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つれづれなること 15(下)

 2010-08-22
 人類史において戦争が常に行われてきた理由を示すために、直接現代の戦争の条件とは関係のない、奴隷制や封建制の戦争の条件を前回の「つれづれ~15 (上)」では簡単にだが論じた。かなり削ったのだが、いざ書き始めるとあまりに長くなってしまい、本論に入る前に(上)は終わってしまった。今から考えればやめておけばよかったと思っている。今から考えればやめておけばよかったと思っている。大事なことなので二回言った。

 さて、本論である。現代の戦争の条件だ。
 ここまでで気付かれたかと思うが、戦争は、集団的な経済的利害が死活的なほど高いレベルに達したとき行われる。もちろん、そうでない場合にも行われるが。事実、封建制や奴隷制の時代には独裁制という政治体制がセットになることが多かったこともあって、独裁者の個人的理由もひとつの戦争の重要な理由だった。というかそもそも、一定程度の集団意志の形成が戦争の開始の条件になるのは現代の経済、つまり資本制になってからなのだが。明白な支配と被支配者の経済関係が身分制という関係で現れたのと同様に、独立した個人を前提する商業が基礎となる政治体制は、全ての人が一票を持つ体制とセットになっていく。そうでなければ、自由な競争を侵害する。人材の自由な移動を侵害するからだ。たとえば現在のインドではカースト制度が経済発展の邪魔をしている。しかしながらこの政治体制ゆえに、戦争は世論なるものの支持が必要となった。
 
さて、現代においても死活的な経済的利害が発生する。「つれづれ~14」でも触れたが、現代において、富の取得は市場を通じて行われる。市場競争に敗北し、第一次産業しかなく、輸出できる商品が労働力しかないような国では、貧困がはびこり、最貧国ともなれば3秒に1人子供が餓死するが、基幹産業、特に車産業で勝利した国、日本・アメリカ・ドイツでは最貧国の3秒ごとに餓死している子供たち全員を十分に養えるだけの残飯が発生する。現代経済全体を見渡せば出てくる当たり前の話である。この現実が、日々の市場を巡る競争が、現代の戦争の条件である。誰が貧しい国になりたいのか?
 もちろん、ちょっと市場競争に負けただけで現在トップを走る国々が最貧国のような現状には簡単にはならない。最近話題の中国がこのままずっと現在の経済成長率を保ち続けても、アメリカの個人あたりのGDPに追いつくにはあと100年かかる(もちろん単純計算)。しかしながら、経済の停滞は簡単に失業率という形で国民一般にのしかかるため、現実にはちょっと市場競争に負けるだけで重大な問題になる。現在の世界経済がいい例である。
 しかし、これらの関係が戦争の条件だと言うと、それなりに現代史に詳しい方ならこういう方がいるかもしれない。つまり、「各企業が連携して、競争にある程度の線を引くことで安定的な経済が可能なのではないか? 現実に、1970年ごろはそういう面があったし、1900年初頭も恐慌さえ起きなければ世界戦争は起きなかった」云々。
 こう答えよう。「恐慌がなぜ起きるかあなたは知っているだろうか? 恐慌が起きる理由は生産力の過剰にある。そしてこれは現代の経済では避けられない。自分がある程度の規模で満足しても、他の企業が成長すれば相対的に自分の持っている金の価値は下がる。50年前には一億円は、持っていれば楽に一生を豪遊できるだけの資金力だったろう。しかし、50年の間に大きくなった世界経済のもとでは、一億円はもはやそれには足りない。常にあなたは他の企業よりも多くモノを売るために技術を革新しなければならないし、または、新たな市場を獲得しなければならない。そして、仮にあなたが新技術を発見し、しばらくの間それによって独占的な利益を得ることができても、それはすぐに普遍化する。飛行機がいったんライト兄弟によって作られれば、それまでどう飛ばせばいいか方向性がわからず、苦心していた多くの学者が成功例をもとに飛行機を作り上げることが可能なように。あなたの商品とほとんど変わらない品質の商品が出回れば、結局のところ商品を安売りするしかなくなる。付加価値をつける? それは結局のところ商品本体を安売りしている。やってることは結局変わらない。利潤率は下がっていく。それを防ぐためにあなたは工場やオフィスを大きくしてよりいっそう人を雇い、大量生産を行う。しかし、ここで悲劇が訪れる。頭の中で需要をいくら発掘しても、現実にそれには限界がある。誰にもわからないある瞬間、ありすぎるモノが売れなくなる。市場での交換を通してしかモノは分配されない現代ではそれはどうしようもない。建物が多くなりすぎ、誰も住まないのにそれを作ってしまえば、それは破綻を意味する。不動産だけではなく、それはコンクリートやその原料を扱う企業にまで波及し、社会全体に混乱は拡大する。それが恐慌だ。これは、第三次産業をいくら増やそうが変わらない。第三次産業は、実物生産業である第一次・二次産業に、(世界全体として)その規模に依存する。あなたの言うとおり、過剰な競争を防ぎ、ある程度の利益を確保するために、企業同士がカルテルやトラストを結ぶことはあったし、それが世界を覆った時代はあった。しかし、彼らがそれらの連合を結ぶのは水面下での競争があるからだ。日本の戦国時代の同盟関係は各地域の大名の対立が基礎だったのと同じだ。均衡が崩れればそれは崩壊するのだ。ともかく、結局生産の拡大は行われ続け、その生産力がある水準に達したとき、恐慌は起きるのだ。そして収縮した市場を巡ってかつての同盟関係が再編され、戦争へ発展していったのが二度の世界大戦ではないか。恐慌は現代経済の必然であり、恐慌を止めることができれば戦争は起きないとするのはあなたの頭の中だけの夢だ」
 ある日市場がいきなり収縮する。わかりやすく言えば、仕事の量が急激に減る。モノが多くなりすぎて、モノを手に入れることが難しくなる。これは、いつ起きるか誰にも予測できない。あまりにも多くの人間の多様な思いが入りすぎている。それは、株式市場の値動きを当てることと同じように不可能である。
 
妙に長い偉そうな回答の中でも触れたが、資本制が完成してより先、大戦争はいつもこのことがきっかけで起きてきた。大規模な戦争の前にはいつも恐慌と生産過剰が関係する。
 イギリスでは、1860年代末から慢性的な生産過剰状態が続いていた。失業率は高い水準を維持し、国民生活一般は困窮していた。そして、イギリスはこれまでに確保していた植民地以外の新たな植民地を確保しようとついに、当時まだ「暗黒大陸」と言われていたアフリカへの進出を開始する。これは、アフリカと呼ばれる地域全体へのイギリスからの国家防衛意識に基づく戦争であった。これを防衛戦争と呼ぶか侵略戦争と呼ぶかは好きにすればいい。どちらも事実である。1890年にケープタウン植民地の首相になったイギリスのセシル・ローズは「帝国とは、胃の腑の問題である」(帝国の維持のためには、自国民の生活水準を下げてはならない)という名言は、そのことを如実に表している。さて、この後、イギリスとの力関係に差が開かないようにするため、アフリカへ進出する余裕がある各国、特にフランスを巻き込んだ一大植民地獲得戦争になったことは知っている方は知っているだろう。これが、次の大戦争を準備する。第一次世界大戦である。
 それぞれの国のさまざまな理由でこの競争に入るのが遅れたが、この競争に参加できるだけの力量を持つにいたった国が当時、5つあった。日本・ドイツ・イタリア・アメリカ・ロシアである。特に、ドイツとアメリカ、ある程度は日本も、新たな産業である重化学工業の発展を背景として大きな力を持ちはじめていた。ちなみに、のちに、この重化学工業の産物である車産業が生産過剰から立ち直れなかった世界経済を新たに牽引することになるが、ここでは、それはまた別のお話。さて、それら5カ国の前には、もはや新たな植民地はなかった。世界の全ての地域が、アフリカまでもが、すでにどこかの国の支配下に入っていたからである。先の5カ国は、その最後の希望をかけて、当時、いわゆる列強諸国のどれの支配下にも入っていなかった(部分的には支配されていたが)中国への進出に望みをかけていた。アメリカの当時の国務長官ジョン・ヘイが中国市場の門戸を開放することを中国に要求したことがきっかけで、そのことがいっきに噴出した。もちろん、すでにそのような傾向はみられていた。日露戦争は、明白にロシアと日本の中国権益をかけた戦いだった。このような状況下で、1901年、世界は再び恐慌に見舞われる。生産過剰を打開できず、ずるずると停滞を続けた経済は、1912年、よりいっそう規模を拡大した恐慌へと叩き込まれる。これらの関係を背景として各国の政策が激しくぶつかりあっていたバルカン半島のサラエヴォで、ついに事件は起きる。オーストリア皇太子がセルビア人によって殺されたのである。ドイツとロシアの経済対立を背景として存在していたパン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義の対立は、さらに激しい経済条件のもとで爆発した。オーストリアはドイツをあてにしてロシアの少ない植民地を奪おうとし、ドイツはもちろんそれに乗っかる。ロシアだけでは勝利の見込みがなかった状況で、同盟関係にあったフランスが即座に登場。ここでドイツを抑え込みたかったイギリスも同盟を根拠にもちろん参戦。世界戦争が始まったのである。これが、第一次大戦の大きな構図である。
 
 ・・・よし。やっとここまで来た。そもそも8月15日にアップする予定だったわけで、メインはやはりここからである。またもや前置きの時点でやりすぎてしまった感があるが、いまさら消すのももったいないのでこのままいく。そして今日はここで止まる気はない。まさかの上中下編は避けなければならない。書いている本人が飽きてきているし、何よりさきほどからPSPが私を呼んでいる気がする。何が悲しくて休日に戦争について語らなければいけないのか!

 さて、第二次大戦である。
ロシア革命など、さまざまな想定外を生み出しながら第一次大戦は終わった。この戦争で、時期を読むことに成功したアメリカは最大のライバル、ドイツを蹴落とすことに成功した形になった。イギリスやフランスは第一次大戦を通じて膨大な金を貸してあるので、現状何か画策する相手ではない。イギリスやフランスから植民地を奪うことができたとしても、結局自分が損をする。だが、常に自分たちがリードできる排他的な市場は用意しなければならない。やはり、中国をとらなければならない。しかし、第一次大戦を通じて直接的な戦場にならず、また、直接的な戦場に参加しない代わりに、中国へ影響力を格段に強めた国があった。日本である。ここから、アメリカの日本封じ込め政策が始まる。パリ講和会議の段階からそれはみられた。第二次大戦の末期にはすでにソ連とアメリカの次の対立軸の闘いが始まっていたように、規模は小さいが中国市場を巡ってすでに日本とアメリカの対立は始まっていた。その後のワシントン会議では、アメリカ主導のもとで日本の中国権益が国際的に否認され、それに伴いアメリカと日本との通商協約である石井=ランシング協定の破棄へと進む。さらに、国民一般の意識の改革へとアメリカは進む。「移民法」を知っているだろうか? 1924年に制定された法律だが、これは明確にアメリカ国内からの日本の影響力を排除しようとするものであった。当時の状況での「アジア系移民の禁止」は事実上「日本人はアメリカからでていけ」という内容だった。それによって日本と自国の対立をあおり、戦争を狙っていた。戦争になれば、あまりにも国力が違いすぎるため、日本など話にならない。日本は日本で、そのことが十分にわかっているから強くはでれない関係が続いていた。日本は、アメリカの挑発をかわしながらよりいっそう中国へ進出する機会をうかがっていた。しかし、1929年、1920年代前半からすでに起こっていた農作物の生産過剰による不況は、ウォール街を巻き込んで恐慌へと発展する。
対立は激化する。すでに起こっていた国内レベルの大不況に追い打ちを食らう形になった日本は、より一層の植民地を求めて、国民の生活水準の維持を求めて、さらに深く、中国へと進出する。あまり重要なことではないが、個人的には、ここにコミンテルンが加わった可能性は高いように思う。当時、世界革命をあきらめたソ連は、スターリン主義と呼ばれることがある体制へと移行していたので、細かいことは省くが、資本主義の軍隊と軍事力で対決する方針だった。日本が市場競争を有利に進めるため(原料を抑えれば、市場の変動に柔軟に対応する力となる)、シベリアの石油を狙っていたのは良く知られている。だから、シベリアから目をそらさせるために、日本が中国へと進出するよう動いた可能性は十分にある。もちろん、できてたかだか10年ぐらいの組織がなんでもかんでもできたように言うのは中二の妄想に等しいとは思うが。そうしてあとは程度の差はあれ多くの人が知っているとおりである。ハル・ノートという、日本からみればぶん殴られたいとしか思えない文書に対して、ついに日本は開戦。短期決戦を狙うが、ミッドウェーで時代遅れの大鑑巨砲主義をさらけ出し、敗北。ドイツの勝利を見込んで長期戦の構えをとり、その後ドイツの敗北が濃厚になったにも関わらず、昭和天皇が天皇制の維持のため、降伏を勧めた近衛文麿を無視。何かができるわけでもなく、東京空襲、沖縄戦と続き、ソ連にはめられていることに気付けず、降伏への動きが遅々として進まず、広島と長崎に原爆が投下される。命が惜しくなったのか、玉音放送。降伏宣言への調印をもって戦争の終結とみなされるため(それでも降伏を決めた相手には普通攻撃を中止するのだが)、9月2日まではソ連軍の攻撃を受け、北方領土をとられる。そしてアメリカ軍による占領。労働運動が急速に燃え上がり、電気関係の労働者が自分たちでどこに、どれくらい電気を送るかを決めるまでの状況になる。アメリカは共産党を脅してゼネストを中止させ、ガス抜きと日本の軍事的弱体化のために憲法9条を制定する方向へと動く。それを左翼は自らの運動のひとつの結果として勝利を叫び、憲法9条をひとつの結集軸とするようになり、右翼は屈辱として自主憲法制定を志向し始める。戦争の責任者は、敗北者としてケジメをつけさせられる。

戦争は、軍部が暴走するから始まるのではない。日中戦争の開戦に反対したのは関東軍作戦参謀・石原莞爾であり、賛成したのは、近衛文麿である。戦争の拡大に反対したのは軍人で、賛成したのは文民ではないか? そもそも、自らと自らが育てた部下を戦場に送ることを軍人が心から望むのか? 戦争とは、本質ではなくその過程において、人類の英知を総動員するものである。単純な火計ですら、成功すれば敵の後ろから奇襲するより敵にダメージを与えられる。しかし、火計にはたいていの奇襲より多くの知識が要求されるのである。これらが組み合わさる戦争は、すぐに暴走すると言われるような軍人には務まらない。軍人は優秀でなければならない。軍人の敵を決定するのは、政治であり、ゆえに戦争とは政治の道具である。戦争とは、政治の失敗ではない。そして、カール・シュミットのいうように政治の本質でもない。戦争とは、もはや交渉不可能な状況における、政治の別の姿である。

事実はいつも冷徹である。たとえば上杉謙信をどんなにロマンをもって見ようとしても、彼の生涯の出兵のほとんどは、石高の低い自国領民を食わせるための隣国への略奪のためのものだったことは変わらない。別に彼だけがそうだったわけではないが、言葉の定義上、上杉謙信が掠奪者であったということは正しいのである。そこにロマンを入れることは、自分の見たいように世界を見ているだけにすぎない。
人間と人間が集団的に対立する条件がある下では、逆説的ではあるが、現実的には戦争の準備こそが平和を意味する。簡単に戦争をできない状況を人為的に創り出すことが、戦争の回数を減らす。まあ、しかしその準備が、戦争が大規模化し、複雑化する一層の要因ではあるのだが。古代ローマのことわざ、「平和を求めるなら、戦争を準備せよ」「平和は大事だから、平和主義者の手にはわたせない」・・・複雑なようで意外と単純な戦争という事象を彼らは良く理解していた。
上のことわざは、同時に次のことを言っている。防衛力とは、攻撃力である、ということだ。これは本来だれでも知っている簡単なことだ。格闘技をやっている人間は、そうでない人間よりも、他人を殺傷する能力が高い。だからこそ、自分の身をより効果的に守れる。もちろん、種類の違いはある。ボクシングより合気道のほうが防衛的であり、大陸間弾道弾(ICBM)よりパトリオットミサイルのほうが防衛的である。しかし、本質は変わらない。パトリオットミサイルは、ある地点にどれだけ多くのミサイルを撃ち込めるか、ということがその防衛力であって、それはもちろん攻撃力である。また、もうひとつの現実的な事情、防御だけでは防御にならない、ということがある。いつまでも閉じこもることは不可能だ。援軍なき籠城は下策であって、侵略なき防衛は戦闘力の浪費を招き、敗北を招く。ちなみに、この二つの事実が、核兵器の先制不使用を不可能にしている。弾の入っていない銃には攻撃力が存在せず、したがって防衛力、つまり抑止力にならないように、爆発しない核爆弾に抑止力など存在しないのである。専守防衛を宣言している国には、力が存在せず、したがってカードの切りあいである外交も行えないことは明らかである。領空侵犯機は即座に撃墜しなければならないし、不審船は粉砕するべきなのである。

だから、戦争が本来無駄なものだということを持ち出して防衛費を縮小するのは現実を見ていない、もしくは知らない人間のいうことである。どんなに厳しくても現実を見なければ現実を変えることはできない。憲法9条を軸として存在している日本のいわゆる左派は、それが本来存在しえないものであり、例外にすぎないものであることを認識していない。封建制度の一般的傾向とそれに基づく戦争の条件はゆるぎないものだが、商業の発展に伴って商業的利益を巡って戦争がおこるようになるように、また、新たな条件、つまり資本制の下で奴隷制度が復活したように、この世界には様々な特殊な条件や地域性や歴史性に基づいて例外は存在しうる。しかし、例外は例外でしかない。そのような一般的傾向からいえば瑣末なことに意識を集中し、瑣末な違いにこだわって見当はずれなことを言うべきではない。インテリにはこういう類の人間が非常に多いことは最近よく痛感する。大事なのは、大きな流れ、世界的な事実と世界的な事実の間に存在する、傾向を認識することだ。おおざっぱにいえば、時代を認識することである。憲法9条は、本来ならば1955年にはなくなっていてしかるべきものだった。それが残っているのは、その大きな傾向とはまったく別の事情、すなわち人間の意識的行為と行動が入り込んだからである。

人は、大事なものを守るために闘う。文化連盟もそうだし、東条英機もそうである。日本人の生活を維持するには、中国に進出するしかなかった。それは侵略であった。しかし、敵国の司令官であったマッカーサーも残しているように、日本の戦争はいわゆる安全保障のためだった。アメリカを中心とする西側諸国は、市場競争に安定的に勝ち続け、国民を食わせていくために、ユダヤ人の資本家と組んでイスラエルを作った。それは確かに侵略である。だが、防衛的要素を多分に含む。それ以来続けられる激烈な闘争は、勝手にイスラムとキリストの対立という表面だけのもののせいにされている。19世紀、中国が貶められていく様を見た吉田松陰は「日本が独立国でなければならない理由」を探し、天皇制にたどりついた。理論だけでいえば、山県太華のほうがより現代的であったし、ラディカルなものを出していたが、それは「日本が他国に侵略されてもいい」という結論を引き出しかねないものだった。維新志士は中国のようにならないための理論と路線を松陰に見出したように、故郷を追われたイスラム教徒はアラーにそれを求めているにすぎない。両者は驚くほど似ている。その背景にあるのは市場を巡る闘争であって、宗教はそれに追随している。

あの戦争において、アメリカが悪いのならば日本も悪いし、アメリカが正しいのならば日本も正しい。正義と悪など、そんなものだ。あまり知られていないが、1943年に東条英機は原爆の開発命令を出している。日本にそれを完成させる力はなかったが、しかし明白に落とす気はあったのだろう。自分も撃つ気だったくせに、先に撃たれたことを逆恨みするのはいただけない。もう一度撃たれたくないなら、撃つ準備をすべきなのである。何を?もちろん、最強の抑止力と呼ばれるものを、である。それは、世界の現実なのである。「核なき世界」を言いながら、核兵器関連予算を去年よりも増加し、意味の薄れた戦略核を廃棄しながら戦術核を再編・強化している大統領は、なぜ北朝鮮とイランの核を認めず、インドの核を黙認するのか? それが真実である。きれいな自分たちだけの世界に住んでいる人間は、きれいな言葉を信じるものだが、事実を見たがらない。この世界は人間の世界であって、人間のいるこの世界に神などいない。いたとしても、それは人類が発見してきた、自然の中に存在する法則を崩すようなレベルのものではないのだから、何の意味もない。黙り続ける神を信用してはならない。

事実を認識し、それでも戦争を無くしたいと思うなら、戦争の条件そのものを、商業というものを、廃棄することを目指すべきだろう。その方向性が何と呼ばれるか、それがどれほど困難かを知っているのなら。今回、あえてそのような観点は盛り込まなかった。私のマスターは中核派の内海祐一であるので、知らないわけではないが。しかし、私はしょせんパダワンにすぎないので、そっちの方面の話が聞きたければ彼に聞いたほうがいいだろう。とりあえず、今回はこんな感じで。長々と読んでくれてありがとうございました。
(≧0≦)イェイ!

2010年8月22日 齋藤 郁真
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つれづれなること 15(上)

 2010-08-15
 今日は8月15日である。人によってこの日が何の日かはいろいろあるだろうが、政治の世界ではたいていこの日は戦争のことが話題にのぼる。ということで、今回は流行に乗って、「戦争」についてつれづれなるままによしなしごとを書き綴ろうと思う。
 ※テーマがテーマであるため、長くなると思います。いつもこの企画(?)は5分~10分で読めるものにするため、5000字程度にしているのですが、それぐらいで終わる気がしません。

 
 世間一般では戦争が起きる理由は「人間の愚かさ」のせいにされている。手塚治虫も含めて、特に文学者系統が中心となってこの説を日々更新している。マンガで育った世代としては、手塚氏を否定したくないのだが、この言説は非常に理解に苦しむものである。なぜなら、明らかに論理の飛躍だからである。
 私がスポーツや芸能関係の話題に興味が薄いため、それに関するニュースの評価は世間一般の常識から借りてくるしかないよいうに、政治の世界に興味がない人が戦争が起きる原因を「人間の愚かさ」のせいだと信じ込むのは仕方がないことではある。常に個人的関係や情緒の世界に生きている文学者の皆様が、人間が2人いれば競争することや、ちょっとした気持ちのすれ違いや勘違いからケンカすることを根拠に戦争の原因を説明しようとするのは仕方ない。
 これは、個別的なものを普遍的なものに安易に適用する言説の最も典型的な失敗例である。たとえば部活動などでは、友人は同時にライバルであり、競争の対象になることはほとんどの人が経験していることである。それは間違いない。しかし、思い出していただきたい。果たしてあなたは、自らの地位を守るためにその友人を殺すだろうか? 人間と人間との個人的競争は戦争の原因ではない。それは戦争に絶対に必要なもの、つまり集団意志にはなりえない。個人的な事情のすれ違いや勘違いはもちろん個人的なものであり、それもまた集団意志にはならない。知人が恋人に振られたからといって、あなたまでその恋人のことを恨んだりするだろうか? 個人関係はそれだけでは集団意志にはならない。

 では、なぜ戦争が起きるのか? 集団意志の発生は、集団的な利害の対立を前提とする。地球の外から地球人以外の外敵が攻めてくれば地球人はその敵の打倒に向けて集団意志を持つだろう。戦争の原因は、集団的な利害の対立なのである。
 さて、書くかどうかパソコンの前で10分ほど悩んだが、せっかくなので、戦争を中心テーマに人類史を見ようと思う。かなり簡単にしようとは思うが、それでも非常に長くなりそうな気がしてめんどくさいのだが、重要なので、ちゃんとやろうと思う。

①戦争が恒常的なものではなかった時代 
 戦争がほとんど行われなかった時代というものがある。紀元前1万年以前の時代だ。もちろん、この時代にも戦争はあった。しかし、この時代の戦争は、声帯の未発達とそれに伴う言語の未発達、さらには狩猟・採集経済なので、余剰生産物がほとんどでず、生産物交換による他の共同体との交流が少なかったこと、また、「個人」というものがほぼ存在せず、いかなる理由であれ、他の共同体の成員からの自らの共同体の成員への侵害には共同体全体で対処する社会であったことが戦争の原因だったと考えられている。まあ、要するに、この時代の戦争というのは猿同士の縄張り争いといっしょである。それは必然ではあるが偶発的なものであり、戦争という事態が常に世界のどこかで起きているような状況にはならない。いうまでもなく、現代ではこんな戦争の条件は存在しない。

②農耕の始まりと戦争の条件の誕生
 ①で、わざわざ紀元前1万年と明記したことには理由がある。この頃から、急速に武器が発達し、頭に穴の開いた頭蓋骨の出土が増える。世界史に詳しい方なら知っているとおり、これは、農耕が徐々に始まったことが原因である。農耕の始まりと戦争の増加は関係ないように思える。しかし、これは重要なことである。農耕を行うには、土地が必要である。つまり、お互いの共同体の運命をかけ、肥沃な土地をめぐって激烈な戦争が始まるのである。恒常的な戦争の条件は、軍事の必要性を生み出し、武器の発達を促したのである。

③奴隷制の戦争の条件
 農耕は、安定的にそれまでとは比較にならない生産力を生み出す。それは、裏を返せば1人の人間が2人の人間を養うことができる、ということでもある。ここに、新たな可能性が生まれる。土地をめぐる争いに勝った共同体が、負かした共同体の人間を奴隷にし、彼らを働かせることで自分達は楽をしようとするのである。そして支配者達は自らの地位を守るため、暴力を独占する機構、つまり国家を作り、その社会の維持のために自分達に有利なルール、すなわち法律を作り、その法律を永遠のものにするために神を利用する。もしくはそのためだけの神を作る。古代メソポタミアの奴隷所有者の代表、ハンムラビ王が作成した現存する人類最古の法典、ハンムラビ法典には、その法律を永久化し固定化するためだけに生み出された神、シャマシュ神があてがわれていた。シャマシュは少年ジャンプで連載していたマンガ『シャーマンキング』でもアイアンメイデン・ジャンヌの持ち霊として登場するので知っている方はけっこういるんじゃないだろうか。
 少し話しがそれたが、これが奴隷制の発生起源である。大河周辺の地域を勝ち取り、豊富な水で農耕を発達させた三大文明すべてが奴隷制であったのはこのためである。中国の殷・エジプトの古王国・シュメールのアッカド王国、いずれも奴隷制度であったことが判明している。
 この体制の経済は名前の通り奴隷が常に供給されることがその成立条件である。体制の維持のための奴隷獲得戦争、それがこの時代の戦争の条件である。戦争は、常に行わなければいけなくなった。

④奴隷制の限界と封建制
 次に行く前に奴隷制の没落についても触れておこう。奴隷の獲得のためどんどん外へ侵略していくうちに、他の強大な狩猟民族や同じ奴隷制国家にぶつかることがある。この結果、奴隷の安定供給が困難になるのである。古代ローマがいい例だ。ローマ帝国は、パルティア王国、後にはササン朝ペルシアに西を、南をエジプトに、北をゴート族、イギリスの先住民族に阻まれて奴隷の供給が困難になり、衰亡していった。もちろん、領土の拡大による補給線の長大化が前線における軍事の弱体を招いたことが直接的な原因だが、そもそも奴隷を獲得するためにひたすら領土を拡大してきたわけなので、ローマの滅亡は奴隷制そのものの運命だったのである。これは中国やエジプトでも変わらない。時代によって敵の名称は変わっていくが、エジプトは現在の中東の諸国家に阻まれ、中国は西をエジプトと同じ敵に、北を広大な平原に発達した精強な狩猟民族に阻まれたのである。
 歴史は、封建制と呼ばれる時代へ移行を開始する。奴隷を温存し、土地に縛り付ける体制、すなわち封建制の始まりである。そして、周辺諸国もその安定した体制を輸入していく。日本や韓国に奴隷制の時代がほとんどなく、一挙に封建制へといくのは、中国が早くも紀元前1000年ごろには周王朝の元で封建制に移行し始め、その影響を強く受けるからである。ちなみに、奴隷制衰退のいい例としてだしたローマだが、こちらは332年にコンスタンティヌス帝がコロヌスの土地定着強制法を制定して封建制へと移行しようとしていたのだが、ゲルマン人の大移動という偶然的要素に見舞われはかなく散った。地理的条件からそれを逃れた東側(東ローマ帝国)はめでたく封建制を確立する。

⑤封建制の戦争の条件
封建制は、社会全体としては非常に安定した体制である。奴隷をいたずらに消費することをやめ、それぞれの領主の領邦内で自給自足の経済を確立するため、国家を代表する一族が誰に変わろうが、たいていの場合農民の生活は変わらない。この時代には安定した状況のもとで、そして確立した農耕技術のもとで人口がいっきょに増加を始めるのだが、これが戦争の条件となる。ある広さの土地から取れる農業生産物は、技術の改良や開墾でかなり増加するものの、技術の発達はそう都合よくいくものではないし、どちらにしろ限界は存在する。新たな土地の獲得のため、そしてまた、他の国家に土地を取られないようにするため、軍事は蓄えられ、戦争が恒常化する。
 この経済体制は、奴隷制のように自壊していく要素は圧倒的に弱い。外敵の脅威がなければ、江戸時代のように何百年も続く安定した政治体制をとることが可能なのである。しかし、同時にこの時代にはそれを壊す要素が成長している。

⑥封建制の没落と商業
 奴隷制の始まりは農耕による高い生産力がその起源だった。しかし、高いレベルの生産力はもうひとつ別のものを一挙に発達させる。余剰生産物の交換が各地域で膨大に行われるのである。それは商業の開始を意味する。フェニキア人が有名だが、奴隷制の時代にすでに商業で生計を立てる民族が登場しているのである。封建制はこの商業を抑制しなければならない。なぜなら、奴隷を温存し、土地に縛り付けることで安定している経済体制であるのに、商業は生産物交換のために各領邦の境界線を飛び越えようとするからである。封建制は一部の大商人に特権を持たせて抱き込むなどアメとムチ両方を駆使して商業の発達を抑制しようとする。
 しかし、商業は発展する。特に欧州で発達する。なぜなら、フン人の流入という偶然的要素によってローマ帝国が滅亡し、封建制への移行が正常に行われなかったため、その政治的間隙を突いて海周辺の地域、特に現在のイタリアで商人と職人が実権を握る「都市」が誕生したからである。アジアのように政治的空白が少なかった地域ではこのような「都市」は特殊な存在にとどまった。日本でいえば、百年以上続く大きな政治的空白、一般には戦国時代と呼ばれる安土・桃山時代に、海に面し、かつ強力な地方政権も存在しなかった堺のような一部の都市でしか行われなかった。
 文明史はアジアで始まり、中国が1000年前に通った過程を現在の欧州は繰り返していたのであるが、ここで西洋が一挙に現在の我々の歴史への鍵を握るのである。より大きな交易路への欲求は航海技術を急速に発達させる。発達した航海技術は世界をつなげ、世界市場を形成する。商人たちはますます経済的力を持ち、そしてそれはもちろん政治的な力へとなっていく。
 彼らは封建制との闘争のため、自分達の理論と思想を求める。世界市場が形成されるはるか前から、それは始まっていた。「金儲けはいやしいもの」とする教義もあいまって、封建制を「神の秩序」といいなし、思想的に支えていたキリスト教への反逆も開始される。教皇の腐敗に端を発したルターの宗教改革に、ルター個人の思惑を越えて彼らは飛びついた。なぜなら、それは信仰を「教皇とそれに認められた王への忠誠」から「各個人の日々の祈り」へと変えるものだったからである。商人たちの街、ジュネーヴではもっと露骨に蓄財を肯定するカルヴァン派が誕生する(余談だが、その露骨さゆえにカルヴァン派はいっそう抑圧された。1555年のアウグスブルクの和議で、ルター派かカトリックかを選ぶ自由が各諸侯・都市に認められたが、カルヴァン派は認められなかった)。
 さらに学問が進展する。完成された封建制のもとでは進展が難しかった(王権を否定したら弾圧されるから)科学的思考は、「聖書に書かれた世界」の虚偽を証明し、崩壊させ、神を打倒していった。都市はこれを擁護した。商人たちは、科学で神を倒した。
 そして遂に、商人たちは封建制を倒す。イギリスでは王が彼らに屈し、王室の維持のため彼らの体制の補完物として生き残ろうとする。王は君臨すれども統治をしなくなる。フランスでは王はギロチンにかけられる。
 自分達の国家を持った商人たちは世界市場を背景に、圧倒的な物質力で他の封建諸国を追従させていくのである。

 ・・・・・さて、もう午前3時である。14日の夜から15日にかけて書こうとしたのだが、ちょっと真剣にやった結果、とんでもないことになってしまった。やっと次から現代の戦争の条件の話にいこうと思うのだが、あまりにも眠い。
 どうせブログ記事だし、高校レベルの世界史の内容しか出してないし、そんなに珍しいことも言ってないから急ぐ必要もないと思うので、「つれづれ~15」は上下編にしようと思う。

 無計画はやっぱりよくないと思う。ごめんなさい。

2010年8月15日 齋藤 郁真
 

ある日ある場所ある時間のある会話

 2010-08-08
※ちょっと前のお話。誰がしゃべってるかわかるかな?


A「・・・さて、今日はわざわざ諸君に集まってもらったのは、少々、いやかなり香ばしい情報を入手したからだ」

B「また法政大学がなんかやってたのか?」

C「というかそういう趣旨で今日集まったんじゃないですか?」

A「まずはこれをみてほしい。ある人物から送られてきたメール文章だ」

~メール閲覧中~

B「・・・・・・・なるほど・・・」

C「信頼できる情報筋なんですか?」

A「我が社会科学研究会諜報部をなめないでほしい」

C「わかりました。信じましょう」

A「信じがたい話だ。残念でならない」

B「そうか? お前はいつも人間総体を信じすぎなんだよ。甘いね。これぐらいやってるよ」

C「それにしても・・・洞口を一日ストーキングするだけで4万か。ぼろいですね。僕にやらせてほしいw」

B「てか教授ってそんな金に飢えてんのか?w 私立だし年収1000万近いはずだが」

A「教授というより非常勤講師とかが中心でしょうね。彼らは相当貶められてますし」

C「それにしてもストーキングで4万もすごいですけど次の話がもっといやらしいですね」

B「だってあいつらクズだから」

A「我々に対する対策会議に出席すると一回2万。しかもなにかしらの役職(~長)をもらえる、という話だね」

C「そうです。いいですねぇ、弾圧がイコール出世コースてわけですか」

A「この情報によれば助教授や非常勤講師が群がっているそうだ。嘆かわしい話だ・・・」

B「だからもう法政にはクズしか集まらないようになっちゃったんだって」

C「学問やる気ないことは間違いないですよねw そいつらってww」

B「あれ?てか今年の学祭で人件費がもったいないから教室企画の数を減らせって言ってきてたよな?」

A「ええ。学祭実がそういう趣旨の要請が大学側から来てることを言ってました」

C「そういえばwww」

B「どっかの国のジョンイルみたいなことやってるな」

A「それどっかの国って言う意味ないですよね?」

B「黙れ」

A「・・・・」

C「それはともかく他にはこういう類の情報はないんですか?」

A「ああ、そうそう。それとは別に判明したんですが。」

B「何だ?言え」

A「さっきの会議の話なんですが。その対策会議を断った教職員はなぜか土曜日や祝日の勤務が多くなるそうです」

B「さすが我が法政大学w」

C「スローガンは「自由と進歩」でしたね」

B「やめろ。吐き気がする」

A「まあ自由なんて観念ですから。誰にとってそうなのかを論じないとまったく無意味・・・」

C「それはおいといて」

A「・・・うん」

B「話なげえんだよ」

A「・・・すいません」





☆まとめ☆
①洞口など反対派学生のストーキングをヤクザ部隊など専門の職員以外がやると4万円の特別手当
②正式名称不明の「対文化連盟会議」に出席すると一回2万円の特別手当。出席者はなにかしらの役職を与えられ、出世コースの近道になっている。断る人間は休日出勤の回数が増加。



なんて偉大な我が法政大学!
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プロフィール

文化連盟

Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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