25日当日、法大当局は正門とキャンパス中央を閉鎖し、集会の禁圧を図りました。これと一体で、青野君を集会開始前に令状で逮捕し、正門前での私たちの宣伝活動に対し、「公安条例違反」をでっち上げ、武田雄飛丸法大文化連盟委員長、斎藤郁真全学連委員長をはじめとする仲間を次々と暴力的に逮捕していきました。しかし、翌日には「公安条例違反」と「公務執行妨害」で逮捕された4名の学生を釈放せざるをえないほど、弾圧は破綻に満ちたものでした。
第二に、全国一斉数十ヶ所という家宅捜索の異様さと弾圧拡大の意図です。家宅捜索は4・25集会と同日、学生たちの留守を見越して行われました。さらに捜査当局は、「押収品目録の交付」
や「押収品の還付」と称し、学生たちを警察に呼びつけ、あろうことか、被疑事件に関する事情聴取を行い、弾圧の拡大を狙ったのです。しかし、これらの捜査手法の異様さと不当性が学生たちの怒りの火に油を注ぎ、弾圧を粉砕する固い団結と決意を生み出したのです。
第三に、今回の弾圧が10・19集会への「建造物侵入」を理由とした点についてです。「武田雄飛丸君への処分阻止」を掲げて行われた昨年の10・19法大集会は、武田君とともに1000人の法大生が参加した、これまでにない画期的なものでした。これに対し法大当局は、自らの非を改めるのではなく、武田君の暴力的排除でもって事態の解決を図ろうとしました。これに対し、学生たちは怒りをもってこれを阻止するために闘いに立ち上がりました。これを捜査当局・法大当局は「正当な理由なき」ものであり、「建造物侵入」であると言っているのです。これまでの学生に対する傍若無人な態度を一切反省することのない法大当局。そして「建造物侵入」を言いたてながら、「自由と進歩」「開かれた大学」と語る法大のあり方は断じて許されるものではありません。
第四に、今回の弾圧は、全国大学の学生自治会運動の前進に対する弾圧だということです。今回逮捕・勾留されていた青野君は東北大学学生自治会委員長であり、百武君は広島大学において学生自治会をつくろうと今年、学生自治会準備会をつくり代表に就任した仲間です。昨年の京都大学全学自治会同学会再建を皮切りに、全国大学において学生自治会再建にむけての機運が高まっています。学生自治会運動の先頭を担ってきた仲間を逮捕することによって、この運動を挫くことを権力側が狙っていたことは明白です。
第五に、この弾圧の示すものこそ、改憲・戦争へとむかう安倍政権の本性であることをしっかりと強調しておかなくてはなりません。
(3)
しかしこれらの弾圧をも糧として、私たちは団結と運動を拡大してきました。
東北大学においては、新歓企画当日に自治会室などに家宅捜索が入ったにもかかわらず、企画の成功と書記局員の拡大を実現しています。また広島大学においては、弾圧直後、文化サークル連合による弾劾声明がだされ、サークル員を先頭に、弾圧への怒りをたたきつけ自治会運動の前進をかちとってきました。そもそも4・25集会自身が、1000人規模の学生が学内と外堀公園を埋めつくす大集会として行われ、直後から学内における力関係の大転換が起こっています。
捜査当局の異様な捜査手法、そして学生を警察に売り渡す法大当局の責任はどこまでも追及し続けなければなりません。
私たちは今回の弾圧への怒りをバネにして、法大闘争の前進と全国大学における学生自治会運動の前進に向って突き進みます。何よりも武田雄飛丸君の処分撤回をなんとしても実現します。
これからも運動へのご支援をよろしくお願いします。
以上声明文
そして、ご支援・ご協力に心からの御礼を申し上げると同時に、4・25当日に当連盟の呼びかけに応えて結集していただいた全国の学生の皆様、そして最先頭で声を上げ逮捕された6名の学友の皆様に、心よりの御礼を申し上げます(というよりも、なんて言ったらいいのかわかりません)。特に青野くん、百武くん、お疲れ様でございます。
当連盟も法大当局に一泡もふた泡も吹かせてやろうと思いますので、これからのご支援・ご協力、宜しくお願い致します。
そしてまたしても文字ばっかりで申し訳ありません。
・ブログを開いて早々に弾圧職員の不愉快なツラを見るよりはマシだと思いますが…。あいつ帰ってきてるし。
文責:岡田(書記長)
4・25弾圧の全学生解放!
本当に、多くの方々の支援のおかげです。短い期間でしたが、さまざまな激励、カンパ、ネットでの拡散などなど、多くの方々の協力で大勝利を勝ちとり、公安警察・法政大学当局にはみじめな敗北と汚名を与えることになりました。感無量です!
奪還された学生たちはこちら↓

武田雄飛丸(法政 国際文化学部 文化連盟委員長 無期停学処分中)
◆でっちあげられた罪:公安条例違反

齋藤郁真(法政 法学部 全学連委員長 退学処分中)
◆でっちあげられた罪:公安条例違反

内海祐一(法政 文学部 法大闘争創始者 退学処分中)
◆でっちあげられた罪:公安条例違反

安沢和芳(東北大 工学部 東北大学生運動の中心の一人)
◆でっちあげられた罪:公務執行妨害

百武拓(広島大 理学部 広島大学学生自治会準備会代表、文化サークル連合代表、広島大学五者会議議長)
◆でっちあげられた罪:建造物侵入

青野弘明(東北大 医学部 東北大学学生自治会委員長)
◆でっちあげられた罪:建造物侵入
今回の弾圧、とりわけ「建造物侵入」は法政大学が積極的に「被害届」を出さなければ成立しない弾圧であったことを考えると、法政大学の犯罪性は明らかです。
法政大学は6人の学生に謝れ!
我々文化連盟は、これ以上の大学の暴挙を許さない。一人の仲間も見捨てない!
法大闘争勝利へ! 多くの方のいっそうのご理解とご協力をお願いします。
ありがとうございました。
4・25法大弾圧救援会から声明が発せられました
武田雄飛丸(代表・法政大学文化連盟委員長)
庭田尚一郎(同上・広島大学学生自治会準備会副代表)
石田真弓(同上・東北大学学生自治会前委員長)
須見川守 (法政大学文化連盟・副委員長)
岡田勝彦 (法政大学文化連盟・書記長)
菅谷圭佑(法政大学卒業生)
逮捕の背景と不当性
法政大学では、2006 年以来、大学当局と学生が規制の強化など、大学のあり方をめぐって激しく対立してきました。それ以来、今回の逮捕も含めてこれまでにのべ125 名の逮捕者-33 名の起訴、13 名の停学・退学処分の乱発がなされています。
4 月25 日当日も大量の公安警察が動員され、法政大学当局はキャンパス正門および正門前広場を封鎖して学生が参加・注目できないように体制を敷いてきていました。そして、デモ主催者が昼休みより正門前公道でデモ参加を呼びかける拡声器による演説を開始すると、それを警察は「違法な集会」として「公安条例違反」をデッチあげて学生たちを不当逮捕していったのです。
そして、今回の逮捕が不当であることの最大の証左はその後の家宅捜索の異常な早さです。「建造物侵入」容疑での逮捕から一時間以内には友人宅など全国一斉で二桁を超える家宅捜索が行われました。最初から計画的に仕組み、デモに立ち上がった学生の人間関係を破壊し、運動をつぶそうという弾圧であることは明らかです。
運動つぶしのための弾圧
すでに述べたように、4 名の学生は釈放されましたが、まだ「建造物侵入」で令状逮捕された二名の学生は拘留されています。一人は東北大学学生自治会委員長の青野弘明君(医学部・2 年)であり、もう一人は広島大学学生自治会準備会代表の百武拓君(理学部・3 年)です。二人は今回と同様、昨年10 月19 日に行われた法大集会にも支援に駆けつけてくれたことをもって「建造物侵入」をでっちあげられているのです。10 月19 日の集会は「学祭規制反対」「(新たな)処分阻止」を掲げ、法大生を中心として1000 名の学生が立ち上がった集会です。自らの大学で学生の権利を守るために先頭で闘い、それゆえに法政大学の現状を憂いて支援に駆けつけた彼らがなぜ今も獄に囚われなければならないのでしょうか。
彼らは東北大学、広島大学の学生自治会運動のリーダーです。学生運動をつぶすための弾圧であることは明らかです。
ぜひ皆様のご理解とご協力をお願い致します
今の大学のあり方、ひいては社会のあり方に対して問題意識を持って声をあげることは学生として何ら非難されるべきことではなく、むしろそのような学生とその運動を「秩序破壊」として逮捕する現状のほうが非難されるべきであると思います。
街頭宣伝、逮捕に対する抗議、弁護活動など、私たちは多くの方の協力と支援を必要としています。カンパなど、ぜひ皆様の温かいご支援を宜しくお願い致します。
救援カンパのご協力をお願いします
◎法政大学文化連盟 みずほ銀行 口座名 「法政大学文化連盟」
市ヶ谷支店番号 207
口座番号 2017393
◎全日本学生自治会総連合 00190-0-766112 (郵便振替) 口座名 「全日本学生自治会総連合」
以上声明文(原文ママ)
文字ばっかで見辛いと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
文責:岡田(書記長)
4学生が帰ってきた!
まあ、不実で意味のない罵詈雑言はこれまでにして、ひとまず我々は一定の勝利を引き出したと言っていいでしょう。
※左から内海、斎藤、武田、安沢(東北大)
というわけで、ようやく写真が手に入りました。逮捕の状況をしっかりと確認したいと思います。
まずは拡声器による演説。

また、これを口実にしてのゆひまるに対する退学処分も策動されている頃でしょう。奴らの考えそうなことです。卑怯なやつらだ。
次に、集会禁止の指示と演説の中断。
※集会禁止の指示を受け、外堀公園に移動を開始しようとする(看板を持っている制服警官が機動隊員。スーツは公安警察)
そして、公安警察の襲撃と乱闘。
※逮捕の瞬間。機動隊員の姿はない。取り押さえにかかっているのはすべて公安刑事
大学はトラブルに巻き込まれると豪語するが、トラブルを作っているのは大学当局。矛盾も甚だしい!
最後にデモ。お騒がせいたしました。

※デモ貫徹。法政旗は手作り。
だが、本来この手の活動に警察権力を介入させてはならなかった!そして未だに2人の学友が獄に閉じ込められている!このようなことをどうして許せようか!文化連盟は合法的な活動の余地がない中、こうするしか声を上げる手段は存在しなかった!しかし当局の取った対応は7年間これである。いいかげんにしろ。
頭上からサイレンと一緒に爆弾を落としてやる(※テロは無意味です。説得力の持てる活動をやりましょう)。
休養などはとっていられない、出撃だ!

※最後はネタです。ルーデル閣下
※集会およびデモ写真の提供は市民記者の方からになります。御提供感謝致します。
文責:岡田(書記長)
新入生の皆様へ
ついに筆者が前委員長から現代の書記長にかわりました。世代交代マンセー!12文連執行部初の新年度です。
ここ法政大学は、2006年以来、 学生の自由をめぐる戦場となっております。 そして、文化連盟というものが何者なのか、どういう歴史をたどってきて今ここにいるのか、ということを知っていただいた上で、皆様に曇のない視点から私たちのことを判断していただきたいと存じ、この記事を書きました。
かなり長くなりますが、是非ともお読みください。
法大闘争とはなにか
【法大闘争の始まり(3・14事件)】
2006年2月27日に法政大学当局より突如、「ビラまき・立て看板許可制」導入が発表されました。春休み真っ最中であることに加え、伝統的に法政大学のサークル連合の中で政治闘争を担ってきた三本部団体(文化連盟・第二文化連盟・学生団体連合)が行ってきたGLC(Group Leaders Camp)という大会議が終わった直後のことであったため、ほとんどの学生がキャンパスにいない状況での発表でした。三本部団体の個別の会議(3月1日・2日)で反対することだけは決まりましたが、それだけで、満足に学生側の方針が決まらないまま、大学側が3月14日に社会科学研究会(当時ふつうに文化連盟や第二文化連盟によって承認され、法政大学公認のサークルであった)などの政治系・学習会系サークルを「学外団体(全学連中核派)と関わりがあり、事実上の学外団体」として、また、ノンセクト(無党派)系の学生がだしていた個人の立て看板を「無秩序」としてそれらの立て看板の撤去を決定。いわゆる一般サークルと政治系サークルおよび個人の分断が図られました。それまでビラまきと立て看板については明白なルールがあったわけではありませんが、伝統的に「明らかな通行妨害になるものはやめる」という常識にしたがってうまくいっていました。過去に巨大な立て看板が設置されたときも、それによって撤去されることになったことは、その証左です。
そして3月14日、法大生5名を含む29名が「ビラまき・立て看板規制」に抗議してデモを行いました。そして出発地点であった法政大学に返ってきたところで大学側がこれみよがしに立て看板の撤去を開始。もちろん、デモ隊は抗議。そしてそこで200名の公安警察がキャンパスに突入してきて全員逮捕となりました。これが私たちの言葉でいうところの「3・14弾圧」です。
この事件は、後に裁判で、当時の学生部長(現在の学生センター長にあたる)および総務部長の証言から、数か月前から公安警察と協議を進め「大学の態度を示す」ために行われた逮捕のための逮捕であったことが明らかになっていますが、当初から不審な点があまりにも多かったことで一般的にも弾圧として認められていました。
① 通報から2分で公安警察が200名きたこと
一番近い麹町警察署からでも車で5分はかかる場所に法政大学はあります。そもそも200名そろえるだけでも2分を超えることは明白です。本当に通報したのかも怪しいわけです。
② 弾圧に至る過程の法政大学側の計画性の高さ
上でも述べたとおり、ほとんどの学生がキャンパスにいない時期を狙っての突然の規制発表であり、その後や当日の当局の行動がかなりスムーズに行われていたことから、計画的なにおいがしており、当時の学生団体内でもそういう見方はかなりありました。ゆえに反対する意見もある中で「やるべき時にやれないやつは結局最後まで闘えない」として29名はデモに立ったのです。
③ 当日の逮捕の罪状が「建造物不法侵入」「威力業務妨害」だったこと
法大生5名も含めてです。中の一名に関しては不穏な空気を感じ取り、学生証を掲示しながら入構したのですが、関係なくその時その場にいた全員が逮捕されたのです。
そして、結局13日で全員釈放されたのですが、「逮捕された」ことを理由に法学部の二名は停学処分(後に無期停学処分)、文学部の三名は退学処分になります。こうして、この処分および「ビラまき・立て看板規制」の撤回を求めて、法大闘争はその幕を開けます。法大闘争の事実上の公式ブログの名前が「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」であるのはここからきています。
【弾圧、そしてサークル団体の廃止】
当初、法大闘争はかなり勝利的に進みます。「3・14弾圧」の直後、3月15日には三本部団体名義の抗議声明がだされたことにも見られるように、多くの学生が支持し、2006年の6月15日には(法大生だけの!)1000人の集会になるほどの高揚を示します(「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」の2006年6月あたりの記事を見てみるといいかと思います)。
※6・15集会
その後の国会デモが、多くの法大生の飛び入り参加によって100名くらいの規模で行われるほどでした。そしてここから、6月15日当日も含めてどんどん学生活動家の逮捕が行われていきます。しだいに、「抗議したら逮捕・処分」というイメージができあがり、運動は2006年末にはいっきょに孤立していきます。
そして、2007年の夏、社会科学研究会などのサークルを学内団体として認めていた三本部団体の廃止が法政大学から打ち出されます。それまで、法政大学では「間接公認制度」という制度をとっていました。体育会など10団体それぞれが独自にサークルや部活の公認権や予算権を持ち、各団体内の協議をとおして活動内容・活動規模を見て、どのサークルを公認するか、また、毎年どれくらいの部費を各サークルにだすかを決めていました。そして、ここで承認されたサークルは、「法政大学公認サークル」となるのが「間接公認制度」でした。
つまり、政治系のサークルは、その多くが戦後の学生運動・労働運動の高まりの中でつくられたものであり、文化連盟などの本部団体を創りだした主軸になったサークルたちであった以上、当然社会科学研究会などのサークルも大学側と大学の運営方針などで争い続け、大学当局にとっては目の上のたんこぶでありながらも「法政大学公認サークル」だったのです。
法政大学は、これを廃止し、大学側による「補助金制度」に変えることを打ち出したのです。これは大学が予算権を持ち、それを基盤に公認権を持つ制度でした。つまり、今実際にそうなっているように、すべてのサークルが大学の顔色をうかがいながらやるしかなくなってしまう制度でした。形式的にはサークル団体の「再編」ということになりますが、実質的には、再編後の法政大学の学内状況を見ればわかるように、自主法政祭のようなイベントだけでなく、学費値上げ阻止闘争などの政治的な闘争を担ってきた三本部団体だけが廃止されました。そして、この過程で早々と解散を決定した学生団体連合の執行部を中心にしてつくられたのがCSK(サークル支援機構)です。彼らが当局の御用団体である歴史は最初から始まるのです。当時も、学生団体連合は「各サークルが闘う気がないから勝てない」といって解散へ行きましたが、サークル連合の執行部というのは、まず自分たちが体を張る覚悟で各サークルの闘争心を引き出していくためにあるのです。サークル連合は、闘争団体としてつくられたのですから、そもそも必然的にあるものではなく、それは歴史的につくられたのです。自分たちが闘わない理由を、結集してくれている学生やサークルのせいにするCSKの体質はここからずっと受け継がれているのです。現在のCSKも、「学生の自主性がないからマナーが悪くなる、それが規制につながる」とかなんとか言っていますが、こういう論拠も全てここから始まっているのです。
当初、この案はあまりにも破壊的なものだったので、三本部団体合同会議が開かれ、そこで一致して反対の意志を表明して闘うことを決定するところまでいきました。社会科学研究会の代表が5分ほどの演説をしてそれが満場の拍手で迎えられたぐらいでした。しかし、闘争方針は定まらず、方針については各団体一任となり、内部討議で決定されることになりました。
しかし、ここで2006年からの弾圧が活きてきます。当時、弾圧はいっそう激しくなり、これまでは逮捕だけだったものがついに起訴が行われるようになっていました。並行して、世論研などの言論系のサークルが当局を批判した新入生歓迎号が事実上の発禁処分を受け、世論研の代表が処分を受けることも始まっていました。ほとんどのサークルが「反対の意志はある。だけど、ガチで反対したら逮捕や処分が待っているのは明らか」として「まず交渉で様子を見よう」となったのです。結果、最後まで当局に情報をだす量や時期まで決められ、手のひらの上で踊らされることになりました。9月ごろまでは、「大学側に要求しているのだけれど、情報が出てこない。これでは討議ができない」となり、10月ごろになって情報が出始めると、「これはとんでもないものだ。ここまで具体的に決まってしまってはもう反対はできない。当局の打ち出している新サークル連合構想(後のCSK)に乗るしかないかもしれない」となっていったのです。そして、三本部団体は非公認化され、敗北しました。
【文化連盟決起】
三本部団体の中で文化連盟だけが、紆余曲折はありましたが、最終的に解散しないことを決定しました。しかし、2008年度になってみると、法政大学が雇った「ジャパン・プロテクション」の警備員、通称「ジャージ部隊」(いつもおそろいのジャージを着ている)がキャンパスに現れ、法大生に共に闘うことを訴えるビラをまく学生に暴力を加えるようになりました。
※ジャージ部隊
そしてその人間たちが、もはや非公認となり、学内の空いたスペースを使って行っていた文化連盟の会議の場にまで現れるようになる中で、脱退サークルが相次ぐ状況となり、34サークルあった加盟サークルは10サークルにまで減っていきました。そしてその中で、2008年度執行部を選出することになりました。もはや崩壊的状況にある中で立候補したのは三名のみ。しかもこの三名は連立承認であり、一人でも選ばれなければ三名とも選ばれないという形での立候補でした。このときにその中心だったのが社会科学研究会に所属する、08文化連盟の委員長(齋藤郁真)です。結果、10票中7票を獲得して2008年度文化連盟執行部は選出されました。
しかし、こちらが動けばあちらも動きます。執行委員の一人が宮崎学生センター長(当時)に呼び出され、「文化連盟に残れば君のサークル(新聞学会)に補助金は出さない」と言われ、サークル内で討議した結果、文化連盟を脱退することになりました。時を同じく、脱退サークルはさらに増え、文化連盟は最後はたったの4サークルにまで減りました。
この中で、一度は5月中旬に飯田橋付近のファミレスで真剣に文化連盟の解散を討議するところまでいきました。そこから、世論研の代表がまたもや処分されることが確実になる中で、文化連盟は「一人の仲間も見捨てない」「これ以上の大学の暴挙を許さない」を掲げ、それまで法大闘争の主役だった全学連に協力を要請。もって5月21日にキャンパスで公然と集会を行うようになりました。彼らだけがクチだけではなかったからです。

※全学連の仲間たち
完全に孤立した状況へ追い込まれたところから、我ら文化連盟は情勢をひっくり返すべく闘いを開始したのです。
【文連決起以降の闘い】
5月21日以来、文化連盟は決起し、総力で闘いを始めました。最初は「サークル員同士の交流」(いろんな企画をブログに書きこむことで告知、等)を目的として立ち上げられたこのブログも完全に闘争ブログとして確立します。とにかく怒りにまかせて行動につぐ行動を行っていく様子は、このブログの2008年度の記事を読んでいただければ理解できるかと思います。
5・28-29弾圧、それに抗議しての委員長の170時間ハンスト(断食)、10・17法大総決起集会、委員長・副委員長への無期停学処分・・・その中で「ジャージ部隊」を追放することに成功したり、運動同士の横の発展を広げたりと、一定の成果を出します。
※委員長ハンスト
※10・17法大解放総決起集会後のデモ
※「キャンパスの騒乱」報道号(ジャパンタイムズ)
しかし、「不当処分撤回」を掲げた2009年4・24法大総決起集会において、ついに文化連盟執行部は全員が「建造物侵入」「威力業務妨害」で逮捕されます。さらに立て続けに、法政大学門前の看板を壊したという理由で再逮捕・起訴が行われます。2010年、文化連盟は獄中闘争へと突入します。
そして約半年以上の拘禁の後、保釈を勝ちとって出てきたところで委員長が退学処分を受けます。
※退学処分に対する委員長の抗議文(?)⇒08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-656.html
この過程の入試において、法政大学は「大学の営業権」をかかげて、裁判所に仮処分申し立てを行い、入試期間中の情宣を禁止してくるようになります。「教育の民営化」=学問の商業化粉砕のスローガンが掲げられるようになります。
※情宣禁止仮処分申請書
委員長の退学処分や社会科学研究会の会員への無期停学処分(学内で許可をとらずにビラをまき続けた)で、文化連盟は学内での合法的な活動の余地をほとんど奪われ、それを機に法政大学当局は「学外団体キャンペーン」を行って、「そもそもそんな団体は法政大学になかった」かのようにしようとしています。
そして、2011年から、「ジャージ部隊」がいなくなった後を埋めるため、通称「ヤクザ部隊」と私たちが呼んでいる弾圧職員が登場します。
※警備員の後ろの青いジャージ
2010年からしばらくは、文化連盟を知る世代がほとんど卒業(ないし停退学)してしまったこともあって、学祭実の大幅な反動化もあり、2012年の中盤までははっきり言って苦闘の連続でした。この間は外においては大きな前進が見られ、新入部員の増加をはじめ、2012年5月31日には法大暴処法裁判一審無罪を戦取するなど、さまざまな前進が見て取れました。
※無罪の文化連盟と弁護団!
また、この法大闘争を教訓にして、京都大学では同学会(京都大学全学自治会同学会)が再建され、全国の大学における運動も一層の前進を勝ち取りました。また、2011年は文化連盟から全学連へ執行委員も出しました(言ってしまえば、全学連は文連の影響を強烈に受けている、ということ)。
※全学連現委員長、齋藤郁真・08文連執行委員長
この間は学内における逮捕者や処分者も出しませんでしたが、それでも学生に訴え掛けるにはかなり難しい環境でもありました。ですが、年々に規制は強まり、11年はキャンパス全面禁酒が抜き打ち的に決められ、そして12年の自主法政祭において全面飲酒禁止が学祭実行委員会によって決定されるというほどにもなりました。当時、学祭実はさらなる反動化を見せ、大学当局と一体になって文連をなんの具体的な根拠もなしに排除するという暴挙に(※)手を染めました。 この頃に、学内の情勢は一変します。
※学祭実行委員会は、学祭の前に参加団体全てを対象にした全学説明会で過半以上の参加団体から承認されて初めて権力を執行できる。学祭実は承認される前に、新たな執行体制で排除を繰り返した。
これに対する怒りは、10・19法大解放総決起集会で大爆発します。この集会は、4年ぶりとなるキャンパス内集会であり、「やったらパクられんじゃないか」という覚悟(筆者も直前に神社に行って祈願するほどでした)でやったら予想外の反響を生み出し、1000を超える法大生がこれに呼応して集まり、大きな高揚を作り出しました。陰に陽に協力してくれた学生も多数存在します。しかもあれだけやって逮捕者ゼロ。これはこの後の学祭期間においても法大生の好感的な反応にも表れています。やはりこれらの規制は法大生にとってみれば余計なものでしかないという証左です。
※10・19法大集会とデモ
これを受けて当局も動き、現委員長である武田君を(一発目にして!)無期停学処分することで学生の怒りを鎮圧しようとしました。手続き的にも完全におかしいとしか言えない処分でしかないですが、向こうもそれだけ学生の怒りに戦々恐々としていることの表れであると取れるのは明らかでしょう。
これに対し、文化連盟は処分撤回の裁判闘争を開始。同時に、12月の後期総会で代替わりを決定。12年度執行部に武田委員長・須見川副委員長・岡田書記長体制を立てることになります。全員が市ヶ谷キャンパスに学籍を持つ学内主体です。
【現在の闘いの状況】
法大闘争は今年で8年目、文連決起から6年目を迎えます。この間に、述べ119名逮捕-33人の起訴、二桁を超える停学・退学処分がありました。文化連盟は今、学内からの新たな決起をつくりだすため、頑張っています。大学に特定されればある種の恫喝が加えられることもあって、ゲリラ戦のような状況に入っているため、一年生や二年生がいるにもかかわらず、本ブログに登場させることができないのは非常に残念ではありますが、闘いは水面下で進んでいます。二つの闘いが重要であると考えています。
一つは、学生管理強化への戦いです。
法政大学のやっていることは、常識的に見ても「横暴」以外の何物でもありません。上から決定したものだから学生は大学の決定に黙って「従え」というものです。これは、大学自体の主観を表しているものであると考えることができます。それは、学生を「管理するもの」としてしか見ていないということです。主体性を築かせない、今の社会に疑問を持たせない、発想を持たせない…。極言すれば家畜と同等に扱っているということです。
ですが、この状況がまかり通る原因は、学生主体の解体と国家権力のお墨付きがあるからです。要するに言えば、NOという人間が誰一人としていない状況の上に初めて実現できる脆い物でしかないのです。この状況は、極めて限定的な環境において発現します。100%の賛成とは、分母が極めて少ないか、主体が全て洗脳されきっているか、独裁国家くらいの強圧的・強権的な支配が貫徹されている場合にしか存在しないような数値だからです。このような横暴に付き合う必要は全く存在しないのです。学生は、自分の行動に自分自身で責任をとることができます。不当な規制は、学生の伸びしろの否定に他なりません。

※増田総長の御言葉。これを御諚として忘れぬよう…。
もうひとつは、反原発と教育の問題です。
「学費・就活・奨学金」の三重苦によって今の学生は苦しめられています。「学生の本分は勉強」とひたすら机にかじりつくことを要求される(卒業に必要な取得単位数の増加、出席確認)のに、「勉強したくてもアルバイトや就職活動が忙しくてできない」という学生の要求は放置。学費は年々上がり、学費が高くて払えないということにつけこんで金融機関と組んで奨学金ビジネスに精をだし、さらに学生の将来の生活からすら搾取。実際、この10年で無利子奨学金の総額は ほとんど変わっていないのに、有利子奨学金の規模は人数比で7倍、総額で10倍に増えています。何もかも金儲けの道具にする新自由主義の下で、大学そのものがビジネスの道具にされています。
わが法政大学においても、清成総長体制の時に、「自立型人材育成」なるキャンペーンが展開されるようになります。その内容は結局のところ「自己責任」イデオロギーと一体の、資本にとって都合のいい労働者育成政策でした。それは、2005年、NPO法人「21世紀大学経営協会」総会の席上での発言、「大学の役割は企業と同じ。原材料を仕入れ、加工し、卒業証書という保証書をつけて企業に出す。これが産学連携だ」という言葉によく表現されています。
多かれ少なかれ、新自由主義=市場原理主義で動いている今の大学は、学生を学費・就活・奨学金の三重苦+学内規制によって政治的・社会的なことに対してアクションを起こす余地をほとんどの学生から奪っています。それによって、従順な学生をつくり、「おかしい」と感じても何も言わない、そういう人材を社会に輩出してきたのです。
3・11以降、大学・教育というものが国と一体であり、学問という人間を自由にする手段が逆に支配の手段としての道具にされていることが満天下に明らかになりました。大資本は学問を金で買収し、教官を金でからめ取ってその研究の自由を奪い、資本にとって都合のよい「学問」を量産しているこの現実は、まさに新自由主義の行き着いた極致ともいえます。その中で学生は未来の労働力商品として位置づけられ、資本に従順で文句を言わない「社畜」として大学で加工され、失業をしても「自己責任」論を押し付けられる。はっきり言って無茶苦茶です。ですが、そのむちゃくちゃなことを、大学の名を持って教育しているというところに新自由主義大学の本質があります。
現場に引きつけて言えば、現委員長武田君への処分です。
彼の処分事由は、大まかにまとめると以下の3点です
1:2012年10月6日、人間環境学部が外部講師(大久保利晃・放射線影響研究所理事長)を招聘して開講している人間環境学部セミナーⅡの教室近辺において、授業開始からおよそ30分にわたり、大声を上げて授業妨害を行い、学友の学ぶ権利を侵害するとともに、本学の名誉を著しく毀損した。
2:10月18日に開催された大学祭説明会では、教職員の再々にわたる指導にも関わらず、国際文化学部教授会の警告を無視して、大学の秩序維持に努める学友や教職員に迷惑行為を行った。
3:10月19日には学外者とともに学内の秩序を混乱させ、大学の業務を妨害した。
どの項目を見ても「こいつらどうしようもない」というものでしかありませんが、これをとらえていけば、今の社会の在り方がもっとも極端に、そして最も鋭く表れています。また、これらの項目についての詳細な状況は、別に掲載しておりますので、そこをご一読願います(月別アーカイブの2012年10月~11月あたりに掲載しています)。
そしてついに、反原発の戦いと結びつく決定的な出来事でもあります。御用学者を批判したから、という内容が処分理由に含まれていること自体、反原発闘争への敵対としか言えません。これまで東大や京大、広島大、長崎大といった旧帝大の国立大学における問題でしかないかのように言われてきましたが、ここ法大においても問題は全く同じです。逆に、我々が戦わなければ、ここまでの決断を大学に取らせることはできなかったと考えます。
そして、3・11から2年目を迎えた今、反原発闘争は踏ん張りどころに来ています。東京においては脱原発テントの撤去命令を始め、再稼働のあらゆる策動がうごめいています。福島現地においては、県外避難者への支援の打ち切り、帰還政策を押し付け、原発事故はさもなかったかのようにされようとしています。この一角に大学が取り込まれ、存在しているのです。
※電力会社による大学への資金供与を暴露した記事。毎日新聞2012年1月20日。
教育の腐敗は、御用学者・原子力ムラだけにはとどまりません。ここ法政に引きつけて考えると、裏金が存在します。その裏金とは、教職員が弾圧に参加した場合、日4万円の弾圧手当が出、役職を得る機会が多くなるようです。つまり、良い学術論文を書く教授ではなく、学生主体を持ち、発信する学生を弾圧する教授が役職を得て、出世していくという全くありえない状況が現出され、それがシステム的に運用されているのです。例えば、2012年に学生センター長だった鈴木義良則も元は体育教師でしかありませんでした(※)。
※来歴は、系列校からコネで法学部に就職、2008年まで弾圧の最前線に立って学生に暴力を振るってきた。その結果が教授→学生センター長である。ちなみに本人は一切論文を書いていないという折り紙つきである。

※弾圧の最前線に出る教授と職員(10・19法大集会)
これこそが教育の腐敗です。法政大学の暴挙や醜聞は、書き始めるとキリがありません(無数の偽装請負、元汚職警官の専任弁護士等々…)のでここまでにしておきますが、まるで安物のアメリカ映画を体験しているように、向こうはあまりにも醜聞と腐敗の塊です。
結局のところ、大学の新自由主義化=「教育の民営化」とは、大学そのものを金儲けの道具に変質させるということ以上に、大学という場所を資本の論理に与する場所に変えることと一体なのです。原発をつくってきた大学と、学生に主体性を与えない大学はコインの裏と表の関係なのでしょう。
このようなゴミに頼ったところで決して解決できるはずがありません。そもそもまともな論文もかけない能無しなのですから。だからといって変革を放棄すればそれこそ現状の追認にしかなりません。ではどうすればよいか、それは自分自身が主体となる運動によって破壊し、新たに創造しなければなりません。足元からこのような腐ったあり方を揺るがす、この闘いに全てをかけます。
私たち学生は、若く未熟ですが、しかしそれゆえに可能性を持っています。私たちが今日何を考え、何を行動するかが明日の社会を決めます。私たち学生が強い意志をもって行動に立ちあがるとき、大人も引きずって社会を変えていきます。歴史上の多くの事例がそれを示しています。我ら文化連盟は改めて「処分撤回」をすえなおして法政大学と闘っていきます。
最後に、いろいろと書きましたが、やはり我々はサークル団体です。誰でもウェルカムです。ここだけじゃ物足りねえ!という新入生諸君は、是非とも新サークルをここに創設してください。もちろんインカレ(インターカレッジ、別の大学から来た学生も含まれるサークル)も結構です。
我々の理念は「自主文化創造」です。文化はあとから定着します。一緒に新しい文化を作っていきましょう!
新執行部決意表明:書記長
そして新副委員長、ちょっとカオスすぎですよ・・・。特にネタが。
まあ、情報発信は自由なんで自重しなくてもよろしいけど、誤解を避けるために少しは注意してくださいね。
と、言うわけで、申し遅れました。書記長の岡田です。以後、しばらく文化連盟書記長の職を努めます。
以下、決意表明。
決意表明
当連盟の初代書記長に就任するにあたって、簡単に目的を述べておきたい。
現在、我が連盟はほぼ政治団体化しつつある。控えめに言っても、この性格が強い。「書記長」という役職を見れば一目瞭然であるが、これへの純化は避けたい。なぜなら文連はもともとサークル連合であり、学生の交流の手段としてのサークル活動を統括する存在だからである。故に、「法政大学文化連盟書記長」という役職は、私の一代限りの永久欠番の物にしたいと考えている。
社会に対する意味での政治性は欠かすことはできない。誰もが中立であるはずがないし、必ず偏向する部分を持っている。それは気づかないうちに刷り込まれていて、それが当然であると皆が思っている。文化連盟は「自主文化創造」をテーマとしているが、自主文化創造という観点は、新自由主義の観点(※この点はほぼ全学連の観点ですので、彼らに説明を任せます)からは容認すべからざるものとなっている。故に、文化連盟は自主文化創造を成し遂げるべく、内に外に政治闘争をしなくてはならない。特に今はなおさらである。その意味において政治性を持つことは、大切なことである。
だが、我々がサークル団体の域を飛び越えた政治活動は私としては望ましくないと考える。例えるなら、反原発行動の運動体そのものになることなどである。その場合は、私は遠慮せずに分離独立を選ぶだろう。
わかりやすく言えば、学生による自由かつ自主的な課外活動を支援すべく、内外の環境を整えることを志したい。政治闘争はその環境を整える手段である。7年間も抗争を続けているために見分けがつかなくなり始めているが、その点はハッキリさせておきたい。我々はあくまでサークル団体である。政治運動については、分をわきまえているつもりである。
さて、話を戻すが、そもそも我々をほぼ政治団体化させているのは、サークルではないと批判を浴びせる大学当局にすべての原因がある。そして我々が門前で拡声器を使わなければならない状況に追い込んだのは、いったい誰であろうか?もちろん大学当局である。サークル登録をしようとしても大学から拒否される状況に、いったい誰がしたのであろうか?もちろん大学当局である。構成員の状況を目に触れないようにしなければ国から弾圧を受けるようにしたのも、やはり大学の当局である。
まず物事は、一歩離れて見てみると多様な見方がでてくる。物事はひとつであっても、見方によっては全く違って見えてくる。社会学の常識である。現在の文化連盟の政治闘争の部分に引きつけて言えば、「文連が危険だから大学によって排除された」と見える現実も、双方の情報の吟味によっては「大学による弾圧がより文連の活動の活発化を招いた」というふうに見えてくる。なぜ前者の方に見えるのかというと、大学当局の権力が文連よりも強いからである。
じつは、この常識とも言える部面を、大学の教授どもは本当の意味で理解していない。知識は豊富だが、それだけ。みんな口だけなのだ。足元を見ないでよくもまあ人を教える立場に立っているものだとつくづく思う。真に自由と進歩を掲げる学府ならば、まず足元を浄化しろ!そう言いたい。現実に、足元を見ている人間とそうでない人間で決定的な違いは、説得力の差にある。実際の体験談が説得力を持って語られるのは、正に口だけではない事実を経験しているからである。法政の教授の中には、どうもその人格はいなくなったようだ。
かつて、法政大学は、(今でもそうだが)学生運動の最大の拠点であった。これは、単純に中核派学生の力が大きかっただけでなく、教授会までもが学生のとる行動に賛同し、一緒に声を上げていたほどであったそうである(自学部の学生がデモ中に逮捕されたことを聞いた学部長が「けしからん」として、警察に抗議しに行ったこともあるという)。要するに言えば、大学ぐるみになって政治運動をやっていたのだ。しかし、70年代中盤から起こった新左翼党派間での内ゲバという事実が突きつけられる。特に法大は中核派と革マル派の内ゲバのまさに戦場となったこともあって、大学は「大学として存続できるのか」ということを問われることになる。そこから「大学を守るために」、中核派に公に賛同する教授勢力を弱体化させた(もしくは追放した)。ここが現在の法政大学に至る、いわゆるフラグに近いものであったといえよう。この系譜を引き継いでいるのが、現在の「監獄大学」と揶揄される法政大学であるということもできる(誤解を避けるために言えば、だからといって中核派賛同教授を追放すべきではなかったというのではない。もはやこれは過去の出来事であって、過去にこだわるだけ無駄である。この問題は、ある意味仕方がなかったといえばそれで済むかもしれないが、この結果を導き出したのは、やはり内ゲバという強力な圧力であったと考えるべきである。どちらが正しく運動を行い、大衆的な獲得力を持っていたかというものをよく見ることが大切である。70年の学生運動は、少なくとも野次馬と活動家の視点からの話を聞いてみると、意外なことがわかるかもしれない。さっきも言ったが、実際に経験している人間の話は、必ず信用できる内容を含んでいる)。
そして私たちがやることは、究極的に言ってしまえば、大学から口だけの教授を追放して社会的権威を剥奪し、大学を実践的な真理追求の場として再建することである。その下地として学生間の交流を自由に行い、相互に助け合える場としての文化連盟となることである。常に今を問い、変革を志し、自分の意志を表現し、おかしい事にはおかしいとハッキリ言える人間を生み出し、実際に世界を変えていくための文化連盟となる。
常に世界の発展は疑問と夢から始まったものである。議会民主制度は封建制の強権的な抑圧への疑問から生まれたものであり、ブルジョワ革命で発展した資本主義は当時よりも世界をより良い方向へ変えていった。そして現在、資本主義体制は救いようのない状況に陥っている。いかなる政策もこの体制は救えない。救えないのなら、一度破壊して構造を入れ替え、新しく作るべきである。
現在、資本主義体制は自らを救おうとしている。だが、もはや体制に溜まった膿はもはや大きくなりすぎた。自分で膿を切り開いてそれを出す力もない。「現在の体制には、外科手術が必要である。もし手術が成功すれば、患者が死んでもこの際はやむを得ないだろう。どのみち誰もが不滅であるワケではない。」(銀河英雄伝説・Oskar von Reuenthal)
そしてもうひとつ、全学連との連帯であるが、これは断固として続けていく。
自分としては中核派と組もうなどということはどうでもいい。いようがいまいが関係のないことである。確かに過激な一面も持ってはいるが、それもどう見ても許容範囲内だと思う。ただそれを理由にして連帯を拒む人間ほど、狭量であるとしか言い様がない。実は、過去にこだわる人間や政治団体ほど、自分の主観的なものを客観的と言いなして、結束を求める政治団体や個人に対してNOを突きつける。だが、そう言う者ほど真実や、現実を見ようとしてない(見ているつもりでも、全く曇った眼鏡をかけているとしか思えない主観となる)うえに、自分が最も勝手な主観にたって行動していることに気づかない。たんなる反対派に甘んじて運動をやるくらいなら、政治運動をやめたほうがいい。全く無駄な運動であり、逆に運動を阻害し、潰す主体にもなる。要するに、政治運動をやるのだったら、勝つために現実を直視し、あらゆる手段を模索し、結束を作って権力と非和解的に対抗する物にしなければ、必ず運動は潰される。いくらデータや歴史を語ったところで、それが実践的に活かされてなければ歴史など必要ないのであって、それ自体が人間の歩んできた道の否定である。歴史は繰り返すものではなく、より良い方向に向かって前進していくための手段にしか過ぎない。重要なのは、歴史を捉え、歴史を踏まえた上で自分を見直し、悪しきところを矯め、これからどうするかと言う未来へ向かって歩みだすことである。
そしてもうひとつ言えば、歴史的に、彼らは口だけではなかった。処分や逮捕も恐れずに当局と激突し、常に当連盟のそばにいて肩を貸してくれた。かつて中核派が「中核派魂」などという自称が他称になるほどの体育会系と言われた理由もそこにあるのだろう(笑)。少なくとも、あまりにも個性を隠さない仲間たちに囲まれて、とても楽しい思いをしているので、とても裏切る気にはなれない(彼らは本当に個性を隠しません。一度あってみるとわかりますが、天然がいたり、真面目がいたりといろんな性格の個人に出会えます。最近ではオタクの人もいて、結構会話も弾みます)。
もう一度言うが、我々は体制の処刑者である。暗殺者ではない。正々堂々と挑んで権力を取る。テロ、闇討ちやクーデターなどは以ての外である。
いつになるかは分からないが、やられたことは耳を揃えてきっちり返させてもらう。こちらは鐚一文も負けない。必ずや弾圧に加担した119名の悪人を吊し上げ、33名の凶悪人どもを処刑し、13名の悪魔を晒し首にして借りを返してやろうと思う。
実際にこのようなことをできるかどうかはわからないが、まあそのような気分を味あわせてやれたら本望だ。
大学を我らが手に!学問を真理の追求の手段に!
法政大学文化連盟初代書記長 岡田 勝彦
以後、宜しくお願い致します。
3/11福島反原発行動に関する声明
旧執行部総括と新執行部決意表明の間に割り込む形で大変恐縮ですが、今年もメモリアルデーの3月11日に、福島現地で反原発行動が呼びかけられています(詳細はhttp://fukushimaaction.blog.fc2.com)。文化連盟は公式にこの集会の趣旨に賛同し、参加したく存じます。
以下、声明文
法政大学文化連盟の3・11福島現地反原発行動に関する声明
2013年1月28日
法政大学文化連盟12’執行委員会一同
法政大学文化連盟は、文化連盟として3・11福島反原発行動への総力参加を表明し、同時に3・11福島現地行動への参加を呼びかけます。
去る2012年10月24日、現在委員長である武田ゆひまる君が法大当局によって無期停学の処分を下されるという事態が起こりました。当局は他に理由を二つ挙げてますが、処分事由の第一項目に出ていた理由は「10月6日の授業を妨害した」という文言です。10月6日の「授業妨害」の指す内容は、法政大学人間環境学部のオムニバス授業で放射線影響研究所理事長の大久保利晃の講義を弾劾したことを指します。さて、彼の肩書きからもわかるとおり、大久保利晃という人物はいわゆる「御用学者」と目される人物です。放影研は、広島における黒い雨による健康影響を、「明確な差は無し」として内部被ばくの可能性を否定したほか、現在、その理事長たる彼は郡山市原子力災害対策アドバイザーという地位に就き、放射能安全神話を触れまわっています。当然、このことを誰もが批判し、弾劾する権利を持っています。「御用学者を弾劾して処分される」という現実は、事実上の思想弾圧です。しかも内容も全く不当なものであり、当時この教室に4つある出入り口のうちの三つを施錠し、唯一空いた出入口を職員で固めて学生証チェックを行い、人間環境学部生以外には受けさせないという体制をとって行われました。彼は授業を聴講しようとして阻止され、教室に入ってすらいません。しかし、これは法大当局の方から福島の怒りに敵対することを選ぶ行為です。この選択を後悔させてやらなければ、この非常識な行為は延々と繰り返されます。現在、我々はこの処分の撤回をめぐり、裁判所に提訴して大学当局と係争中です(2月15日初公判)。
御用学者とは何か?それはビキニ事件で爆発した反核運動をつぶすために現れました。彼らは「核の平和利用」理論のもと、あらゆる反核運動を分裂させ、鎮圧してきました。彼らは、資本のための学問を量産し、今でも責任を取らずのうのうと教壇に立っています。
3・11は、世界の情勢を一瞬にして変えました。この日を以って、平和利用という名の厚い嘘が崩壊しました。3・11をフクシマの日として、絶対に忘れてはいけません。紫陽花革命が紫陽花革命といわれる原因は、フクシマの怒りが社会を席巻し、全体化しているからです。3・11は、福島現地で行うことに意味があります。3・11は慰霊をし、悼むためだけの日ではありません。嘘を振りまき、責任を取ろうとしない奴らへの怒りの炎を上げる日でもあるのです。
本来、我々はサークル団体であって、本来こういう提起は範疇から外れたものであるという側面もあります。しかし逆に捉え返せば、大学のこの対応が私たちにこの表明をさせるに至ったとも言えるでしょう。大学だけでなく、社会全体に広がるこの状況を打ち破れる助力となると信じ、また、福島の怒りとつながり、法政大学の取った「御用学者を批判したら処分」という選択を絶対に後悔させ、真の学府を取り戻すべく、文化連盟執行部一同、邁進していきたいと存じます。
以上
2・15裁判ダヨ!全員しゅうごうー☆
みんなで武田君を取り戻しに行こう!
武田君は君を待っている!

傍聴券は40席の早い者勝ち!春休みはみんなで裁判所へ突入だ!

☆日時:2月15日 13時半~☆
☆場所:東京地裁651法廷☆
武田君は一体誰のものに・・・!?
みんなの決起を待ってるぜ!
プロレタリ・アンターレ=ファイト!

新執行部決意表明:副委員長
「国際文化学部にとても面白い人がいる」
そう言って友人に連れて来られたのが委員長でした。
彼は明らかに若者ではないというか、学生ではないというか、現代人ではないというか、宗教家というか、黄巾族というか、タイムマシーンで連れて来られた19世紀の中央アジアの遊牧民というか、洞窟の奥で無線機片手に缶詰でも食ってそうな風貌。きっと注射器とかも持ってる感じ。
紹介して貰っておいて何でしたが、その時点で僕の感想は「ノーサンキュー」でした。
悪い予感は的中し、彼は初めて会ったその日の内に職員と揉めまくり、数日後には「はしゃぎ過ぎた」という理由で足の骨を折って松葉杖姿で現れます。
「"はしゃいだ"って何…?普通そんな簡単に足を折る…?」「絶対こいつヤバイ奴だろ…」「何か裏社会と抗争でもしてそう…」
そんな妄想が膨らむ中で、彼が社会科学研究会の部員である事が判明。「社研社研文連文連中核中核過激派過激派内ゲバ内ゲバ……アババババババババ」。正しく予想が現実になった瞬間であり動揺が収まりませんでした。
しかし今では委員長とも文化連盟の愉快な仲間達とも大の仲良し。そう、僕は気が付いたんです。カルトっていうのは入ってしまえば怖くないんですね(笑)僕の味方になるんですから(笑)そうと分かればカルトも頼もしいもんです(笑)
そんな僕に教授達はドン引きし実家に通報。もちろん親は涙目。公安まで使って僕の説得に出るも既に時遅し。
どっかの誰かさんが「文連と関わると人生が狂う」等とほざいていますが、元が狂ってる人達には全く意味のない言説であり、寧ろ軌道修正されたんじゃないかと思う次第です。感謝感謝。

文連はいつでもお友達を募集しています。来るもの拒まず。誰でもウェルカムです。
文化連盟副委員長 須見川 守
旧執行部総括:委員長

総括(委員長:齋藤 郁真)
2012年12月16日
【はじめに】
08年以来、このまま永遠のものになるんじゃないかと思われた08執行部もついに退任となります。法政大学文化連盟の委員長は私の原点であり、退任となった今でも、あまり気分が抜けきりません。率直にいえば、全学連委員長でない活動家としての自分はありえても、文化連盟委員長でない活動家としての自分というのはありえないのではないかとも思います。
さて、最後に何を書くかは迷ったのですが、やはり自分がこの5年間で経験し、知り、つかみとった思想的地平を後代へ向けて、長くなると思いますが(学問的論文ではないので平易に、それゆえに微妙な間違いを含みますが)しっかり書こうと思います。文化連盟はもちろんサークル連合ですが、同時に闘争団体です。この二つは決して切り離してはなりません。そもそも大学当局と闘って権利を勝ち取り、それによってサークル運動全体を発展させるために文化連盟はつくられたのであって、それは今は無き伝説の「東アジア最大の自治空間」=法政大学学生会館の建設に文化連盟が深く関わっていたことからも自明です。その原点の大切さを思い知らされた世代として、闘争のために必要な心構え・常に考えて欲しいことを不遜な表現ですが教訓として書きます。後輩諸君はぜひ読み、考え、そしてこれからの運動に活かし、運動の発展の一助にしていただければ幸いです。
【政治闘争における認識について】
まず、政治とは何でしょうか。哲学的な言葉遊びはおいといて、一般に「政治」といわれる行為が何をめぐって行われているかということを考えることが重要です。それは「日常をどうするか」ということをめぐる行為です。つまり、ある集団内において、その集団の中のどのような日常的な要求を重視するのか、ということが政治における最大の眼目になるわけです。
では、それらの要求の優先順位はいかにして決まるでしょうか? その集団内のある要求が他の要求と根本的には対立しない状況(たとえば年末の大掃除における役割分担なら、どこを担当するかに伴う利益対立は存在しますが、全員大掃除をすることには賛成しており、根本的な利益対立は存在せず、話し合いでみんなが納得するように決めることができます)なら何の問題もありません。しかし、社会一般でみたとき、この社会には明白に根本的な利益対立が存在します。たとえばわが国における消費税の増税をめぐる問題なら、いわゆる「輸出戻り税」によって、消費税が上がるほど輸出産業およびその関係者は利益を拡大しますが、民衆一般は不利益を被ります。あちらをたてればこちらが立たない、生活のかかった問題がこの社会には存在します。改めて最初の問いに戻りましょう。では、それらの優先順位はいかにして決まるでしょうか? 社会的な「力」によってしかありえません。国会などの一般の「政治」とは、まさにこの利害をめぐる闘いのことです。
ゆえに、政治的な力関係の差とは、日常の利害をめぐる力関係の差によって決まるのです。その関係は、スポーツの大会において勝敗が決まるにもかかわらず、その勝敗の決定要因は大会の場ではなく、それまでに積み重ねた日常の練習量の差によって決まるのと同じです。もしくは、テストの結果で点数がでるにもかかわらず、そのテストの結果を決めるのは日常の勉強量だということです。普段からデモも集会もやらない国民に真実など与えられないのは、奴隷が陵辱され、ボコボコにされ、殺されるのと同様に当然であり、何も不思議なことはありません。真実がそこらへんに落ちていると思うのはチョコラテのように甘い考えであり、社会をナメてはいけません。
だから、この社会・国家の支配者はこの社会の日常を決めている企業経営者たち-もちろん、商店街の魚屋のおっちゃんという意味ではなく、一部の大独占資本・金融資本(銀行)の頭取たち-です。彼らの声が最も大きく、最も強いのです。大独占資本の力の一端を示す最近のデータを示しましょう。2012年の東京商工リサーチによれば、パナソニックは国内取引企業数1万1391社、総従業員数は約690万です。シャープは国内取引企業数8495社、総従業員数は約420万人となっています。産業が同じなので、下請け企業の従業員はかなりの部分が重なっているでしょうが、しかしこの二社だけで700~800万の国民の生活を左右する力を持っているということです。今の「電機ショック」がどれほどの衝撃力を持っているかは推して知るべし、です。また、現代の生産体制について多少とも知識がある方なら知っているとおり、現代では大量生産のための機械・工場が大きいと同時に、国際的な激しい競争のために、その生産に必要な資本の量を調達するために、金融機関の役割が非常に巨大になっています。つまり、銀行が信用(資金)の貸与の有無を通じてそれらの大企業を支配する関係に立っているのです。わが国においては四大銀行の役員たち-彼らこそがこの国の本当の支配者です。金融王たち-この虚業の王たちが世界の王です。
政治は、つまり国家は、この経済構造において彼らの傀儡たらざるを得ません。議会はみせかけであり、そこで決まる法律は中立たりえません。社会に「中立」など存在しないからです。そして今の経済構造を前提にするかぎり、今の社会の利益の最大の代表者はやはり彼らです。彼らが国際競争に勝てなければ、彼らの誰かに仕事をもらい、賃金をもらうことでしか生きていくことができない労働者は死ぬしかないからです。原発立地に住む人こそが、雇用関係において最も「原子力ムラ」と利益を同じくしていますし、それは沖縄の基地問題においても同様の関係です。ある日いきなり故郷を奪われようが、命をとられようが、被曝労働しか仕事が無くても、それでも彼らに従い、仕事をもらうしかない-この関係は、この社会の普遍的な生活のあり方の最も鋭い矛盾です。今の経済構造を前提にする限り、全人口の「1%」にも満たない人間の利益に従属し、支配されることによってしか「99%」の国民は生きていくことはできないのです。
また、今の経済の下では、官僚はある政策を実行に移すためにどの企業に仕事を発注するかを選択しなければ仕事はできませんし、企業の側も公共事業などその大規模な利益を求めて官僚に接近しなければ、その経営者は無能といわざるをえません。この両者は結びつき、官僚は優秀であればあるほど人脈を買われて天下りします。官僚の天下りとは今の社会から避けがたく生じる「健全な腐敗」です。このような、幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸の網によって私たちの社会は包まれています。だから国家もまた、「中立」たりえません。2008年、政権が自民党から民主党へ変わった当初、「政治主導」に反発して官僚がちゃんと働かなかったと言われましたが、それはあまりにも当たり前のことだったのです。「原子力ムラ」とは、人類史上最悪の福島原発事故の衝撃によってさらけだされた、この蜘蛛糸の網の最悪の存在のひとつです。これに匹敵する例でいえば、たとえばアメリカの軍産複合体がそうだといえるでしょう。
現代の経済構造=資本主義は世界的な体制であるため、他の国においても事情は同じです。貧しい農民の家に生まれ、1975年にサンパウロの鉄鋼労働組合の委員長を務め、2002年にはブラジル大統領にまで上り詰めたルラですら、大統領になった後は新自由主義政策を採用するしかなかったのです。あの南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラも同じ道をたどりました。
文化連盟諸君は歴史を総括して、国家機構を手に入れれば社会を変えることができる(=政治が安直に経済の上に立っているという思い込み)、という左派系知識人の妄言にどうか振り回されないように! 私たちは、「議会制民主主義」という名の、歴史上最も完成された宗教を信仰してはなりません。聖書からしか世界を説明できないキリスト教徒は、現実世界の腐敗に対して「キリスト教精神のさらなる徹底」によって腐敗を解決しようとして、さらに迷える子羊になります。1994年に社会党が政権をとり、国家運営のために自民党との連立に頼らざるをえず崩壊したとき、今の社会の「常識」に最も忠実なマスコミの迷える子羊たちはいっそうの「議会制民主主義の完成=二大政党制を日本につくりだすこと」を訴え、さらに迷える子羊になりました。その結果がどうなったのかはわが国の現状をみればいいでしょう。
宗教の本質は、人間が自ら創りだした存在に人間自身が縛られることです。昔、まだ科学が発展していなかった時代、人間は「神」に縛られていました。今は自ら創りだした「システム」に人間は縛られています。法律を作り、運用し、社会を運営しているのはまぎれもなく人間であるにもかかわらず、その人間たちは「一票」にされ、自らを裏切るための代表者に数年に一度投票することによって、政治の失敗の責任を引き受けなければならない構造が作られているのです。政治家を動かしているのは資本家なのに、その失敗は民衆の愚かさにあるかのように言われる! 「神」はただ信じればよかった。しかし、「議会」の形成には自らが参加することを要求されます。だからいっそう、「議会制民主主義」はタチの悪い宗教です。これを大衆が政治に関わるひとつのきっかけとして利用するぶんには問題ありませんが、これに希望を託してはなりません。
法政大学当局の行う「文化連盟批判」のひとつに、「活動が主のひとたち」だから「学生の本分から外れている」というものがありますが、これはまさに今の宗教をよく表しています。政治は数年に一度参加すればいいものであって、日常的に参加するものではない、ということであり、それは日曜日の礼拝に参加すれば救われると信じていた、迷える子羊たちの精神そのものです。
しかしながら、このような宗教が無くならないのは当たり前です。なぜなら、私たちの今の日常生活において、私たちの命運を決めているのは私たちではないからです。株式市場の騰落・資本家のきまぐれなどの「偶然」・・・これらによって私たちの命運が決まってしまう現実の反映、人間という存在が蔑視されている現実が宗教の根源です。スピリチュアル、政治家、宇宙人、地底人・・・自分や周りの人々とは関係のない「何か」に社会が動かされているという実感こそが宗教を生み出すのです。「神にすべてが決められている」というイデオロギーは「王にすべてが決められている」現実の反映でした。アジアでは「すべての人の親=皇帝もしくは天皇にがすべてを決める」という現実を正当化するイデオロギーが儒教(朱子学)に体現されていました。支配者が存在する社会において、政治は一部の人間の独占物であることを反映し、必ずひとつの職業として、すべての人々から切り離されて「特殊」「非日常」として存在します。それが「王」だろうが「政治家」だろうが、ひとつの本質の別の表現であり、同じことです。
「システム」があって人間がいるかのような幻想を乗り越える道は、すべての人の日常に政治を持ち込んでいくことです。だから私たち文化連盟、とりわけ執行部は、日常的に闘争を組み、常にその前線にいなければなりませんし、もしくは前線にいる人物と有機的に結びついていなければなりません。人間こそが、人間にとって依拠すべきこの社会の真実の力であることをすべての学生の実感にしていかなければいけません。日常に政治を持ち込んでいくことは今の社会の大多数の人間にとって「キモイ」ことであり、不人気な政策たりうることは避けられませんが、それは必ず挑戦しなければなりません。つらいことも多いですが、やり始めれば結構楽しいということをすべての人に知ってもらわなければなりません。
この章の最後に。08文連執行部は、全学連と共に、「労学共闘」をひとつの路線として据えています。冒頭述べたように、この社会は資本家が支配する社会です。資本家の力の源は生産手段を独占し、労働者を雇って生産の許可を与えることができるのが資本家だけである、という現実にあります。しかし、生産現場を握っている存在がこの社会にはもうひとつ存在します。だから、資本家の支配に根底的に対抗できうる根本的な力を持っているのは労働者です。大地から資源をとりだしているのも、それを輸送しているのも、製品に仕上げているのも、その全体を帳簿につけることで生産を管理しているのも、労働者です。資本家はその力を国際競争にしか使わないし、使えません。自らの資本を拡大することによってのみ生きてきた彼らは、それ以外の生活など想像できません。私たちと安倍や石原では根本的な世界観が違います。彼らはこの社会の利益の最大の代表者ではありますが、彼らの利益に与することによってしか人間が生きられない社会の末路が今の社会です。エルピーダ・メモリの破産、自動車産業の中国市場における惨敗、電気ショック・・・リアルに原発の輸出を軸とする「パッケージ輸出」の成功によってしか日本経済は成り立ちえませんし、原発によって確保されるプルトニウムは抑止力として、国際競争の重要な要素=外交における強力な力です。経団連の米倉会長は頭が悪かったり、新産業の勃興・新たなビジネスモデルに挑戦する気概がないわけではなく(そういう面もあるのかもしれませんが)、アメリカですら「財政の崖」問題にみられるように追いつめられており、日本は実際のところ立ち止まっている余裕などないのです。原発の再稼働は、日本という国の死活的な「国益」がかかった、全国民の生活がかかった問題です。このような利益に従って生きることは「現実的」ですが「人間的」ではありません。
今から70年以上前、世界的な経済危機および中国市場をめぐるアメリカとの闘争に追いつめられた大日本帝国は、中国への突出的侵攻に踏み出しました。この選択肢は、当時の状況を見る限り、非常に「現実的」な政策でした。今の経済構造においては「政治の失敗」ではなく「政治の延長」「日常の延長」として、人々は殺し合いをするしかありません。私たちは日常から富をめぐって殺し合い・蹴落とし合いをしているわけで、その行き着く先が大戦争であることは何ら不思議なことではありません。また、戦争は内の不満を外にそらし、治安体制を強化することによって政治弾圧をしやすくできるという利点がありますので、その点からも戦争は資本家が何もかもぶっ壊してもう一度今までの日常・世界を繰り返すために重要です。繰り返しますが、これは今の社会における「現実的」な政策です。資本家が国際競争に勝てなければ国民は雇用されず、死ぬしかないからです。ただ、この選択肢は「人間的」ではないのです。
法大闘争の歴史は、この「現実性」に対する「人間性」の闘いです。「一人の仲間も見捨てない」というスローガンは、他人を蹴落とすことを日常的に要求される今の社会に対して、別の社会の価値観を対置することでした。だから法大闘争を担う主体、とりわけ執行部は、資本家に自らの勝利の「現実性」を担保してもらおうと考えてはなりません。その勝利を実現しうる力はこの社会の生産を握るもうひとつの階級、労働者に求めなければなりません。動労千葉のような闘う労働運動との「労学共闘」にはまだまだ「現実性」はありませんが、展望はあると思います。
【実践において気をつけるべき教訓】
08文化連盟執行部は、「三権分立」や「学問の自由」なる、言葉にすぎない宗教を実践をもって乗り越えてきました。しかし、ここで気をつけなければならないことは、自分たちが経験をもって知っているからといって、それをしっかり話せばわかってもらえると単純に思ってはならないということです。これは当たり前のことのようで、非常に難しいことです。正論は言わなければならないのです。しかしそれは人々の実感にならなければいけないのです。
民衆は基本的に善良です。私たちはたいていのことは話し合って解決します。だから、その日常の実感から歴史的・理論的には非和解であるはずの相手とさえ「同じ人間だから話し合えば解決する」と思いがちです。その思想は、彼らの日々の実感であり、民衆が偉大であること、支配者さえいなければすべての問題を解決しうる力を持っていることの証明であって、ネガに捉えるべきことではありません。良心的な人ほどそうなのです。だから政治運動の先輩は、その結果を見通して闘いをつくることに習熟しなければなりません。大学当局に申し入れ書を提出し、対話すら拒否されるなどの相手の対応を引き出し、それを暴露することによって敵の「権威」を奪い、闘いの総括の中からよりラディカルな行動を提起していくなどの方法をうまくやれるようにならなければいけないのです。多くの人の実感を一致させることを基礎に、理論的地平の一致から闘いの路線の一致・戦術の一致が勝ち取られるのです。そもそも「理論」とは経験の集積のことなのですから。
この点において、私自身の反省を後代に向けて残します。それは、「お酒飲もう委員会」による飲酒規制との闘いに対する文化連盟、とりわけ私がとった態度のことです。当時、文化連盟は「お酒飲もう委員会」の学生の「文化連盟といっしょじゃなければ大学は話を聞いてくれるはず」という、07年のサークル団体をめぐる攻防(文化連盟・第二文化連盟・学生団体連合の非公認・崩壊)によって幻想であることがはっきりしたはずの妄想にとらわれた運動を批判し、この運動に対してなんら関わる努力をしませんでした。そして彼らは当然にも、善良に運動し、善良に交渉し、法政大学当局による悪辣な「飲酒規制は学生と話し合って決めた」という宣伝の道具にされ、善良に敗北しました。重要なことは、彼らの敗北は、実質的には文化連盟の敗北だったということです。なぜなら、私はその結果を見通していましたし、その意味において彼らの敗北を知っていたからです。私は、文化連盟は法大闘争の全経験を持った存在として、影のような形であっても一つ一つの運動にかかわり、共に正しく総括し、それらの発展のために力を尽くすべきでした。
08文化連盟執行部は、07年のサークル攻防の中から生まれ、表面的には単なる「民主主義者」として闘いを開始しました。その中でさまざまな現実にぶちあたり、勉強と実践を積んできましたが、大衆もまたその過程を通らなければいけないことに無自覚な歴史が長かった。もちろん、この失敗はネガなことではなく、それらすらも踏み台にしながら私たちは発展してきました。10・19法大闘争は、「ゆとり全共闘」系の学生も参加した法大闘争の全歴史の総決算と呼ぶべき闘いでしたが、それを創りだすことができたのは、私たちが諦めなかったからです。諦めなければ、さまざまな要素が絡み合ってときに奇跡を起こすこともあります。奇跡は、日々それを掴み取ろうとした人間にしか降ってきません。
新たな時代の新たな課題に挑む中心は次の文化連盟執行部です。
【文化連盟の歴史的勝利性】
「人権がなければ、国土面積が増えても、奴隷労働の土地が増えるにすぎない。公平がなければ、経済発展が進んでも搾取の苦難が増すだけだ」「自分の家を(政府の強制収用から)守りぬくことさえできないのに、小島の主権を守ろうとする。みんなは利用されており、それをまだ『愛国』だと思っている」-これは反日デモばかりが報道された中国のツイッターからの引用です。ちょっともう何て言っていいかわからないほど無知な「反日サヨクは中国に帰れ」という伝統的な右派の言葉がありますが、この言葉は今、真実へ近づいています。これまで「反日極左を日本から逮捕・追放しろ」をそのまま実行していた、右翼のお手本であった国家=中国は過去へと消え去り始め、中国全土はストライキ・デモ・暴動に包まれています。むしろ今の日本が、自民党の改憲草案にみられるように、中国政府が得意とする「公共の秩序に反する行為は認められない」を導入しようとしています。ミャンマーにおいても、『東京新聞』12月8日の7面記事・「チャイナプラス1」によれば、民主活動家が職場に入ってきてストライキを組織しているようです(ちなみに、これに対して会社幹部が言っているのは「活動家は出て行け」。法政大学は北朝鮮や中国だけでなく、ミャンマーでもあるようです 笑)。
新自由主義は戦後経済成長の限界にぶちあたっていく中で1973年、チリで初めて実施され、1980年以来、全世界でグローバルな勝利を収めましたが、それによって労働者の数をいっそう増やし、帝国主義がその支配のために温存した農民階級(日本においても、かつて自民党は首都の革新系知事に対抗して地方・農村を温存していました)などの中間階級を解体してしまいました。TPPの強行にみられるように、新自由主義に頼るしかない資本家はますますこの流れを強めようとしていますが、それは日本の政治体制の終局的崩壊の条件をつくりだすでしょう。そしてその阻止の闘いは、成功・失敗の如何にかかわらず全民衆の団結を創りだすでしょう。
国際的な競争戦争・資源戦争・為替戦争・軍事戦争は、資本家によって支配される国家の対立-「国益」の深刻な対立をつくりだしていますが、新自由主義が世界的な強搾取によってつくりだした条件は、世界の労働者民衆の団結へ向かって進んでいます。11月14日に「緊縮策反対」を掲げて行われた、歴史上初の南欧7カ国同時ゼネスト・全ヨーロッパ23カ国同時1000万デモはその端緒です。ギリシャとドイツがいかに「国益」をめぐって対立しても、そこに生きる労働者は国境を粉砕しているのです。
大学は、学問は、どちらの側につくべきでしょうか? 「学問の自由」とは、神権政治・王権政治に対する抵抗の表現であったように、今は帝国主義・金融資本に対する闘いの表現としてしか貫徹されえません。それは支配に対する抵抗の、腐敗に対する情熱の意志こそがその内容だからです。
もし仮に法政大学当局が私たち文化連盟の壊滅に成功しようとも、この闘いの記憶はすでに京都大学や東北大学をはじめとして、多くの大学の運動に受け継がれています。「法政大学文化連盟」の名前は、すでにひとつの伝説になりました。その影響力は「キ○ガイ」「過激派」「実は正論」などなど、「誰も無視できない」ことを意味するいくつもの呼び名に示されています。あらゆる闘いがそうであるように、文化連盟が勝つとは限りませんがしかし、やはり私は文化連盟が、もしくは「文化連盟が示したもの」が勝つと信じるに足る十分な根拠は世界中にあると考えます。
新たな執行部は自覚と誇りを持ち、しかし所詮はまだまだ小さな運動であることを認識し、あまり気負わずに精一杯がんばっていただきたいと思います。
以上

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