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祝☆文連ブログ開設一周年!

 2009-05-04
こんばんは、企画局です。
都内某所で友人数名と飲んでいます。
ついさっき、ズートロ先輩が脱ぎ始めたところです。


sake.jpg


忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」を聞きながらパンツ一丁で踊り狂っています。





もう少しするとカゲキハの内海先輩が遊びに来るそうです。
ところで、本日5月4日は文連ブログを開設してから丁度一周年に当たります。
http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-1.html
そのことに気づいたのは今朝で、祝電を頂戴しようと方々にメッセージを送ってみました。
結局、織田さんと伊藤さん(だけ)が執筆して下さいました。
ありがとうございました。

・・・とりあえず、いまは長文を書ける環境じゃなくてw
でも、日付けが変わる前に更新を出来て良かったです。
失礼します!


織田陽介


 文化連盟ブログ開設一周年おめでとうございます。私自身、文化連盟の仲間とはともに激闘をにつぐ激闘を経験してきた立場ですので、客観的に語ることはできず、「もう一年かよ」ってな気持ちがとても強いのが正直なところです。
 しかし、今やあの文化連盟の決起から一年、このブログが学内の不正義を鋭利に暴露し、数々の暴力職員や公安刑事を飛ばし、その闘いの精神や体ごとぶつかっていく映像の衝撃は、全国の労働者・学生に希望を与え、韓国やアメリカの労働者たちまでもが見て心底共感を覚えるものになるとは、いったい誰が予想した
というのでしょうか! 感慨ひとしおです。私たち日本の学生の闘いは、ますますこのブログを歴史的な記録物としての意味を成長させ、歴史的な勝利を記すまでフル回転し続けるようです。
 いざ、勝利の道をひた走ろう。これからもよろしく。ブログ開設一周年、おめでとうございました。

全日本学生自治会総連合 執行委員長 織田陽介


090409_0536~0001


法政大学文化連盟ブログ、開設1周年おめでとうございます。
思えばブログ開設後早々、私しか人間が写っていない写真が勝手に文連のポスターみたいに加工され掲載されましたね。
(企画局注:http://blog-imgs-21.fc2.com/0/8/b/08bunren/20080519095112.jpg
事後報告メールを当時のバイト先のトイレで受け、なにやら面映い気持ちになったのも懐かしい思い出です。でも、やっぱり事前に言ってほしかったです(苦笑)
ブログ開設後、とりわけ5.20決起以来、文連のみんなの闘い(集会デモに限らず、報道・暴露といった言論戦に諸企画、そして面白くて読ませるブログ記事の数々)に魅せられて、多い時では1日あたり2回も3回もブログをチェックしてしまうようになりましたが、気づけばそんなブログも1周年。長かったとも短かったとも言える、非常に濃密な空間であったように思います。
ところで私は記憶力がなくて、昔の事は割とすぐに忘れてしまうのですが、齋藤君や恩田君、増井君、石塚君に初めて出会った時の事はなぜだかよく覚えています。みんな気持ちのいい奴らで、これはすごくいい出会いだと当時思いましたし、今はより強く、そのように思います。
私は一般に、大学における当局の学生管理強化、一方的規制、弾圧を許しません。どういうわけだか学生運動みたいな事をやっている私の、活動理念は根本的にはこれに尽きます。しかし法大闘争には加えて、あんな気持ちのいい奴らを弾圧する法大当局(+警察権力)ナンセンス!!という思いがあります。
だから私はこれまでもこれからも、微力ながら法大文連とともに闘います。毎日行くわけにはいかないけれど。もう法大当局はキャンパスに入れてくれないけれど。交通費は少々かかるけれど。
法大闘争はまだ終わらない。私の中でもまだまだ終わらない。恩田たちを奪還し、法大―都立大―そして全国大学において自由を獲得すべく、私も共に闘っていきます。
祝・文連ブログ1周年!
一刻も早く恩田を奪還し、再びブログ記事を書かせよう!

東京都立大学学生 伊藤拓也

コメント
キヨシロー愛してるぜ!

どうしたんだい ヘヘイ在校生 自由と進歩は俺たちのもんだぜ!
こんな時に発射出来ないなんて!
【2009/05/05 01:33】 | モッカー #- | [edit]
Himno de Mauricio funes, Cierre de campaña del municipio de la unión


URLhttp://www.youtube.com/watch?v=gITod8QHzCs&feature=related



<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/gITod8QHzCs&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/gITod8QHzCs&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>

エルサルバドルの議会、大統領選挙で勝利したFMLNの動画の模様です。闘う民主の勝利は世界の流れです。

日本の左翼運動のみなさんも、このような「開放的」な雰囲気と勢いを獲得してください。

織田さんの「ますますこのブログを歴史的な記録物としての意味を成長させ、歴史的な勝利を記すまでフル回転し続けるようです」という言葉
私も共感する思いで眺めています。

チリの民衆、エルサルバドルのFMLNの勝利は世界史の流れです。ここに確信をもって私もあなたがたを支援したいと考えています。

日本の闘う人々は次の選挙では、民主党・社民党に投票しよう!
【2009/05/05 03:24】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
エルサルバドルで左派FMLN政権樹立


中米のエルサルバドルで左派政権が樹立されることになった。FMLNは長年の闘争の結果、合法政党に転換して初の選挙における勝利だ。これは非常に画期的な出来事であり、世界の民主主義にとって歓迎すべき事態だろう。



多くの日本人のイメージと異なり、米国の中南米に対する支配は過酷を極めるものである。中南米諸国では冷戦の影響から右派(軍隊・警察・富豪)による政権支配が米国によって事実上容認されてきた。これらの勢力は国内に「死の部隊」と呼ばれる自国民の虐殺部隊を組織し、反対勢力を根こそぎ暗殺して回るという暴挙を繰り返してきた。



エルサルバドルでは、わずか人口500万人足らずの国にも関わらず、6万人以上の人々が米国(主にレーガン政権)から軍事・資金援助を受けた死の部隊によって虐殺されてきた。まさに、自由の国アメリカのダブルスタンダードを象徴するかのような地域だ。



当時、エルサルバドルではロメロ神父(ロメロ神父、20世紀の偉大な殉教者の一人とされる。カソリック上層部や政府に歯向かって世界に人権問題を訴えたが暗殺)がおり、ロメロ神父が暗殺されたことを発端としてFMLNが右派政権に対して内部紛争を開始した経緯があり、今回エルサルバドル国民が自らのFMLN政権を樹立したことは非常に評価に値する。



中南米における左派政権に関して、日本では独裁政権と呼称されることが多いが、彼らが何故民衆に支持されているのか、そして彼らの反米の思想がどこから来るのか、私たち日本人はもっと理解を深めるべきだ。


また、米国はレーガン政権時に絶対死守すべきと考えた中南米の地政学上の要衝において、親米派の右派政権が次々と転覆する状況をどのように考えているのだろうか。



イラクやアフガニスタンだけでは見えてこない、米国の本質は中南米に現われている。



☆ブログ『Geopolitik!!』より
http://ameblo.jp/geopolitik/entry-10225651027.html

【2009/05/05 03:39】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
旧反政府ゲリラ組織の候補が当選---中米エルサルバドル大統領選挙


中米の小国エルサルバドルで3月15日、大統領選挙が行われた。野党FMLNの候補マウリシオ・フネス氏が、僅差で与党の候補に勝利したのである。FMLNは1980年代の内戦で反政府ゲリラだった組織で、今回の歴史的な選挙結果はこの小国が世界的に報道される契機となった。反米的な言動で知られるベネズエラのチャベス大統領をはじめ、中南米では近年に次々と左翼政権が誕生。このような左傾化が、エルサルバドルにも押し寄せた形となった。


▼選挙の2週間前に現地を訪問
 
 私は今年3月上旬、この国に足を運んだ。隣国グアテマラから陸路で越えての入国だった。自慢ではないが、私は今回この国を訪れて、ラテンアメリカすべての国に行ったことになる。

 それまで私がこの国へ渡航しなかったのは、エルサルバドルに文化的な特徴がなく、特にめぼしい観光名所もないからだ。この記事を読んでいる人も、エルサルバドルの国情どころか、場所でさえ知らない人も多いに違いない。

 エルサルバドルのことが日本で最も多く報道されたのは、1980年代の内戦に関してだろう。それまでの弾圧的な親米軍事政権に対して、FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)という反政府ゲリラ集団が組織され、1980年に内戦が勃発。1992年の和平合意まで、およそ7万5千人の犠牲者を出した。ちなみに、映画『イノセント・ボイス---12歳の戦場』(2006年日本公開)は、この作品の脚本家が自分の体験をもとに、1980年代の内戦の様子を描いている。

 さて、私がこの国に滞在していた時は大統領選の2週間前で、選挙運動の真っ最中だった。与党ARENA(民族主義共和同盟)と野党FMLNは、街中の選挙広告の数はざっと見た感じ同じくらい。最近の世論調査でも両党は拮抗していた。ただ私の印象としては、貧困層に支持の高いFMLNの方が、勢いがあるように思われた。


FMLNの巨大な選挙ポスター



▼それまでの親米政権が崩壊
 
 1992年の和平合意によって、エルサルバドルの内戦が終結した。反政府ゲリラのFMLNは政党として合法化され、野党として国会や地方自治体に議員を輩出する。民主的な政権が誕生したが、内戦で壊滅的な被害を受けたエルサルバドルは、親米的な政策をとるほかに手段がなかった。

 与党ARENAは、米国べったりの政権だった。1989年からのARENA政権は、対米従属と新自由主義路線を続けていた。米ブッシュ政権時代にエルサルバドルは、中南米諸国で数少ないイラクへの派兵を実施。一方で貧富格差の拡大や犯罪増加などの諸問題は解消されず、20年間の政権は疲弊して国民の支持を失っていく。

 2006年3月の国会および自治体の総選挙で、ARENA政権を揺さぶる選挙結果が出た。首都サン・サルバドルの市長に、野党FMLNの女性候補ビオレータ・メンヒバル氏が当選したのである。また2009年1月の総選挙では、FMLNが国会で第一党に躍り出た。

 今回の大統領選挙で当選したマウリシオ・フネス氏は、テレビ局の記者やレポーターとして活動してきた。また近年は政治討論番組の司会者として知られ、ARENA政権を激しく批判することもあったそうだ。そんな著名なテレビキャスターを、FMLNは大統領候補として立てる。反政府ゲリラだったFMLNが、戦闘員経験のない候補を立てた初めての選挙でもあり、より幅広い有権者の支持を集めることとなる。


▼中南米の左傾化とこの国の行方
 
 私が各国を取材し、庶民の声を聞いてきた経験からも、中南米では全般的に反米および嫌米感情が高いと言えよう。これはかつて米国が中南米を裏庭と化して、自分たちに都合のよい政策を押し付けてきたからだ。さらにグローバル経済への反発、イラク戦争による嫌米感情の高まりも影響している。

 ベネズエラのチャベス大統領に代表されるような反米的な国家元首が、近年ラテンアメリカでは次々と誕生。こうした中南米全域の左傾化が、エルサルバドルにも押し寄せた形となった。今やこの地域で親米路線を続けているのは、メキシコやコロンビアなど少数派である。

 エルサルバドルでの大統領選挙に関してだが、FMLNは去年の一時期、圧倒的な支持を集めていた。しかし与党ARENAが盛り返し、選挙直前の世論調査では両者が拮抗。得票率の結果はFMLNが51.3%、ARENAが48.7%と、僅差での勝利となった。

 FMLN新政権は外交面では、反米的な近隣国との接近も考えられる。1959年の革命後に国交を断絶した社会主義国キューバと、国交回復が期待される。しかしマウリシオ・フネス氏は選挙公約の中で、米国とはある程度の関係を維持すると表明。中道左派のブラジル、チリのような、穏健な政権になると予想されている。

 選挙結果に見られるように、この国の世論は二分している。また今年1月の総選挙では、首都サン・サルバドルのFMLNの現職市長が、再選ならずに敗退した。こうした状況からも、新大統領は難しい舵取りを強いられそうである。



【関連情報】

○外務省 各国地域情勢/エルサルバドル


○エルサルバドル議会選、元左翼ゲリラが第1党に(AFPBB News)
 今年1月の総選挙に関する記事


○中米エルサルバドルの総選挙(JANJAN)
 2006年の総選挙に関する筆者の記事
http://www.news.janjan.jp/world/0604/0603311706/1.php?action=tree

○映画『イノセント・ボイス---12歳の戦場』公式サイト


○『イノセント・ボイス---12歳の戦場』映画評
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5898


【編集部ピックアップ関連情報】

○毎日がラテン 「サルバドル 遥かなる日々」2009/03/17 
 この映画は1980年1月にFMLNが首都サンサルバドルを一斉攻撃した
 事件を中心に、その前後のエルサルバドルの恐ろしい現実を描き
 出しています。実は、私は1979年末にグアテマラに着き、80年3月に
 エルサルバドルに入りました。この時、この地域の情勢をまったく把握
 していなかった私は、平気で旅行していたのですが、バスで一緒になった
 カナダ人と話をしていて、エルサルバドルではすさまじい内戦が起きて
 いて、多くの人が死んでいると聞かされました。そして、
 「絶対にエルサルには行くな。死ぬぞ」と忠告されたのです。



☆『メディアサポール』より一部省略の上抜粋して紹介しました
http://mediasabor.jp/2009/03/post_615.html

FMLNの勝利は、新自由主義に抗する世界の流れの証です。
【2009/05/05 03:44】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]


(韓国・民衆言論 チャムセサン 2009年3月23日付)

http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&id=45847&page=1&category1=38





エルサルバドル“FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線党は社会主義路線に忠実である”







〔インタビュー〕

ニディア・ティアス‘ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)’の前司令官に聞く。







○アメリカ帝国主義を後ろ盾にした軍事独裁政権に対し、社会主義を指向する軍事的政治的組織として戦ってきたFMLNは、1992年の停戦協定の後、合法政党として、2003年の国会議員選挙で第一党となる。しかし、政権は、エルサルバドルの民衆虐殺の歴史を引きずる(アメリカを後ろ盾にした)軍政与党・民族主義共和同盟(AREAN)が支配してきた。3月15日行われた大統領選挙で、はじめてFMLNが勝利し、軍政与党を打ち破った。いま南アメリカはキューバを先頭に、ニカラグア、ベネズエラ、ボリビア等の「社会主義」を志向する民衆に支持された、左派政権が次ぎ次ぎと登場しつつある。(訳者・注)









マルコス・サルガド/2009年3月23日(www.deci.me)





初めて、エルサルバドルに、名実共に左派政権が出来た。これは、その形態と重みから、小さい事件ではない。米国によって保障された右派独裁政権に抵抗したゲリラ集団の過去、連合体だったFMLN(ファラブンド・マルティ解放戦線)が普通選挙を通して勝利したのだ。FMNLは、過去決して刑に処せられず、大虐殺を犯した軍部の組織である、全国共和連合(ARENA)の、選挙勝利を目的とするあらゆる行為による恐怖を抱いて、広範囲な選挙戦を繰り広げる他なかった。





ニディア・ディアスは、新しいエルサルバドル政府の公式代表者だ。ゲリラ司令官であると同時に、FMLNの国会議員、核心の構成員として、ブエノスアイレス大学ラヂオとの、今回インタビュウを通して、中央アメリカで最も小さい国エルサルバドルの歴史、新しい希望と新しい時期の挑戦に対して話した。



                                                                       





△左からダニエル・オルテガ、ニカラグア大統領。ウーゴ・チャベス、ベネズエラ大統領。ニデァ・ディアスFMLN前司令官。

〔出処,www.deci.me 〕







○‘FMNLは、エルサルバドルでほとんど20余年の間、野党であった。今回大統領選挙の勝利は、何を意味するのか?’





「まず、3月15日の勝利は、過去数十年にわたって、あらゆる民衆達によって成し遂げられた事を明らかにしたい。エルサルバドルには、実際は、ただ一度も民主的政権交代が達成されたことが無い。交替で政権を移譲されたり、クーデターで執権した極右が全部だ。過去数十年間、エルサルバドルは軍部独裁の下にあった。急進政府が出て、何かをしようとしたにも拘らず、米国に完全に従属された政策となり、高位職を占める行政システムによって失敗してしまった。しかし、ただ一度も、選挙を通して、左派と中道左派、急進民主勢力が国家の公式権力と行政首班に就くことが出来る可能性を持った事はなかった。





○‘ゲリラ組織を動員解除した以後、今日に至るまでに変化したものは何か?’





「12年間持続された武装闘争の終わりに、今から17年前、政治的協定を通して独裁政権にけりをつけた。それ以後民主化過程が始まったが、1989年から執権して来た政府与党ARENAが、民主化を妨害して封鎖した。

その時からARENAが、実際権力と経済権力を握って、過去17年間の平和協定で始められた民主化過程と相反した、新自由主義のモデルを強制した。人々はこの時期を、我が民衆が経験したものの中で、最悪の危機として考えた。貧困と失業、移民、犯罪と一緒に来た経済的危機へと言うわけだ。エルサルバドルは再び前のように不安定になった。最も大きい問題は、物価の急上昇による購買力の喪失だった。その次の問題は、失業、貧困であったし、三番目が社会犯罪の増加による市民の不安全だった。このあらゆる問題は、過去17年ずっと、持続された。その中で人々は平和を願う事となる。状況を代え、これ以上ARENAの執権が継続されないことを願うのだ。ARENAは、問題を解決する能力が無いと言うことを、十分に見せてくれた。ARENAの専制的統冶方式は、貧しい人々は更に貧しく、金持ちは更に金持ちにしただけだった。」





○‘FMNLは、どんな方式で変化の中心勢力となったのか?勿論あなたの人生自体で、答えを探すことが出来るが。’





「私は、1980年設立当時からFMNLの一員と言うことと、1971年からゲリラ司令官としてゲリラに参加した事を栄光であると思っている。平和協定に署名した当事者だったし、94年国会議員になった。更に副統領候補者になった事もあり、現在は国会議員だ。FMLN建設過程と発展に寄与して来た。一方では、30、40年間進行された70年代闘争の前線が、独裁を終息させる為に強力な人民戦線を形成した。政治社会的闘争だけでは成功する事が出来なかった。(軍事独裁政権による)軍隊、軍隊政治によって、バラバラにならなければならなかった。この軍部独裁時期には意見を出す事だけでさえも、罪が成立された為だ。市民戦争以後、再び人民戦線のFMLNが結集し、協定を締結し独裁にけりをつけた。民衆とFMLNが先頭に立った闘争を通して、数十年間抑圧されてきた自由と権利を再び打ち立てた。以後、最近17年の間に自由な環境が作られたし、FMLNが大統領選挙に当選するぐらい最も大きい政治勢力として変化、発展してきた。FMLNは、左派が矮小して滅びるものと言う、既得権層の大言壮語とは違って、常勝長躯する左派勢力の総結集体だ。

結局、我々は勝利を掌握した。限界を乗り越え出した。平和協定で作られた各種制度に対する度外れた妨害と歪曲にも拘わらずである。」





○‘ARENAの選挙戦略によれば、あなた達が取るに足りないと悪宣伝していたが・・・’





「彼等は今、完全に気力を喪失した。どうしてかと言えば、FMLNが地方選挙で多数党となった後、ひと月だけで、執権左派政府が出来るだろうとは思わないと考えた筈だから。FMLNは、過ぐる時期の間、蓄積して来た政治的大同盟と一緒に、6月1日から新しい政治を始めるはずだ。」





○‘新しい政府で、連帯勢力はどの範囲まで含むのか?’





「エルサルバドルを、取り替えることを願うあらゆる人々と連帯するだろう。そこで、<変化のための大同盟>と称するのだ。これと関連して、マウリシオ大統領当選者また、同様に、“マウリシオの友人達”と言う名前で広範囲の運動を発展させた。こんな意味で<連合戦線>があらゆる部門で、真正な最高権力と、代案となるのだ。6月1日からは、多様な公共政策を発展させながら、この国を運営して行くだろう。」





○‘この17年間、FMLNが変わったと言う事なのか、それとも反対に、初期の主要路線を固守していると言う事なのか?’





「FMLNは、指向するところ(社会主義)を失っていない。正体性を固守する。初期、建設と発展過程で、試行錯誤が無かったと言う話は無い。しかし、政治政党としてのFMLNを設立して、選挙体制に登録した以後から、FMLNは、70、80年代の闘争を通して蓄積した原則と価値を発展させてきた。この原則は綱領として表現されており、FMLNを構成している五つの組織を貫いている。2001年には、民主的変革闘争を社会主義路線にするとともに、異なる目的持って互いに協力した。

この様に、搾取無く、性差別、環境差別の無い公平な平等社会を具現する為の先決条件を発展させて行った。即ち完全な自治社会を具現するためにだ。」





○‘その自治社会の具現は、どんな核心的政策で表現されるのか?’





「我々は、ずい分前から国家プロジェクトを持って来た。エルサルバドルが指向するものは、即ち平等と、あらゆる民衆の経済的発展に基く公平な正義の民衆自治社会だ。こんな意味を盛った政府政策は、すでに92年、94年、99年2004年のチャピク(2006年死亡したFMLNの歴史的指導者)によって発表された。現在、我々はこんな政策基盤を、2007年9月から2,008年8月まで進行された住民参与機構を通して発展させている。この住民参与機構には33箇所の地域が参加し、14の部門と米国の7つの支部まで全部門が参加する。これは政府プログラムを、構造化するところまで至った。このプログラムは、この様なFMLN全国会議で提起された“希望が出て、変化が来る”と言う言葉で称される。その場所にマウリシオ・プネスがいた。彼は、正確にはFMLNの成員ではなかったが、社会指導者、新聞記者として、このプログラムを取りまとめた。マウリシオは自身の見解を明らかにしたし、固い信望を受けることが出来た。その後、選挙戦を通して政策綱領を発展させていった。マウリシオは現在、我々が直面した危機、世界経済の利己の衝突を克服する法に対する細部的計画を持っている。状況を即刻解決することが出来る働き場所の創出、女性が平等に仕事をする権利を保障する社会統合計画を整備している。」





○‘最後に、隣国との外交政策はなにか?特に隣国のホンジュラスとニカラグアが所属したALBAの様な地域統合体に対する方針はなにか?’





「大統領当選者のマウリシオ・プネスは、国際政策、イデオロギー無しに解放されて、広範囲な世界協力政策を拡げる計画だ。これはこの間、エルサルバドルで進められて来た政策などとは、差別化された政策となるものだ。ここには、その間の経済的外交的関係が全く無かったキューバまで包括するものとなる。エルサルバドルは、キューバと外交関係が無いラテンアメリカの唯一の国だ。マウリシオは、“今大統領となったが、キューバと外交関係について話しをする。”と語った。この様にガテマラ ホンジュラス コスタリカ パナマと外交政策を拡げる予定だ。この国々の間に取り交わす利益が、多次元的であるために期待されるところが大きい。我々は既に、脳熱病、伝染病を治療するのに、キューバで勉強した医師達と、キューバから来たキューバ人医師達に助けを受けてきた。その上、ベネズエラとキューバが発展させた‘奇跡のミッション’(医療支援連帯)の結果、視力を失った7千名以上の患者が手術を通して視力を回復したと言う事実を知っている。即ち、我々は、一般民衆との関係でも、これ等国家で実行中である他の計画などを更に参考しなければならない。政府は、中央アメリカの統合関係もまた、優先視する計画だ。相互の協力を基礎に、あらゆる民衆達が一緒になった真正な統合の為に、今も懸命に努力している。」





(訳 柴野貞夫 2009年3月26日)







○スペイン語が理解できる方は、ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)ホームペイジ・アドレスは以下http://www.fmln.org.sv/




○益岡賢/訳 ウイリアム・ブルム著「アメリカの国家犯罪全書」2003年、作品社の、サンサルバドルの項抜粋・以下

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/kh54.html


☆『柴野貞夫時事問題研究会HP』より抜粋しました
http://www.shibano-jijiken.com/SEKAI%20O%20MIRU%20SEKAI%20NO%20SHINBUN%20150.html
【2009/05/05 03:50】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
中米エルサルバドルに中道左派政権誕生

1.エルサルバドルで中道左派政権が誕生

 さる3月15日、中米のエルサルバドルで大統領選挙が行われ、元マルキスト・ゲリラ組織のファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMNL)が推したテレビ記者マウリシオ・フネス(49歳)が勝利した。
 フネスは、選挙事務所のシェラトン・ホテルのバルコニーから、「Si Se Pudo !(Yes We Could)」と叫び、国旗を振り、車のホーンを鳴らした支持者たちに応えた。明らかにこれは米国のオバマ大統領選挙を真似たものであった。これでは誰もフネスを「反米」とは言えない。
 エルサルバドルのFMNL政権の誕生は、ニカラグア(2006年)、グアテマラ(2007年)、ホンデュラス(2008年9月)に続く左派、中道左派政権の誕生に続くもので、南米の反米・左派政権誕生の波が中米にも及んできたことを示している。とくに中米は「米国の裏庭」と呼ばれてきたので、この地域が米国離れをはじめたことは、米国にとって大きな打撃である。その中米諸国の中でも、唯一、公然の親米国エルサルバドルを失ったのである。
 今回のFMLNの勝利は、この国を130年間に渡って支配してきた軍とオリガーキー(寡頭制)の支配を終わらせることになった。
 フネスは、49歳、86年にテレビ局の記者としてジャーナリスト活動を始めた。政治討論番組やインタービュー番組での厳しい政府批判を行い、人気が高かった。91年から16年間、米CNNのスペイン語放送のリポーターであった。
 大統領の任期は5年で連続再選は禁じられている。フネス大統領自身はゲリラとしての経験はなく、中道左派政策を施行すると言っている。
 フネス新大統領の対立候補は右派与党の「民族主義共和同盟(ARENA)」が推した元警察長官ロドリゴ・アビラ候補であった。フネスの得票が51.4%であったのに対して、アビラは48.6%に留まった。
 ARENAの選挙戦術は、人気の高いフネスに対する個人批判は避け、もっぱら彼がゲリラのFMNLに近いことを非難した。さらに、ベネズエラのチャベス大統領が唱える社会主義の実情として「街頭デモ」や「兵隊の行進」のシーンを、「チャベスの顔」と同時にARENAが支配しているすべてのテレビ・コマーシャルの間にサブリミナルの形で流した。
 エルサルバドルでは「社会主義になると戦争が始まる」と信じられていた。これは「フネスを大統領に選べば、FMLNがエルサルバドルを社会主義に売り渡すぞ」という警告であった。これは功を奏した。選挙戦の当初、フネス候補はアビラ候補に2桁台の差をつけていたが、占拠の結果では僅差の勝利に終わった。
 3月15日の投票日には、ARENAは近隣の国から偽の投票用紙を持った人を連れてきて投票させた、とフネス派は非難している。
 しかし、エルサルバドルの大統領選を監視したJose Antonio de Gabriel・EU選挙監視団副団長は、「大規模な選挙違反はなかった。ただし、与党のARENAが、財政支出をできる立場にあり、また多くのメディアを支配していることから、ネガティブ・キャンペーンが可能であった」ことを認めている。

2.エルサルバドルの現代史
 中米では、1979年にニカラグアでサンディニスタによるマルキスト革命が勃発した。
 米国にとって、これは全く許しがたいことで、隣国ホンデュラスを使って、「コントラ」と呼ばれた反革命戦争を行った。この時代に同じ中米でマルキストのFMLNゲリラが台頭したことは、米国にとって、さらに許しがたいことであった。
 親米・右派のARENAと左派ゲリラのFMNLは、1981年、相互に対立する勢力として誕生した。以後、内戦が12年続いた。この間、レーガン政権下の米国は対ゲリラ戦用の武器援助を行った。米国は、当時人口700万人の小国エルサルバドルを東西冷戦の縮図と見なしていた。
 1992年、内戦は終わった。ゲリラは武装解除し、FMLNは一政党となり、国会や地方議会に議席をえた。とくに首都サンサルバドルでは、今年3月に敗北するまで12年間にわたって市長と市議会をFMLNが支配してきた。国会では FMLNは最大政党であった。 
 しかし、大統領選挙ではゲリラ風の選挙スタイルがネックになって、長い間野党の座に留まった。「コマンダンテ(ゲリラ司令官)」を思わせない、選挙民に受け入れやすい候補が必要であった。それには、今回のフネス氏は理想的な候補であった。
 一方右派のARENAは、1989年以来、20年間、政権の座にあった。ARENAの創設者Roberto D’Aubissonは、米国の悪名高い「School of the America」卒業で、内戦中、悪名高い「死の部隊」を組織した男である。そして、ARENAは財界と軍隊の援助を受けたのと同時に、社会保障にも力を入れた。その結果、一部ではあったが貧困層の支持をうけたのであった。今回の大統領選でもARENAのアビラ候補は自宅を売却したり、デイケアセンターを開設したり、職業紹介所では失業者と並んで写真を撮ったりした。
 にもかかわらず、ARENA政権の下では、親米、親オリガーキーの政策の結果、1990年代以来、経済成長率は4%以下に停滞した。人口の半分が貧困下にある。
 2001年には、ARENA政権は、エルサルバドル通貨を「米ドル」にした。その結果、失業は増加し、生産性は低下し、そして、治安が悪化した。首都サンサルバドル市内北東のスラム地区La Chacraはトタン屋根、そしてギャングの暴力と麻薬が充満している。それだけでない、ARENAは少数の大企業を富ませ、競争を許さない「クロニー(仲間)資本主義」であった。
 2004年の大統領選挙では、FMLNの伝説的ゲリラ司令官で元共産党党首のSchafik HandalとARENAのAntonio Sacaが闘った。2人ともパレスチナ出身であることは興味深い。ブッシュ政権が、最大のARENA援助を行ったため、Handalが敗北した。

3.FMLN政権の政策
 フネス大統領は、ブラジルのルラ政権をモデルにすると言っている。つまり、穏健な中道左派路線で、外国資本の投資を歓迎している。
 フネスは選挙後に行われた「The Nation」と「New America Media」のインタービューで以下のように答えている。
 フネスは、憲法が実行され、法の秩序が守られるように国家機能を民主化する。これは、とりもなおさず、外国への移住の抑制につながる。これは米国にとっても恩恵となるはずだ。なぜなら人びとが外国に移住するのは、国家から見放され、職もなく、尊厳のある生活を続けることが出来ないからだ、と言う。エルサルバドルの人口の4分の1は米国に移住している。
 また、先に米国との間で締結された「中米自由貿易地域(CAFTA)」からの脱退、通貨のドル化、ベネズエラなどの南米協定などへの加盟などについては、米国と投資家を刺激することになるので、当分、考えていない、とも語った。
確かに、フネス氏は、選挙の数ヵ月前、ワシントンを訪れ、当時米国務省のラテンアメリカ担当官であったTom Shabbonと会合している。その結果、エルサルバドルの大統領戦では、オバマ大統領は「中立」を保った。
 国内政策としては、フネス大統領は、これまでの金持ち優先の政策から、貧困層優先の政策に変えていくことを誓った。それは内戦中に右翼に暗殺されたロメロ大司教の教えでもある。


☆『北沢洋子の国際情報』より抜粋しました。
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2009/birth_of_leftcenter_gov_salvador.htm
【2009/05/05 03:53】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
中米のエルサルバドルで行われた大統領選挙で、
米国とは一線を画し、現政権が進めてきた「新自由主義」からの脱皮を主張した
ファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)が僅差で勝利しました。

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     当選した「FMLN」のマウリシオ・フネス氏

南米でのベネズエラやチリ、ブラジル、ボリビア、アルゼンチンなどに続き、
中米でもパナマ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル
と、米国の経済支配を廃した民主国家が広がりつつあります。

中南米を一つの経済圏とする構想も練られつつあります。
新しい動きに目が離せません。
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エルサルバドルに左派大統領
  新自由主義・対米従属 転換選ぶ
     中米にも変革の波
2009年3月17日(火)「しんぶん赤旗」
 【サンサルバドル=島田峰隆】
中米エルサルバドルで十五日、大統領選挙が行われました。

中央選管によると、開票率90%の段階で、新自由主義からの転換を掲げるファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)の
マウリシオ・フネス候補(49)が
約51.3%を獲得、
親米右派与党の民族主義共和同盟(ARENA)の
ロドリゴ・アビラ候補(44)の
48.7%を上回り当選を確実にしました。

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中南米の左派・中道左派政権の国ぐに
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 FMLNは、一九九二年の内戦終結後に合法政党になって以来、四回目の挑戦でついに政権を獲得しました。

 国民は八九年から続くARENA政権の新自由主義と対米従属の政治の転換を選びました。FMLNの勝利は、南米に広がった変革の波が親米右派の牙城とされてきた中米にも着実に広がりつつあることを示しました。中南米三十三カ国のうち左派・中道左派政権の国は十六カ国となりました。

 フネス候補は同日夜、「希望を持ち続けた国民の勝利だ」と勝利宣言しました。同候補は「国民に選ばれた大統領として、特に排除されてきた貧困層が参加する政治を行う」と約束。外交では「中米統合の促進と対米関係の改善を最優先課題とする」と語りました。

 また同氏に票を投じた国民に感謝すると同時に、「国の再建へ力をあわせよう」と国民の協力と団結を呼びかけました。

 これまでのところアビラ候補は特にコメントしていません。同陣営の代表者はメディアに対し、「最終結果を待つ必要がある」と語りました。

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 エルサルバドル
 面積は日本の四国よりやや広い二万一千四十一平方キロ。人口は六百八十五万人。公用語はスペイン語。75%がカトリック。二〇〇七年の一人当たり国民総所得は二千八百五十ドル(世銀調べ、日本は三万七千六百七十ドル)。一九八〇年からFMLNと右派軍事政権の間で内戦が続きましたが、九二年に国連の仲介で双方が和平協定に調印し、内戦が終結しました。
 


2009年3月17日(火)「しんぶん赤旗」

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左翼フネス氏が勝利宣言=初の政権奪取-エルサルバドル大統領選(時事通信) - goo ニュース

中南米に新たな左派政権、エルサルバドル大統領にフネス氏(読売新聞) - goo ニュース

米、エルサルバドル大統領選で勝利したフネス氏を祝福(時事通信) - goo ニュース

「赤旗」 主張 2008年3月17日


【主張】
エルサルバドル選挙
米国のくびき破る歴史的変革
              2009年3月18日(水)「しんぶん赤旗」
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 中米エルサルバドルの大統領選挙で左翼・ファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)が勝利しました。エルサルバドルは一九八〇年代の内戦で米国の軍事干渉を受け、内戦終結後も政治的、経済的に米国の支配のもとにおかれてきました。

 ベネズエラでチャベス政権が誕生して十年。この間、自主的な変革の波は中南米全域に広がってきました。今回の選挙で、米国の忠実な同盟国であり続けてきたエルサルバドルでも、自立した国づくりを求める国民の意思が明確に示されました。

米国の支配下で
 選挙では「変革」を掲げたFMLNのマウリシオ・フネス候補が、民族主義共和同盟(ARENA)のロドリゴ・アビラ候補(元国家警察長官)を破りました。

 エルサルバドルは隣国ニカラグアとともに、し烈な内戦で知られます。大土地所有者による収奪と軍事独裁による弾圧に抗して立ち上がったのがかつての解放運動指導者の名を冠したFMLNでした。

 一方のARENAは、内戦中に解放運動参加者を次々に暗殺した「死の部隊」の頭目だった極右のダビソン大佐が創設しました。内戦は九二年に終結しましたが、ARENAは今日に至るまで二十年間政権を握ってきました。

 エルサルバドルは米政策に忠実に追随してきました。ブッシュ前米政権の要請に応じてイラクに派兵し、多国籍軍の駐留を認めた国連安保理決議の期限である昨年末まで派兵を継続した中南米唯一の国でした。

 経済でも米国の押し付けた弱肉強食の新自由主義政策を積極的に推進し、貧富の格差が拡大しました。かつてコメを輸出したこともあったこの国で、米国からの穀物輸入が急増し、農業が崩壊しました。その結果、数年来の世界的な食料高騰では都市の中間階層でも食料が入手できない事態に陥りました。電力に続いて水道事業も民営化が計画され、生活を脅かすとして広範な国民が反対しています。

 ARENAの長期支配を可能にしてきたのが米国の干渉です。内戦終結後に実施された三度の大統領選挙で米国は、FMLNが勝利すれば対米関係が悪化し、在米エルサルバドル人による本国への送金が困難になるなど経済的に大打撃を受けると主張して、有権者を威嚇しました。

 今回の選挙でFMLNは米政府に対して、政権党を利する見解表明をしないよう求めました。米政府も中南米と世界での一国覇権主義の破たんに直面して、選挙での中立と次期政権との協力を約束しました。米国は「公正選挙の実施」を他国への干渉の名目にしばしば使ってきましたが、今回の選挙は米国の干渉を排してこそ公正選挙が実現することも明らかにしています。

中米に広がる変革の波
 FMLNは対外政策で民族自決と不干渉、平和と連帯、地域統合などの諸原則をうたっています。選挙結果は中南米の平和の地域統合を一段と強めるものです。

 米国の干渉を排して自主的、民主的な国づくりをめざす政治変革の波は、南米から中米のパナマ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドルと続き、さらに広がる様相をみせています。


☆『ポラリス-ある日本共産党支部のブログ』
http://polarisjcpmetal.blog78.fc2.com/?mode=m&no=774
【2009/05/05 04:02】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
The Internationale sung by Barbara Scott



Barbara Scott leads the singing of the Internationale at the end of the two day SSP conference; October 8th 2006


URLhttp://www.youtube.com/watch?v=zOkSoQapeEM&feature=channel_page


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☆アイルランド教職員組合集会でのインターナショナル三唱の動画です。なお、別ではアイルランド高校教職員組合のデモの動画もあります。

世界でインターは歌われてきましたが、近年、世界の流れは高揚しています。

インターとデモのやり方も、日本の左翼に比べて「開放的」です。日本の左翼のみなさんは、こうした「開放的」な雰囲気をかもしだせば、もっと別のアプローチができるのではないでしょうか?


【2009/05/05 05:10】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
訂正します。

上記はスコットランド社会党(SSP)の集会とインター合唱でした。

なお、スコットランド社会党系の教員組合のデモの動画が別であるようです。


☆大衆的社会主義政党へ6議席を獲得          かけはし2003.7.28号より

スコットランド社会党(SSP)が議会選挙で大躍進

ゴードン・モーガン



 五月一日に行われたスコットランド議会選挙で、トロツキストをはじめとする革命派を軸にして形成された社会主義政党であるSSP(スコットランド社会党)が、六議席を獲得するという大躍進をかちとった。労働党から独立し、資本主義の打倒と社会主義革命をかかげた労働者政党がこのような位置についたことは、スコットランドの政治史でかつてなかったことである。SSPは、次の飛躍へ挑戦する決意を固めている。

 スコットランド社会党(SSP)は、二〇〇三年五月一日に行われたスコットランド議会選挙の結果、一九九九年の一議席から六議席へと議席を拡大した。この選挙の後、主要メディアは、グラスゴーで新たに選出されたSSPの議員であるロージー・ケーンの言動を連日報道した。彼女は、ハリーロード(スコットランド議会所在地)に「無作法」を持ち込むと公約していたが、しぶしぶ行った女王への宣誓では、ジーンズを着用し「私の宣誓は人民に対するものである」と書かれた手のひらを掲げて宣誓を行った。
 この四年間、メディアはSSPをワンマン団体、トミー・シェリダンの党と性格付けてきたが、それは明確に終わった。スコットランド議会はいまや正式に六党による議会となり、SSPはすべての委員会に代表を送る資格を得た。
 これはスコットランド議会にとって一七〇七年(スコットランド併合)以来二回目の選挙であった。一九九七年の住民投票によって新しい議会の創出が認められ、英国政府から一定の権力が委譲された。スコットランド議会は保健、教育、地方政府、運輸、警察および環境に対する支配権を持つが、英国政府は経済、国防および外交政策に対する支配権を維持している。また、スコットランド議会に関する規則を支配し、承認という手段や独自の税率引き上げを認めないことによって支出を制限することもできる。
 一九九九年の選挙は比例代表制によって行われた。その結果、労働党が多すぎる議席を獲得したが、それでも絶対多数を獲得できなかった。労働党は自由民主党との連立を余儀なくされ、この四年間政府を維持した。一九九九年の選挙では、スコットランド社会党と緑の党は百二十九議席の中のそれぞれ一議席を獲得した。
 このスコットランド政府は、スコットランドにおける社会的簒奪の過程の逆転が始まることを期待した人々を落胆させた。労働党に率いられた政府は、少数の例外を除いて、連合王国政府の政策に追随した。特に公共サービスの民営化に関してそうであった。労働党の目下のパートナーである自由民主党も、政策に関しては労働党と区別がつかなかった。
 野党第一党のスコットランド国民党は、この間たえず右に移行し、「企業文化」を支持し企業減税を追及している。同党は依然として親独立的であるが、EUおよびユーロの枠内でのことであり、したがって要求というより希望の表明に過ぎない。最後の公式政党である保守党は、しばしば労働党が保守党の政策を盗んだと文句を言っているような始末である。
 選挙の前段では、主要四政党はすべて親企業的であり、選挙綱領はほとんどの主要政策に関して同じであった。
 スコットランド社会党(SSP)は、一九九九年選挙の前段にスコットランド社会主義連盟から結成された。同党は共通プログラムにもとづいて極左派勢力の大部分を急速に結集し、一九九九年選挙でグラスゴーで一議席を獲得した。
 トミー・シェリダンの議席獲得は、人頭税への反対でトミーが有名であったことや他の労働者階級の闘争のおかげであるだけでなく、SSP自身の力によるものであった。一九九九年にはSSPの党員数は約四百人で、全体で四万六千六百票、二%の得票を得た。幸いにも、そのうちの一万八千六百票がグラスゴーに集中していた。これはグラスゴーの投票の七・二五%に相当した。
 一九九九年の成功の後、SSPは急速に党員を拡大し、運動を強化した。スコットランド議会議員を持っていることは党の存在を目立たせた。特に①約四万の貧困世帯を苦しめている懲罰的政策である担保売却(債務者世帯の家財を公然と没収して競売に付する野蛮な法律的処置)の廃止に賛成する超党派の多数派を構築したこと②学校給食費用徴収を廃止する法案を提出したこと――によって目立った存在となった。
 二〇〇一年には、スコットランドのSWP(社会主義労働者党。トニー・クリフ派トロツキスト)メンバーがSSPに加入し、党の内部構造と構成を党の成長を反映したものにする再編成が開始された。二〇〇一年の英国総選挙では、SSPは七万二千五百票、三・一%を獲得した。
 新SSP体制では、全国執行委員会および常任委員会が年次大会で選出される。これより構成人員の多い、主として支部代表で構成される全国委員会が、大会間の政策を決定する。ほとんどの機関および公共選挙候補者の男女比率五〇/五〇を保証する選挙制度が採用された。二〇〇二年末には、SSPは約七十支部、党員数二千五百となった。
 二〇〇二年の世論調査でのSSP支持率は、スコットランド議会選挙第一回投票については約四%、決定的な第二回比例投票では六%を超えていた。SSPは引き続きスコットランド全土であらゆる運動に参加した。特に目立ったのは、消防士の争議であった。二〇〇三年初めには、かなりの数の消防士がSSPに加入した。SSPは国際的運動への関与も続け、ヨーロッパ左翼再編成に向けての動きにも参加している。SSPの国際問題担当役員で新スコットランド議会議員でもあるフランス・カランが、第四インターナショナル世界大会にオブザーバーとして参加した。
 9・11以後、SSPは「戦争ではなく正義を」連合を設立し、イラク戦争反対の先頭に立った。あらゆるコミュニティでグループが設立され、学校生徒はストライキに突入した。緑の党も戦争に反対したが、スコットランド全体でメンバー数は約百五十人しかいなかった。
 戦争反対の規模が明らかになり、グラスゴーでは十万人のデモが行われると、主要政党は立場を変え始めた。スコットランド国民党(SNP)は戦争無条件反対の立場に近づき、SNP指導者は集会の壇上で実際に態度を変えた。自由民主党も同様であった。労働党と保守党だけが、議会で戦争に反対することを拒否した。世論調査での労働党支持率は崩壊し、選挙があれば敗北する数字を示した。SSPの支持率はピーク時には一〇%、緑の党は八%に達した。
 労働党にとって幸運だったことは、選挙の三週間前にバグダッドが陥落したことであった。世論調査の労働党支持率は回復した。
 戦争のために、スコットランド選挙に関する新聞報道は直前三週間に限られた。しかも、その期間中でさえ、一九九九年に比べて規模が限られていた。
 グラスゴーとエジンバラでは、一般選挙運動ではSSPはどの党よりも目立っていた。全体としてSSPは最も良く組織されたキャンペーンを展開した。四万枚のビラが配布され、二万枚は各戸配布された。党政策に関する高水準のビデオが二本制作され、三つのTVチャンネルで放映された。選挙運動をまかなうのに十分な資金が集められた。
 SSPの重要な当面の政策は、次のようなものであった。戦争反対、逆進的地方税の廃止と累進所得税への置き換え、公共部門の最低賃金七・三二ポンドと週三十五時間労働。SSPのメイン・スローガンは、独立した社会主義スコットランド、である。
 世論調査の気まぐれな数字で、バグダッド陥落後SSP支持率は六%に落ちた後、九%に戻った。特異な投票制度のために、SSPが何議席を獲得するかは不鮮明であった。実際の選挙結果は、すべての評論家を驚かせるものとなった。
 大幅に議席を減らしたのは労働党とスコットランド国民党で、それぞれ六議席と八議席を失った。重要なことは、投票総数が百九十万で、一九九九年より約四十五万票も少なかったことである。SSPの得票は十二万八千票(六・八%)に達した。さらに、SSPの票は議席のための二回の投票に関して確固としていた。第二回比例リスト投票の票が他に流れることはほとんど予想されなかった。世論調査によれば、SSPに投票するつもりであるという人の二%だけが、独立派(得票率九%)に投票したと考えられる。
 グラスゴーでは、SSPは三万一千票(得票率一六%)を獲得した。この結果を歴史的に見れば、スコットランド全土でのSSPの得票は、一九一八年以降、一九三五年の独立労働党の得票を抜いて、スコットランドでどの自称社会主義政党の票よりも多かったのである。
 緑の党はあまり選挙運動を行わなかったが、SSPよりわずかに少ない得票で七議席を獲得し、勝利者となった。SSPは強力な環境政策を持っているが、緑の党に投票した多くの人はSSPの社会主義的政策の一部を拒否することが予想されていた。緑の党のスコットランド議会議員の多くは社会主義者なので、われわれは多くの問題で協調できると期待している。
 戦争の期間中および選挙前の期間に、SSPは数百人の新しいメンバーを獲得した。これらのメンバーを強化し、党内の教育プログラムを用意することは重要な任務である。
 議会内にチームを得たことで、SSPは事務所や人員のための資金にアクセスできるようになり、これによってスコットランド全土で党の存在感を高めることになるだろう。さらに重要なことは、スコットランド議会議員は、スコットランド全体の貧困者や恵まれない人々に影響を与える問題を取り上げることができることである。
 幸いにも、SSPの当選した六名(女性四、男性二)の議員には、労働組合、環境問題、政治運動の経験豊富な人々がそろっている。議会的行動だけで社会を変革できると考えるのは幻想である。しかし、SSPはコミュニティ活動や直接行動を議会活動と有効に組み合わせてきた。これを闘争と共同行動のより高いレベルに高めることが挑戦課題である。
 SSPは、スコットランドの労働組合運動内の基盤を強化し、多数の左翼労働組合指導者が選挙運動中にSSPを支持した。今後、われわれは労働党の政策への労働組合の従属を打ち破り、労働党への直接資金提供を打ち破ることを目指して行く。
 SSP指導部は、成長や支持拡大がいつも続くと考えることの危険を十分承知している。これまでは、われわれは既成の権威や資本主義に対する脅威であるとは見られていなかった。したがって相応な挑戦を受けたことがなかった。いまやすでに、われわれはメディアの中傷キャンペーンを経験しており、これらは今後強化されるだろう。
 これらの攻撃は支持のゆるんだ部分には影響を与えるかもしれないが、主要な防衛策は党の運動、広範なコミュニティとの結びつき、メンバーの内部教育を強化することである。これらとともに、スコットランドおよびヨーロッパにおける資本主義の作用についてのわれわれの研究と分析を改善する必要がある。スコットランド議会議員に認められた資源を持つことの利点の一つは、この過程を進める研究グループを設定できることである。
 スコットランド全体での支持率を七%からグラスゴーで現実のものとなっている一五%へ上げ、資本主義政党に直接挑戦するという課題は、手ごわいがわくわくする挑戦課題である。その途上では明らかに後退のリスクも存在するが、いままでのところ、SSPは依然として資本主義の打倒を公約した社会主義組織である。社会主義革命を約束し続ける党を保証するためにどのように組織することが最善か、あるいは、そもそもそのような組織の必要があるのか、に関する公開討論が、SSP内のマルクス主義者の間で夏に行われる予定である。
 SSPが直面している挑戦課題は、イタリアの共産主義再建党やヨーロッパの他のグループが直面しているものと共通している。われわれは国際的な社会主義の達成を目指して彼らとの協力を続けていくつもりである。
 SSPの新聞の編集者であるアラン・マコームズは、この状況を次のように要約している。「われわれは未だ若い党であり、何世紀にもわたる伝統や偏見に挑戦している。われわれは躍進したが、われわれが自由にできるのは主流政党が自由にできる資源のほんのかけらに過ぎない。しかし、われわれの側の士気は高い。われわれは自分たちがどこに行こうとしているかを知っている。そこに到達する方法の詳細は未だ解明できていないが」。
 「旅の道のりは長い。しかし少なくとも、われわれは旅を開

☆『日本革命的共産主義者同盟第4インターナショナル日本支部機関紙 かけはし』より抜粋
http://www.jrcl.net/frame03728c.html
【2009/05/05 05:27】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
おめでとうございます

我々も団結と行きますか(`・ω・´)
【2009/05/05 08:34】 | ジョージ #- | [edit]
恩田くんや織田くんがカストロやレーニンになる可能制が本当にゼロじゃなくなくってきた 共産社民はすぐヒヨル いまこそ革命だ世界革命万歳 スコットランド社会党万歳 南米から米帝駆逐 世界の労働者万歳 労働者は美しい 万国労働者万歳
【2009/05/05 22:51】 | 北のチトー #- | [edit]
Himno al frente Sandinista


URLhttp://www.youtube.com/watch?v=ptZI0zfVk1s

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サンディニスタ讃歌 HIMNO DE LA UNIDAD SANDINISTA
【作詞・作曲】MEJIA GODOY CARLOS ARTURO
【訳詞】濱田 滋郎

1.進めわれらはサンディニスタ
  かざせ革命の歌
  開け歴史のとびらを
  起こせ解放の嵐を

  *進めわれらはサンディニスタ
   めざせ明日の光を
   築こう愛のニカラグア
   守ろう自由の祖国

  われらの太陽は勇士サンディーノ
  燃える怒りをわかるかヤンキー

2.進めわれらはサンディニスタ
  待つは新たな夜明け
  友の屍を乗り越え
  作ろう豊かな国を

  *くりかえし

  われらの魂は勇士サンディーノ
  胸の誇りをわかるかヤンキー


--------------------------------------------------------------------------------

中央アメリカのニカラグアの民族解放戦線 Frente Sandinista deLiberacion Nacional(略称 FSLN)のテーマソング。音楽家であり革命政権当時の国会議員だったカルロス・メヒア・ゴドイの作品です。
サンディーノは20世紀初頭の革命家。反米闘争などをくりひろげながら真の独立を目指しますが、アメリカ軍に訓練された国家警備隊の司令官アナスタシオモサ将軍に、1934年暗殺されてしまいます。1961年にニカラグアの革命運動=サンディニスタ運動が起こります。以来1979年の民族再建政府の樹立までFSLNを中心とした活動が続きます。しかし革命政権も80年の内部分裂、その後のレーガン政権の露骨な干渉などにより、1990年、総選挙で国民野党連合がサンディニスタ民族解放戦線に勝利,11年近く続いた革命政権は幕を閉じました。

エーちゃんはこの曲に取り組むために即席でニカラグアの歴史を紐解いてみましたが、かなり難解です。上記の簡単な説明では誤解が出るかもしれません。

この曲の原盤はFSLN公式ホームページでご確認ください。

サンディニスタ賛歌の原詩と対訳をご紹介します。音楽センターから出されたものですが絶版となっております。スペイン語の特殊フォントが使えないのでご了承ください。(Iwakichsky)


HIMNO DE LA UNIDAD SANDINISTA
Adelante marchemos,companeros
avancemos a la revolucion
nuestro pueblo es el dueno
de su historia
arquinto de su liberacion

Combatientes del Frente Sandinista
adelante que es nuestro el porevenir
rojinegra bandera nos cobija
Patria lible,Vencer o Mirir

Los hijos de Sandino
ni se venden ni so rinden
luchamos contra el yanqui
enemigo de la humanidad

Hoy el amanecer
dejo de ser una tentacion
manana algun dia surgiran nuevo sol
que habra de iluminar toda la tierra
que nos legaron los martires y heroes
con caudalosos rios de leche y miel

【歌詞対訳】八木啓代

サンディニスタ賛歌

前へ進め、同志たちよ
革命の方に進め
我らの民こそ歴史の主
解放を築くもの

サンディニスタ戦線の闘士たち
進め未来は我等のもの
赤と黒の機が我等を包み
自由な祖国、勝利か死か

サンディーノの子供らは
その身を売らない、屈服しない
人間性の敵
ヤンキーと戦う

今日、曙は
誘惑ではなくなった
明日、いつの日か新しい陽が出て
すぐにでも大地を照らすだろう
殉教者も英雄も満たされた
乳と密の豊かなる河のもと

http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/sundhi.htmlから一部抜粋

☆中央アメリカのニカラグアの民族解放戦線 Frente Sandinista deLiberacion Nacional(略称 FSLN)のテーマソング。音楽家であり革命政権当時の国会議員だったカルロス・メヒア・ゴドイの作品です。
この革命歌を闘う法大のみなさんに送ります。

極右軍事独裁政権はすべて打倒されています。日本の民主化運動の前進のために、世界Rを掲げるあなたがたはこういう革命歌をデモなどで使ってください。


世界の民衆はともに闘っていますともに闘わん!

法大に、ラテンアメリカ革命研究会、中南米革命研究会、中南米研究会などをつくってほしいです。

かつてアメリカの裏庭とよばれいずれも極右軍部独裁政権体制、新自由主義を実践した体制をほとんど民衆が乗り越えて打倒しました。

この勢いを東アジアのわが日本で実現しよう!



【2009/05/05 23:34】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]












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プロフィール

文化連盟

Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

法大闘争とは何か?


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