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前号記事のあるコメントに対する個人的見解(委員長)

 2008-08-13
 前号記事に対するコメントの中で、賎族さんという方が我々に行った質問(「英霊」の定義について)に答えさせていただきます。ただし、08年度文化連盟執行部の統一見解ではなく、私個人の見解ですので、答えているとは言いがたいかもしれませんが、賎族さんだけでなく、他の方々も参考までにはしてください。

 「英霊」という言葉に関して、私はまさに字の意味そのままに、優れた(偉大な)魂(精神)として捉えております。
 当時の日本国の軍国教育によって狂信者として育てられた面は多分にあることは間違いありませんが、靖国に祀られている彼らは、「国(天皇)のため」・「家族のため」に、自分が大事だと信じるもののためにその命を懸け、死んだ人々です(全てとは限りませんが)。いくら教育による後押しがあっても、自ら自分の命を捨てに行く覚悟は全ての人間がもてるものではありません。「献身」という高等な知能を持った生物にしかできない行為の極致をおこなった、彼らの精神を評するべきだと私は考えています。
 もちろん、現実的に靖国という場所が、いわゆる右翼イデオロギーの象徴、天皇制・国家支配の象徴として機能している現状は直視しております。私個人としては、靖国をそのような場所として利用している人間がいることは残念でなりません。上記の彼らの精神を貶めるものとして唾棄すべき対象だと考えます。
 さらに、靖国に祀られているA級戦犯(どの程度までこの呼称を認めるかは省きます)達、代表としては東条など、これらの人間の合祀も靖国を貶めるものと考えております。彼らは「英霊」ではないからです。「国家のため」に若い人間をいたずらに動員し、日本共同体の発展の可能性を消し去った彼らこそが真の国賊であると考えます。国(社会・共同体)とは、人間の群れであり、国力とは、経済力のみではなく、その社会の人間の力の総合力です。若く、自分の信じるもののために死ぬことができるほどの精神をもった彼らを死地へと追いやった人間は靖国に祀られるべきではありません。
 最後に、補足として、天皇制についてですが、私個人は、天皇制を消極的に肯定しております。国家共同体の維持のためには、象徴があることは大きいと考えます。もちろん、憲法や国旗もそれたりえますが、現人神のように、「人」として象徴があることは別レベルです。ただ、あくまで人である以上、権力を持たせるというような話は別問題です。そうなってしまえば、それは象徴ではなく支配者です。消極的に肯定しているということについては、現在の日本では天皇制が正常に機能しておらず、過去の戦争責任問題の話から、その復興は難しいのではないかということ、その意味で、この制度が消えていくこともやむをえないのかもしれないということです。現在、特に東京都が積極的に行っている「日の丸・君が代の強制」までして維持するような制度ではないということです。むしろ、それらは健全な愛国心を壊し、日本を何か別の国に変えてしまうと考えます。そのような政策を推し進める彼らもまた、私からすれば国賊であるといえます。

 非才の身であるがために、文章がほとんど箇条書きのようになってしまい、わかりづらいと思います。申し訳ございません。

※重ねて申し上げますが、私個人の見解であり、文化連盟執行部の総意ではありません。08年度文化連盟は多様な人間の集合体であり、もちろん私の意見に反対する人間がいます。

草々

                                                   斉藤郁真
コメント
なかなか真摯な対応で感心しました。

靖国問題・天皇制問題というのは、15年戦争の総括問題と不可分といっても過言ではありません。実際、現人神たる天皇・神州日本のために命をなげうった人々もいたし、この戦争の不正義性・無謀さに絶望しながら殺されていった人々もいる。ところが、右翼も左翼もどちらか一方だけを押し出して議論してしまう。これでは判断停止に他ならず、現実の人民の姿を捉え損なってしまっているのではないか、と僕は考えています。

賤族氏の言う通り、戦後革命の中で最高戦犯たる昭和天皇やその他の戦犯を日本人民自身の手で吊す事ができたのなら、今に至るもゴチャゴチャとこんな議論をする必要はなかった。いくら「軍部の暴走」といって見たところで、法理的には天皇は国軍の最高指揮官であり、天皇大権を保持していたわけですから、戦争責任を免れません。

ところが、日本共産党スターリン主義の反革命的な指導によって戦後革命は敗北し、現人神たる天皇は人間宣言をして「象徴」へと変貌し、「戦後民主主義」という中途半端な形態で固定化されてしまった。そのことによって、靖国問題・天皇制問題というのが曖昧な形で残ってしまい、現代に至っている。ここに、戦後の悲劇が象徴的に現れていると思います。

さて、それではこれからどのように靖国問題・天皇制問題を「解決」していけば良いのか。中核派の理論からストレートにいけば、靖国爆砕・天皇制廃止という所でしょう。しかし、そうなると、心底から「お国のために」死んでいった人々は「犬死に」だったという事になる。これは、「わだつみ会」あたりでも相当議論になった所ですが、「犬死に論」になれば、遺族感情として受け入れる事が出来る人もいれば、到底容認できない人もいる。しかし、戦後革命の嵐の中で戦犯天皇を吊す事で暴力的に総括してしまえば、「犬死に論」も渋々ながら受け入れられた可能性もある。ところが、その戦犯たる昭和天皇はもう居ない。遺族が本来怒りを向けるべき対象が喪失してしまっている。つまり、現在的には総括不能という事態に直面するわけです。

ここで、靖国問題・天皇制問題を改めて深めていく必要がある、と僕は考えています。僕自身はまだ結論をだせていません。考える前提を作るために学んでいる段階に過ぎません。斉藤君の提起は、大変刺激になりました。柔軟な思考に、敬服することしきりです。

しかし、この問題は様々な議論が巻き起こる領域であり、「これが絶対正しい」という結論が出せない領域なのかもしれません。ですが、革命情勢に突入した現代世界の中で、日本の今後を考える時に絶対に避けて通れない領域でもあります。理論的・実践的に暗中模索しながら進んでいくしかないのでしょう。斉藤君や文連諸君をはじめとして、侃々諤々の議論を通して、この問題についての議論を深めていって欲しいと願います。
【2008/08/13 13:09】 | 現役 #- | [edit]
読みました。どうも。感想を述べさせてもらえば、あなたは気を悪くするかもしれないが、思考の作風を見てああやっぱ○中と組める人なんだなあと思いました。正直なところ。
だからといって即切るわけじゃないけどね。

その他には

>若く、自分の信じるもののために死ぬことができるほどの精神をもった彼らを

いや若くない人間も戦地で死んだだろと一応突っ込んでおく。

>現在の日本では天皇制が正常に機能しておらず

そして、ではあなたの想定する正常に機能している天皇制の姿とはどういうものなのか?という点は知りたい。


また現役氏におかれては

>遺族が本来怒りを向けるべき対象が喪失してしまっている。つまり、現在的には総括不能という事態に直面するわけです。

対象は外部のみに求められるべきなのか?

あと日共の反革命さもさることながら、当時の世論調査とかをみてみると、そこまで民衆の側が自己変革を遂げていたとは思えん。まあこれは感想レベルだから詳細な点は機会があれば。
【2008/08/13 13:42】 | 賤族 #M.0b4JqI | [edit]
賤族さんへのお返事です。

>対象は外部のみに求められるべきなのか?

怒りを向けるべき対象を内部に求めるだけだったからこそ、「犬死に論」に対する二つの相反する態度が生まれたのではないでしょうか? つまり、「犬死に論」で納得しろと言われても、納得できん、というのが正直なところじゃないでしょうか。遺族の立場からすれば。

意識の変革は実践的な対象変革を通して実現される、というのが『ドイツ・イデオロギー』でのマルクスの議論だったと思います(現在、『ド・イデ』が手元に無いため、引用できません。ご容赦)。戦犯天皇を打倒することを通して、遺族の中に根深く存在する「英霊」思想を克服できたのではないか、というのが僕の考えです。

とりあえず、以上です。
【2008/08/13 14:56】 | 現役 #- | [edit]
僭越ながら、斉藤君の天皇制論を代弁させて頂きたい。もし、遺漏があれば、斉藤君は積極的に僕の議論を批判して下さい。

おそらく、斉藤君が想定している「天皇制」というのは、三島由紀夫が『文化防衛論』で提起している文化的な天皇制であろうと推察されます。それは、明治憲法下での「絶対君主制」(後にボナパルティズムへと移行)でもなく、戦後の象徴天皇制でもない。親政ではなく、祭祀を司るところの天皇、という事ではないかと思います。

古来、天皇家というのは、強力な武力を保持した家柄ではなかった。豊作を祈り、干魃を防ぐための祭祀を司る立場であった訳です。新嘗祭であるとか大嘗祭とかが、農業の発展を祈る祭りであった事は、その証左だと思います。だから、右翼思想というのは、結局は農本主義に帰結するのです。

しかし、現実の社会は、農本主義などは到底通用しない。工業化がどんどん推進され、戦後の自民党による減反政策を筆頭とした農民殺しがまかり通る世の中です。そうした中で、三島由起夫は従来の農本主義的な天皇像を一新して日本文化の象徴としての存在としての「天皇」を措定した。この「天皇」という概念は、個人としての天皇を意味しない。三島自身、昭和天皇には憎悪ともいうべき念を抱いていた。その著、『英霊の声』では、「などて、すめろぎ(=現人神)は人と成りたまひし…」と、呪詛に近い声を述べている。三島を、単なるファシストとして規定するのは、ちょっと慎重にすべき、というのが僕の意見です。

だから、伊藤博文が制定した明治憲法というのは、天皇に政治的な権限を集中させてしまったと言う意味で、大失敗だと言えるのです。そのせいで、天皇本人の意向を抜きにして戦争責任云々の問題が生じるのですよ。明治維新が、「錦旗革命」という面があったから、それもやむを得なかったとも言えるかもしれませんが、それにしても拙速にすぎた。民権運動との対抗という点も見逃せませんが、やはり無茶だった。

ちょっと脱線しましたが、斉藤君が想定している理想的な天皇制像というのは、祭祀をつかさどる存在としてのみ存在するもの、と理解すべきでは無いでしょうか。三島は、『若きサムライのために』という本の中で、福田恒存との対談の中で、「天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭-それだけだ」と言っている。政治的な存在としての絶対主義的な天皇制を否定して、祭祀の主宰者たる天皇=日本文化という意味で三島は天皇像を再構築しようとした。斉藤君も、理想的な天皇制像をそのような形で理解しているのでは無いでしょうか。あくまで、僕の推察でしかありませんが…。

ま、天皇制論議というのは日本革命の避けることのできない難問です。正解は有り得ない領域です。今後とも、活発な議論を期待します。
【2008/08/13 20:19】 | 現役 #- | [edit]
>自ら自分の命を捨てに行く覚悟

靖国に祀られている人間の大部分がはたしてそうだったのか?職業軍人より召集・徴兵で動員された兵員(国民皆兵)の方が圧倒的に多いのに。

と一応突っ込んでおこうかな
【2008/08/15 22:42】 | #- | [edit]
東条氏にしろ、学長にしろ、どんな人物にしろ、本人が意図する影響と、意図しない影響がある。

その両方を「意図」することが、自身の存在に責任を持つことだとしたら、それは不可能だ。

君らの主張は白黒つけようとしていて、とても鮮やかで聞こえも良いが、中庸がなさ過ぎる。

君の言う、英霊の定義の「優れた(偉大な)」はどのような尺度によるものか。
君らの定規のみで測っているなら、それこそ杓子定規である。

人間には多面性があり、矛盾がある。それは発達心理学の基礎だが、このブログを拝見している限り、君らはそれを無視した意見を述べているように感じざるを得ない。

また、組織内の多様性を認めながら、それを当局などと同じスタンスでぶつかり合わない(合っていたら申し訳ない)部分が、非常に興味深い行動様式だと思っている。

これは単にアイデンティティの論理で説明できようか。

しかしながら、君らが意図しない社会への影響には、甚だ関心がある。
これからもご自身の目的に挺身して頂きたい。
【2008/08/16 04:30】 | 社会学者 #USldnCAg | [edit]
[犬死論]についてですが、遺族感情と、実際にその死が実際に犬死だったかという点は分けて考えるべきではないでしょうか?
革命的な学生がすべきことは遺族感情に惑わされることなく真理を有りの侭に評価する事ではないですか?
私自身は日本軍の、特に末期の海軍の戦没者は戦略的に見ても所謂「犬死」であったことは明かと思います。だからこそ戦争指導部・天皇は国民の手で絞首台に送られるべきだったのです。
本当に「犬死」であったとしたならば、その戦死に何らかの意味を持たせることは非常に危険でもあります。
戦没者に哀悼を捧げる為には、戦没者を「英霊」として「軍神」として崇めることが必ずしも必要ではないと思います。

文化連盟の皆さんは沖縄に行かれるのですか。
私も行ったことがあります。米軍基地の多さにも驚きますが、広い砂糖黍畑を見た後で『さとうきび畑』という唄を聴くと泣けますよ。兵士の骸が今も眠る砂糖黍畑は今年の夏もただ風にざわめくだけです。
【2008/08/16 20:42】 | 立命大生 #- | [edit]
>立命大生さんへの返信です。

いろいろ議論はあるのですが、直接的に僕の議論への反論なのはこれかな? と思ったので、ここだけにレスします。

遺族感情を除去すれば、全てが「犬死に」です。15年戦争の犠牲者はね。だって、反革命的な帝国主義戦争の死人ですからね。英霊のわけがない。

要するに、戦死に「意味」を持たせなければやっていけないのでしょう。人間ってのはね。それを、「軍神」「英霊」というのか、「犬死に」というのかは、あまり関係のない議論なのです。プラスかマイナスかだけでしょ? 結局。左翼は「犬死に」といい、右翼は「軍神」「英霊」という。それだけの話ではないでしょうか。

僕も、沖縄とはゆかりが深いのですが、道の両側が米軍基地のフェンスでしきられてる空間。「基地の中に沖縄がある」と言われる理由が、本当に痛感させられます。

そして、「ざわわ、ざわわ、ざわわ…」というだけでは表現できない沖縄戦の歴史…。一人一人に、それぞれの沖縄戦史があるのです。ここでは書ききれないほどの。

だから、教科書問題での集団自決がどうたらこうたらで、軍命云々だけで、あれほどに人間が集まるのです。東京だとか大阪での集会とはケタが違う数が集まる訳でしょ? 労組とかの動員云々関係なしに。

あの問題は、簡単な話なのですよ。軍命無しに、喜んで自決した人々もいれば、軍命でイヤイヤながら自決させられた人々もいる。そして、運良く死に切れた人もいれば、死に損なった人もいる。それだけです。一方だけの解釈を強制しようとするから、怒るのですよ。それは当たり前でしょう。

8月15日は終戦記念日でした。しかし、沖縄でじゃ6月23日が「慰霊の日」として、重視されています。沖縄だけ、6月23日は休日です。他府県は平日なのですがね。これほど、沖縄戦というのは、沖縄県民にとって重要なのですね。

文連のみなさまのGLBは成功裏に終わったのでしょうかね…? 沖縄で、いろいろなものを掴んできて頂けましたら…と思う今日この頃なのです。
【2008/08/17 22:14】 | 現役 #- | [edit]
ヤスクニの記事批判していた人は
>これ無署名記事だから文連執行部の分析とみなしていいのかな?
と書きました。
しかし、記事の頭には「世論研企画」と明らかに書いてあります。

いったいどういう文章能力しているんだろう。
そのくせ、「いいのかな?」だよ。「かな?」だよ。
【2008/08/18 09:39】 | 恩田ファン #- | [edit]
>例年の世論研企画「靖国参拝」が行われる……予定でした。

恩田ファン氏がいうのはこの部分のことでしょうか。

世論研企画が行われる予定でしたと書いて紹介するのは誰でもできるでしょう。
例年の企画だということとこのブログを書く為のIDとパスワードを知ってさえいれば僕でも書ける。もちろんあなたでも書ける。

で、上で引用した以外には特に何も書いてないしこれは文連、なかでも執行部を中心にまわしてるブログなわけですよね?
であればこそ無署名記事なら対外的には(内部的な位置づけはどうあれ)そう読まれざるを得ないということになりませんか?
【2008/08/18 11:35】 | オリオン #w8AZa7BI | [edit]
>立命大生さん

すみません。読み直してみたら、かなり意地悪い感じの文章(笑)。

ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。ちょっと酒が入って、お盆だったりもしてニヒルな感じになってただけなんです。いや、ホント。気を悪くされてたら堪忍してください(笑)。

あと、補足です。「英霊思想」にしても「犬死に論」にしても、死者を思う気持ちから出ている事は一緒なのでしょう。「あの死の意味を無駄にしてはならない」という事なのですからね。

僕は左翼思想を標榜していますから「犬死に論」なのですが、戦死者を思い「英霊」として祀りたい人々の気持ちも分かるつもりです。どうしても、人間には理屈では割り切れない部分ってのがあるのだろうと思っています。

「死んだかれらの残したものは
 生きてるわたし生きてるあなた
 他には誰も残っていない
 他には誰も残っていない」
(谷川俊太郎 「死んだ男の残したものは」より)

この詩はぜひ全文読んでいただきたい。

戦死者を思う意味というのは、生き残った者・生きている者達が生きる意味を考える事と同義でもあります。私たちが意義のある生をおくるために、多くの戦死者が存在しているのでしょう。

まとまりがなくなりましたが、とりあえず戦火の中で命を失った多くの死者達に、黙祷。
【2008/08/18 11:37】 | 現役 #- | [edit]
『死んだ男の残したものは』を読ませていただきました。素晴しい詩を紹介して頂き有難う御座いました。

特に
「死んだ兵士の残したものは
 こわれた銃とゆがんだ地球
 他には何も残せなかった
 平和ひとつ残せなかった」
の部分がこの詩で重要だと思いました。

巷には「今の平和な日本があるのは昔死んだ者の御蔭。だから靖国に、」というさももっともらしい言説がありますが、これこそ平和ボケの最たるものであると思います。

平和は、戦死者が残してくれたものではなく、まして神霊が守ってくれるわけもない。時には国家さえも平和の敵になる。
平和は、「今生きている我々」が自分で守っていかなければなりません。
【2008/08/18 15:04】 | 立命大生 #- | [edit]












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プロフィール

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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

法大闘争とは何か?


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