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つれづれなること(終)

 2011-09-13
 ちっす。齋藤です。タイトルにあるとおり、今回で「つれづれ~」は終わりにしようと思います。
 理由は単純で、もう必要なくなったからです。2008年~2009年の文連ブログは今からすれば、大荒れで(あっちのほうが好きだけど)、それゆえに一定の思想性をはっきりさせようということで委員長こと私、齋藤がそれなりにまじめそうな駄文を書きつづったのがこのコーナー(?)の始まりでした。08文連決起から3年半が経ち、ブログの内容もかなり絞りあげられてきましたので、もはやこの企画は意義がないと判断しました。むしろこの部分から見た人はこのブログが何をメインにしているのかわかりづらいと思いますし。まあ、何かのひょうしにまた始めるかもしれませんが、とりあえずシリーズ的な感じにするのは終わりです。
 なので(?)もう文体も肩ひじ張らずに、正論ぽいことをガツガツぶつけるちょっとエラそうな雰囲気はやめてこんな感じでいきます。

 今から読み返してみると、この企画はおもしろいものになりましたね。一人の「民主主義的良心派」が法大闘争の弾圧の鉄火の中で、どのように思想を変化させたのかがなんとなくわかるものになったんではないかと思います。まあ、個人的なことなので皆さん的にはどうでもいいですね。すいません。

 さて、本題です。最後の主題はいろいろ考えたのですが、「客観性と主観性について」ですかね。たぶんこの主題を切り口にするだけで、結論はどうなるか自分でもよくわかりません。なんかいろいろと渦巻いているので。

 よく言われることですが、「物事は客観的にみなさい」とか同じ意味で「中立的な立場で評価しなさい」なんて言われること、あると思います。
 さて、では「客観」とはなんでしょうか? 私たちの目の前にあるのは常に物理的な事実だけです。その世界に色付けしているのは人間です。だから、「正義」も「悪」も、その言葉だけでは何も表さないし、それゆえに、たいてい単なる思考停止を意味しているときすらある言葉です。
 それゆえに、いわゆる「社会」(これまたこの言葉だけでは何も意味していません)を分析したりするときには、社会を「客観的」な事実の羅列と見るのではなく、「多くの主観の複合体」、つまり「異なる立場の人間集団間がぶつかりあう場」と見ることが重要な要素になります。このことを理解し、自分がどの立場にいるのか+分析する対象がどんな立場にいるのか、を把握せずに社会、特にその社会状態に適合したイデオロギーである上部構造=「政治」を分析しようとすると、結局、客観的にモノゴトを見ているようで、その実は非常に主観的に「自分が理解できる人間しかいない世界」を妄想して、その妄想の中で社会を云々するハメに陥ります。別に名称などどうでもいいですが、「客観性の落とし穴」とでも呼びましょうか。

 非常に難しいことを言いました。ちゃんと説明できたか自信がありませんが、とにかく実践的な話に移ればどういうことかというと、「言葉は道具にすぎず、常に問題なのは内容だ」ということです。
 たとえば、「日本民族は外国の脅威に対して団結して闘わなければならない!」という言葉があります。この言葉は明治維新のときなら帝国主義列強に対抗して闘うことを意味しており、「支配に対する抵抗の意志」がその内容です。文化連盟はこれを断固として支持します。
 しかし、それから100年後の現在、多くの国に資本を輸出し、弱小国を経済的・金融的に縛って搾取している現在の日本国家ではこの同じ言葉は、凋落する日本経済の巻き返しを図る「支配へのあくなき意志」の表明にほかなりません。文化連盟はこれを断固として支持しません。 
 ある人間が何を言っているかは、その人間が何に依拠しているか、および何を社会が成り立つ前提にしているかによって決まります。オバマ大統領のプラハでの「核廃絶」の演説は、アメリカ大統領という彼の立場からすれば、当時から新たな情勢における核戦略の見直ししか意味しないことは明らかでした。オバマ自身が学生時代に「人類を絶滅させるかもしれない核というものによって平和が成り立つのはおかしい」という趣旨の論文を書いているとしても、そこに彼の意志は関係ありません。彼の言葉が本気だとして、彼が自分の信念に依拠しているなら、アメリカ大統領にはなっていないでしょう。なぜそうなのかの説明はここでは省きますが、そういうことです。

 もちろん、人間はみずからの依拠するものが何かを認識し、その立場性を自ら批判することによって自分がどうありたいかを決めることができます。目の前の状態を無批判に肯定して「仕方ない」と言わないこと。それが人間の知性です。戦争は、数千万の人間の命とひきかえに莫大な需要をつくりだし、経済を救いますが、だからといって戦争を「仕方ない」とする人はほとんどいないでしょう。
 人間は変わることができます。「革命家」と呼ばれる人の多くはブルジョア出身ですが、彼らは目の前の社会を検討しその現実を拒否しようと決意したことによって、プロレタリアに依拠してブルジョアと闘争を始めたように、それは人間の可能性です。


 では、私の立場は何かと問われれば、私は「一人の仲間も見捨てない」法政大学文化連盟委員長であり、「反帝・反スタプロレタリア世界革命を目指す」中核派系全学連委員長であり、その依拠するところはこの世界の未来を決める学生という社会階層および労働者階級です。

 さて、立場性の話から右翼思想の本質は奴隷思想(「電気が高い」と言って国をでていく資本家は売国奴なんじゃないんですかー? てか家族愛とか故郷愛とか原発推進しといて何いってんのw ※民族派除く)だとか、ネグリ批判(自分が労働運動に敗北したからといって、労働運動に市民運動をぶつけて民衆の団結を破壊するのはやめていただきたい)だとかも入れようと思ったんですが、イスラエルの労働運動がついに、本来持っていた宗教と民族をのりこえる可能性を発揮し始めたこととか、それに関連して「アラブの春」とか語りだすと、5万字くらいいきそうなのでここらへんでやめたいと思います。

 最後に。記述は正確ではないと思いますが、ウィキリークスで有名なアサンジ氏はこういう趣旨の言葉を発しています。
「交通事故で死んだ人間と戦争で死んだ人間を同列に扱うことは愚かだ。その中立性には人間性が存在しないから」 

 人間は奴隷でもなければ商品でもありません。私は、人間がそう扱われることを容認する客観性・中立性を捨て去るべきだと考えます。
 
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つれづれなること 15(下)

 2010-08-22
 人類史において戦争が常に行われてきた理由を示すために、直接現代の戦争の条件とは関係のない、奴隷制や封建制の戦争の条件を前回の「つれづれ~15 (上)」では簡単にだが論じた。かなり削ったのだが、いざ書き始めるとあまりに長くなってしまい、本論に入る前に(上)は終わってしまった。今から考えればやめておけばよかったと思っている。今から考えればやめておけばよかったと思っている。大事なことなので二回言った。

 さて、本論である。現代の戦争の条件だ。
 ここまでで気付かれたかと思うが、戦争は、集団的な経済的利害が死活的なほど高いレベルに達したとき行われる。もちろん、そうでない場合にも行われるが。事実、封建制や奴隷制の時代には独裁制という政治体制がセットになることが多かったこともあって、独裁者の個人的理由もひとつの戦争の重要な理由だった。というかそもそも、一定程度の集団意志の形成が戦争の開始の条件になるのは現代の経済、つまり資本制になってからなのだが。明白な支配と被支配者の経済関係が身分制という関係で現れたのと同様に、独立した個人を前提する商業が基礎となる政治体制は、全ての人が一票を持つ体制とセットになっていく。そうでなければ、自由な競争を侵害する。人材の自由な移動を侵害するからだ。たとえば現在のインドではカースト制度が経済発展の邪魔をしている。しかしながらこの政治体制ゆえに、戦争は世論なるものの支持が必要となった。
 
さて、現代においても死活的な経済的利害が発生する。「つれづれ~14」でも触れたが、現代において、富の取得は市場を通じて行われる。市場競争に敗北し、第一次産業しかなく、輸出できる商品が労働力しかないような国では、貧困がはびこり、最貧国ともなれば3秒に1人子供が餓死するが、基幹産業、特に車産業で勝利した国、日本・アメリカ・ドイツでは最貧国の3秒ごとに餓死している子供たち全員を十分に養えるだけの残飯が発生する。現代経済全体を見渡せば出てくる当たり前の話である。この現実が、日々の市場を巡る競争が、現代の戦争の条件である。誰が貧しい国になりたいのか?
 もちろん、ちょっと市場競争に負けただけで現在トップを走る国々が最貧国のような現状には簡単にはならない。最近話題の中国がこのままずっと現在の経済成長率を保ち続けても、アメリカの個人あたりのGDPに追いつくにはあと100年かかる(もちろん単純計算)。しかしながら、経済の停滞は簡単に失業率という形で国民一般にのしかかるため、現実にはちょっと市場競争に負けるだけで重大な問題になる。現在の世界経済がいい例である。
 しかし、これらの関係が戦争の条件だと言うと、それなりに現代史に詳しい方ならこういう方がいるかもしれない。つまり、「各企業が連携して、競争にある程度の線を引くことで安定的な経済が可能なのではないか? 現実に、1970年ごろはそういう面があったし、1900年初頭も恐慌さえ起きなければ世界戦争は起きなかった」云々。
 こう答えよう。「恐慌がなぜ起きるかあなたは知っているだろうか? 恐慌が起きる理由は生産力の過剰にある。そしてこれは現代の経済では避けられない。自分がある程度の規模で満足しても、他の企業が成長すれば相対的に自分の持っている金の価値は下がる。50年前には一億円は、持っていれば楽に一生を豪遊できるだけの資金力だったろう。しかし、50年の間に大きくなった世界経済のもとでは、一億円はもはやそれには足りない。常にあなたは他の企業よりも多くモノを売るために技術を革新しなければならないし、または、新たな市場を獲得しなければならない。そして、仮にあなたが新技術を発見し、しばらくの間それによって独占的な利益を得ることができても、それはすぐに普遍化する。飛行機がいったんライト兄弟によって作られれば、それまでどう飛ばせばいいか方向性がわからず、苦心していた多くの学者が成功例をもとに飛行機を作り上げることが可能なように。あなたの商品とほとんど変わらない品質の商品が出回れば、結局のところ商品を安売りするしかなくなる。付加価値をつける? それは結局のところ商品本体を安売りしている。やってることは結局変わらない。利潤率は下がっていく。それを防ぐためにあなたは工場やオフィスを大きくしてよりいっそう人を雇い、大量生産を行う。しかし、ここで悲劇が訪れる。頭の中で需要をいくら発掘しても、現実にそれには限界がある。誰にもわからないある瞬間、ありすぎるモノが売れなくなる。市場での交換を通してしかモノは分配されない現代ではそれはどうしようもない。建物が多くなりすぎ、誰も住まないのにそれを作ってしまえば、それは破綻を意味する。不動産だけではなく、それはコンクリートやその原料を扱う企業にまで波及し、社会全体に混乱は拡大する。それが恐慌だ。これは、第三次産業をいくら増やそうが変わらない。第三次産業は、実物生産業である第一次・二次産業に、(世界全体として)その規模に依存する。あなたの言うとおり、過剰な競争を防ぎ、ある程度の利益を確保するために、企業同士がカルテルやトラストを結ぶことはあったし、それが世界を覆った時代はあった。しかし、彼らがそれらの連合を結ぶのは水面下での競争があるからだ。日本の戦国時代の同盟関係は各地域の大名の対立が基礎だったのと同じだ。均衡が崩れればそれは崩壊するのだ。ともかく、結局生産の拡大は行われ続け、その生産力がある水準に達したとき、恐慌は起きるのだ。そして収縮した市場を巡ってかつての同盟関係が再編され、戦争へ発展していったのが二度の世界大戦ではないか。恐慌は現代経済の必然であり、恐慌を止めることができれば戦争は起きないとするのはあなたの頭の中だけの夢だ」
 ある日市場がいきなり収縮する。わかりやすく言えば、仕事の量が急激に減る。モノが多くなりすぎて、モノを手に入れることが難しくなる。これは、いつ起きるか誰にも予測できない。あまりにも多くの人間の多様な思いが入りすぎている。それは、株式市場の値動きを当てることと同じように不可能である。
 
妙に長い偉そうな回答の中でも触れたが、資本制が完成してより先、大戦争はいつもこのことがきっかけで起きてきた。大規模な戦争の前にはいつも恐慌と生産過剰が関係する。
 イギリスでは、1860年代末から慢性的な生産過剰状態が続いていた。失業率は高い水準を維持し、国民生活一般は困窮していた。そして、イギリスはこれまでに確保していた植民地以外の新たな植民地を確保しようとついに、当時まだ「暗黒大陸」と言われていたアフリカへの進出を開始する。これは、アフリカと呼ばれる地域全体へのイギリスからの国家防衛意識に基づく戦争であった。これを防衛戦争と呼ぶか侵略戦争と呼ぶかは好きにすればいい。どちらも事実である。1890年にケープタウン植民地の首相になったイギリスのセシル・ローズは「帝国とは、胃の腑の問題である」(帝国の維持のためには、自国民の生活水準を下げてはならない)という名言は、そのことを如実に表している。さて、この後、イギリスとの力関係に差が開かないようにするため、アフリカへ進出する余裕がある各国、特にフランスを巻き込んだ一大植民地獲得戦争になったことは知っている方は知っているだろう。これが、次の大戦争を準備する。第一次世界大戦である。
 それぞれの国のさまざまな理由でこの競争に入るのが遅れたが、この競争に参加できるだけの力量を持つにいたった国が当時、5つあった。日本・ドイツ・イタリア・アメリカ・ロシアである。特に、ドイツとアメリカ、ある程度は日本も、新たな産業である重化学工業の発展を背景として大きな力を持ちはじめていた。ちなみに、のちに、この重化学工業の産物である車産業が生産過剰から立ち直れなかった世界経済を新たに牽引することになるが、ここでは、それはまた別のお話。さて、それら5カ国の前には、もはや新たな植民地はなかった。世界の全ての地域が、アフリカまでもが、すでにどこかの国の支配下に入っていたからである。先の5カ国は、その最後の希望をかけて、当時、いわゆる列強諸国のどれの支配下にも入っていなかった(部分的には支配されていたが)中国への進出に望みをかけていた。アメリカの当時の国務長官ジョン・ヘイが中国市場の門戸を開放することを中国に要求したことがきっかけで、そのことがいっきに噴出した。もちろん、すでにそのような傾向はみられていた。日露戦争は、明白にロシアと日本の中国権益をかけた戦いだった。このような状況下で、1901年、世界は再び恐慌に見舞われる。生産過剰を打開できず、ずるずると停滞を続けた経済は、1912年、よりいっそう規模を拡大した恐慌へと叩き込まれる。これらの関係を背景として各国の政策が激しくぶつかりあっていたバルカン半島のサラエヴォで、ついに事件は起きる。オーストリア皇太子がセルビア人によって殺されたのである。ドイツとロシアの経済対立を背景として存在していたパン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義の対立は、さらに激しい経済条件のもとで爆発した。オーストリアはドイツをあてにしてロシアの少ない植民地を奪おうとし、ドイツはもちろんそれに乗っかる。ロシアだけでは勝利の見込みがなかった状況で、同盟関係にあったフランスが即座に登場。ここでドイツを抑え込みたかったイギリスも同盟を根拠にもちろん参戦。世界戦争が始まったのである。これが、第一次大戦の大きな構図である。
 
 ・・・よし。やっとここまで来た。そもそも8月15日にアップする予定だったわけで、メインはやはりここからである。またもや前置きの時点でやりすぎてしまった感があるが、いまさら消すのももったいないのでこのままいく。そして今日はここで止まる気はない。まさかの上中下編は避けなければならない。書いている本人が飽きてきているし、何よりさきほどからPSPが私を呼んでいる気がする。何が悲しくて休日に戦争について語らなければいけないのか!

 さて、第二次大戦である。
ロシア革命など、さまざまな想定外を生み出しながら第一次大戦は終わった。この戦争で、時期を読むことに成功したアメリカは最大のライバル、ドイツを蹴落とすことに成功した形になった。イギリスやフランスは第一次大戦を通じて膨大な金を貸してあるので、現状何か画策する相手ではない。イギリスやフランスから植民地を奪うことができたとしても、結局自分が損をする。だが、常に自分たちがリードできる排他的な市場は用意しなければならない。やはり、中国をとらなければならない。しかし、第一次大戦を通じて直接的な戦場にならず、また、直接的な戦場に参加しない代わりに、中国へ影響力を格段に強めた国があった。日本である。ここから、アメリカの日本封じ込め政策が始まる。パリ講和会議の段階からそれはみられた。第二次大戦の末期にはすでにソ連とアメリカの次の対立軸の闘いが始まっていたように、規模は小さいが中国市場を巡ってすでに日本とアメリカの対立は始まっていた。その後のワシントン会議では、アメリカ主導のもとで日本の中国権益が国際的に否認され、それに伴いアメリカと日本との通商協約である石井=ランシング協定の破棄へと進む。さらに、国民一般の意識の改革へとアメリカは進む。「移民法」を知っているだろうか? 1924年に制定された法律だが、これは明確にアメリカ国内からの日本の影響力を排除しようとするものであった。当時の状況での「アジア系移民の禁止」は事実上「日本人はアメリカからでていけ」という内容だった。それによって日本と自国の対立をあおり、戦争を狙っていた。戦争になれば、あまりにも国力が違いすぎるため、日本など話にならない。日本は日本で、そのことが十分にわかっているから強くはでれない関係が続いていた。日本は、アメリカの挑発をかわしながらよりいっそう中国へ進出する機会をうかがっていた。しかし、1929年、1920年代前半からすでに起こっていた農作物の生産過剰による不況は、ウォール街を巻き込んで恐慌へと発展する。
対立は激化する。すでに起こっていた国内レベルの大不況に追い打ちを食らう形になった日本は、より一層の植民地を求めて、国民の生活水準の維持を求めて、さらに深く、中国へと進出する。あまり重要なことではないが、個人的には、ここにコミンテルンが加わった可能性は高いように思う。当時、世界革命をあきらめたソ連は、スターリン主義と呼ばれることがある体制へと移行していたので、細かいことは省くが、資本主義の軍隊と軍事力で対決する方針だった。日本が市場競争を有利に進めるため(原料を抑えれば、市場の変動に柔軟に対応する力となる)、シベリアの石油を狙っていたのは良く知られている。だから、シベリアから目をそらさせるために、日本が中国へと進出するよう動いた可能性は十分にある。もちろん、できてたかだか10年ぐらいの組織がなんでもかんでもできたように言うのは中二の妄想に等しいとは思うが。そうしてあとは程度の差はあれ多くの人が知っているとおりである。ハル・ノートという、日本からみればぶん殴られたいとしか思えない文書に対して、ついに日本は開戦。短期決戦を狙うが、ミッドウェーで時代遅れの大鑑巨砲主義をさらけ出し、敗北。ドイツの勝利を見込んで長期戦の構えをとり、その後ドイツの敗北が濃厚になったにも関わらず、昭和天皇が天皇制の維持のため、降伏を勧めた近衛文麿を無視。何かができるわけでもなく、東京空襲、沖縄戦と続き、ソ連にはめられていることに気付けず、降伏への動きが遅々として進まず、広島と長崎に原爆が投下される。命が惜しくなったのか、玉音放送。降伏宣言への調印をもって戦争の終結とみなされるため(それでも降伏を決めた相手には普通攻撃を中止するのだが)、9月2日まではソ連軍の攻撃を受け、北方領土をとられる。そしてアメリカ軍による占領。労働運動が急速に燃え上がり、電気関係の労働者が自分たちでどこに、どれくらい電気を送るかを決めるまでの状況になる。アメリカは共産党を脅してゼネストを中止させ、ガス抜きと日本の軍事的弱体化のために憲法9条を制定する方向へと動く。それを左翼は自らの運動のひとつの結果として勝利を叫び、憲法9条をひとつの結集軸とするようになり、右翼は屈辱として自主憲法制定を志向し始める。戦争の責任者は、敗北者としてケジメをつけさせられる。

戦争は、軍部が暴走するから始まるのではない。日中戦争の開戦に反対したのは関東軍作戦参謀・石原莞爾であり、賛成したのは、近衛文麿である。戦争の拡大に反対したのは軍人で、賛成したのは文民ではないか? そもそも、自らと自らが育てた部下を戦場に送ることを軍人が心から望むのか? 戦争とは、本質ではなくその過程において、人類の英知を総動員するものである。単純な火計ですら、成功すれば敵の後ろから奇襲するより敵にダメージを与えられる。しかし、火計にはたいていの奇襲より多くの知識が要求されるのである。これらが組み合わさる戦争は、すぐに暴走すると言われるような軍人には務まらない。軍人は優秀でなければならない。軍人の敵を決定するのは、政治であり、ゆえに戦争とは政治の道具である。戦争とは、政治の失敗ではない。そして、カール・シュミットのいうように政治の本質でもない。戦争とは、もはや交渉不可能な状況における、政治の別の姿である。

事実はいつも冷徹である。たとえば上杉謙信をどんなにロマンをもって見ようとしても、彼の生涯の出兵のほとんどは、石高の低い自国領民を食わせるための隣国への略奪のためのものだったことは変わらない。別に彼だけがそうだったわけではないが、言葉の定義上、上杉謙信が掠奪者であったということは正しいのである。そこにロマンを入れることは、自分の見たいように世界を見ているだけにすぎない。
人間と人間が集団的に対立する条件がある下では、逆説的ではあるが、現実的には戦争の準備こそが平和を意味する。簡単に戦争をできない状況を人為的に創り出すことが、戦争の回数を減らす。まあ、しかしその準備が、戦争が大規模化し、複雑化する一層の要因ではあるのだが。古代ローマのことわざ、「平和を求めるなら、戦争を準備せよ」「平和は大事だから、平和主義者の手にはわたせない」・・・複雑なようで意外と単純な戦争という事象を彼らは良く理解していた。
上のことわざは、同時に次のことを言っている。防衛力とは、攻撃力である、ということだ。これは本来だれでも知っている簡単なことだ。格闘技をやっている人間は、そうでない人間よりも、他人を殺傷する能力が高い。だからこそ、自分の身をより効果的に守れる。もちろん、種類の違いはある。ボクシングより合気道のほうが防衛的であり、大陸間弾道弾(ICBM)よりパトリオットミサイルのほうが防衛的である。しかし、本質は変わらない。パトリオットミサイルは、ある地点にどれだけ多くのミサイルを撃ち込めるか、ということがその防衛力であって、それはもちろん攻撃力である。また、もうひとつの現実的な事情、防御だけでは防御にならない、ということがある。いつまでも閉じこもることは不可能だ。援軍なき籠城は下策であって、侵略なき防衛は戦闘力の浪費を招き、敗北を招く。ちなみに、この二つの事実が、核兵器の先制不使用を不可能にしている。弾の入っていない銃には攻撃力が存在せず、したがって防衛力、つまり抑止力にならないように、爆発しない核爆弾に抑止力など存在しないのである。専守防衛を宣言している国には、力が存在せず、したがってカードの切りあいである外交も行えないことは明らかである。領空侵犯機は即座に撃墜しなければならないし、不審船は粉砕するべきなのである。

だから、戦争が本来無駄なものだということを持ち出して防衛費を縮小するのは現実を見ていない、もしくは知らない人間のいうことである。どんなに厳しくても現実を見なければ現実を変えることはできない。憲法9条を軸として存在している日本のいわゆる左派は、それが本来存在しえないものであり、例外にすぎないものであることを認識していない。封建制度の一般的傾向とそれに基づく戦争の条件はゆるぎないものだが、商業の発展に伴って商業的利益を巡って戦争がおこるようになるように、また、新たな条件、つまり資本制の下で奴隷制度が復活したように、この世界には様々な特殊な条件や地域性や歴史性に基づいて例外は存在しうる。しかし、例外は例外でしかない。そのような一般的傾向からいえば瑣末なことに意識を集中し、瑣末な違いにこだわって見当はずれなことを言うべきではない。インテリにはこういう類の人間が非常に多いことは最近よく痛感する。大事なのは、大きな流れ、世界的な事実と世界的な事実の間に存在する、傾向を認識することだ。おおざっぱにいえば、時代を認識することである。憲法9条は、本来ならば1955年にはなくなっていてしかるべきものだった。それが残っているのは、その大きな傾向とはまったく別の事情、すなわち人間の意識的行為と行動が入り込んだからである。

人は、大事なものを守るために闘う。文化連盟もそうだし、東条英機もそうである。日本人の生活を維持するには、中国に進出するしかなかった。それは侵略であった。しかし、敵国の司令官であったマッカーサーも残しているように、日本の戦争はいわゆる安全保障のためだった。アメリカを中心とする西側諸国は、市場競争に安定的に勝ち続け、国民を食わせていくために、ユダヤ人の資本家と組んでイスラエルを作った。それは確かに侵略である。だが、防衛的要素を多分に含む。それ以来続けられる激烈な闘争は、勝手にイスラムとキリストの対立という表面だけのもののせいにされている。19世紀、中国が貶められていく様を見た吉田松陰は「日本が独立国でなければならない理由」を探し、天皇制にたどりついた。理論だけでいえば、山県太華のほうがより現代的であったし、ラディカルなものを出していたが、それは「日本が他国に侵略されてもいい」という結論を引き出しかねないものだった。維新志士は中国のようにならないための理論と路線を松陰に見出したように、故郷を追われたイスラム教徒はアラーにそれを求めているにすぎない。両者は驚くほど似ている。その背景にあるのは市場を巡る闘争であって、宗教はそれに追随している。

あの戦争において、アメリカが悪いのならば日本も悪いし、アメリカが正しいのならば日本も正しい。正義と悪など、そんなものだ。あまり知られていないが、1943年に東条英機は原爆の開発命令を出している。日本にそれを完成させる力はなかったが、しかし明白に落とす気はあったのだろう。自分も撃つ気だったくせに、先に撃たれたことを逆恨みするのはいただけない。もう一度撃たれたくないなら、撃つ準備をすべきなのである。何を?もちろん、最強の抑止力と呼ばれるものを、である。それは、世界の現実なのである。「核なき世界」を言いながら、核兵器関連予算を去年よりも増加し、意味の薄れた戦略核を廃棄しながら戦術核を再編・強化している大統領は、なぜ北朝鮮とイランの核を認めず、インドの核を黙認するのか? それが真実である。きれいな自分たちだけの世界に住んでいる人間は、きれいな言葉を信じるものだが、事実を見たがらない。この世界は人間の世界であって、人間のいるこの世界に神などいない。いたとしても、それは人類が発見してきた、自然の中に存在する法則を崩すようなレベルのものではないのだから、何の意味もない。黙り続ける神を信用してはならない。

事実を認識し、それでも戦争を無くしたいと思うなら、戦争の条件そのものを、商業というものを、廃棄することを目指すべきだろう。その方向性が何と呼ばれるか、それがどれほど困難かを知っているのなら。今回、あえてそのような観点は盛り込まなかった。私のマスターは中核派の内海祐一であるので、知らないわけではないが。しかし、私はしょせんパダワンにすぎないので、そっちの方面の話が聞きたければ彼に聞いたほうがいいだろう。とりあえず、今回はこんな感じで。長々と読んでくれてありがとうございました。
(≧0≦)イェイ!

2010年8月22日 齋藤 郁真

つれづれなること 15(上)

 2010-08-15
 今日は8月15日である。人によってこの日が何の日かはいろいろあるだろうが、政治の世界ではたいていこの日は戦争のことが話題にのぼる。ということで、今回は流行に乗って、「戦争」についてつれづれなるままによしなしごとを書き綴ろうと思う。
 ※テーマがテーマであるため、長くなると思います。いつもこの企画(?)は5分~10分で読めるものにするため、5000字程度にしているのですが、それぐらいで終わる気がしません。

 
 世間一般では戦争が起きる理由は「人間の愚かさ」のせいにされている。手塚治虫も含めて、特に文学者系統が中心となってこの説を日々更新している。マンガで育った世代としては、手塚氏を否定したくないのだが、この言説は非常に理解に苦しむものである。なぜなら、明らかに論理の飛躍だからである。
 私がスポーツや芸能関係の話題に興味が薄いため、それに関するニュースの評価は世間一般の常識から借りてくるしかないよいうに、政治の世界に興味がない人が戦争が起きる原因を「人間の愚かさ」のせいだと信じ込むのは仕方がないことではある。常に個人的関係や情緒の世界に生きている文学者の皆様が、人間が2人いれば競争することや、ちょっとした気持ちのすれ違いや勘違いからケンカすることを根拠に戦争の原因を説明しようとするのは仕方ない。
 これは、個別的なものを普遍的なものに安易に適用する言説の最も典型的な失敗例である。たとえば部活動などでは、友人は同時にライバルであり、競争の対象になることはほとんどの人が経験していることである。それは間違いない。しかし、思い出していただきたい。果たしてあなたは、自らの地位を守るためにその友人を殺すだろうか? 人間と人間との個人的競争は戦争の原因ではない。それは戦争に絶対に必要なもの、つまり集団意志にはなりえない。個人的な事情のすれ違いや勘違いはもちろん個人的なものであり、それもまた集団意志にはならない。知人が恋人に振られたからといって、あなたまでその恋人のことを恨んだりするだろうか? 個人関係はそれだけでは集団意志にはならない。

 では、なぜ戦争が起きるのか? 集団意志の発生は、集団的な利害の対立を前提とする。地球の外から地球人以外の外敵が攻めてくれば地球人はその敵の打倒に向けて集団意志を持つだろう。戦争の原因は、集団的な利害の対立なのである。
 さて、書くかどうかパソコンの前で10分ほど悩んだが、せっかくなので、戦争を中心テーマに人類史を見ようと思う。かなり簡単にしようとは思うが、それでも非常に長くなりそうな気がしてめんどくさいのだが、重要なので、ちゃんとやろうと思う。

①戦争が恒常的なものではなかった時代 
 戦争がほとんど行われなかった時代というものがある。紀元前1万年以前の時代だ。もちろん、この時代にも戦争はあった。しかし、この時代の戦争は、声帯の未発達とそれに伴う言語の未発達、さらには狩猟・採集経済なので、余剰生産物がほとんどでず、生産物交換による他の共同体との交流が少なかったこと、また、「個人」というものがほぼ存在せず、いかなる理由であれ、他の共同体の成員からの自らの共同体の成員への侵害には共同体全体で対処する社会であったことが戦争の原因だったと考えられている。まあ、要するに、この時代の戦争というのは猿同士の縄張り争いといっしょである。それは必然ではあるが偶発的なものであり、戦争という事態が常に世界のどこかで起きているような状況にはならない。いうまでもなく、現代ではこんな戦争の条件は存在しない。

②農耕の始まりと戦争の条件の誕生
 ①で、わざわざ紀元前1万年と明記したことには理由がある。この頃から、急速に武器が発達し、頭に穴の開いた頭蓋骨の出土が増える。世界史に詳しい方なら知っているとおり、これは、農耕が徐々に始まったことが原因である。農耕の始まりと戦争の増加は関係ないように思える。しかし、これは重要なことである。農耕を行うには、土地が必要である。つまり、お互いの共同体の運命をかけ、肥沃な土地をめぐって激烈な戦争が始まるのである。恒常的な戦争の条件は、軍事の必要性を生み出し、武器の発達を促したのである。

③奴隷制の戦争の条件
 農耕は、安定的にそれまでとは比較にならない生産力を生み出す。それは、裏を返せば1人の人間が2人の人間を養うことができる、ということでもある。ここに、新たな可能性が生まれる。土地をめぐる争いに勝った共同体が、負かした共同体の人間を奴隷にし、彼らを働かせることで自分達は楽をしようとするのである。そして支配者達は自らの地位を守るため、暴力を独占する機構、つまり国家を作り、その社会の維持のために自分達に有利なルール、すなわち法律を作り、その法律を永遠のものにするために神を利用する。もしくはそのためだけの神を作る。古代メソポタミアの奴隷所有者の代表、ハンムラビ王が作成した現存する人類最古の法典、ハンムラビ法典には、その法律を永久化し固定化するためだけに生み出された神、シャマシュ神があてがわれていた。シャマシュは少年ジャンプで連載していたマンガ『シャーマンキング』でもアイアンメイデン・ジャンヌの持ち霊として登場するので知っている方はけっこういるんじゃないだろうか。
 少し話しがそれたが、これが奴隷制の発生起源である。大河周辺の地域を勝ち取り、豊富な水で農耕を発達させた三大文明すべてが奴隷制であったのはこのためである。中国の殷・エジプトの古王国・シュメールのアッカド王国、いずれも奴隷制度であったことが判明している。
 この体制の経済は名前の通り奴隷が常に供給されることがその成立条件である。体制の維持のための奴隷獲得戦争、それがこの時代の戦争の条件である。戦争は、常に行わなければいけなくなった。

④奴隷制の限界と封建制
 次に行く前に奴隷制の没落についても触れておこう。奴隷の獲得のためどんどん外へ侵略していくうちに、他の強大な狩猟民族や同じ奴隷制国家にぶつかることがある。この結果、奴隷の安定供給が困難になるのである。古代ローマがいい例だ。ローマ帝国は、パルティア王国、後にはササン朝ペルシアに西を、南をエジプトに、北をゴート族、イギリスの先住民族に阻まれて奴隷の供給が困難になり、衰亡していった。もちろん、領土の拡大による補給線の長大化が前線における軍事の弱体を招いたことが直接的な原因だが、そもそも奴隷を獲得するためにひたすら領土を拡大してきたわけなので、ローマの滅亡は奴隷制そのものの運命だったのである。これは中国やエジプトでも変わらない。時代によって敵の名称は変わっていくが、エジプトは現在の中東の諸国家に阻まれ、中国は西をエジプトと同じ敵に、北を広大な平原に発達した精強な狩猟民族に阻まれたのである。
 歴史は、封建制と呼ばれる時代へ移行を開始する。奴隷を温存し、土地に縛り付ける体制、すなわち封建制の始まりである。そして、周辺諸国もその安定した体制を輸入していく。日本や韓国に奴隷制の時代がほとんどなく、一挙に封建制へといくのは、中国が早くも紀元前1000年ごろには周王朝の元で封建制に移行し始め、その影響を強く受けるからである。ちなみに、奴隷制衰退のいい例としてだしたローマだが、こちらは332年にコンスタンティヌス帝がコロヌスの土地定着強制法を制定して封建制へと移行しようとしていたのだが、ゲルマン人の大移動という偶然的要素に見舞われはかなく散った。地理的条件からそれを逃れた東側(東ローマ帝国)はめでたく封建制を確立する。

⑤封建制の戦争の条件
封建制は、社会全体としては非常に安定した体制である。奴隷をいたずらに消費することをやめ、それぞれの領主の領邦内で自給自足の経済を確立するため、国家を代表する一族が誰に変わろうが、たいていの場合農民の生活は変わらない。この時代には安定した状況のもとで、そして確立した農耕技術のもとで人口がいっきょに増加を始めるのだが、これが戦争の条件となる。ある広さの土地から取れる農業生産物は、技術の改良や開墾でかなり増加するものの、技術の発達はそう都合よくいくものではないし、どちらにしろ限界は存在する。新たな土地の獲得のため、そしてまた、他の国家に土地を取られないようにするため、軍事は蓄えられ、戦争が恒常化する。
 この経済体制は、奴隷制のように自壊していく要素は圧倒的に弱い。外敵の脅威がなければ、江戸時代のように何百年も続く安定した政治体制をとることが可能なのである。しかし、同時にこの時代にはそれを壊す要素が成長している。

⑥封建制の没落と商業
 奴隷制の始まりは農耕による高い生産力がその起源だった。しかし、高いレベルの生産力はもうひとつ別のものを一挙に発達させる。余剰生産物の交換が各地域で膨大に行われるのである。それは商業の開始を意味する。フェニキア人が有名だが、奴隷制の時代にすでに商業で生計を立てる民族が登場しているのである。封建制はこの商業を抑制しなければならない。なぜなら、奴隷を温存し、土地に縛り付けることで安定している経済体制であるのに、商業は生産物交換のために各領邦の境界線を飛び越えようとするからである。封建制は一部の大商人に特権を持たせて抱き込むなどアメとムチ両方を駆使して商業の発達を抑制しようとする。
 しかし、商業は発展する。特に欧州で発達する。なぜなら、フン人の流入という偶然的要素によってローマ帝国が滅亡し、封建制への移行が正常に行われなかったため、その政治的間隙を突いて海周辺の地域、特に現在のイタリアで商人と職人が実権を握る「都市」が誕生したからである。アジアのように政治的空白が少なかった地域ではこのような「都市」は特殊な存在にとどまった。日本でいえば、百年以上続く大きな政治的空白、一般には戦国時代と呼ばれる安土・桃山時代に、海に面し、かつ強力な地方政権も存在しなかった堺のような一部の都市でしか行われなかった。
 文明史はアジアで始まり、中国が1000年前に通った過程を現在の欧州は繰り返していたのであるが、ここで西洋が一挙に現在の我々の歴史への鍵を握るのである。より大きな交易路への欲求は航海技術を急速に発達させる。発達した航海技術は世界をつなげ、世界市場を形成する。商人たちはますます経済的力を持ち、そしてそれはもちろん政治的な力へとなっていく。
 彼らは封建制との闘争のため、自分達の理論と思想を求める。世界市場が形成されるはるか前から、それは始まっていた。「金儲けはいやしいもの」とする教義もあいまって、封建制を「神の秩序」といいなし、思想的に支えていたキリスト教への反逆も開始される。教皇の腐敗に端を発したルターの宗教改革に、ルター個人の思惑を越えて彼らは飛びついた。なぜなら、それは信仰を「教皇とそれに認められた王への忠誠」から「各個人の日々の祈り」へと変えるものだったからである。商人たちの街、ジュネーヴではもっと露骨に蓄財を肯定するカルヴァン派が誕生する(余談だが、その露骨さゆえにカルヴァン派はいっそう抑圧された。1555年のアウグスブルクの和議で、ルター派かカトリックかを選ぶ自由が各諸侯・都市に認められたが、カルヴァン派は認められなかった)。
 さらに学問が進展する。完成された封建制のもとでは進展が難しかった(王権を否定したら弾圧されるから)科学的思考は、「聖書に書かれた世界」の虚偽を証明し、崩壊させ、神を打倒していった。都市はこれを擁護した。商人たちは、科学で神を倒した。
 そして遂に、商人たちは封建制を倒す。イギリスでは王が彼らに屈し、王室の維持のため彼らの体制の補完物として生き残ろうとする。王は君臨すれども統治をしなくなる。フランスでは王はギロチンにかけられる。
 自分達の国家を持った商人たちは世界市場を背景に、圧倒的な物質力で他の封建諸国を追従させていくのである。

 ・・・・・さて、もう午前3時である。14日の夜から15日にかけて書こうとしたのだが、ちょっと真剣にやった結果、とんでもないことになってしまった。やっと次から現代の戦争の条件の話にいこうと思うのだが、あまりにも眠い。
 どうせブログ記事だし、高校レベルの世界史の内容しか出してないし、そんなに珍しいことも言ってないから急ぐ必要もないと思うので、「つれづれ~15」は上下編にしようと思う。

 無計画はやっぱりよくないと思う。ごめんなさい。

2010年8月15日 齋藤 郁真
 

つれづれなること 14

 2010-06-28
三角形の面積の出し方は、「底辺×高さ÷2」である。日本国民であればほぼ100%小学校で習うことなので、普通は皆知っているはずである。だが、私もそうだったが、これはたいてい「そう覚えさせられる」。なぜこうなるか考えたことはあるだろうか? 目の前の三角形だけ見て考えるとき、上述の式は論理の飛躍にしか感じられないはずである。
これは、まったく別の事実を持ち込むことによって理解される。すなわち、「底辺×高さ(四角形の面積)÷2」と見ることである。正四角形をイメージするとわかりやすいが、四角形に対角線を引けば、四角形は二つの三角形で構成されていることがわかる。三角形の面積の導出式は、四角形のこの性質を利用したものなのである。このことを理解したとき、論理の飛躍にし見えなかった「底辺×高さ÷2」は、思考の飛躍を用いた式であることが理解できるのである。



・・・さて、参院選挙が近い。ということで、今回は選挙についてつれづれなるままに論じようと思う。上の三角形についての話はいったんおいておこう。
現代の選挙制度そのものは、完璧である。一票の格差の問題など、多くの問題を抱えているが、数年に一度、有機的に政治層を選びなおすことができるということは、それらの問題について改善を行える可能性を常に持つこともまた意味するため、それは完璧なのである。
ただし、これはその枠内でこの制度を見た場合の話である。我々が、選挙は神の城で行われているわけではないことを思い起こすとき、つまり、選挙そのものが現実の社会で行われていることを思い出すとき、選挙は別の顔を見せる。思考を飛躍させるのである。芋虫のようにはいずるのではなく、タカのように空を飛んでみようではないか。

選挙は、国民の代表を選び、その代表に国家の運営の指針を預ける。政治家は、各々の信条によってさまざまな方向性を持つ。おおまかにいえば、二大政党制を見ればわかるように、社会保障を重視するタイプと市場における競争を重視するタイプにわけられるだろう。しかしながら、この二つのどちらの政治家も最重要視しなければならない共通の問題がある。それは、予算である。後者はもちろんだが、前者もである。予算なしに、資源なしに政策は出せない。では、予算の源泉は何だろうか? もちろん、税金である。では、税金の源泉は? 企業および個人の収入である。では、その収入はどこからくるのか?
ここまで議論を進めると、我々は現代の経済体制にぶつかる。現代の経済では、富は、市場での競争を通して、その勝敗の程度によって分配される。基幹産業である車産業で勝利を収めている(もしくは収めてきた)国が富んでいるのはそのためである。逆に、第一次産業しかない国々は、貧困にあえぐのである。市場での競争に勝てない国では、社会保障の源泉すら存在しない。
では、市場での競争のプレイヤーは誰だろうか? もちろん企業である。そして、200年前とは違って成熟した国際市場がその主な競争の現場である現在では、それは国内市場での競争を勝ち残り、多くの中小企業を従え、国際市場で戦い抜くことができる、大企業である。トヨタが国際市場で勝利を収められなくなったとき、それに連なる中小企業は大ダメージを受ける。そして、雇用の90%は中小企業がまかなっているため、トヨタの敗北は全国民の失業と貧困へとつながるのである。
政治家の政策の話に戻ろう。上記の事情を考慮するとき、社会保障を重視する政治家であろうが競争を重視する政治家であろうが、根本的な最重要課題は変わらない。彼らがやらなければならないことは、大企業の優遇である。また、それらの企業の連合、たとえば経済団体連合(経団連)の意向を重視することである。社会保障を用いた分配の話はその次であって、先ではない。政治家や直接国家の運営に携わる官僚は、彼ら大企業と結びつかなければならない。単純に、何をするにも、仕事を実際に受けて実行するのは企業であるから、というのもあるが、国家の運営のためには彼らとの交流が必要条件である。ここから、一定規模ワイロなどを通じた腐敗が発生する土壌ができてしまうが、そのような「健全な腐敗」についてはここではこれ以上言及しない。

さて、選挙ではいわゆる庶民はどちらかといえばたいてい社会保障を重視する政党に入れる。しかしながら、ここまででわかるように、政治家は大局的には必ず彼らを裏切る。それが社会党であれ、社民党であれ、または共産党であれ、である。現在、国内の中小企業の成長によって不況を乗り切ろうと考えている政党は、いざ政権についたときに、ほとんどの中小企業の仕事は何に依存しているかを知るであろう。「大企業からとればいい」・・・左系の経済学者がよく吐く妄言に彼らはだまされたことを知るだろう。
富の取得のあり方を考えずに、分配を云々することは無意味である。ロールズの主著『正議論』にでてくる数々の正義の原理は現実において何の意味もなさない。ロールズは、知識の量はともかく、あの著書で自らの思考の視座の低さを語りつくした。最近話題のベーシック・インカムについても、妄想が飛び交っているようだが、ちゃんと考える必要がある。まあ、ここではそれについてはおいておくことにする。

ここまで来て、我々は議会制民主主義の、現代の選挙の本質を知る。企業経営者、特に大企業経営者以外の国民にとって、選挙とは、「数年に一度、大多数の国民を誰が裏切るかを決定するシステム」なのである。
証明が欲しいだろうか? 今であればブラジルを見るといい。30年近く労働運動を指導し続け、その結果、労働者から多大な支援を受けて政権についたルラ大統領は好例である。彼は政権についた瞬間、大金融機関の頭取を副大統領にすえ、いわゆる新自由主義的な政策をいっきょに推し進め、反発を買っている。労働運動に人生をささげたはずの男は、彼の支持者を裏切ったのである。

私は、別に議会というあり方そのものを否定しているわけではない。だが、忘れてはならないのは、どんな議会もそれが所属する社会の現実の関係に縛られるということである。国家が人間を一票とみなしても、実際の人間は一票にはならない。もちろん、どのようなマニフェストを持った政党にどれだけの票が入ったかは、国民一般の意識がどのようなものであるかを判断する好材料なので、選挙という形式はそれだけでも重要である。また、現在の議会であっても、たとえばガン対策基本法のような、経済的地位とは関係なく国民一般の問題であるような課題では、十分有効に機能しうる。

ただ、なんとなくそんな気がするからといって、「選挙なんて無意味だ」と言っても、それは論理の飛躍にしか聞こえない。しかし、直接選挙とは関係のない、しかし、間接的に選挙のあり方そのものに大きな影響を与える経済関係を考慮に入れ、それを理解することは、思考の飛躍である。

・・・このような議論は、いつも問題視される。なぜなら、それが国家の統治の正当性にかかわり、それゆえに、多くの人にある種の立場決定を迫るからである。特にいわゆる中道左派は、彼ら自身幻想の世界に住んでいるため、よりいっそう反発する。宗教が科学に反発するように。もちろん、彼らが私を宗教裁判にかけ、この意見を撤回させても、「地球はそれでも回っている」のだが。

問題は選挙という形式ではない。民衆自身の行動こそが政治の基本的な部分なのである。法政大学の60年代を代表する看板教授、松下圭一は、「現代において、暴力革命はその有効性を失った」と述べたが、とんでもない。三次元の世界に二次元の力が通用すると思い込むことは研究室からは可能かもしれないが、ジャージ部隊の目の前でそれは崩れ去る。幻想はどこまでいっても幻想なのである。
安易に個別的な事象から全体を判断することは危険であるし、その逆もそうである。だが、個別的な事象の集合が全体なのだから、常に個と全は関係し合っていることは事実なのである。我々は、事実をちゃんと認識する、ということを忘れてはならない。そこからでる結論が、客観的に絶望であろうとも。

みなさんは参院選どこにいれますかー?(・ω・)ノ

2010年6月28日 齋藤 郁真

つれづれなること 13

 2010-02-21

 自然権。そしてそれに基づく人権。近代の法律はこれを前提に作られている。だから近代法には人権が存在し、それに基づく近代裁判には魔女裁判(および封建時代の裁判)と違って取り調べ段階での拷問の禁止と被告人の防御権が広範に認められうる(実際にどうかは別として)。

 多くの方が知っておられるように、人権という言葉が歴史に本格的に登場するのはアメリカ独立戦争及びフランス革命である。そしてこれまた多くの方が知っておられるようにそれは独立宣言書でもフランス人権宣言でも同じように文書で登場した。

 しかし、文書とはしょせん紙である。火をつければ焼失するし、水をかければふやけて駄目になる。ハサミを入れれば切れるし、引き裂くことも簡単である。現実の質量は羊皮紙一枚分であり、せいぜい10g?というところだろう。

 その紙が、なぜ力を持ちうるか? 歴史的重み? それは質量にしていったい何gなのか? それは力ではない。人権が侵害されるときにそれを止めることはできない。

 では人権が力を持つ所以は? 簡潔にいこう。それは暴力だからである。独裁的な王権に対して暴力を持って行われた民衆の闘争、これが人権の本質である。

 当たり前のことだが、この世界は三次元である。三次元で力を持つのは三次元の力だけである。フランス人権宣言を大声で唱えて、雷でも降ってくるのか?

 かつて老子は言った。「文明が進めば進むほど、偽りが増える」と。彼は物々交換が貨幣に取って代わられていく現実を見て言ったわけだが、これは確かにそのとおりである。株式市場での為替取引は、どんなに現金すなわち紙幣および貨幣で取引されることがほとんどなくても、それは貨幣に依存している。そして貨幣は現物に依存しているのである。

 権利は、それが法律という形で社会に追認されたときによく倒錯する。人権は、王権に対する闘争の結果勝ち取られたものであるのに、勝ち取った世代の次の世代は人権があるから闘争が可能だと思い込む。そしてこういう人権を知っているのではなく信仰している人間は、目の前で人権が無視されるときにたいてい「人権があるから誰かがなんとかしてくれる」とか思う。

 繰り返し言おう。この世界は三次元である。現実は、現実的な力によってしか動いていない。かつては私も人権を信仰していたが、法政大学の闘争を通して人権を知った。

 確かに、個人と個人の関係は力を伴った契約書よりもたんなる口約束のほうがより大きな責任を伴うことがあることは事実だ。しかし、それは人間が社会を作る生物であり、そこから生じる社会性の問題としてある。

 我々が忘れてはならないことは、すべてではないにしてもほとんどの場合、内容が形式を決定する、ということだ。「他の人間を奴隷にしてはならない」という内容は他の人間を奴隷にしている奴をぶん殴って無力化させることで生まれる。「人は生まれながらに自由であり、身分に縛られない」という内容は同じく身分を作り、そしてその身分に固執することで、(その人間が個人的に善人か悪人かはさておき)結果として身分制度を守り他人を奴隷にする奴をぶん殴らなければならない。仮にこういう過程が平和的に過ぎることがあるとすれば、それは前者(人権)側が持つ力が圧倒的すぎて相手が降伏した場合だけである。

 何がしかの権利を守るということは、その内容を実行することであって、文言が変わる・変わらないの話だけに落としこめてはならない。

 手段は目的と状況によって決定されるので、今の日本では集会やデモという形で、すなわち暴力を裏に隠す形で行使するのが最も適当であることはいうまでもないが、それによって自分たちが暴力を振るっていることを忘れてはならない。選挙権もまた、背後に暴力が潜んでいるが、これを忘れたとき、選挙権は「自分たちで自分たちの指導者を選ぶ=自分がいいと思う選択肢を掴み取る」ための、主体性を伴った権利ではなく、「今ある選択肢から最良だと思われる指導者を選ぶ=なんかいいこと言ってるやつにいれとけばいいんじゃね?」という主体性0のものへと落ちる。基本的に現代においては社会を改良する手段は選挙だが、その選挙の質は普段民衆一般がどれだけ政治に参加し、討論するかにかかっており、そしてそれは本質的にはどれだけ民衆が政治的な暴力を行使しえるかにかかっている。選挙はすべてではなく、形式であって、重要なのは過程なのである。

法律であれ、権利であれ、作るのも使うのも人である。法律という形で何がしかの権利が追認されていることは、その権利を守ることを有利にすることはあっても、その権利の本質を守っているわけではない。

 我々が「人権は存在する」というとき、存在しているのは人権などという抽象的な二次元界の力ではない。存在しているのは人権の内容を守ろうとし、闘争する現実の人間達の力なのである。

 最後にひとつだけ。今も続く人類史において暴力は二つの役割を果たした。ひとつは、誰かが誰かを抑圧する役割。多くの人がこの役割ゆえに暴力を毛嫌いし、自らも暴力を使おうとしなくさせる面である。そしてもうひとつは、誰かが誰かを解放する役割、もしくは自らで自らを解放する役割。王権を破壊し、奴隷を奴隷主から解放し、人権を確立した面であり、マルコムXが知性と呼ぶべきだとした面である。もちろん、暴力は暴力であるから、現実には暴力を行使するとたいていこの二つの面は両方発生する。ルイ16世をギロチンにかけ、抑圧することでフランス人は身分制度から解放された。(現実にどれほどいるかは別として)快楽殺人犯を抑圧することで人は解放される。善と悪は人の観念であり、暴力もまた使い道によってその主な役割を変える、ということである。

2010年2月21日 齋藤 郁真

G.齋藤 郁真、奮起

 2010-02-06

 ここ数日の法政大学を取り巻く状況は目に余る。昨日はいったん沈んでいたところを文化連盟IT革命軍に激写されてしまい、見苦しいところをみせたが、改めてこの状況を弾劾し、それによってこれがどれほどのことなのか、ということを主張したい。さらには、結論として法律という存在についての根本的な問題を提起したい。たぶん今回は、できるだけ短くまとめるようにしている「つれづれ~」とは比較にならない長さになる可能性がある。閲覧される皆様方にはあらかじめ申し伝えておきたい。

 

 ここ数日の法政大学を取り巻く状況、つまり

①情宣禁止仮処分

②2月5日の洞口以下6名の逮捕

の二つをまずは主として法律的観点から批判する。

 ①について。内容は、要するに2月5日から始まり、3月2日までの期間に合計10回行われる法政大学の入試に来てはならず、そのために当日は、指定されている12名と「全学連」は法政大学と九段校舎の半径200m以内に入ってはならない、とするものである。

 まずこの法律的定義のあいまいさである。指定をうけている12名はともかく、「全学連」とはなんだろうか? 全学連はそもそも個人加盟の組織ではないことは全国学生自治会総連合という組織の正式名称から明らかである。そして、その性質から全学連はたとえば参加個人の名簿をもっていないし、また、全学連としての印章すらもっていない。これは、法律的な意味での組織、つまり法人ではないことを意味する。ゆえに、「全学連」という組織を対象にするならば、裁判所は法律とは別個に「全学連」とは、誰を指すのかを明らかにし、また、理由を書き加えなければならない。ビラをまくときに「全学連でーす」と言っているからといって、それは法律的にはどこまでも自称なのである。このようなあいまいな定義を振りかざすことは、どこまでも拡大解釈を行う余地を残すため、法律的にはきわめてお粗末な、はっきり言って裁判所が、そして担当裁判官渡邉氏が法律に無知であることを示す決定としか思えない。モンテスキューの三権分立というありもしないものを信仰している人間にはわかりかねるかもしれないが、裏に政治的意図があるからこその判断であるということだ。

 次に、債務者審尋をせずに仮処分を決定したことについてである。仮処分命令についての規定がある民事保全法第23条の2および4項の定めるところによると、仮処分命令を発する際には、債務者(仮処分の対象者)の口頭弁論もしくは審尋(話し合い)を経ることが原則とされている(2項)。例外規定としてあるのは、債務者審尋を行うことによって、「仮処分命令の目的を達することができない」場合だけである(4項)。我々を裁判所に呼び出して審尋をしたことによって①の内容が達成できなくなるのか? まず間違いなく我々はそのことをブログなどで公表し、批判を加えるだろう。だが、はっきり言えばそれだけである。明確な法律違反の決定といってさしつかえない。

 最後に、本決定の理由についてである。理由は、やはり「営業権」である。ここでは、大学という教育機関が「営業権」を主張することのくだらなさを無視してもなお問題がある。法概念の話になるが、営業権とは当たり前ながらいわゆる私的権利、個人的権利に属する。それに対して、本決定によって禁止された行為はビラまきや演説という行動であり、これらは言論・表現の自由に関わる行為であるため、法律的には公的権利、社会的権利に属する。法律学の初歩の初歩で教えられるとおり、法律に明確に規定されているわけではないにしても、「公的権利の私的権利に対する優越」は常識のはずではないのか? 確かにこれは社会的なさまざまな要素によって変わりうる(パチンコ屋の店内で「学生運動やろう」とかのビラをまくのは厳しい。そのパチンコ屋のある店員が不当に解雇されたとかで、それに関連するビラであればその正当性は比較的上がる、など)が、やはり原則なのである。結局ここまで話を進めると、本決定がいったいどこに、どういう性質を持った施設に適用されたのか、という話を避けて通れなくなる。最初に無視したが、これはご存知のとおり法政大学という教育機関での話しなのである。大学論については、時代時代でさまざまな変遷はあったし、そして今も法政大学の主張する「自由」のように、それは見られる。だが、ジャック・デリダの「条件なき大学」に見られるように、現代でも大学論の核心はボローニャ大学以来変わっていない。本決定の理由はあまりにもくだらない。去年の仮処分のとき、「法政大学は受験生を3万5000円と見ている事実はない」とかなんとか主張していたが、去年のオープンキャンパスとは違って今年は受験そのものを「営業」の場として位置づけているではないか。いいかげんにしておけ。

 さて、余談になるが、もうひとつだけ。今回の決定は審尋がなかったので決定書が各自にいきなり届いたわけだが、そのとき、法政大学がなぜ仮処分の申し立てを行ったのかということを示す資料の写しすら送付されなかった。届いたのは「決定」だけで、その決定がどんな理由で下されたのかすらわからない状態であった。弁護士が異議申し立てをやることでやっと理由が「営業権」であることがわかったのである(予想はしていたが)。そこらへんの裁量は裁判所よりも申立人の側に依存するので、この場合は法政大学がその理由を隠したかったということを示す。法政大学は自分たちでも本決定のくだらなさを認識しているのだろう。

 

 さて、次に②に入る。逮捕されなかった方の話を聞いたが、おぞましいものである。詳しくは前ブログ記事「なんてこった2」を見ていただければいいかと思う。「つれづれ~12」で警察は、特に公安警察は警察の正義のためにしばしば法を濫用する、ということを書いたが、今回のはもはや濫用のレベルではなく、明らかに違法な逮捕といわざるをえない。ビデオを撮影していただけの人間まで逮捕したのは、証拠を隠蔽するためと考えてまずまちがいないだろう。ビデオを撮影することが「威力業務妨害」になどなるはずがないのだ。というか、ビラをまいたり演説をしたりすることだってなるはずがない。ビラを無視することは簡単であるし、演説は飛行機の爆音みたいな音量が出るわけではないのだ。そういう抗議行動を法的に「威力」とみなすかどうかは法律関係者の間でも言われるように力関係の問題であり、違法だから逮捕されるわけではない。コンビニの入り口前にヤンキーが座り込んでいるのとは明確に違うのである。この逮捕は麻生邸前での逮捕と同じ質のものであると考えていいだろう。ただ、今回違うのは公安警察側があの失敗から学び、撮影者を逮捕する、ということを覚えたということである。②については法的観点から言うことはほとんどない。「権力犯罪」という言葉しか思いつかない。

 

 ・・・さて。ではそろそろ結論に入る。ここまでは主に違法であるかどうかや、今の常識に照らしてどうか、ということから批判した。ここからは、ここまででいったん提起した内容を自らぶち壊すような内容であるが、法律というものの根本問題となる。

 端的に言おう。法律とは「力関係の反映」にすぎない。ここでいう力関係とは、例えば世論、例えば経済構造など、非常に広い範囲をあらわす。このことは近代の法概念、「自然権」などの現実には存在しないものを前提にした概念しか勉強したことがない場合、把握することは困難である。

 法律という問題を古代の法からみなければならない。たとえば奴隷制度の時代。ある氏族が人口の増加に伴って自らの領域を広げていくにしたがって、他の氏族とぶつかるとき、そこで戦争が行われ、負けたほうは勝ったほうの奴隷となる。これを繰り返す中で、古代の国家はできあがった。支配者は奴隷を暴力で統治していたが、支配者層の各個人それぞれにそのやり方は異なり、それは無秩序であったため、支配者の中の指導者層は明文化したルールを必要とした。詳細に各国家のでき方を見ていけばもちろん偶然性によるところは多いし、上の3行ほどで述べた構造にすべて流し込むことは難しいが、大きくはこのような形で法律はできた。文化を同一にする氏族間の慣習という形でしか存在しなかった法という概念は、ここで初めて誰かが誰かを支配する形式になった。国家法である。奴隷制の時代、国家の法は奴隷を人間として見ないことを定めていた。最古の法典、ハムラビ法典を見てみるといい。「目には目を、歯には歯を」で有名なあの法典は、市民が他人の奴隷の骨を折ってしまった時は、その奴隷の価値の半分を支払うだけで済んだのである。法律は明確に奴隷と市民を分け、奴隷は奴隷のままであることが正当なものとして位置づけていた。法律は、氏族間戦争の勝者と敗者の間の力関係を反映したものに過ぎなかった。古代ギリシャのポリス、アテネやスパルタでもそれはなんら変わらない。奴隷はアゴラ(広場)での選挙に参加することはできず、奴隷のままであることが求められた。アリストテレスの奴隷制擁護論は、彼もまたあくまで市民であり、支配者であったことを意味する。民主主義であるか、独裁王政であるかによってこれはなんら変わらない。

 現代に戻ろう。2007年のことだ。フランスでCPEという略称で呼ばれる法律ができた。内容は、要約すれば企業は25歳未満の若年労働者の解雇に理由を必要としない、というものであったため、各地の大学で学生が蜂起、暴動的な事態も散発的に起こる事態となった。結果として政府は一度議会を通して可決されたCPEを撤回することとなってしまった。「フランスの話でしょ?」という方もおられるかもしれないので、もうひとつ。我らが法政大学の話である。2000年ルールなるものについての話だ。内容としては、キャンパスで拡声器などを使う際に大学側に届出(許可制ではない)をするというものだったが、当時の文化連盟など文化系の学生団体は「学生管理の強化である」として猛反発。施設管理権との力関係で、法律自体の撤回はできなかったが、全員で一致してこれを無視。2000年ルールは有名無実化し、一般サークル員はその存在自体知らない、という状況にまで追い込まれる。3・14事件は、この2000年ルールの強化・徹底を目的としたものであった。挙げた事例はたったの二つだが、これは重要なことを示唆している。力関係を無視した法律は法律たりえない、ということである。

 これは、冷静に考えれば当たり前のことである。なぜなら、法律があって人間がいるのではなく、人間がいて法律があるからである。つまるところ、法律とは紙に書いてあるインクにすぎない。憲法21条よりもジャージ部隊の拳のほうが強いのだ。ジャージ部隊を憲法に従わせるのは憲法の立場に属する人間の拳であって、それ以外のものではない。憲法9条が天の世界から何を言おうが現実的に国家と国家の対立は存在し、軍事力を持つ必要性は存在する。ミサイルを防げるのはテトラカーンでもマカラカーンでもマホカンタでもバリアでもない。ミサイルなのである。それでも憲法9条の内容を国家に守らせたいのであれば9条の立場に立って政治的暴力であるデモを中心としながらも、時に暴動的事態を起こすほどの戦闘性を持った強力な集団がいなければならない。日本以外で正規軍を持たない国であるコスタリカでは、政府が軍隊を編成することを言い出したとき、国民一般の強力な反対運動が巻き起こり、結局それは撤回されてしまった例はそれである。そういう運動体が存在しない日本では、憲法9条の拡大解釈云々について何を言おうがそれは懸念にしかならない。政治において同意と服従は事実上同一のものにすぎない。ストライキは初め反社会的な行動とみなされたが(大規模なストライキは本当に社会を止めるため)、巻き起こるスト権スト(ストライキの権利を合法化するためにストライキをすること)の結果、大量の逮捕者を出しながらも合法化されていった。何度も繰り返し言うが、法律はいつも力関係を反映していた。人々が何を社会に求めるのかによって法律はコロコロと変わる。現状を追認し続ける存在、それが法律の本質である。

 現在、新自由主義なんて言葉で大きくあらわされているが、この言葉が表す現象は、要するに私的権利が公的権利を踏みにじる、ということなのである。デモは確かにその通るルート一帯の平穏を侵害する。この30年ほどの間に(特に日本では)デモは迷惑なものへとその社会的地位が落ち、端緒的ではあるが法政大学ではデモをすると逮捕されるわけだ。そして今日、法政大学ではついに、本当にビラをまいただけで逮捕される事態にまで発展した。事実上、すでに法律は変わろうとしている。このようなことが頻繁に続けば明文化された法律そのものが現実を追認するようになる。これは、日本国民が試されている事態として私は重く考える。徹底的な抗議を行い、状況は厳しいが運動を前進させ、法政大学に責任をとらせなければならない。

 力関係を変えなければならない。

2010年2月6日 齋藤 郁真

つれづれなること 12

 2010-01-24
 もう一年以上前の話だが、こんなことがあった。まだ私が法政大学内を(入退構時間をチェックされながらも)出入りが出来たとき、ある職員とこんなやり取りをしたことがある。

職員:「この中核の犬! 犬なんだよ、おまえは!」

私:「事実上そういう面があることは認めますが、それを言うなら、あなたも理事会の犬なんじゃないんですか?」

職員:「当たり前だろ! おれはこの大学に雇われているんだ! 金をもらっているんだよ。お前とは違うんだ!」

 で、後は確か5分ほどだったが不毛な議論を続けた覚えがある。正直、内容はよく覚えていないが、いきなり走ってきて大声で「中核の犬!」と言われたインパクトが大きいのと、彼によると「エサをもらえる人についていく犬」のほうがそうじゃない犬より偉いらしい、というのが面白かったので、この冒頭のやり取りだけはよく憶えている。

 ちょっと茶化したが、要するに彼は恩義を大事にする方なのだ、ということがうかがえるセリフである。彼は自分が忠誠を尽くす法政大学に反逆する私が許せなかったのだろう。まあ、理由は他にも考えられはするが。
 当たり前だが、勤勉は美徳である。真面目に働き、家族がいるなら家族を養うことは偉大な行為である。結局のところ、これなしに社会は再生産されないからだ。社会は人間相互の巨大な分業体として成り立つ以上、誰かが怠ければ誰かが割を食う。その必要性から、勤勉は世界中のどの社会でも美徳なのである。

 公安警察もジャージ部隊ヤクザ部隊も警備員も、皆生きていてそれぞれの生活がある。彼らが仕事としてやっていた行為は、少なくとも私からみて悪であり憎むべき対象であるが、彼ら個人はやはり善良な市民なのだと思う。「女の子を付け回しながらニヤニヤしてるようなやつらが善良なわけがない」とか魔王・デュラン恩田に言われるかもしれないが、やはりこれは事実であると思う。
 目の前の現状を無批判にただ観察すれば、少数派が納得いかないことに騒いでいるだけに見えるというのはそうだろう。周りに迷惑をかける行為そのものはやはり悪と呼ばれるに値するものであるし、そういう個人ないし集団を排除することに彼らなりに正義を感じているのではないかと思う。彼らが倉岡さんや洞口さんをストーキングしながらニヤニヤしているのは彼女らを人間として見ていないからなのではないか? かつてキリスト教徒がユダヤ人を人間として見なかったように。
 公安警察にもこういうことは言えるだろう。彼らには彼らの正義がある。彼らは秩序を守るため、「法の正義」というやつを振りかざす。この場合、「法の正義」は手段であって目的ではない。公安警察の明らかなダブルスタンダードは、その目的が何であれ、集団的行動を起こす組織に威迫をかけることによって、ともかくも公の秩序を守るためである。警察権力の腐敗云々という視点からも色々言えるかもしれないが、公安警察のさまざまな威迫が、明確な違法を伴うことはさすがにあまりないが、濫用を伴うことがしばしばあるのは、彼らの目的意識の問題なのである。彼らなりに正義は貫徹されている。

 前回の「つれづれ~」でも書いたが、善と悪はどこまで突き詰めても人間の観念であって、見方しだいで容易に入れ替わる。冒頭の法政職員を「アイヒマン的」やら「犬」やらと評して「小悪」にみることもできるし、「忠勤精神の高い真面目な人」と評することもできよう。そしてこれは、両方とも正しい。

 我々文化連盟は、中核派と協力して闘争を行う中で、ジャージ部隊を始めとする何人かの職員・警備員を解雇に追い込んだと言っていいだろう(法政大学は、裁判などで「警備業務を一本化するため、ジャパン・プロテクションとは契約を打ち切った」と説明しているが、10月17日に大きな集会を開かれることを知っておきながら戦力ダウンをするのは明らかにおかしいし、何より常識的に警備会社との契約というのは通常一年契約であるのに、半年でいきなりその契約が打ち切られたのもおかしいので、やはりジャージ部隊の日常業務の映像などに一定の打撃を受けたのだろう)。だがこれは、我々が彼らから生活を奪ったことを意味している。特にジャージ部隊の面々については(我々がいなかったらそもそも彼らの仕事はなかったことはここでは置いておく)、「ハケン切り」が騒がれていた時期でもあり、正月にテレビを見ていてけっこう本気で心配したと同時に、(学生の金で)彼らを雇うことを決めておきながら、役に立たなくなったからといって切り捨てた理事は今頃何をしているのか、と考えたことを憶えている。
 もちろん、法政大学の正義より、我々の正義のほうが大きく、そして美しいものだと考えているし、ジャージ部隊については「学生の金で何を雇ってるのか?」と言わざるをえないので解雇されて当然である。

 文化連盟もまあいずれあることとして予想していたように、逮捕され、合計で8~9カ月も拘留されるというグローバルスタンダードからいえば信じられないことをやられたわけだが、だからといって自分たちの正義が何を踏みつけて前進しようとしているのか、ということには自覚的であるべきなのである。
 「罪を憎んで、人を憎まず」。この精神は重要なものである。
 そのうえで、罪を裁く場合は、結局のところ人を裁くことにしかならない、ということもまた事実であり、一見不合理なようで実際には合理的である行動、つまりケジメをつける、という観点から勝者は敗者を勝者の視点から裁くことが必要であることは否定しない。
 悲しいことではあるが、我々のいる世界は二次元ではないのだから。

                                                 齋藤 郁真 

つれづれなること 11

 2009-05-10
絶対的なものは存在しない。

絶対的正義など、存在しない。

現代に生きていればこれくらいは常識だろう。

どんなものにも、正当性は存在する。

毎度のことながら歴史の話で申し訳ないが、たとえば第二次世界大戦においてもそうである。
日本の一般的な歴史観(右翼が自虐史観と呼ぶもので考えていただけると助かります)でいえば、日本は約半世紀ほど前、アジアに侵略して大変迷惑をかけたことになっている。
しかしながら、だからといってこれに正当性が存在しないわけではない。
第一次大戦終了後あたりから欧米列強による日本の締め出しが画策されるようになった話は比較的知っていらっしゃる方は多いと思う。
その流れの中で、アメリカが中心となって日本への貿易規制を始めた。
もはや資源国ではなかった日本は、これによって非常に手痛いダメージを食らった。
中国市場進出を狙っていたアメリカとしても、日本を押さえ込まなければ自国の国益が害されてしまう、という正当性はもちろん存在していたが、この結果として、日本としてはすぐに他の国を植民地化する必要がでてきたわけだ。
もちろん盧溝橋事件など、手段は適切でないにしても、あの当時、本気で日本国のことを考えた人間たちのひとつの結果として日中戦争はあった(大恐慌やコミンテルンの動向など、諸所の要因も忘れてはならないが)。 マルキズムから言わせれば、そもそも「国益」という本質的にブルジョワジーの利権のために人民が動員されたわけなので、日本に限らず列強も不当→両国の労働者の団結で止めるべきである、ということになるのは重々承知だが、なんにせよ正当性は存在したのだ。
かといってあれが侵略でない、ということはありえない。現場の人間がどう思おうが、「大東亜共栄圏」を振りかざした日本が行ったことは、「マニフェストデスティニー」を振りかざした西欧先進諸国と何も変わらない。
まあ東京裁判は不当だし、本間・山下裁判も完全に罪をかぶせる方向性を間違えているとは思う。いづれにせよこのあたりの話はもう一度左右のイデオロギーを別にして検証しなおすべきだろう。

さて、ずれ始めた話を元に戻す。
要するに私の言いたいことはこういうことだ。
法政大学に正当性は存在する、ということである。
私がこれを言い出すといつも魔王・デュラン恩田に「女の子を付回すクズにそんなものない」と批判されるので、デュランがいない今がチャンスである。

法政大学の正当性とはいかなるものか。
もちろん、学習・研究環境の防衛などではない。
ひとことでいってそれは大学の営業権だろう。

新自由主義の「自由」とは「商業の自由」以外のなにものでもない。ゆえに、新自由主義的政策とは基本的に「規制緩和」として現れる。
大学における規制緩和とはもちろん「大学改革」である。「大学改革」=「産学連携」であるのは皆さん知っていらっしゃるだろう。
ではなぜ産学連携が学生の自由を奪うことへとつながるのか?
それについては興味深い発言があるので引用する。
2005年の大学経営協議会(各大学の総長・学長が集い、大学の経営について語り合う場)にて、首都大学東京(東京都立大学)の学長理事長(コメント主さん、ご指摘ありがとうございます)、高橋氏がこんなことを言った。
「大学の役割は企業と同じ。原材料を仕入れて、加工し、保証書をつけて企業に売る。これが産学連携だ。」
おわかりになられるだろうか?大学が学生の自由を奪う理由、それは「加工できない」からだ。

規制緩和は世界的にはグローバリズムとして、国境を薄め、移動の自由を強化した。そして企業は安い労働力を求めて世界へ向かう。しかしながらこれをやり続ければ空洞化を招く。新興国と張り合うために、結局今までと同じ賃金で二倍働ける人間、しかも「即戦力」を求めるわけだ。
この企業側のニーズに応えるため、大学としてはキャリアアップ路線をとるのが一定の必然であることは十分理解できる。
法政の平林総長は「良い人材を企業に送り出せば、その企業から寄付金が入る」とおっしゃっていたように、「産学連携」が利害の一致点なのだろう。
国立大学が規制緩和で競争に参入してきて(しかも補助金カットによって国立は最初から産学連携路線をとらねば潰れてしまうように仕組まれている)、大学の設立が自由化される中で、法政大学としてもいろいろ考えたのだろう。
しかし、法政大学は2006年3月14日に弾圧に踏み切った。裁判で元総務部長清宮氏が語ったように「大学として腹をくくった」ことは間違いない。

学生が「加工」の範囲を出ないようにするため、あらゆるものを許可制にする。たて看板・ビラまき・集会・・・。抗議をすれば業務妨害。
「問題は発見されて問題になる」わけだが、それを最も強烈な形で(ときにやりすぎな場合もあったようだが)行う政治的クレーマー・中核派のたたき出しは通らなければならない過程だった、というところか。

法政大学にも正当性は存在する。
しかしその正当性は社会の可能性を、未来を奪うものだ。
これは、一大学の気まぐれな規制強化ではない。全社会の問題である。

状況は明らかに劣勢。
だが、社会が人で構成されている限り、人が動けば何かが変わるはずである。
もう一度、自由が勝ち取られなければならない時なのかもしれない。

                                                   齋藤 郁真

つれづれなること 10

 2009-04-30
「剣よりペンが強いのが、人間社会のあるべき姿なんだよ」

酒が飲めないらしく、居酒屋でコーラを飲みながら彼は私にこんなことを言ってきた。
単純に、「(顔とセリフが)合ってないw」と感じたのを覚えている。
どうゆう話の流れだったかは覚えていないが。

その約一ヶ月ほど後、世論研究会の会長も務めていた彼は、機関紙で法政大学を痛烈に批判。
結果、それが「誹謗・中傷」とされ、文学部教授会より「厳重注意」の処分(通達)を受けた。
それにプラスして、記事に名前を挙げた人間全員に謝罪文を書くことも強制された。
彼にとって、またひとつあたりまえだったはずのことがあたりまえじゃなくなった瞬間だったようである。

それから一年あまり。彼は、文化連盟の非公認化に伴って要求されていた本部室の明け渡しをめぐって、当時の執行部と衝突。殴り合いのケンカまで起こす。
その場にいた本部員の一名が学生部に通報し、そのことは学生部の知るところとなる。
ケンカした相手は彼と同期で、文化連盟に関わる中で、親しくなった学生だった。その相手方も、機関紙発行以来、彼が学生部から有形無形の圧力を受けていたのは知っていたので、これが弾圧に使われないよう、和解したことを示す文書を学生部に彼といっしょに提出してくれた。
しかし、彼は2週間の停学処分を受けた。
問題を暴力で解決する姿勢はよくない」というのが主な理由だった。
それを聞いた彼は、その当時の文学部長である、後藤篤子にこう言う。
「ジャージ部隊はどうなんですか?」
後藤篤子いわく、
「姿が見えない」
だそうだ。
ジャージ部隊がキャンパスに登場して一ヶ月あまり経っていた。法政大学で普通に教授職をやっていて「見えない」はないだろう。
彼は教授に対する最後の信頼の糸を捨てたようだ。

そして、彼、恩田亮は今に至る。

副長だけではない。私だってそうだ。最初の1ヶ月くらい、様子見の期間があったわけだが、基本的に集会・ビラまき・デモを行うだけの全学連を、「過激派」として(まあ過去においてそうなのだが)、暴力的にたたき出す法政大学の姿勢は、どちらが「過激派」なのかわからなかった。内海さんらと知り合って一週間もしたころ、まだ公認だったころの文化連盟の会議に彼らといっしょに参加したところを見られたらしく、その次の日から、職員が私にまとわりつくようになる。後期に入るころには、キャンパスの出入時間をチェックされるようになっていく。そして、今に至る。

右手にペンを、左手に剣を。
現在の文化連盟の誕生である。

しかしながら、問題の性質上、サークルに関わっていない人間はまったく知らない問題である。さらに、予想をはるかに超えた政治的無関心もあった。これらをどうにかせねばならない・・・。

今から一年くらい前のビッグ・イシューで石田純一がこんなことを言っていた。
「僕らの学生時代は全共闘運動があった。激しい行動スタイルを見て、まだ高校生だったけどいろいろ考えさせられた。多くの、いわゆるノンポリがそうじゃなくなった」
詳しく覚えているわけではないが、こんな趣旨だったはずだ。

2008年10・17、2009年4・24。いずれも、何かを法政大学に残したと思う。
このブログのヒット数も4・24以降1000付近をマークし続けている。
当日は一般学生と思われる学生達から多くのコメントもあった。
もちろんいきなりあんな行動が事情を知らない人間に歓迎されるわけはないので、予想された反応とみていいだろう。おそらく、単なる平和主義者であれば我々の主張を理解しても支持しないかもしれない。
誤解を与えそうなので付け加えるが、もちろん、脚光を浴びるために逮捕者を出すのは断固間違っている。事実、4・24当日は、機動隊の指揮官車が「公安条例違反」の警告をしてきたときには本来の場所に戻った。要するに、無駄な逮捕者を出さないために退いたわけだ。それでもやってくるあたりは、さすが権力、というところか。

今、文化連盟が行っている運動は何にカテゴライズされるべきなのだろう?
本当に学生運動という範疇に入るべきなのだろうか。主張と獲得目標は間違いなくそれに入るだろうが、やったら処分されたり、逮捕されたりすることを前提にしなければできない運動とは、学生運動なのだろうか。

最後に、公民権運動で有名な、キング牧師の言葉を引用する。
その前に、あまりいたずらにこの言葉を振りかざすのは多くの点で適当ではないので、二点注釈をつける。
①何かをするわけではなくとも、「がんばれ」と言う声は間違いなく励みになっている。
②法政がこうなるまでに、結局何もしなかった身体性のない説教を振りかざす「博学な小市民」たちに告げたものだということ(どれくらいがこのブログを見ているのか知らないが)
それではお読みいただきたい。

「最も恐ろしいのは、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙とは、暴力の陰に隠れた同罪者である」
                         マーティン・ルーサー・キング
歴史の表舞台に出てくるまでの間に、彼が感じたことなのだろう。

                                                齋藤 郁真

つれづれなること 9

 2009-04-05
少し前に、文化連盟に対して法政大学の申し立てにより、裁判所から情宣禁止仮処分申請があったことは皆さんご存知だろう。
いろいろとあって中身やその後の過程・結果の公表が遅れてしまったので、それも含めて(もちろん私の視点だが)つれづれなるままにここに書こうと思う。

まず、申し立ての内容だが、当ブログの過去記事によれば「ずっと情宣禁止」ともとれるが、これは誤解である。法政大学が裁判所を通して我々に禁止してきたことは、「3月26日に開催されるオープンキャンパスにおける情宣禁止」である。具体的な内容としては、
①当日は債務者(禁止者)8名の法政大学キャンパス中央から半径200m以内への立ち入り禁止
②第三者をして情宣活動を行わせてはならない
のふたつ。
 
 結果からいうが、これは受理され、当日文化連盟はオープンキャンパスでの情宣ができなくなってしまったので、飯田橋駅から半径200m以内に入らないように靖国神社を経由しながら九段下にある総長室前で抗議の情宣を行った。
よくわからないが非常にビラはけが良く、そんなに人通りがないにも関わらず一時間程度で200枚近く撒けたし、「これから法政のオープンキャンパスに行く」という高校生も通りかかり、話もできたのでやる価値は十分にあっただろう。
 
 さて、肝心の申し立て趣旨と受理されるまでの過程である。
 まず申し立て趣旨だが、入試情宣の際の我々の演説を主にとりあげ、「それらは事実無根である」ということを述べている。要するに、「法政大学は監獄です」とか「法政大学の職員は犯罪者」とか、あとは全学連がよく言っていたが「法政大学は受験生を35000円(受験料)として見ている」というようなことだ。これらの発言に対する法政大学側の反論だが、学校法の条文を持ち出し、「法政大学は学校法が定める建造物なので監獄ではない。事実に反している」というような感じである。
・・・・・そんなのわかっているにきまっているだろう(笑)。
監視カメラが100個以上、門以外のところには有刺鉄線が張り巡らされている(植え込みに隠れてみえにくくしてある)、抗議してビラをまこうものなら(特にジャージ部隊がいたころは)殴られるのだ。その構造をさして「監獄」と表現していることもわからないのか。さすが法政大学である。以下省略するが、まあどれも的外れな反論であるということだけ付け加えておく。
 さらに、法政大学が我々の演説が事実無根であることを補強するために出してきた証拠資料だが、それはなんと知る人ぞ知る『治安フォーラム』である。
知らない方のためにかいつまんで説明すると、いわゆる過激派の動向や日本国の防衛策について治安管理の側面から書かれている雑誌で、事実上公安警察の機関紙と呼べる代物である。橘書房からでているので、2~3冊読んでみるといいだろう。私の言っていることに納得できるのではないかと思う(ちなみに、その『治安フォーラム』では、3・14事件のことを「中核派排除に動いた法政大学」として説明しており、3・14事件における法政大学の出しているタテマエである、「ビラや立て看板が景観を害していたり、通行の邪魔になっていた」というものとまったく違うことを言っている。これを証拠資料に出すことと、後に説明する「営業権」の話もあわせて考えると、どうやら法政大学はタテマエが保てなくなっているようだ)。
 しかしながら、上記の趣旨は後に法政大学が取り下げた「人格権」の範囲の話なのでここはあまり重要ではない。どうやらこれだけでは裁判所が難色を示したようだ。
 そこで、法政大学が持ち出したのが「営業権」である。
 我々は今まで法政大学を「監獄大学」としてみなし、その原因は産学共同にみられる新自由主義路線であるとして、「新自由主義大学」などといってきたわけだが、まさか法政大学がそれを追認するとは思わなかった。
大学は商売ではない。法政大学は学校法人であって、株式会社や有限会社ではない。一般的な法的概念に照らしても、学校法人という形態に「営業権」がどれほど存在するのか怪しいところだ。「法政大学は受験生を35000円と見ている」という主張もあながち間違いではないだろう。
 そして、「営業権」を主張するために法政大学はオープンキャンパスというイベントの重要性をこと細かに示している。
余談だが、その中の資料で法政大学の総資産が約1600億円であることがわかった。『東洋経済』によれば、法政大学の資産運用額は約653億円。総資産の中には校舎や土地の値段も含まれているはずだから、この額はとてつもない数字だ。2007年度の三月期決算で8・6億円の損失を出したわけだから、リーマン・ショックもあった今年の損失はどれくらいなのだろうか。法政大学の余剰資産は知らないので、なんともいえない。かといって抗議の意志を収めるわけにはいかないが。
 話しを戻して、以下、法政大学の申し立て資料より抜粋
「必要十分な数の学生を確保するための各種活動は大学の存立および運営にとってきわめて重要な業務」
「法政大学の実情をよりよく理解して志望大学としてもらうことを目的として、キャンパスを高校生・保護者に開放し、・・・オープンキャンパスというイベントに特に力を入れている」
「オープンキャンパスの成功が、法政大学の学生確保の成功の鍵を握っているといっても過言ではない」
「本学については、「バンカラ・古い校舎・学生運動」という保護者が持つ一昔前のイメージを払拭する貴重な機会である」
「かりに、オープンキャンパスにおいて債務者らの業務妨害等が敢行されるに至った場合、本件オープンキャンパスの目的達成が阻まれ債権者に回復しがたい甚大な損害が生じることは明らか」
 上から3つ目までの文はとりあえずスルーするにしても、それ以降が問題である。もちろん「バンカラ」は今では応援団くらいだろうし、「古い校舎」ももはや本館だけを残すのみ。「学生運動」も20~30年前に比べたら衰退している。が、少なくとも今年は我々文化連盟がいる。
我々も自由にビラがまけて、学習会に向かいの建物から双眼鏡で「参加」されるようなことがなければこんなことはしないし、「おいでませ法政大学へ」となるのだが、そうでない以上、学生運動という言葉にカテゴライズされることをする必要があるわけで、結果として法政大学にはまだ学生運動が残っているわけだ。
 だから、我々が当日情宣を行えば法政大学のいうところの「オープンキャンパスの目的」は確実に達成できない。
しかし、それはいわゆる詐欺ではないのか。もちろんテレビCMも同様の問題を含むので、程度の問題だが、事実を隠して現状の法政大学を「よりよく」理解して法政大学に入学し、入学金約100万~120万を払ってしまった後で「こんなはずじゃなかった」と言い出す学生がいたらどうするつもりか。
我々は奪われたものを取り戻したいわけで、現状断固やめるつもりはない、ということだけ言っておこう。
 
次に、受理されるまでの過程である。
もちろん26日のオープンキャンパスまでに受理するかどうかを決めなければいけないわけだから、非常に急ぎ足になった。一週間前に裁判所から法政大学が我々に対する仮処分の申請をした旨が届き、23日の午前11時に東京地裁に呼ばれる。あまりにもこちらへの準備期間が短すぎる。とりあえず東京地裁への出廷は24日の午後4時まで延期させたが、それでも相当大変だった。代理人の弁護士を立て、反論の資料を作り、なんとか間に合わせた。弁護団の数は三日程度しか時間がなかったにも関わらず総勢24名が組まれ、既知の弁護士の方が徹夜で資料を作成してくださったのだ(弁護士のみなさん、お忙しい中まことにありがとうございます。こんな場ですが重ねて御礼申し上げます)。
 そして、24日の午後4時に東京地裁に向かう。当日は弁護士も6名付き添ってくださった。
 しかし、法廷に入った瞬間に我々は激怒した。我々のところに届いた資料では、正式な裁判ではなく、非公開なので「傍聴はできません」と書かれていたにも関わらず、なぜか法政大学の職員が二名傍聴席にいたのだ。裁判官に問いただすと、「関係者なので認めました」とのこと。関係者ならこっちにもいっぱいいるのだが。
その話でしばらくもめた後、いちおう審理に入りかけたのだが、そこで裁判官が「言いたいことがあるなら明日の午前9時までに裁判所にFAXしてください」と言い出した。もちろん債務者8名は怒ってわめく。弁護士も「表現の自由を営業権で侵害しようとしてる。大事な問題だし、時間がないから当人達を呼んで話を聞こうとしたのではないのですか」と問うも、裁判所は姿勢を変えようとしない。
そのまま5分ほどもめていたら、法政大学の代理弁護士が裁判官にうなずいて進入禁止の範囲が書かれた紙を渡して法廷を自主退廷。
今度は「裁判所として呼び戻せ」云々を抗議したところ、しばらくして裁判官が隣の書記官にうなずいて自主退廷。そして、仮処分申請は受理された。
 法政大学が傍聴券を金で買うことを許しているわけだから想定の範囲内ではあったのだが、こうまであからさまにやるとは思わなかった。事前に対応を準備していたのだろう。
裁判所は政治が絡むとき公正ではなくなる。わかっているつもりでも大学生になるまで18年間かけて植えつけられた裁判所の権威はなかなか抜けないものである。現在のこの国の司法の現実を見せつけられてしまった。

 ネオリベラリズムは「自由=市場」として、世界中に「自由」を振りまいた。本来市場化してはならないとされたものも「自由」にした。すべてのものに金銭的価値を付加した。金銭に還元できないものはその価値を0に設定した。学問は、金による価値をつけられる存在なのだろうか。教育は、金銭的価値を生み出すために行われるのだろうか。
 我々が法政大学に言論・表現の自由を取り戻そうとしてきたわけだが、そのためには、この世界的潮流を覆さねばならないのかもしれない。

斎藤 郁真
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プロフィール

文化連盟

Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

法大闘争とは何か?


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