【夏休み読書】 第一回 法大再編を考える(前編)

 2008-08-20
序文

長らくお待たせいたしました。夏休みは分厚い本を読もうと思って、買ってきたはいいのですが、コンスタントに連載できなさそうなので、急遽、我が家の『現代思想』とか、『カイエ・デュ・シネマジャポン』とか、『インターコミュニケーション』とか、批評誌系からそれっぽい記事を持ってきて、紹介、考察をしていくという風に方針を転換しました。
興味が広がったら、ネタ元の記事も読んでみてください。
構想とかは特にないです。



第一回 法大再編を考える(前編)

篠原雅武「剥き出しの突飛な日常~石垣カフェとはなんであったのか」(『現代思想2005.vol33-12』青土社)より


◆要約(p194上段l11~p200上段l15)

1 石垣カフェと京大キャンパス(p194上段l11)

 石垣カフェとは、2005年1月から2005年8月16日までの間、京大の百万遍の交差点に面する石垣の上に立てられたカフェである。一杯50円のコーヒーを飲みつつ、居合わせた人間が語り合うスペースとなり、延べ3500人がそこを訪れた。
そもそも、石垣カフェとは、大学当局のキャンパス整備計画に対する批判的行動であった。石垣カフェの立てられることになる石垣は、地元住民にも親しまれるものであったが、その巨大さゆえ、見通しが悪く、接触事故が時折起きる。大学当局は、その事情に鑑み、石垣を撤去し、そこにオープンスペースを設置する案を出し、学生がそれに反発した。石垣カフェは、その反発の一形態として出現した。ところが、石垣カフェは反対運動の一環である以上に、その空間の不思議さが理由となって話題となる。

2 批判としての直接行動(p196下段l15)

 石垣カフェとは、大学当局の提示したオープンスペース案への根底的批判がまずある。大学は、石垣を壊した後に、オープンスペースとして、交流の拠点として想定される広場を作る。そうすることで、見通しの悪さを解消しようと主張する。確かにそれは、利点があるかもしれないが、それは機能性重視であり、石垣のインパクトと比べ、ありきたりな、軽薄でつまらないデザインであった。この点に限って言えば、カフェによる批判は大学案の概観上のつまらなさに向けられていたといえる。しかし、石垣カフェはより根本的なことを問うたのである。すなわち、石垣がオープンカフェになることはなにを意味するかと問うたのである。オープンスペースは新しい空間ではあるが、新しくなることでなにかが失われる。すなわち、京大で持続し、突飛な創造を可能にしていたなにかがそこで、さらなる展開を阻まれ、消滅の危機に瀕するだろう。さらに言うなら、大学案は、現在至るところで見られる均質化された空間と同種のものであることに気付く。オープンスペースの新しさは少しも個性的ではない。
 ここで言う新しさの意味を考えるにあたって、アンリ・ルフェーブルが『空間の生産』で提示した見解が参考になる。ルフェーブルによれば、空間の新しさは二通りある。「導出された」という意味で異質であることと、「生産された」という意味で異質であることを区別する必要があるという。前者の異質性とは、「ある法則に導かれて算出された集合ないしはシステムの内部に留まる」ものと定義される。つまり、ある一定の規格に規制され、その範囲内でのみ、異質であることを許容されるという意味での異質性、ないしは新しさである。これに対して、後者は、「システムの破砕を前提とする」と述べられる。
 この区別に照らすと、大学案の新しさは、導出される新しさである。都市の至る所で展開途上の均質化されるシステムに石垣の場所を従わせていくことの帰結として産出される新しさを大学案は意図すると言えよう。
 ところで、フレデリックジェイムソンは「ポストモダンの二律背反」と題された論文の中で、ルフェーブルの言うシステムが、1990年代以降、社会生活の至るところに及んでおり、さらに規格化していく力も強力になっている。しかも、そこでの変化の速度は加速しているのであるが、奇妙なことに、これらが同時的に進行する。システムは、規格化しつつ、変化させていくという、相容れない過程を共存させていくのである。大学案は、社会生活を規格化していくシステムに石垣を組み入れることであるが、それは、また、急速な変化のリズムに従わせていくことをも意味する。たとえ、できた当初は新奇さを維持したとしても、このシステム内に存する限り、他の、大学外との趨勢との関わりにおいては、急速に古びていくことを宿命づけられている、ということになる。
 石垣カフェの批判対象は、オープンスペースというよりはむしろ、大学の企図であった。そこには、石垣という、古き良き風景を愛惜するという保守的な心情とは別に、均質化するシステムを拒否するという、よりラディカルな意志があった。だから、石垣カフェは均質化の過程で生産された空間、それも均質化された空間とは別な意味で新しい空間と捉えるべきであろう。
 なお、ルフェーブルは、システムの制約を乗り越え、逸脱しているという意味で新しい空間についてこう述べる。それらは「均質化の余白において、抵抗、ないしは、外にあるものとして、維持され、始動することになる」。つまり、均質化の波が及ばず、取り残されているものが、新しい空間が生産される場所となる。
 しかしながら、大学当局は、この特異な場所を均質化過程に組み入れようとした。ルフェーブルは、たとえ、そこが均質化過程から逃れた余白であっても、攻勢には出ず、防衛的な姿勢に留まるのならば、いずれ、均質化されるだろうと述べ、余白を余白のままにせず、むしろ、そこで、反空間を生産していく実践の必要を説く。均質空間とは異なる空間でそこを充たすこと、すなわち占拠が不可欠なのだ、と。石垣カフェは反空間だったのではないか。
 ところで、ルフェーブルは、反空間の特徴についてこう述べている。それは、「現存する空間を模倣し、パロディ化する」。カフェという発想自体、ここ数年で顕著となったアメリカ資本のカフェのパロディであるし、また、そこは字義通りのオープンスペース、すなわち開かれた空間だった。

3 空間の共有と非暴力直接行動

※「以上、石垣カフェの批判的側面を中心に論じた。(中略)しかしながら、さらに石垣カフェのもう一つの側面、すなわち、開かれた空間としての側面を論じなければならない。(p200上段l15~p200下段l2)」とされている。要約者は、「石垣カフェの批判的側面」を論じた部分での要約を中断する。


◆考察

 大学当局による再開発に反対する立場としては、この石垣カフェという空間は非常に参考になる部分が大きい。おいおい、後半部分も要約し、考察の俎上に上げようと考えているが、この時点での要約を今の法政大学の再開発に照らして論じることにする。
 法政大学において、この「石垣カフェ」、ないしは「石垣再開発」がはらんでいる問題は非常に近いところで進行している。本ブログでも好評を博す『法大問題を考える~矢部史郎×井土紀州対談』においても、井土紀州氏が指摘していたことだが、法政大学においては「近年著しくノイズのある空間が失われ、均質化された、清潔な空間ばかりになってしまった」とされる。学生スペースとして、大きくは学生会館の解体、外濠校舎の竣工。アドバン坂の解体、キャンパス中央の設立。学生スペースではないが、第一校舎の解体、プロパガンダカリヨン(?)の設置もその中に入るであろう。個性的な建物は消え去り、無個性な空間が広がってきていると感じるのは、法大生以外でも多いであろう。もちろん、無個性というのは、主観的な判断なのかもしれない。こう言い換えられるだろう。既視感を覚える風景である。『法大問題を考える』における井土氏の批判の要旨は「(神戸の少年Aの事件を引いて)均質化された空間において、自殺者や、第二の酒鬼原が出る」とする。後述するが、篠武氏の批判には井土氏の批判とは多少異なったところにあることがわかる。
著者である篠武氏の主張を、以下に、簡単に要約する。アンリ・ルフェーブルの概念によると、導出された異質性と生産された異質性とが異質性の二通りの用法としてある。大学案としてのオープンスペース案とは、均質化され、個性の失われた空間としての、導出された異質性である。その異質性における導出する方のシステムとは、90年代以降、変化の速度、すなわち、新しくなる速度の増加と、規格化していく力とが共存する形で進行する。本文では、このシステムが導出するのは、「チェーン店系のカフェ、ファストフード店、コンビニエンスストアの空間」が典型例として言及されている。
 ここにおいて、井土氏と篠武氏の批判は同様である。両者とも、導出された異質についての言及は同様だ。しかし、篠武氏においては、「たとえ、出来た当初は新奇さを維持したとしても、このシステム内に存する限り、他の、大学外の趨勢との関わりにおいて、急速に古びていくことを宿命づけられている」とする。「このシステム」は規格化すると同時に、その規格が変化する速度も速い。外濠校舎やキャンパス中央、プロパガンダカリヨンは、これによると、そのうち「古びていくことを宿命づけられている」ことになる。大学の狙いが、新入生への「新奇さ」アピールだとしたら、これは悲劇以外のなにものでもないが、ここでは置いておくことにする。篠武氏の批判が、「古びていくこと」が「宿命づけられている」という大学案への批判である。だとしたら、微妙に異なる井土氏の批判の先はどこへあるのか。それは、大学案の「反空間」としての石垣カフェをつくりあげ、それを運営した側から考察することにする。


文責 ズートロ
コメント
俺はあまり二文連の行動のあり方には賛同出来ない人間だけど、井土さんの意見は共感するわ。

二文連には早く軌道修正して欲しい
【2008/08/20 20:17】 | #- | [edit]
ズートロはまず委員長みたいに名前を晒してから発言しな
【2008/08/20 20:56】 | ばか #- | [edit]
ジェイムソンにせよ、ルフェーブルにせよ、一応はマルクスあたりを基礎にしてポストモダン的に展開した人々(日本的には柄谷行人あたり?)の議論なので、なんとなく分かるようで、微妙にズレる感じが面白い(笑)。

京大の石垣カフェは、一部の人々に「あれこそがマルチチュード」とすら称された実践活動でした。しかしながら、その企図は結局は敗北してしまっています。いまや、石垣カフェは跡形もありません。

そして、「石垣カフェの批判対象は、オープンスペースというよりはむしろ、大学の企図であった」というのも全く正しいでしょう。しかし、京大におけるルフェーブルの言う「反空間」の実践は、無惨な敗北を喫した。これは、動かしようもない歴史の真実です。

これを、法大において考察すると、現在の法大当局の「新奇さ」路線に対する「反空間」路線というのは、「石垣カフェ」の敗北を知りながら法大学生運動の敗北の道を進む面があるのではないか。僕は、そういった危惧を覚えます。「石垣カフェ」的なもの以外の方向性を模索すべきではないでしょうか? これは暗中模索ともいうべき行為なのですが…。

しかし、これは僕の個人的な意見でしかありません。さまざまな潮流の人々が、相互批判を通して、法大学生運動を発展させていく事が肝要かと思います。

あ、木原とか鈴木とかと討議するのはナシね(笑)。生産性ゼロだから(苦笑)。そこんとこヨロシコ!
【2008/08/20 22:31】 | 現役 #- | [edit]
すまぬ。ちょっと感慨深かったので、雑感を述べさせてください。

そういえば、デリダもドゥルーズも死んだんだよね。ポスト構造主義なんて言葉って、もう死語だもんね。

浅田彰の『構造と力』とか『逃走論』なんて、何度読んだことか…。ま、結局マルクス主義の方が説得力があったんで中核派に結集したんですけどね、僕は(苦笑)。

今はネグリが流行っているらしいけど、かつてのデリダ・ドゥルーズにならないことを願ってます。いや、ホント。

あ、そういえば、柄谷行人って昔は法大の教授だったよね…。今の法大の現状をどう見てるんだろ。興味は尽きませぬなぁ。NAM作ったり解散したりするヒマあったら、もうちっと法大弾圧に目を向けて欲しいと思う、今日この頃なのです。しょうもない話で、ゴメン。
【2008/08/21 00:21】 | 現役 #- | [edit]
>もうちっと法大弾圧に目を向けて欲しいと思う。

苦言を今現場でがんばっている人に呈するわけでは全くないのですが、
早稲田の抗議活動と連携あるいは参考にしてみたらどうでしょうか。
あっちは、署名は、デビッドグレーバーやIWWらの洞爺湖サミット組から、柄谷行人、そして保守的と思われる佐々木幸綱まで、署名していますね。松本哉さんも署名している。

背景はすが秀実のWiki参照
【2008/08/21 02:45】 | #- | [edit]
>早稲田の抗議活動と連携あるいは参考にしてみたらどうでしょうか。

早稲田の運動の旗振りは革マル派だから連携は99%あり得ない。

しかし学生紛争が中核派、革マル派、民青同盟(、解放派系学生ってもう居ないよね?)で全く分断されてしまっていることは不幸なことだ。
学生の運動かつて無い危機に瀕している今こそ倒幕に手を携えた薩長同盟の様に革共同統一、とまではいかなくても両者自己批判による停戦宣言と部分的連帯(民青同盟との連携はどう考えても無理っぽいかな)を達成する坂本龍馬の様な命知らずの志士が現れないものか
【2008/08/22 03:22】 | 立命大生 #- | [edit]
2回も消えてしまった。また気力が復活したら詳しく書くよ。

さて篠原雅武は現代思想系で成り上がるためにラディカル好きに受けそうなネタを探してるクソヤローであり、運動に対する無知ゆえ(そのくせ指導を垂れたがる)のあやまりがいくつもあるので当事者の1人が書いた以下の文章を読んだほうがいいと思います。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24219/1/%E7%AC%A0%E6%9C%A8%E4%B8%88.pdf
いくらかは雰囲気が伝わるでしょう。

それから現にこちらの案を丸呑みさせて、誰でもいつでもどんな大きさでも立て看板を出せる石垣の4分の3強が残っている以上あの戦いは勝利だったといいって言いと思います。(中核系の団体も出してるね)

その後にしても粘り強く撹乱した結果教養部も最近は規制が緩んできてるし(こっちは中核もやってるね)。

中核さんは初期にパージされたから悲惨な敗北だといいたがるんだろうけど。
それは法学部自治会(3分の2はバリチュン、当時も現在も機能停止中)が自治会費15万円を盗まれた際教授陣と事務の進めに乗って自ら警察を導入し(しかも盗難の1ヵ月後に!)、さらにそれを追い返して「不当捜査を追い返した!!大勝利だ!!!」ってやったときと同じくらいとんでもだと私は思うよ。
【2008/08/22 12:56】 | (元当事者)greenblacks #7S1gSh82 | [edit]
あと一言。早稲田だってまだノンセク(あるいはノンセク好き)いるでしょ。
【2008/08/22 12:59】 | (元当事者)greenblacks #- | [edit]
立命大生さん、
今早稲田の抗議活動を行っているのは、ノンセクトですよ。発起人をみてください。発端はサークルスペース撤去です。法政OBの井土紀州さんも発起人に名を連ねています。それにもとづき「LEFT ALONE」って映画井土さんとっていますよね。
ホームページ参照してください。
http://wasedadetaiho.web.fc2.com/index.html#%8E%5E%93%AF%90l

けど確かに革マルいるから連携は無理かあ。旗振りはまったくやっていませんけどね。


署名は、新宿の店ベルグやらイルコモンズやら武井昭夫やら、マイケルハートやら、市田良彦やら鵜飼哲やら並んでいて、「ノンセクト」って言葉で捕らえるのはもったい感じがしますね。シアトル以来の「グローバルジャスティスムーブメント」の一翼、ってかんじになっていますね。

コレだけ並ぶと規制する教員も、応対が丁寧になった、と本には書いていましたね。形骸化していない署名って見るのびっくりです。

【2008/08/22 16:51】 | #- | [edit]












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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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