つれづれなること 11

 2009-05-10
絶対的なものは存在しない。

絶対的正義など、存在しない。

現代に生きていればこれくらいは常識だろう。

どんなものにも、正当性は存在する。

毎度のことながら歴史の話で申し訳ないが、たとえば第二次世界大戦においてもそうである。
日本の一般的な歴史観(右翼が自虐史観と呼ぶもので考えていただけると助かります)でいえば、日本は約半世紀ほど前、アジアに侵略して大変迷惑をかけたことになっている。
しかしながら、だからといってこれに正当性が存在しないわけではない。
第一次大戦終了後あたりから欧米列強による日本の締め出しが画策されるようになった話は比較的知っていらっしゃる方は多いと思う。
その流れの中で、アメリカが中心となって日本への貿易規制を始めた。
もはや資源国ではなかった日本は、これによって非常に手痛いダメージを食らった。
中国市場進出を狙っていたアメリカとしても、日本を押さえ込まなければ自国の国益が害されてしまう、という正当性はもちろん存在していたが、この結果として、日本としてはすぐに他の国を植民地化する必要がでてきたわけだ。
もちろん盧溝橋事件など、手段は適切でないにしても、あの当時、本気で日本国のことを考えた人間たちのひとつの結果として日中戦争はあった(大恐慌やコミンテルンの動向など、諸所の要因も忘れてはならないが)。 マルキズムから言わせれば、そもそも「国益」という本質的にブルジョワジーの利権のために人民が動員されたわけなので、日本に限らず列強も不当→両国の労働者の団結で止めるべきである、ということになるのは重々承知だが、なんにせよ正当性は存在したのだ。
かといってあれが侵略でない、ということはありえない。現場の人間がどう思おうが、「大東亜共栄圏」を振りかざした日本が行ったことは、「マニフェストデスティニー」を振りかざした西欧先進諸国と何も変わらない。
まあ東京裁判は不当だし、本間・山下裁判も完全に罪をかぶせる方向性を間違えているとは思う。いづれにせよこのあたりの話はもう一度左右のイデオロギーを別にして検証しなおすべきだろう。

さて、ずれ始めた話を元に戻す。
要するに私の言いたいことはこういうことだ。
法政大学に正当性は存在する、ということである。
私がこれを言い出すといつも魔王・デュラン恩田に「女の子を付回すクズにそんなものない」と批判されるので、デュランがいない今がチャンスである。

法政大学の正当性とはいかなるものか。
もちろん、学習・研究環境の防衛などではない。
ひとことでいってそれは大学の営業権だろう。

新自由主義の「自由」とは「商業の自由」以外のなにものでもない。ゆえに、新自由主義的政策とは基本的に「規制緩和」として現れる。
大学における規制緩和とはもちろん「大学改革」である。「大学改革」=「産学連携」であるのは皆さん知っていらっしゃるだろう。
ではなぜ産学連携が学生の自由を奪うことへとつながるのか?
それについては興味深い発言があるので引用する。
2005年の大学経営協議会(各大学の総長・学長が集い、大学の経営について語り合う場)にて、首都大学東京(東京都立大学)の学長理事長(コメント主さん、ご指摘ありがとうございます)、高橋氏がこんなことを言った。
「大学の役割は企業と同じ。原材料を仕入れて、加工し、保証書をつけて企業に売る。これが産学連携だ。」
おわかりになられるだろうか?大学が学生の自由を奪う理由、それは「加工できない」からだ。

規制緩和は世界的にはグローバリズムとして、国境を薄め、移動の自由を強化した。そして企業は安い労働力を求めて世界へ向かう。しかしながらこれをやり続ければ空洞化を招く。新興国と張り合うために、結局今までと同じ賃金で二倍働ける人間、しかも「即戦力」を求めるわけだ。
この企業側のニーズに応えるため、大学としてはキャリアアップ路線をとるのが一定の必然であることは十分理解できる。
法政の平林総長は「良い人材を企業に送り出せば、その企業から寄付金が入る」とおっしゃっていたように、「産学連携」が利害の一致点なのだろう。
国立大学が規制緩和で競争に参入してきて(しかも補助金カットによって国立は最初から産学連携路線をとらねば潰れてしまうように仕組まれている)、大学の設立が自由化される中で、法政大学としてもいろいろ考えたのだろう。
しかし、法政大学は2006年3月14日に弾圧に踏み切った。裁判で元総務部長清宮氏が語ったように「大学として腹をくくった」ことは間違いない。

学生が「加工」の範囲を出ないようにするため、あらゆるものを許可制にする。たて看板・ビラまき・集会・・・。抗議をすれば業務妨害。
「問題は発見されて問題になる」わけだが、それを最も強烈な形で(ときにやりすぎな場合もあったようだが)行う政治的クレーマー・中核派のたたき出しは通らなければならない過程だった、というところか。

法政大学にも正当性は存在する。
しかしその正当性は社会の可能性を、未来を奪うものだ。
これは、一大学の気まぐれな規制強化ではない。全社会の問題である。

状況は明らかに劣勢。
だが、社会が人で構成されている限り、人が動けば何かが変わるはずである。
もう一度、自由が勝ち取られなければならない時なのかもしれない。

                                                   齋藤 郁真
コメント
斉藤さん、藤岡信勝や小林よしのりの登場以来そのような見方がいっけんもっともらしく聞こえ復権してきたようにありますが、その流れは実は湾岸戦争以降の自衛隊海外派兵と軍事同盟強化と改憲そのものの動機として、戦後の反戦意識を解体させるものとして打ち出されてきたという歴史的条件に伴っていることを知ってください。

そもそも、日本帝国主義の「侵略イデオロギー」や満州事変をしかけたのは、国柱会の石原莞爾と田中智学なんです。

日本「帝国主義」は世界恐慌以降、帝国主義諸列強と市場争奪しアジア侵略及びアジア市場囲い込みに打って出て延命しようとした諸結果(植民地を持たざる帝国主義国だった日独伊三国軍事同盟はそのひとつの表れ)として第二次大戦はあったわけで、それ事態が国体を自滅させてしまったわけですから、彼らの依拠したイデオロギーそのものが間違いだったのはいうまでもなく、「それしかありえなかった」ということではないのです。

また、「追い込まれた」というものではなく、金融資本を支配的な基盤とする「帝国主義」を体制としてとりいれた必然的結果として起こった歴史です。

戦後日本の体制は、そのようなものを反省した結果として登場したし、日本の周辺をふくむ東アジア圏においてもそのような歴史を踏まえた今として現在があるのです。

さて、問題は、その「侵略」と戦争動員のためにはたした、田中智学と石原莞爾らのイデオロギーについてです。

この人物らは、蒙古を撃退したとする「神国日本」を用いて、日蓮大聖人の仏法を悪用して、八紘一宇という造語をつくって第二次大戦を鼓舞し、アジアを囲い込みしたことにあります。

国家神道と明治憲法と軍部に取り入って日蓮大聖人の仏法を捻じ曲げて悪用した彼ら田中智学や石原莞爾自身が統括した国体そのものが自滅したのは、日蓮大聖人が『種種御振舞御書』いわく、天照大神は日本国に重き神なれど、諸天善神や仏釈迦(大聖人のこと)にくらべものにはならないゆえに、これを奉れば「かかる日蓮を用ぬるとも悪しく敬はば国滅ぶべし」ととかれてあるとおりになっただけのことなのです。

私がこのような指摘をするのは、私が正しい日蓮大聖人の仏法を信仰している日蓮正宗の信徒だからです。(したがって国家神道の復活を掲げる右翼らはこれに対して邪魔してくるわけです。)

また面白いことに、歴史修正主義や改憲論を鼓舞する出版物を戦後当初から出し続けているのは、国柱会信徒の経営する「転展社」なのです。

つまり彼らはあきらめていないわけです。

そこで、もうひとつ面白い指摘をしますと、現在の天皇は、戦前の大日本帝国憲法と日本国憲法をくらべた場合、従来の天皇家に即しているのは日本国憲法だと明言されていることです。

つまり主権在民と、象徴天皇制、そして平和的生存権などを骨格として現行憲法体制、そして戦後民主主義を天皇ご自身がとりわけ重要視されているということなのです。

したがって、右側の人はこのお心を深く拝しなければならないし、改憲をすすめている某政党の諸君もこのお心を拝しなければ保守政党としてはありえないのです。

とりわけ、石原都政下で米長教育長が、園遊会にて「私の仕事は、日の丸・君が代を生徒に歌わせることです」などといったため、天皇から強制はどうでしょうか?と逆に質問されたことが象徴的です。

ゆえに、天皇が大好きな人たちは、やはりこのお心を拝しなければならないのです。

少なくとも、「利用」してはなりません。

また現に、日本国憲法体制や戦後民主主義で現在の生活形態を維持したいと考える国民が過半数であるのは当然であるなかで、こんな体制を破壊しようと改憲を主張し、それも公務員の憲法遵守規定を自ら破壊するようにわめく統治権力者そのものが憲法違反なのはいうまでもありません。

そのような現状のなかで法大弾圧は統治権力側からの改憲攻撃として「自由にものをいわせない」という状況としてやられているのだと思います。

その点では、斉藤さんと同意見です。

したがって、戦後憲法をかけたほんらいの「体制内擁護者」として改憲攻撃と対峙する我々こそ正当であり、本来であれば統治権力そのものに対して存在してきた憲法遵守規定を自ら破るような主張をけしかけてきた自民党を、憲法遵守規定が当然掲げてある公安警察は監視し弾圧しなければならない話なのです。

ということで、話が広がってしまいましたが、今後も日本国憲法に規定している「表現の自由」をかけた同士としてあなた方を応援していきたいと存じます。

【2009/05/10 19:01】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
確かにそのとうりだと思うしかし今回の北朝鮮の発射で国会が総与党化してしまい、非常に恐いと思った蟻と象ほどの国力の差があるに今回の日本の対応は間違っている社民や共産はもっと粘るべきだった 洞口さんのファンは別にファンクラブのブログ書いたら(・・?) 日本憲法擁護連合に対してみんな冷たいよもう少し優しくしてあげましょう
【2009/05/10 21:27】 | 北のゲバラ #- | [edit]
たまにはまともなことを言うじゃないかww
【2009/05/10 21:30】 | ファック文化連盟 #- | [edit]
>まあ東京裁判は不当だし、本間・山下裁判も完全に罪をかぶせる方向性を間>違えているとは思う。

GOOD LUCK & GOOD BYE 文連。
【2009/05/11 01:20】 | #- | [edit]
「外国人追い出しデモ反対行動」救援会声明

4月11日、外国人「追い出しデモ」に抗議した二人の男性が埼玉県警蕨署に逮捕される事件が起きました。ひとりは「追い出しデモ」の主催者が掲げていた紙製の横断幕を「盗んだ」容疑で、もうひとりはそのおよそ3時間後、公務執行妨害容疑での逮捕でした。彼らの友人として、私たちは両名の救援を呼びかけるとともに、彼らの行動の意義と逮捕の不当性を訴え、埼玉県警に即時釈放を求めます。

この日、外国人「追い出しデモ」を主催したのは、「在日特権を許さない市民の会」という右翼団体でした。彼らはこれまであちらこちらで「外国人=犯罪者」という扇動を続けてきた団体です。彼らはあたり前に地域と関係を作り暮らしている外国籍の人々を「犯罪者」扱いして、国外への追放を求める活動を続けています。そのあげく彼らは個人攻撃を開始し、長期に地域に滞在する一家を「追い出せ」とまで言いだしたのです。

このことをネットなどで知り、当日「在特会」のデモに抗議しようと蕨市外から駅前に40名ほどの個人が集まりました。それぞれの思いは異なるにしても、共通していたのは彼らの煽る排外主義への危機感と、弱い立場にある人を標的にして攻撃する彼らの卑劣さへの怒りでした。

あろうことかこの日のデモコースには、長期滞在の外国人ご一家のお子さんが通っていた小学校と、現在も通っている中学校が含まれていました。そこで彼らが「一家を追放せよ」と叫ぶことは、その一家に対してだけでなく、長期滞在するすべての外国人に対する暴力です。「特権を許さない」と彼らは言います。しかし、彼らが攻撃の標的としたのは、もっともこの社会の特権からは遠い外国人の、しかも子どもです。彼らの言う「国民大行進」は、そのような卑劣かつ卑怯なデモだったのです。

午後1時から「在特会」は「一家の追放」を叫ぶ集会を駅近くの公園で開始しました。その集会の終わりごろになって、公園の入口に彼らが作成した紙製の横断幕が運ばれてきたのです。そこに書かれていたのは「不法入国は犯罪だ。『かわいそう』のペテンにだまされるな」という文字でした。蕨に住む家族を明らかに標的としたこの言葉は言葉の名に値するものではありません。これは地域に住む超過滞在の外国人を攻撃する暴力なのです。「追い出しデモ」への抗議に参加していた彼が行ったのはこの暴力への抵抗でした。警察は当初、彼に「任意同行」を求め、彼もそれに応じました。ところが「在特会」はあろうことか「窃盗」事件として被害届を出し、そのため彼は「窃盗犯」として逮捕されいまなお蕨署に留置されています。

その後、抗議活動に参加した人々の多くは蕨署に集まり、正規の手続きに則って逮捕された人への面会を求めました。ところが蕨警察署はバリケードを築き警察官を配置し、根拠も無く面会を拒みました。それどころか弁護士が身分を提示して面会を求めても1時間以上にわたって面会を拒否し続けたのです。そして突如そこに蕨警察署に先導された右翼が登場しました。彼らは抗議活動に参加した人々に罵声を浴びせかけ、その際に生じた混乱の中で一名が公務執行妨害容疑で逮捕されたのです。

今回の行動については、参加者の間に充分な意思統一がはかれず、抗議行動を呼びかけた側の不手際も多々あったようです。抗議行動を呼びかけた側はその点を十分認識しなければならないと私たちも考えます。しかし、抗議行動が企図した「在特会」への抗議そのものは正当なものだと私たちは考えます。彼らの行ったデモは多くの外国籍で暮らす不安定な法的地位の人々を恐怖にさらす重大な犯罪です。裁かれるべきは彼らです。

一方で、「在特会」が「犯罪者」と叫び排除を求めているのは、この社会で生き、働き、人々と友情関係を結ぶ人々です。ビザがないことはだれを傷つけているわけでも誰を侵害しているわけでもないのです。

生きることは犯罪ではありません。私たちは排外主義扇動を終らせることを求めて逮捕された二人をただちに釈放することを要求します。

2009年4月12日

「外国人追い出しデモ反対行動」救援会
連絡先:oidashihantai(at)gmail.com

生きることは犯罪じゃない!
NO ONE is ILLEGAL
http://www.mkimpo.com/diary/2009/warabi_09-04-11.html

【2009/05/11 07:08】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
2名をいちはやく釈放させるためにボランティアで活動している人たちがいます。差し入れ、面会、弁護士の手配などにお金が必要です。まことに心苦しい限りですが、救援会にカンパを寄せて下さい。よろしくお願いします。

<銀行振込>
みずほ銀行 早稲田支店 店番068普 2223022 タノ シンイチ

法大と早稲田のノンセクトは共闘して首都圏の学生運動を復権させよう!
【2009/05/11 07:09】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
生きることは犯罪じゃない! 名前: かめよ~ん。 [2009/04/11,20:32:36] No.2253 返信
警察も警察だ(形式的には公安委員会なのかもしれないが)。
法務省の前とか入管の前とかで彼らがデモをするなら、腹は立つけど、まだぎりぎり了解できる。
愚行権という言葉もあるし、人間、生きていれば必ず誰かに迷惑はかけてしまう。
もちろん程度や節度、限度というものはあるにせよ。
それなのに、少女を名指しして、彼女がかつて通った、そして現在通ってる、小学校や中学校の前で、日本から出てけ、と汚い言葉で罵るとは。
それを認めてしまった警察のなんという破廉恥。
日本の警察よ、民主警察たれ!

☆『Galleria Kamex 画像掲示板』から抜粋
http://www.mkimpo.com/minibbs/kamex/imgboard.cgi
【2009/05/11 07:13】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
『妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十五』一部から。

あなたたちへの弾圧に抗す唯一の兵法は法華経の神通力以外ありません。みんなで、南無妙法蓮華経と法華経を唱えましょう。無間地獄に落ちる南無阿弥陀仏はやめましょう。



或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
わくそうおうなんく りんぎょうよくじゅしゅう ねんぴかんのんりき とうじんだんだんね
或いは、王難の苦に遭いまさに処刑の場に立ち今にも命が終わろうとしても、彼の観音の力を念ずれば、刀がつぎつぎ段々に壊れることだろう。
或囚禁伽鎖 手足被紐械 念彼観音力 釈然得解脱
わくしゅきんかさ しゅそくひちゅうかい ねんぴかんのんりき しゃくねんとくげだつ
或いは、かせや鎖でしばられ、手足をいましめられても、彼の観音の力を念ずれば、さっぱりかせや鎖がはずれ、逃げれることができるだろう。
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
じゅそしょどくやく しょよくがいしんじゃ ねんぴかんのんりき げんじゃくおほんにん
呪詛やもろもろの毒薬で身を害せられた者も、彼の観音の力を念ずれば、害は呪詛や毒薬をほどこした本人に帰っていくだろう。

諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
じょうしょうきょうかんじょ ふいぐんじんちゅう ねんぴかんのんりき しゅおんしつたいさん
諍訟して法定で争い、軍陣の中で脅え恐れているときも、彼の観音の力を念ずれば、もろもろの怨敵はことごとく退散するであろう

【2009/05/11 07:39】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
警察・右翼同盟軍のみなさん腐敗して市民の憎悪の対象となってください 期待してます がんばってください
【2009/05/11 21:30】 | 北のゲバラ #- | [edit]
首都大学東京の高橋宏は学長ではなく理事長です。
間違えないで下さい。
【2009/05/12 01:14】 | #VbOj4YTo | [edit]
笑わせるなよ擁護連

お前は「日本国憲法」を擁護しているんだろ?斉藤氏の文章の前半部分に違和感を感じないのか?戦前の日本に「侵略」された国の民たちの痛みが判らないのか?結果、沖縄の戦いと広島・長崎の原爆に繋がったんだぞ。
また、東京裁判が不当なもの=サンフランシスコ講和条約を認めないと言ってるのと同じで、戦後民主主義擁護の法政大学とは相容れないんだぞ。

お前は中核派シンパを止めたらしいが、戦後民主主義を曲がりなりにも評価し擁護する立場のリベラル(河野洋平や田英夫あたり)よりも右に行ってしまったわけだ。改憲政党の民主党支持者になっただけあるな。NHを変えろ。

【2009/05/12 01:51】 | #- | [edit]
頓珍漢な書き込みに専念している正体不明のあなたは、帝国主義戦争の歴史に対する私の指摘をよんでいますか?

改憲をぶっているのは自民党です。

また、天皇の発言等に対する右翼側の反応を問うているのですが、あなたは何も答えられないだけです。

ちなみに法大の学生部職員は、2006年3月6日に「法大は改憲反対ではない」と逮捕される学生の前で叫んでいる。

まさに、戦後、中村哲・小田切秀雄氏が警察権力に対する暴露を促した著作どおりの結果になっているのです。

法大出版局は、レーガノミクスを批判した新自由主義批判の著作を絶版扱いにし、統一協会と癒着してきた日本財団系の人物を法大理事にすえているという実態があるなかで、弾圧体制をしいてきているのです。

戦後民主主義擁護の法政大学とあなたはいうが、ではあなたは、斉藤さんへの攻撃ではなくて、「自由にものをいえない社会」に「貢献」している現法大当局と、過去の法大を踏まえて法大当局を批判はたことはありますか?

「自由にものをいえない社会」にしようという動きと改憲攻撃はいったいです。

一方でこうした新自由主義への流れを食い止める動きが日本国内で広がってきています。

山口二区補選では、自民安部に対抗する野党が勝利し、野党共闘が広がってきている中で、改憲攻撃をすすめる自公政権は危機感をもって民主党分断策動と野党共闘つぶしのためにいろいろ策動してきているわけです。

そのなかで漆間、大林、タモガミ、そして安部らの狙いは完全に暴露されています。

この流れのなかで、いかにして彼らの策動を暴露して改憲攻撃をストップさせるかは重要なのです。

「戦後民主主義を曲がりなりにも評価し擁護する立場のリベラル(河野洋平や田英夫あたり)よりも右に行ってしまったわけだとか、改憲政党の民主党支持者になっただけあるな。NHを変えろ。」などというあなたはいいがかり以外なく、改憲をそそのかしてきた自公政権本体をせめないで、民主党を攻撃するところにあなたの右翼人たる本質が吐露されているだけです。

いかなる手段を使っても、私をたたきつぶすことはできません。それは公安警察も同様なのです。
【2009/05/12 03:14】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
擁護連という呼称を使用するのは限定されている。

ネタ切れで今度は、私の書き込みにいちゃもん付けか。

文化連盟に難癖をつけてきたウヨに私は言及したから、次は別の手口を使っているのがお前。

今度はNHを変えろだって。お前にいちいち指令される必然性はない。


以上
【2009/05/12 06:13】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
なぁ擁護連よ。
手短に答えて欲しいんだが「「外国人追い出しデモ反対行動」救援会」とお前の間にはどんな関係があるんだ?
そして「「外国人追い出しデモ反対行動」救援会」を文化連盟のブログで宣伝する理由は何なんだ?
全く理解できないんだが。
【2009/05/12 14:17】 | #- | [edit]
それはお前が右翼だからだよ。

そんなに俺の情報収集に興味があるなら法大正門前にきなさいと申し付けているだろうに・・・。

そんなお前に俺の法大時代の情報を教えてやろう。(この当時の俺のことを知っている中核さんたちは、ほとんど労働運動に移動したが、内山さんなど重鎮はみんな知っている。ちなみに法大文化連盟の賛同人でもあり、2003年時の自主法政祭実行委員会の女性ももちろん知っている。だから、法大にきて俺のこと聞いてみれば?)

俺に興味があるのはお前もホモだからだろ。わかってるって。

ホモにも中曽根元総理をはじめとして右翼が多いことしってるし。

だがあいにく、俺は高校生~大学生、社会人ぐらいまでの、スポーツ系筋キン~色黒のお兄系とかしかタイプじゃないから(私の知り合いにはイケメン中心のホモビデオ経営者もいるのだよ。ちなみに今のホモビデオの流行の走りは俺が着目したジャンルやタイプばっかりなんだよね。)、あいにくキモ爺はおことわりなのだよ。

だからといって爺はひがまないでくれよ。それらのひがみが、憎悪にかわって俺をひたすら叩いているのがお前なだけ。

あと、ゲイは一般人に比べて本当にいい男多いし、いろいろな業界や階層の著名人(スポーツ界から、メンズ・エッグやメンナクまで含めた雑誌のモデル、芸能人には数多し。)に多いということだけ明かしておく。

俺は自主法政祭で同じ法大のゲイサークル(二丁目の大学生ナイトで友人になった人たち)の人たちや、先進的な早稲田のゲイサークル(創始者は名門久留米付設高等学校出身のゲイ・リブの人)の人たちと共闘して、ゴーゴーボーイズやドラッククイーンたちをまねいて2001年当時・新宿歌舞伎町で流行していた「サウンド・コレクション」イン法大のイベントをやったわけだよ。

当時のゲイ雑誌「バディー」にもこのイベントは紹介してもらったし、大成功だった。

レズビアンの尾辻かなこさんが民主党で国会議員に立候補されたのはあとだったが、それが早かったら、法大によんで講演してもらったかもしれない。

ちなみに公安の不審なおっさんも会場を監視しにきていたのはばれている。

もちろんノンケがたくさん来客してくれて三桁動員の大成功のイベントになった。

だから翌年は、第一文化連盟・自主法政祭としてレイブ企画を提案したが、これは実現にはいたらなかった。

ともかく、そんなことがやれたのは数年前までは法大が自由だったからで、今じゃ考えられないことをしたと思っている。

だからやってよかったと思っている。

ちなみに、同時期、明治大学のゲイイベントでは、明治大学ボディービルサークル(この手の人たちも隠れホモが多いからね。二丁目にはプロレス団体もあってほとんどがバイセクシャル。)の人たちを呼んでクラブでイベントをやってもいた。

早稲田から発生したゲイ文化の興隆は、2000年時代のITバブル時代に頂点を極めて、早稲田・明治・法政で花開いたわけ。

その証拠に、自主法政祭2001年パンフに広告として掲載されるし、2002年時の法大第一文化連盟のバンフには法大ゲイサークルの広告と紹介が記載されてるんだよ。

それを警視庁公安部はなぜか(ちなみに公安にもホモいるからね)、俺が自治会シンパだったから目をつけて今だにしつこくストーカーして邪魔してくるということなわけ。

ということで、法大の中核さんたちを直接たずねて俺のこと聞け。お前にその勇気があるのならば。

俺はいずれ同性愛の人権を掲げるため議員にでも立候補しようと考えている。現在、欧米の社民やリベラルな民主党に学びながら、日本では社民や民主を中心に支援しているということだ。

残念ながら、中核さんたちにはこうした人権関係にはまったく敏感ではないので、是々非々で対応することにしている。

その意味で俺は斉藤さんたちノンセクトラジカルに極めて近い立場だというのが現況といったところだ。



【2009/05/13 03:47】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
日蓮に慈悲の光を見た

ついに日蓮に来た

とうとう日蓮に来てしまいました。
親鸞、法然、一遍、空海、道元、臨済と通ってきましたが、わざと日蓮だけは避けていました。そのキャラがあまりにも強烈なのと、その性格というか思考回路に自分と似たようなものを感じていたからです。自分と同質なものを感じる分、余計に感情的に共鳴しすぎて心酔してしまい、かえってあるがままの姿でとらえることができなくなります。そして個人崇拝に突き進むという結果になるでしょう。きっと10代、20代の血気盛んな若い頃に出会った最初の宗教家が日蓮だったら、完全にとりこまれてしまい、今頃布教の急先鋒になっていたに違いありません。
しかしその不寛容で戦闘的な性格は危険でもあります。
しかしまたそこが魅力でもあります。
これは諸刃の剣です。
そしてなんと自分は日蓮の仇敵でもある浄土門から入ったのですから、皮肉です。でもこれでいいのです。これでバランスがとれます。だいぶ仏典も読み込んできたので、もうそろそろ最後に残った日蓮の著作に入る時期がきました。彼は大好きですが、もうとりこまれはしません。
日蓮と向き合う覚悟はできたのです。






日蓮の魅力

日蓮についてはこれまでにも評価が分かれています。とことん好きか(崇拝)、とことん嫌いかの二つ分かれているようです。しかしそのどちらも見方が偏っていると思われます。そして僕個人としても、日蓮については魅力を感じる部分と、危険を感じる部分があるので、その両方を述べてみたいと思います。まずは魅力から。

「自分が苦難を受けるのは、自分が正しいことの証明である。」

日蓮は法華経を弘めるために他宗を激しく攻撃したり、鎌倉幕府に直訴したりしたので、弾圧や迫害を受けることになりました。しかし、法華経にある「この教えを弘めようとするものは、数々の苦難に遭うであろう。」という経文から、自分が苦難に遭うのは自分がやっていることの正しさの証明であると確信し、めげるどころかますます信念を新たにしたのです。

逆境に なればなるほど 強くなる

この思考回路に入ればもう誰にも止められません。最強です。無敵です。
かれは日本を救うのは自分しかいないと確信し

われ日本の柱とならん。われ日本の眼目とならん。われ日本の大船とならん。

と誓いました。かっこよすぎます。シビレます。実際、日蓮は危険を顧みずいつも捨て身で行動します。その姿は、正義の味方が単身、悪の巣窟に乗り込んでいって片っ端から悪いやつらを切り伏せる、という時代劇の主人公そのものです。

日本のため、正義のため、自分の命を顧みず悪と戦う救世主日蓮

これが多くの日本人をとりこにするヒーロー的日蓮像です。
たしかにすごい魅力です。僕もこの部分でも惚れています。
でも僕がもっとも日蓮に感謝しているのは、実はそのような日蓮のヒーロー的な部分ではありません。
日蓮の最大の功績、それは法華経という存在を私たちに教えてくれたことにあります。
法華経はすばらしい教えです。
そして日蓮がいなければ、僕は法華経を読んでいなかったかもしれない。
ですから僕は日蓮にはまずは礼を言わなければなりません。




日蓮への質問

日蓮はヒーロー的に支持される一方、その容赦ない攻撃性ゆえ今でも多くの人に嫌われています。

「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説である」

自分だけが正しく、自分を支持しないものはすべて敵である。敵には容赦なく罵詈雑言を浴びせて罵倒する。その偏狭と不寛容さにはちょっとついていけないものがあります。いくら法華経がすばらしい教えであるからといっても、その強引な布教の仕方はもうちょっと何とかならないのかと思ってしまいます。しかし僕の彼に対する本当の疑問点は少し違います。彼は正法、正法といって何かと正法を振り回し、正法を誹謗するものはみんな地獄へ落ちると、いつも大音声で呼ばわっていましたから、

彼には敵を救うという慈悲の心があるのだろうか

僕が日蓮に聞きたいのはその一点でした。宗教や宗教家の思想に対して、僕がいつも最後の決め手として判断するのは、彼らにとっての敵・異教徒・極悪人が地獄に墜ちるのを救うという思想がその中にあるかというところです。

汝の敵を愛せ

キリストは十字架に架けられた時、自分を十字架に架けた者のために祈ったのです。日蓮が滝口で斬首されようとしたとき、はたして彼に敵に対して祈る気持ちがあったかどうか。

悪人こそ救われる

親鸞の生涯はすべての悪人を救うために捧げられた。南無阿弥陀仏は悪人に対する祈りだったのです。はたして日蓮に正法を誹謗する者を救うというこころがあったかどうか。

日蓮の言動をふつうに見ていると、かれにはそれはないようにしか見えません。ところが、法華経の教えはそうではない。

すべてのひとが仏になる

それは極悪人の一闡提も救われるという究極の、無条件の、絶対の救いの思想なのです。仏教にはブッダを殺害しようとしたデーヴァダッタというものが、極悪人の象徴として出てきますが、法華経では彼にまで仏になるという予言(授記)を与えます。ブッダは法華経において、自分を殺そうとした敵を救ったのです。デーヴァダッタこそ正法誹謗の張本人。その悪の張本人が仏になるという究極の救いの教え。それが法華経だったのです。しかし法華経にはこの教えを誹謗するものは地獄に墜ちるとも説いています。結局正法誹謗は地獄に墜ちるのか墜ちないのか、どっちなのか。論理的には矛盾に陥っていますが、実はそれゆえ真実なのです。このことについて、また法華経の解釈について話し出すときりがありませんからしばらく置きます。

日蓮は法華経を弘めようとした。
そしてそれを信じないものはみんな地獄へ墜ちると言った。
しかし法華経にはすべての人は仏になると宣言されている。
そのすべての人の中には正法誹謗も含まれる。
日蓮はそのことを知っていたのか。
実は彼らも地獄に墜ちないで救われると言うことを。

そして僕はそのことを日蓮に聞くために、彼の著作を読みました。そして彼は「観心本尊抄」で僕の質問に答えてくれました。僕の疑問は氷解し、これまでの誤解は完全に解けたのです。





日蓮の答え

日蓮に正法を誹謗する者を救う慈悲のこころはあるのでしょうか。
はたして日蓮は敵を救えるのか。
日蓮は質問者に問い詰められます

日蓮:答えていう。宣べられない、と。
問者:重ねて問いていう。いかなるわけか、と。
日蓮:答えていう。宣べられない、と。
問者:また重ねていう、いかなるわけであるか、と。
日蓮:答えていう。このことをいいただせば、すべての世間の諸人は、昔の威王音仏の末法の時に、不軽菩薩を迫害したようになるであろう。またわが弟子のなかにも、少しでもこれを説けば、みな誹謗するであろう。それゆえ黙して止むのである、と。
問者:求めていう。もし黙して説かないならば、汝は法門を惜しみ貪る罪におちるであろう、と。
日蓮:答えていう。進退これにきわまった。こころみに大略を説こう、と。
(「観心本尊抄」 日蓮)

日蓮は質問者に問い詰められ、答えられず、とうとう進退きわまってしまいました。ここで言う”不軽菩薩”の話は、法華経の不軽菩薩品で不軽菩薩が「みなさんはみんなほとけになるでありましょう」と宣言してまわったので迫害されたことを指しています。さて、日蓮の答えやいかに。ここに彼の明かした大略の大略を述べておきます。

涅槃経に「たとえば、七人の子供がいて、父母の愛は平等でないわけではないけれど、その子供の中で病気の子供にもっとも愛情が重い」とある。法華経においてこの病気の子供とはすなわち法華経を誹謗する者をいうのである。仏滅後の人々は西も東も分からなくなり、法華経を説いてもありがたさが分からず、かえってそしるであろう。しかしそういう者とてすべてほとけにとってはわが子である。それは病気のわが子に等しい。かれらを特に愛するゆえに、ほとけはかれらのために良薬を残された。これが
”妙法蓮華経”
の五文字である。「謗法の罪によって悪道に堕ちるが、法華経を聞いたことによって、のちに必ず利益を得る」というのはこれである。
(観心本尊抄 日蓮 略出)

日蓮さん、あなたは法華経を信じないものは地獄へ堕ちると大音声で呼ばわっておきながら、実は”南無妙法蓮華経”と唱えて相手に聞かせることで、敵を地獄へ堕ちることから救っていたのではないですか。日蓮は知っていたのです。正法誹謗の者も最後には救われるということを。正法誹謗の者こそ、ほとけの最愛の病気の一人子だったのです。

観心本尊抄において
僕ははじめて
日蓮に慈悲の光を見ました。





摂受と折伏

日蓮にも慈悲の光が見えたのは大きな発見でした。これまで日蓮といえば”折伏”といって相手に論争をふっかけて力ずくでねじふせる形の布教スタイルですから、このことについて反論を試みようと思っていたのですが、もういいか、という気持ちにもなってきました。でもやっぱり危険性もあるので少しは書きます。

お前は間違っている!
回心しないと地獄へ堕ちる!

などと大音声(だいおんじょう)で呼ばわる日蓮のやりかたはほとんど”けんか仏教”です。しかも彼の弘めようとした法華経にはそんな布教の仕方をしてはならないと書いてあります。そのことについて日蓮は「開目抄」で述べているので検証してみたいと思います。

法華経の安楽行品には法華経を弘めるにあたっての注意点が書かれています。

「この経を説こうとするならば、仏道を学ぶ者を軽蔑し罵って、その長所短所を追求するようなことをしてはならない。
もしこの経を説こうとするならば、嫉妬心や、憎しみや、高慢さや、へつらい心や、欺く心や、偽りの心を捨てて、常に素直であらねばならない。
人を軽蔑してはならないし、教えについていたずらな論議をしたりしてはならない。
他人に向かって、「おまえは仏になれない」などと言って、その心を混乱させてはならない。
この仏の子が教えを説くときは、常に柔和であって、よく耐え忍び、一切の者を慈悲して、怠け心をおこしてはならない。
十方の大菩薩で生ける者たちをあわれむ心から道を行ずる者に対しては、「この人はわたしの大いなる師である」と恭敬の心をおこせ。
もろもろの仏に対して、「無上の父である」という思いをおこし、高慢な心を打破して、教えを説くのに障碍がないようにせよ。」
(法華経 安楽行品)

もう日蓮のやり方とはなにもかもが正反対です。それに対する日蓮の答えは

日蓮:答えていう。「止観」にいう。「それ仏に両説あり。一には摂、二に折。安楽品のごときはこれ摂の義である。大経に「刀杖を執持し、ないし首を斬る」というのは、これ折の義である。与と奪と、途を異にするといえども、ともに利益せしむ」と、
(開目抄 日蓮)

法華経の経文について聞かれているのに「止観」によって答えています。以下、「弘決」にいう・・・、「文句」にいう・・・、「涅槃経疏」にいう・・・、と法華経以外の経や釈によって答えていうには、布教の仕方には摂受と折伏の二つがあり、今は折伏のときなのだというのが、日蓮の主張です。
しかし、この論理には無理があります。日蓮はその著作の至る所で「法華経とそれ以外の経・論・釈とで意見が異なるなら、法華経の方が正しい」という原則を自ら建てているからです。法華経を読めば分かることですが、一向に摂受について説いてあり、折伏については全く説かれていません。しかも法華経は世の乱れた末法についてあらかじめ想定されて説かれた経ですから、折伏が可なら、「これこれこういうときは折伏せよ」と法華経に書いていなければならないはずです。
ここは日蓮も弱点だと自覚しているとみえて、

「汝の不審を、世間の学者は多分道理とおもうであろう。いかように諫暁しても日蓮の弟子等さえこの考えを捨てない。一闡提のごとくであるゆえ、まず天台・妙楽等の解釈を出してかれの難を防ごうと思う。・・・無智・悪人の国土に充満するときは摂受を先とする。安楽行品のごとくである。邪智・謗法の者多いときは折伏を先とする。常不軽品のごとくである。」
(開目抄 日蓮)

さすがに法華経に根拠が何もないのは弱いと思ったらしく、常不軽品を折伏の根拠に挙げています。では常不軽品が本当に折伏を説いているのか、検証してみましょう。
法華経の常不軽菩薩品には常不軽菩薩という風変わりな菩薩が出てきます。彼は呼ばれてもないのに、
「ことさらそこまで行って礼拝讃嘆してこう言ったー
『わたしは決してあなたたちを軽蔑したりはいたしません。あなたたちはやがて仏になるでありましょう』
人々の中には、怒りや憎しみの念を生じ、心清らかでない人々もいて、悪口して罵ってこう言ったー
『この無智の比丘、いったいどこからやって来てわれらに向かって、<あなたたちを軽蔑したりはいたしません。あなたたちはやがて仏になられるでありましょう>などと予言したりするのか。われらにはそんな虚妄な予言など必要ないのだ』と。
このようにして多年のあいだ、常に罵られたけれども、怒りや憎しみの念をおこさず、常に『あなたたちはやがて仏になられるでありましょう』と言っていた。
このことばを言うと、多くの人々はあるいは枝や木、瓦や石などで打ったり投げたりするので、それを避けて遠くへ走って行ってはなお高い声で、『わたしたちはあえてあなたたちを軽蔑したりはいたしません。あなたたちはやがて仏になられるでありましょう』と叫んだのである。」
(法華経 常不軽菩薩品)

日蓮は常不軽菩薩が迫害されたのをよく自分に見立てていますが、その言動は正反対です。たしかに、呼ばれてもないのに予言をするのは折伏のようですが、常不軽菩薩はけっして相手を軽蔑したり、お前は地獄に堕ちるなどとは言わなかったのです。そして、常に相手を軽蔑しないというところから、人々はかれに”常不軽”という名をつけたのであると、法華経は説いています。
もうぜんぜん日蓮とは違います。日蓮はまずは相手に罵詈雑言をあびせてけちょんけちょんにけなして軽蔑します。そして、”仏になるでしょう”と祝福するどころか、必ずや地獄に堕ちるであろうなどと、大音声で呼ばわっていたわけですから、もう全く別人です。
つまり、常不軽品は折伏というよりは、摂受の積極型というべきです。

こうしてみると、日蓮は法華経を弘めるという目的は正しいが、その方法に問題があったと言わざるをえません。しかしその強引な方法も、当時の法華経をめぐる危機的な実情を鑑みれば、少しは情状酌量の余地もありそうです。





法華経の危機

現代に置き換えると日蓮の強引な布教方法は大いに問題がありますが、当時の日本における法華経の危機的状況を考慮すると、それも非常手段として致し方ないと考えられないでもありません。

「この五十年の間に、日本国みな一同に法然房の弟子となった」
「桓武天皇や伝教大師がこの日本国に建立した寺塔は一寺も残らず真言の寺となった」
(撰時抄 日蓮)

と日蓮が思うほど当時は浄土宗が日本中に広まっていて、旧仏教は真言宗(密教)化してしまい、さらに禅宗もどんどん支持を広げている状況でしたから、法華経を第一とした最澄(伝教大師)の天台宗は風前のともし火だったのです。日蓮がひたすら最澄を立てていることは、僕は彼の著作で初めて知りましたが、そうだとすると日蓮の行動は仏教界における改革派に対する保守派の反撃とも取れます。プロテスタントに対するカトリックの反撃のように。そういえば日蓮の攻撃的なところとイエズス会の軍隊的なところはどこか通じるような・・・まあこれは僕の個人的な印象ですから、聞き流してください。
とにかく、日本中だれも法華経を重んじないという危機的状況に際して、もう悠長なことは言ってられないと、日蓮は考えて行動したのでしょう。

今から考えると日蓮という存在は一種の”劇薬”でした。

その劇薬は即効効き目があったのですが、その副作用も大きかったのです。
その効果と副作用は今でも続いています。




劇薬と副作用

日蓮の劇薬型の布教方法は、熱烈さと気合ゆえにはじめは信者獲得にかなりの効果を発揮しますが、その強引さと攻撃性ゆえに信者数が増加するに連れて社会からの抵抗や反発も多くなり、ある程度いくと頭打ちになってしまいます。実際、現在の状況を見てみると、日蓮系の信者数は日本1,2を争うほどにまで増加しましたが、同時に浄土系の信者も同じくらいおり、日蓮が不倶戴天の敵としていた浄土(真)宗と皮肉にも仲良く拮抗しています。日蓮系宗教団体が支持母体の政党もあるようですが、ここのところ議席数が頭打ちか、ややもすると減少傾向です。そして禅宗・真言宗もともに健在です。残念ながら、日蓮の言うように、日本全国すべて”南無妙法蓮華経”一色とはならなかったのです。
これは日蓮の瞋恚を通り越して殺意にみちた言動がその限界性を生み出してしまっていると考えられます。

「日蓮は日本国の棟梁である。日蓮を殺すのは日本国の柱を倒すのである。今に自界反逆難といって同士討ちが起こり、他国侵逼難といってこの国の人々が他国に打ち殺されるのみでなく、多く生け捕りにせられるであろう。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等の寺塔を焼き払って、かれらの頸を由比ガ浜で斬らなければ、日本国はかならず滅びるであろう。」
(撰時抄 日蓮)

日本を自分が守るという自負心は立派ですが、そのために自分の反対者をすべて処刑せよというのは、イスラムのジハード(聖戦)思想も真っ青の過激さです。かれの予言が完全に当たり、日蓮が本当に日本国の棟梁になったら、きっと未曾有の大量虐殺が起こったでしょう。日蓮は立正安国論で蒙古襲来を予言しましたが、それに対する天の采配は適切だったと思います。

「今、その現証がある。日本国と蒙古との合戦に、一切の真言師が調伏の祈祷を行っているから、日本が勝ったならば、真言がすぐれていたと思ってよかろう。」
(撰時抄 日蓮)

確かにその後、現証がありました。しかしそれは、蒙古壊滅、日本勝利の現証だったのです。蒙古襲来の予言が的中して調子に乗りすぎて大風呂敷を広げてしまったため、かえって日蓮の予言が後で外れたことは、動かぬ証拠となって今でも文書で残ってしまったのです。撰時抄で言質をとられてしまっては、言い逃れる術はありません。

予言は半分は当たったが半分は外れた

このことは、日蓮の暴走を食い止めるための天の見事な采配ではなかったでしょうか。日蓮の、法華経を弘めるという目的は正しかったが、その方法に問題があったということを天が示したように思われてなりません。
しかし、日蓮を聖人として評価する道はまだ残されています。





日蓮は聖人

日蓮につい賛否両論書いてきました。
僕は「法華経を信じない人をも救う」といった観心本尊抄に慈悲の光を見、「法華経を信じないものは地獄へ堕ちる」といったその他の書では瞋恚を見たわけですが、真意はどちらにあるのでしょうか。
それは観心本尊抄にあるのです。
そのことはこの書の添え状の中で

「このこと、日蓮の身にとって大事の法門であるから、無二の信心ある人と見たならば開いてみせられるがよい。この書は今まで聞いたことのないことばかりであるから、人々は驚倒するであろう。仏の滅後二千二百二十余年のあいだに、この書にあるような心を説いた者はいない。」
(観心本尊抄副状 日蓮)

とあるからです。観心本尊抄の中で日蓮は三度問い詰められて進退窮まって「正法誹謗の者を救うために”妙法蓮華経”の五文字はあるのだ」と告白した箇所は、釈尊が何度も請われて「すべての人は仏になるのだ」と法華経を説いたのと重なって、感動的でもありました。ですから、

観心本尊抄にこそ日蓮の真意があり、それ以外の書は方便である

とすることで、日蓮は”敵をも救う真の慈悲者”として、偉大なる聖人の一人となるのであります。日蓮は法華経をしんじないとひどい目にあうぞと怒ることで、わたしたちを叱咤激励していたのではないでしょうか。
そしてその真意は、

「お前たちは法華経を信じないゆえ、
無限の罪業をつくって地獄へ堕ちるであろう。
私は法華経を信じるがゆえに、
無限の功徳を得て天国へ行くだろう。
しかしそれではお前たちがいかにもふびんである。
お前たちは病に苦しむ最愛なる私の一人子に等しい。
だから私のこの無限の功徳をお前たちにすべて回向しよう。
お前たちは私の功徳を持って天国へ行け。
私はお前たちの代わりに地獄へ行こう。
南無妙法蓮華経」

ということにあると僕は思いたいのです。
ただしあくまでこれはアミヤン流の勝手な解釈です。
その他の多くの日蓮宗派や日蓮系の宗教団体の教義がどうなのかは
僕の感知せざるところであります。



日蓮

日本の名著8 日蓮 紀野一義訳 中央公論社

立正安国論、開目抄、観心本尊抄など日蓮の主な著作が現代語訳されて収められています。消息集や種種御振舞御書などは日蓮の人間性が伝わってきて、教義は少し難しいという方でも充分に楽しめます。こんなにブっ飛んだお坊さんは過去にもこれから先にも決して現れないでしょう。まさに日蓮の振る舞いを目前で見、肉声を聞いているようで、あまりに興奮しすぎて自分も何度もブっ飛びました。

法華経を信じないで念仏を支持していると言っては時の最高権力者に直訴して頭ごなしに叱り飛ばし、怒りを買って幕府に逮捕されるときも、「日本の柱であるわしを倒す気か!」と捕り物の武士たちに大音声で呼ばわってはたじろがせ、江ノ島で処刑されようとした時も、鎌倉八幡宮に寄っては「わしを助けに来ないならお主は誓いを果たさぬ神であると仏に申し上げるぞ!」といって八幡大菩薩に大声で悪態をつき、いざ頸を斬られようとしたその時は、日蓮のあまりの気合に武士たちは何か奇蹟が起こったかのように見えて、一町ばかりも逃げ走らせてついに処刑とりやめとなり、佐渡に流された時も、高い山に登っては「この日蓮を助けて本国へ戻さないなら仏は大うそつきであるぞ!」と絶叫して自分を助けることを脅迫し(翌年赦免される)、蒙古襲来の予言が当たったときは、「ほら見たことか。日蓮はもう勝ったような気がする」といって喜びました。しかし二度の元寇はなぜか神風が吹いて蒙古は壊滅し、日本の勝利に終わってしまいましたので、最後には日蓮の予言は外れたことになり、そのショックのせいか、さすがの日蓮も弘安の役(二度目の元軍壊滅)の翌年に亡くなりました。

しかし、その豪快で壮絶な生涯は別として、日蓮のおかげで法華経は再び大きく脚光を浴びることになり、その素晴らしい教えが広まったことは大いに感謝すべきであります。
僕もこの著作から、法華経についてたくさん教えてもらいました。法華経を一通り読んでも十分意が汲み取れない時に、日蓮の著作を読むと、まさに”目からうろこ”ということが何度もあるでしょう。
「すべての人をほとけにしたい」
日蓮の過激さと法華経の慈悲深さは対照的です。このもっとも慈悲深い教えを、もっとも無慈悲なやり方で広めようとしたように思われて不思議でしたが、観心本尊抄を読んで日蓮にも慈悲の光を見ることができたので、僕の日蓮像は大きく変わりました。みなさんもこの本を読んで確かめてみてください。



ほとけの心

先週からおよそ一週間で日蓮の著作をほぼ読んでしまいましたが、あまりにも濃い一週間でした。一週間で100年生きたようです。かなり仏典を読み込んで、最後に日蓮を取っておいたせいか、教義の内容も良くわかり、改めて日蓮を見直したのですが、それにしてもあまりにも強烈な個性のカリスマ宗教家の肉声を一週間でまとめて聞いたので、今は放心状態です。嵐の過ぎ去った後といった感じ。
これまでいろいろ実況中継風に書いてきましたが、まだまだとても日蓮の魅力は伝え切れません。彼の場合、その教義もさることながら、人間としての魅力(好き嫌いはありますが)もまた格別ですから、宗教にこだわりがない人でも、彼の人生の凄さにはたまげるに違いありません。それについてはまた後で書くかもしれません。あまりにも面白いですから。

しかし日蓮の個性の強さに目がくらんで、彼の広めようとした肝心の教えである”法華経”を忘れてはなりません。ただ法華経は日蓮も「道理は少なく、ほめることが多い」と言うように、いきなり結論が宣言されていてその理由の説明はほとんどなく、後は法華経自体の賞賛で終わっています。その宣言は

すべてのものはほとけとなる

というのが中心にあり、その中に一念三千の法(人の心のなかにすべての世界が内蔵されているということ)、即身成仏、女人成仏、極悪の一闡提成仏などが説かれています。つまり法華経の教えはこれまでのほとけの教えのなかで、もっとも救いの力が強いということです。だからあらゆる経典のなかで最勝であると説かれています。しかしその理由(道理)はほとんど説かれておらず、諸仏がそれを賞賛して証明することで終わっているのです。ですから僕は

”法華経は成仏の宣言すなわち救いの宣言という大乗仏典のシンボル的な存在で、その道理はそのほかのあらゆる経典の中に説かれていることの総合としてあり、すべての経典は法華経と有機的に結合している”

と理解するのであります。いわば法華経は仏典の”顔”ですが、顔だけあってもそれですべて理解できるはずもありません。しかし、専門家でもない限り、すべての経典を読むのは不可能ですし、法華経だけを読むのもほとんど無理かもしれませんから、”南無妙法蓮華経”と唱えるだけで利益があるとするのです。さらに、唱えなくてもその題目を聞くだけでも利益があるとします。

なぜそんなにまでして
ほとけはわたしたちを救いたいのか

それが仏の心であり、その心は文字では記せません。文字で書かれたあらゆる経典はいわばほとけの”体”であり、法華経はその”顔”ですが、それとて心ではありません。体のどの部分を訪ね歩いてもそこに心はありません。

「それを示すことはできないし、それを表現する言葉もない」
(法華経 方便品)

と法華経にもあります。
しかし顔をじっと見ていれば、
その心が見えてくることだってあるでしょう。
ですからみなさんも法華経からほとけの心を霊性で感じ取ってください。





日蓮は女にモテたはずだ



いつも自信満々で向こう見ずな日蓮
僕の経験上、このタイプは絶対に女にモテます。

「また女どもはいかなる失(とが)があっても、一向に注意などされぬように。まして諍いをしたりしてはならぬ。
『涅槃経』にいう。「罪きわめて重しといえども女人に及ばざれ」と。文の心は、いかなる失があっても女人の失を咎めるな、それでこそ賢人であり、仏弟子であるということである。」
(日蓮 消息 四条金吾殿御書)

女の罪は一切赦す。なんという包容力でしょう。男はこうでなければなりません。女に対するこの余裕、今はこのような度量の持った男は少なくなってしまいました。見習うべし、見習うべし。
そんな日蓮は女に対して決して甘ったるい言葉などは掛けません。

「そなたの身になにか事が起こったならば、この身延へおいでになるがよい。お会いしよう。また山中にてともに飢え死にもしよう。」
(日蓮 乙御前御消息)

これは蒙古襲来を予測して女人に書き送った手紙。「危なくなったら俺の所に来い。一緒に飢え死にしよう。」などとしゃあしゃあと言ってます。「絶対に君を幸せにするから」などという甘ったれたことは言いません。それでも女はみんな俺についてくると絶対の自信を持っているからです。
そんな男に惚れたら最後、もちろん貢ぐのは”あなた”の方です。
日蓮にとって女人が自分をあがめるのは当然のことと思っていたでしょう。なぜなら、女人成仏をはっきり説いているのは法華経だけであり、その法華経の世界第一の行者が日蓮なのですから、
「女を救えるのは俺だけだ!」
と断言したとしても、理にかなっています。すべての女人は日蓮に貢ぐべきなのです。そうしないと天国に行けません。地獄へ堕ちます。
今でも宗教家ともいえないあやしげな”霊能者”を夢中になって信じている女性があとを絶ちません。日蓮のオーラといったら、鎌倉武士を何十人もまとめてふっとばすほどでしたから、そんな本物の宗教家に出会ったら、女はみんな完全に参ってしまいます。日本国中の女人は日蓮の信者になってもおかしくありません。
そして実際、多くの女性信者が日本全国からはるばる身延の山中まで布施を届けて日蓮を支えました。
そして今でも日蓮系の宗教団体は熱心な女性信者でいっぱいなのであります(それが日蓮の魅力のせいかどうかは知りませんが)。


http://amiyan.jp/tokushu/nitiren.htm

ちなみに、法大自治会を支援していたゲイの学生が自殺に追い込まれましたが、どうもゲイ方面で嫌がらせを公安から受けていたようですね。

俺も同じ攻撃をうけていますが、俺は日蓮大聖人の信仰をもっているがゆえに、「自分が苦難を受けるのは、自分が正しいことの証明である。」と思っていますから公安のえげつない攻撃には絶対に屈しないのです。

それだけではなく公安が嫌がらせを決行した日の直前・直後に限って必ず警察官の犯罪や不祥事や殺人事件があるのは、ひとえに大聖人の罰が警察に下っているわけです。

それだけではなく彼らをやとっている自公政権が2005年以降ぼろぼろになっているのは総じて罰が下っているのです。

文連の心ある人は、その「憤り」を法華経にぶつけてください。

必ずや警察権力側に何がしの罰は下るばかりか、自分の境涯も開いていくことが必ずできます。

とくに、思想家であり実践家の斉藤さん、恩田さんをみこんで、大聖人のすばらしさを伝えたい一心で書き込みしているわけです。

ということで、よろしく。
【2009/05/13 04:03】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
矢内原忠雄が語る日蓮

1. 預言者として立つ
日蓮は1260年「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」を時の実権者、北条時頼に提出しました。日蓮は外房州(千葉県)海岸の一寒村小湊に生まれた(1222年)漁夫の子です。今は鎌倉松葉ヶ谷に草庵を結び、2,3人の弟子を持つ、一貧僧に過ぎません。この無援の青年僧の心に養われてきた護法の情熱が、火となって爆発する時が来たのです。幕府の政治的権力と、幕府の援護の下にある諸宗の宗教的権力とを向こうに回して、ここに一人の日蓮が起こったのです。時に39才でした。

2. 立正安国論
日蓮は経典に基づく正法を最高の権威としました。正法とは真理です。法すなわち真理は、国よりも師よりも親よりも高くあります。日蓮の血には熱烈な愛国心が燃えていました。それには一点の疑いもありません。しかし日蓮は国を法によって愛したのであり、法を国によって愛したのではありません。国は法によって立つべきであり、法は国によって立つべきではありません。立正が安国の基でありまして、反対に安国によって立正を得ようとするのは本末転倒です。日蓮が目的としたのは国家主義の宗教ではではなく、宗教的国家です。国家のための真理でなく、真理的国家であります。

3. 最初の迫害
時の権力者は日蓮を憎みました。上の憎む者を下は侮ります。「立正安国論」を提出してから約40日後に群衆は松葉ヶ谷の日蓮の草庵を焼き打ちしました。日蓮は危うく難を逃れ、ひそかに下総の富木氏の許に身を寄せていました。やがて鎌倉の草庵も新築が出来ましたから、日蓮はそこに帰って、再び正法の辻説法の旗をひるがえしました。しかし北条一門は日蓮をいよいよ激しく憎み、翌1261年に日蓮を捕らえ、問注所の吟味もしないで、いきなり由比ヶ浜に引き連れ、直ちに船に乗せ伊豆の伊東に流罪としました。

4. 佐渡流罪
日蓮は、1271年10月28日佐渡に移され、11月1日、塚原という地に追放されました。ここは死人を捨てる場所です。見渡す限り荒涼とした枯れ野原の中に住むべき所は破れ果てた一間四方の三昧堂があるのみで、カベも粗末で床にはむしろもありません。前回伊豆に流罪になった時も、海の中の岩の上に置き去りにされましたが、今度もまた雪の中に死になさい、とばかりに捨てられたのです。 ・・・

だれも食べ物を与えず、食事も絶えてすでに5日目です。その夜がふけて、一人の武士が日蓮の堂に忍び寄りました。この武士は遠藤為盛(ためもり)という念仏宗の信徒でありますが、かねてから聞いていた外道の日蓮を殺せば、千僧供養(くよう)の功徳(くどく)が増えるだろうと、勇んでやって来たのです。 ・・・ 会釈(えしゃく)もなく堂に押入り、「私は念仏の行者です。法華経以外の諸宗が間違いと言うその証拠はどこにありますか」、と日蓮をなじりました。日蓮は経典の文を引いて静かに彼をさとしました。彼はかえって恥じ入って、ただちに夫婦共々日蓮の弟子となりました。そして二人は米びつを背負いかごの中に隠し人目を忍び毎夜日蓮の堂に運びました。それが百日も続いたのです。日蓮はこれを喜び、その功徳は千日の修行にもまさると言って、妻を千日尼(せんにちあま)と呼び、夫を阿仏坊日得(あふつぼうにっとく)と名付けました。この二人が日蓮の佐渡で得た最初の実でした。

 佐渡への流罪は日蓮の伝道に一つの時期を画しました。彼に静思の時が与えられました。佐渡に流されたとき日蓮の年は50才でありまして、思想、信仰の成熟した時であります。しかも弟子や信徒から遠く離れて、この離れ島に死を覚悟しなければなりません。ここにおいて彼は筆を取り、法門教義を組織的に詳細著述して書き残す考えになりました。こうして彼はいくつかの大著述を佐渡で書きました。中でも『開目抄(かいもくしょう)』と『観心本尊抄(かんしんほんぞんしょう)』の二つは最も重要な著述であります。 

5. 開目抄
『開目抄』は佐渡に来てから間もなく執筆を始め、翌2月に完成して、鎌倉の弟子、信徒一同に送ったものでありまして、法華経の行者として日蓮の使命について自他の疑いを解き、盲目を開くことを目的とした大文章です。 ・・・ 自己の使命につき、繰り返して自ら疑い、また繰り返しては確信する心理過程が痛々しいまで如実に告白されています。これはエレミアが「私は日々人の笑い者となり、皆が私をあざけります」、と述べたのと共通の内的経験でありまして、日蓮の自信がごうまんと異なる理由はここにあります。この告白があるので、日蓮は私たちの親しみ得る人間なのです。『開目抄』の文章は名文家である日蓮の書の中でも特に名文です。真理に対する彼の情熱と使命に対する彼の熱意とが、熱湯のごとくほとばしり出ています。 

世は終末に入つてすでに二百年余りが過ぎました。わたしは辺境の地に生をうけ、卑しい身分の貧しい者です。 ・・・ しかし、法華経(ほけきょう)を信じ行うようになってから、世間は幕府も、宗教家も、無法の人々も、私を迫害し、 ・・・ 皆ことごとく悪道におちてしまいました。日本国にこれを知る者はただ日蓮一人です。 このことを一言いうならば必ず父母からも兄弟からも師匠からも国主からも、そして幕府からも迫害されるでしょう。しかし、言わなければ、あわれみを欠くことになります。法華経や涅槃経(ねはんきょう)を見ると、「言わなければ今生は事なくても後生は必ず地獄におちます。言うならば、必ず三つの妨害、四つの苦難が起こるでしょう」と書いてあります。そしてこの二つの経典は「言いなさい。迫害に会っても退くのは一時に止めなさい」と命じます。 ・・・  今は勇気とあわれみの心をふるい起こして、退転しない覚悟です。
すでに二十年余りの間、この真理を述べ続けてきました。年毎に月毎に迫害はかさなり、小さな迫害は数知れず、大きな迫害は四度に及びました。松葉ヶ谷の難、伊豆流罪、竜の口の難、そして今度は私の身命に及んだばかりでなく、弟子も信徒もそして私の話を少しばかり聴聞した一般の人さえも捕らえられ、謀反者として重刑に科せられました。

法華経の第四書は言います、「この経の保持者はブッダの時でさえ多くの迫害、うらみ、憎しみをかいました、ましてブッダがいなくなった時はなおさらです」。第二書は言います、「この経を読み保持する者を見て、人々は軽しめ、賎しめ、憎しみ、ねたみ、そして恨みをいだくでしょう」。第五書は言います、「一切の世間はうらみが多くても、信じる人はほとんどいません」、又言います、「無知の人々が悪口を言い、あざけり、ののしるでしょう」、又言います、「国王、大臣、宗教家、武士に向つて、私を非難し、罪を上げつらって邪悪の人であると訴えるでしょう」、又言います、「数々の流罪に会うでしょう」、又言います、「木刀やむちで打たれ、石を投げつけられるでしょう」。 ・・・ 

日蓮の法華経の理解は天台(538-597) や伝教(767-822) には千万分の一も及びませんが、苦難を忍び、人をあわれむ心は敬意を抱かれてもよいと思います。確かに天の恩恵にあずかっても良いと思うのですが、そのしるしは少しもありません。反対にますます重刑に沈んでいます、これは私が法華経の行者でないからでしょうか。又天も善の神もこの国を捨て去ってしまったからでしょうか。ますます疑問はつのるばかりです。しかし日蓮がこの国に生まれなければ法華経の第五書は全くの妄言(もうげん)空虚になってしまいます。 ・・・ 今の世を見る時、日蓮より外の諸僧の中でだれが法華経のために人々にあざけられ、ののしられ、刀でおそわれたでしょうか。 ・・・  今の世の僧たちが日蓮を訴えて流罪にしなかったのなら、経文は空しく、法華経のゆへに日蓮が度々流されなければ「数々」の二字はどうなるのでしょうか。この二字は天台、伝教もいまだ身に読んだことはなく、ましてや他の人はです。終末の始めのしるしとして、この悪の世にあって、ただ日蓮一人がこの経文の金言を身に読んだのです。 ・・・ 

しかし世間の疑いといい、自分自身の問いといい、なぜ天は日蓮を助けないのでしょうか。天の守護神は仏の前に誓いを立てて、「法華経の行者を助けます」と言ったのに、その義が日蓮に現れないのは私が法華経の行者ではないからですか。この疑問はこの書の肝心(かんじん)、一期(いちご)の大事ですので、何度もこれを書き疑問を述べた上で答えを出さなければなりません。 ・・・ 

ある人は言います、「当世に三種類の敵は現れていますが、日蓮を法華経の行者というのは大きなまちがいです。なぜなら法華経は、“天が使いを送って、行者を刀やむちから守り、毒もその人を害することは出来ません”と言い、また、“もし人がののしり、あざけれるなら、たちまちその口はしゃべれなくなります”と言い、 ・・・ また、“行者は現世では安穏で報酬を受け、後世では善い位に生れます”と言い、また、“経典を受持する者に罪がないのに、それを偽って訴える人はこの世でらい病になります”と言っているからです」。

私は答えます、「あなたの疑いはもっともです。その不審を晴らさなければなりません。法華経の第四書は言います、“無知の人々が悪口を言い、あざけり、ののしるでしょう”、又言います、“木刀やむちで打たれ、石を投げつけられるでしょう”。真理に背く世を神は捨て天は守らないから、正法を行ずる者にその守護のしるしがなく、かえって苦難に会うのです。金光明経はいいます、“善業を修する者は日々に減少します”。この国は悪に染まり、今は悪い時代であることは、すでに『立正安国論』で論じたところです。結論を言いいますと、天が捨てた国では多くの苦難にあって命を捨てる覚悟が必要です。しかし法華経を捨ててはいけません、それは地獄の業です。 ・・・ 真理の前にはどんな苦難も風前のちりに過ぎません。私は日本の柱となります、私は日本の眼となります、私は日本の大船となります、と立てた誓いを破りません。

開目抄(抜粋)

実にこの『開目抄』は日蓮のかたい信仰と真実な人格がひとつとなってあふれ出た大文章です。

6. 法難を喜びとする
日蓮は法華経のために苦難に会うこと度々でしたが、信仰によって彼は苦難を喜びました。その心境を日蓮は次のように書いています。

このように思いますと私たちは流罪の身ですが心も体もうれしくなります。真理の法を昼も夜も思いめぐらし、救いの恵みを一時も離れず味わっています。こうして年月を過ごせば時間のたつのもわすれます。歴史始まって以来親や君主の怒りを買い遠国の島に流罪された人で私たちのように喜びが身にあふれる人はいません。私たちのように真理を一途に求める人にとってはどこに住んでもそこは常に光の輝く都となるのです。
最蓮房御返事

そのように思いますと私たちは流罪の身ですが喜びはあふれます。うれしいときは涙、つらいときも涙です。涙は善いときも悪いときも共通するものです。文殊(もんじゅゆ)聖人は仏のことを思って涙ながらに法華経を唱えていると、仏は涙ながらに「私はあなたの祈りを聞きました」と答えました。今の日蓮もその心境です。このような心境になれたのも法華経の真理を伝えてきたからに他なりません。・・・ 現在の苦難を思うもなみだ、未来の救いを思って喜ぶもなみだが止まりません。烏と虫とは鳴きますが涙を流しません。日蓮は泣きませんが涙の止むときがありません。この涙はこの世の故ではありません、ただに法華経の故です、ですから甘い露のなみだとでも言いましょう。

諸法実相抄 (1273年)

これはやせがまんの言葉ではありません。日蓮は真理のために会った苦難を心の底から喜んでいるのです。彼の言葉に偽りはありません。少しでも真理のための戦いが何であるかを知る人は、彼が信仰によって苦難を喜んでいる心を理解するでしょう。

7. 預言の成就
日蓮が幕府に向かって、内乱反逆の難と他国侵入の難を警告したのは3度にのぼります。この預言が成就した後、日蓮は次のようにそれを振り返っています。

私に三度の高名(預言)があります。一つは1260年7月16日に立正安国論を提出した時、宿谷の入道に向って言いました、「この書の言葉に耳をかたむけないならば、北条の一門で反逆が起こり、さらに他国からせめられます」。二つには1268年9月12日に平左衛門尉に向て言いました、「日蓮は日本国の棟りょうです。私の命を取るのは日本国の柱を倒す事です。すぐに内乱が起こるばかりでなく、外国の侵略に会い、この国の人々が打ち殺されるのみならず、多くの人が捕らえ移されます。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者、禅僧等の寺塔を焼き払い、彼らの首を切らなければ、日本国は必ず亡びます」。第三には1271年4月8日左衛門尉に語って言いました、「私はこの世の王の地に生まれたので身体は王によって支配されますが、心は支配されません。念仏は地獄です、禅は悪魔の仕業です。とりわけ真言宗はこの国に大きな災いです。モンゴル国の調伏を真言師に仰せ付けてはなりません。もし調伏を真言師に任せるならば、いよいよい、この国は亡びます」。頼綱はたずねました、「いつごろ、災いは起こりますか」。私は言いました、「経文にはいつごろとは書いていませんが、天の怒りは少なくありません、今年中に起こるでしょう」。
この三つの大事は日蓮が言ったのではありません。ただにシャカの御霊が私の身体に入り、私の代わりに語ったのです。私の身体を通してシャカが語られたことはまことに私の身に余る喜びです。。

選時抄

もちろん、ここで日蓮は国難の臨んだことを喜んだのではありません。法門の真実なことを喜んだのです。・・・ 日蓮の預言の実現したことは悲しむべきことです。畏れおののいて経文を信じ、国の救いを祈らなければなりません。それに反し、「まるで町中を物を売り歩く者のように預言の的中をやかましく叫び、誇り歩く浅薄な者はわたしの弟子ではありません」と日蓮は叱りました。多くの者が愛国を自分の商売とする世の中で、日蓮は真実に私のない愛国者でした。

8. 日蓮の信仰
日蓮は自己の信念の基礎を常に経典に求め、自己の言説を一々経典によって裏打ちしました。日蓮の文章は経典の引用で満たされています。これは自己の言葉を飾るためのペダンテック(衒学的)な引用ではありません。自説の貧弱なことを隠すためのカモフラージュ(偽装)ではありません。ある意味で日蓮に自説というのはありませんでした。彼は経典にある事のみを語ったのです。日蓮の言葉は彼一人の私言でなく経典の言葉でした。この事実が日蓮の言論にあの強さを与えた根本の原因でした。

彼の言論が経典に立脚し、彼の生涯が経典に符合するとき、日蓮は大磐石の勇気を持ったのです。

日蓮は聖人ではありませんが、法華経を説のごとく受持すれば聖人のごとくです
佐渡御書

私自身はかいのない平凡な人間にすぎませんが、経典を持つものとしては、当世日本第一の大人です

選時抄

この確信が日蓮の戦闘力の根源であったのです。

9. 日蓮の性格
日蓮は強い性格の人物でありました。彼は敵を仮借しませ んでした。妥協と打算は、彼にみじんもありません。彼が 敵を責めた言葉は激越をきわめました。・・・ 彼の毒舌 激語は君子の組しえないところでありましょうか。彼の自 信はあまりに強すぎて、ごうまん、ひぼうの罪におちいっ たのでありましょうか。たしかに、これは日蓮の欠点であ りましょう。欠点のない人物などいません。もしいるとい うなら、それは偽善者です。日蓮に欠点がありました。し かし日蓮の欠点は、少なくとも偽善ではありません。彼の 性格は真実であります。純真であります。彼は真理を生命 としたために、真理の敵に対しては、両立を許さないほど の激しい憤りを発したのです。日蓮の怒りの底には真理に 対する熱愛があったのです。 

10. 日蓮の宗教
浄土というのも、地獄というのも、外のことではなくて、ただ私たちの胸の中にあるものです。これを悟る人が仏であり、これに迷う人が凡人です。またこれを悟ることが法華経の教えです。ですから法華経を保ち守る人は、地獄とは光のないことと悟ることができるのです。

上野殿後家尼御返事

私の弟子また信徒となる人は一歩も行かなくても天国の霊山を見、その光の浄土へ昼夜に往復することが出来ます。うれしい限りです。

最蓮房御返事

そもそも地獄と言い天国と言い、それはどこにあるかと言えば、あるいは地の下という経文あり、あるいは西方という経もあります。しかしよく考えれば、それは私たちの体の内にあると言えるでしょう。

十字御書

日蓮の宗教は心の宗教であり、経文の宗教であり、悪人、女性、平民、万民の宗教でありました。日蓮は有力な政治家や宗教家、すなわち権門勢家の間に多くの敵を持ちました。しかし武士と平民の間に、少数でありますが、真実な弟子を得ました。数度の迫害受難によって態度をあいまいにし、日蓮を棄て去った信徒は少なくありませんでしたが、残った少数の弟子や信徒と日蓮との交わりは世にも美しい友情でありました。日蓮が真実の人でしたから、かれを助ける者もまた真実をもってしました。

11. 信徒との愛の交わり
日朗は日蓮最愛の弟子です。日蓮は1271年10月10日、依智を出発して佐渡に向かいましたが、その前日、次の手紙を鎌倉で牢に入れられている日朗に書き送っています。

日蓮は明日、佐渡の国へわたります。今夜の寒さに付けて、牢の中にいる、あなたの事が思いやられて、いたわしいです。あなたは法華経の真理を身にも心にも読み現した人ですから、父母も親戚も一切の生ける者があなたを助けるべき存在です。しかしこの世の人は法華経を口ばかりで読んで心に読まず、たとえ心で読んでも身体に読んではいません。あなたが心身共に正法を読んだことは貴いことです。「天が使いを送って、行者を刀やむちから守り、毒もその人を害することは出来ません」と説かれているのは、まさにあなたの事に他なりません。牢を出たならば、すぐに私の許に来て下さい。再会が待ち遠しいです。
土籠御書

これがその全文です。自分と同じくびきにつながれ、法のために迫害を受け、身をもって経を読みつつ初冬の寒い牢に夜を過ごす愛弟子の身を思う切々とした愛があふれています。

佐渡流罪一年後の1272年の暮れ、鎌倉の牢に入れられていた日朗が釈放され、塚原の雪の中に日蓮を訪ねて来ました。日蓮は夢ではないかと、驚くほどの喜びでした。鎌倉と佐渡とは、片道15日を要する旅路ですが、日蓮が佐渡にいた2年半の間に日朗の訪問は8回に及びました。師弟の交わりの深さは私たちを感動させずにはおきません。

四条金吾は鎌倉の武士ですが、武家信徒の中、日蓮の最も愛した者でした。竜の口法難の夜、彼は鎌倉から日蓮に従って来、切腹して殉死しようとしました。その純情を愛して、日蓮は次のように書き送りました。

さて、去る12日の難の時、あなたは竜の口まで来たばかりでなく、「腹を切ります」、と言ったことは、まことに驚くばかりでした。 ・・・ 私が天国に行ったときは、まず最初に、「四条金吾こそは法華経のために私と同じく腹を切ろうとしました」、と報告するつもりです。 ・・・ 信仰にかたく立つことこそ何よりも大切です。
四条金吾殿御消息、1271年

阿仏坊、千日尼夫婦は終生日蓮によく仕え、日蓮も二人の純情と誠実をこの上なく喜びました。阿仏坊は佐渡から、身延に隠退した日蓮を5年間に3度訪れました。千日尼の女人成仏の心配に対して日蓮は次のような返書をしています。

法華経だけが女性の救いを述べ、悲しむ母の恩に報いる、本当の報恩経です。救いを悲願する母の恩に報いるために、この経の題目をすべての女性に唱えさせたいと願います。 ・・・  たとえ私が間違っていても、日本国の一切の女性を助けたいとの志は捨てません。ただ法華経の語るままに言うだけです。 ・・・  しかし私は佐渡の国へ流され、その国の守護らは幕府の命令によって日蓮を憎み、民はその命令に従っています。 ・・・  地頭や念仏者たちが、私の住まいに誰も通さないように、昼夜とおして見張りを立て、来る人を責め追い払っているとき、あなたは夫の阿仏房におひつを負わせて夜中に度々訪ねて来たことを、いつの世に忘れることができましょうか。あなたは天母の生れかわりに違いありません。 ・・・  その上、人は目の前に居る間は心を向けますが、離れれば心は忘れなくても訪ねることはありません。それなのに、あなたは去る1273年より今年1278年の5年間にはるばる佐渡から3度までも夫をこの身延の山中まで使わしました。何という心ざしでしょう。ああ、大地よりもあつく大海よりもふかい心ざしです。
千日尼御前御返事 1278年 

「立正安国論」を書いた剛毅の日蓮はまたこの繊細な愛の手紙を書いた人であります。世にさげすまされる女性、殊にやもめとみなしごに対する日蓮の同情はこまやかでありました。強い日蓮は同時にこの優しい日蓮でありました。彼の強さも優しさも、その根は一つです。すなわち彼の真実な性格であります。そうしてこの真実な性格は彼の真理に対する愛によって養われたものであります。 

12. 真理を愛した日蓮
日蓮は情によって義を曲げることをしません。孝は真理に従うべきであり、法が親に依って妥協すべきではありません。人情をぎせいにしてでも真理を教えることこそ真の親切です。日蓮は真実純粋な仏法の正統を明らかにしようと努力し、真理高揚のためには一切の妥協迎合を排しました。この生活態度には心から尊敬を払うものです。

日蓮は真理のために真理を愛し、真理によって国を愛し、真理の敵に向かって強く「ノー」と言うことの出来た人であります。そういう人が昔の日本にいたという事は、私たちのなぐさめであります。

 (出典: 矢内原忠雄全集24巻、「余の尊敬する人物」)
http://homepage.mac.com/abukuma/mukyokai/hito/nichiren_yanaihara.htm

闘う法大生は日蓮正宗、大石寺に参詣しよう!『立正安国論』七百五十年を記念する今年、大石寺に参詣しよう!
【2009/05/13 04:10】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
正しい宗教と信仰

1 宗教に正教と邪教があることがわからない

  なぜ人は信仰し、宗教を求めるのかと問う時、ある人は神仏に守ってほしい、ある人は願いを叶えてほしいといい、またある人は先祖の冥福を祈りたいなどとさまざまな答えがかえってくると思います。
  現在日本だけでも何十万という数の宗教がありますが、そのなかには、合格祈願のための神社をはじめ、水子供養専門の寺院とか、虫封じの神社があるかと思えば“とげ抜き地蔵”なるものまで、多種多様の宗教があります。
  また信仰する対象も、同じキリスト教でも十字架を拝むものや聖書・マリア像・キリスト像を拝むものなどさまざまですし、仏教でも釈尊像を拝むものや、大日如来(だいにちにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)などの仏や、観音、弥勒などの菩薩、あるいは大黒天、弁財天などの天界の神を祭るものなど、宗派によって多岐に分かれています。
  もし宗教が単に気休めや精神修養のための手段ならば、それはちょうど音楽の好きな人が名曲を聞き、読書家が名作を読んで心をなごませることと同じでしょう。またそれならば、どの宗教によって、どのようなものを拝んでも、その人その人の好みによればよいということになるかもしれません。
  でも少し考えてみて下さい。私たちが生活する上で、無関係なものや無縁のものからは生活に直接影響を受けませんが、身近なものや、信用したものは、その善悪、真偽、正邪によって大きな影響を受けることになり、それが人生の指針にかかわるものや、人命に関するものであればなおさら大きな力として影響を受けることになります。
  たとえば、進学や就職、結婚などは誰でも慎重に選択するでしょうし、日常生活でも乗物や食べ物あるいは医薬品などは、より信用できるものを選ぶものです。その選択の基準として、自分の経験や、道理の適否・実験の結果 ・保証の有無・他者の評価などを考慮したうえで、できる限り、よい価値を生ずるもの、すなわち満足できるものを選ぶのではないでしょうか。
  これと同じように、宗教もそれぞれ本尊が異なり、教義もさまざまですが、日蓮大聖人は、
  「小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(高橋入道殿御返事・新編八八七)
と仰せのように、三毒強盛の末法の衆生には、真実の教えである妙法蓮華経の大良薬を与えるべきことを教示されています。
  釈尊も法華経において、
  「唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」(方便品第二・開結一一〇)
と説かれ、仏になる道はただ法華経以外にないことを明かされています。
  いいかえると、この経文は一乗の法すなわち法華経以外の教えは、真実の教法ではないとの意味です。  このように、宗教には正邪の区別があることを知らなければなりません。


2 宗教を判定する場合の基準には、どのようなものがあるのか

  正しい宗教の条件としては、まず人間の世界を離れた架空の世界を基盤とした宗教ではなく、人間のための宗教であり、人間がよりよく、幸せに生きるための宗教であることが大事です。そのためには、正しい生命観に基づき、正しい道理を備え、全人類を救済する現実の力をもった宗教であることが大切です。
  ではどのような方法で宗教を判定したらよいのでしょう。
  日蓮大聖人は、次のような基準をもって宗教の正邪を判定することを教えられています。  
1 三証(さんしょう)  文証、理証、現証のことをいいます。
  文証とは、経論などによる証拠であり、教えが独断ではなく、仏の説いたお経によっても裏付けられるかどうかを確かめることです。
  理証とは、教えが因果の道理にかなっているかどうかを確かめることです。
  現証とは、その教えがたんに理論のみの観念ではなく、現実の人間の生活の上にどのように証明されるかを確かめることです。  
2 五義 (ごぎ) 教(きょう)・機(き)・時(じ)・国(こく)・教法流布の先後(きょうほうるふのせんご)の五つを知ることをいい、宗教の五綱(ごこう)ともいいます。仏法を広めるに当たっての規範であり、この観点に基づいて正しい宗教を選択することです。「教を知る」とは、仏菩薩の説いた経律論や、あらゆる思想哲学宗教の勝劣浅深を見究めることです。「機を知る」の機とは衆生の機根であり、教えを受け入れられる状態にあるかどうかを見定めることです。「時を知る」とは、広まる教えに相応した時代であるかどうかを知ることです。「国を知る」とは、それぞれの国が、どのような教えに縁のある国かを知ることです。「教法流布の前後を知る」とは、先に広まった教えを知って、次に広まるべき教えを知るということです。
  この五義のうちの、教の勝劣浅深を判定する基準として、五重相対(ごじゅうそうたい)、五重三段(ごじゅうさんだん)、四重興廃(しじゅうこうはい)、四重浅深(しじゅうせんじん)、三重秘伝(さんじゅうひでん)などがあります。このなかのおもなものを簡単に説明しますと、
  「五重相対」とは、内外(ないげ)相対・大小(だいしょう)相対・権実(ごんじつ)相対・本迹(ほんじゃく)相対・種脱(しゅだつ)相対の五重であり、仏教以外のすべての教えと仏教との比較検討から始まり、小乗教より大乗教、権大乗教より実大乗教、法華経迹門より本門、文上脱益(もんじょうだっちゃく)より文底下種(もんていげしゅ)と、次第に高度な教えを選択していく方法です。
  「四重興廃」とは、釈尊の教えを、爾前経、法華経迹門、法華経本門、観心(かんじん)、と従浅至深(じゅうせんしじん)して勝劣興廃(しょうれつこうはい)を判じることです。
  これらの基準に基づいてさまざまの角度から判定を重ねるとき、初めて唯一の正法を選定することができるのです。


3 どの宗教が正しいのか自分でたしかめてみたい

  現在日本における宗教法人の総数は、十八万三千四七一あり、法人格を持たない宗教団体を含めると二十二万七千余もあるといわれています。(平成九年 宗教年鑑調査による)
  これほど多くの宗教を、実際に自分の目で善悪を確かめたいといってもそれは不可能なことです。
  またそのなかで仏法の教えは特に難信難解であり、体験の世界でもありますから、私たちがただ頭で宗教の正邪を理解しようとしても、十年、二十年、または一生涯を費やしてもできることではありません。結局はどの宗教が正しいのかもわからず、信仰の道に入ることもできないでしょう。
  たとえば川を渡ろうとする人が橋の手前で、この橋はいつ、誰が作ったのか、材料はなにか、今までこわれたことはないか、などと詮索し続けて、結局向う岸に行きつくことができなかったという話があるように、すべてのものごとに対して、理解し納得しなければ信用しないという人は、一日たりとも生活できなくなるでしょう。
 時には批判し、詮索することも必要ですが、元来仏教に限らず、すべて宗教は信ずることから始まります。
  法華経には、
  「信(しん)を以って入ることを得たり」(譬喩品第三・開結一七五)
とあり、日蓮大聖人は、
  「仏法の根本は信を以て源とす」(日女御前御返事・新編一三八八)
と教示されています。
  また大聖人は、
  「有解無信(うげむしん)とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解(うしんむげ)とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」(新池御書・新編一四六一)
と説かれて、たとえ仏法の教義を理解できる人であっても、信ずる心のない人を救うことはできないと教示され、さらに、
  「法華本門の観心の意を以て一代聖教(いちだいしょうぎょう)を按ずるに菴羅果 (あんらか) を取って掌中に捧ぐるが如し」(十法界事・新編一七六)
と仰せられ、真実の仏法を信ずるとき、一切の宗教の浅深は、あたかもたなごころを見るように明らかになるのであると説かれています。
  正しい御本尊を信受し修行することによって、あなたの真実を求め、見きわめる力は、より正しく発揮され、人生に大きく役立ってゆくことでしょう。


4 なぜ他の宗教を捨てなければならないのか

  釈尊は、一代経の究極である法華経に、
  「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」(方便品第二・開結一二四)
と仰せられるように、今まで説いてきた方便の教えを捨てて無上の教えである法華経を最高唯一のものとして説かれました。そしてさらに、
  「余経の一偈をも受けざる有らん」(譬喩品第三・開結三一六)
と戒めています。
  末法においては御本仏日蓮大聖人が建立された南無妙法蓮華経の仏法こそ文底本因妙(もんていほんにんみょう)の法華経といって究極中の究極であり、すべての仏菩薩をはじめ全世界の民衆を根本から成仏させる無上最高の真実法なのです。
  したがって真実の一法以外はすべて方便の教えであり、これを権教ともいいます。権とは“かり”の意で、権教とは実教に対する言葉です。
  人がもし“かり”の教えを真実のものと信じこんでその通りに実行したならばどうでしょうか。月収が来月から十倍になるという仮定の話をまともに受けて浪費をしたら家計はどうなるでしょうか。権教を信ずる人は、現実と遊離した架空仮定の人生を歩むことになるのです。
  さらに日蓮大聖人は、
  「『了義経(りょうぎきょう)に依って不了義経(ふりょうぎきょう)に依らざれ』と定めて、経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべし」(開目抄・新編五五八)
と教えられています。了義経とは完全無欠な教えであり、不了義経とは不完全な教えの経典のことで、日蓮正宗以外の宗旨、宗派はすべて不了義経に当たります。
  どの宗教も一見もっともらしいことを説きますが、要するにうわべの言葉よりも何の経をよりどころとしているのか、教理が完全なものであるか、という点がもっとも大事なのです。一部分にありがたいことが説かれているからといっても、教理が不完全な宗教は、ちょうど外見も設備も立派であるが、エンジンが故障している飛行機のようなものです。このような飛行機に「良いところもあるのだから」といって、あなたは乗ることができるでしょうか。
  また、正しい教え以外の宗教を「覆相教」といいます。これは真実の教えを覆いかくす教えという意味で、不完全な宗教は正しい仏法を覆いかくし、迷わせる働きをするゆえにこれを除かなければならないのです。
  ここを大聖人は、
  「今の時は権教即実教の敵と成る」(如説修行抄・新編六七二)
と仰せられています。
  人々を救おうとする仏の真実の教に敵対する不完全な宗教は、人間を生命の奥深いところから迷わせ苦しめるものですから、これを悪法とも苦の因ともいうのです。
  大聖人は、
  「悪法世に弘まりて、人悪道に堕ち、国土滅すべし」(頼基陳状・新編一一二九) と説かれ、悪業による果報として、
  (1)周囲の人々から軽蔑される
  (2)みにくい姿に生まれる
  (3)粗末な衣服や食べ物しか得られない
  (4)財産を求めて努力しても得られない
  (5)貧しく下賤の家や邪な家に生まれる
  (6)不慮の災難や事故に遭う
  (7)人間としての苦しみを常に味わう
と教えられています。
  このように日蓮正宗以外の宗教は、人間を苦悩の底につき落とす悪法であり、仏の真意に背く権のものであり、人々をたぶらかす不了義経なのです。まさに薬に似た毒薬というべきでしょう。
  釈尊は、
  「但虚妄(こもう)を離るるを名づけて解脱(げだつ)と為す」(譬喩品第三・開結一七三) と説いています。真実の幸福は、虚妄(いつわり)の教えを捨てて正法に帰依することによって得られるのです。


5 なぜ日蓮正宗と他の宗教をいっしょに信仰してはいけないか

  信仰は、もっとも勝れた宗教を選び、誠実な清らかな信心を貫くことが大切です。
  たとえば一本の牛乳に、一滴の毒を混ぜたとしたら、いかに養分があるからといっても、あなたはその牛乳を飲むことはできないでしょう。
  これと同じように、正しい宗教とよこしまな宗教を混同して修行することは、せっかくの正しい信仰の功徳を消し、苦しみを受ける結果 になるのです。
  釈尊は四十余年未顕真実と説いて、最後八ヶ年の法華経を説いた後は、それ以前の経経はすべて権教(仮の教え)であるから用いてはならないことを明かされています。
  ところが真言宗、念仏宗をはじめ、すべて他の宗派は皆この四十余年の経に依っているのですから、これらの教えを法華経の真実の教えにまじえてはならないのです。
  それは良薬に毒を入れ、すべてを毒薬にしてしまうようなものだからです。
  日蓮大聖人はこのことを、
  「法華経を行ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申すは、飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し」(秋元御書・新編一四四七) といましめられています。
  大聖人の教えは、末法のすべての人々を成仏に導く唯一の大法であります。
  この大法を信じながら、他の宗教を混じえることは同じように成仏の道を閉ざすことになります。
  また大聖人が、
  「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(曽谷殿御返事・新編一〇四〇) と説かれているように、いかに正法を持っても、ほんの少しでも法に背くことがあれば、あたかも千ばいのうるしに一本の蟹の足を入れて、すべてのうるしの効用をなくしてしまうようなものであり、堕地獄のもとになるのです。
  正しい仏法は、余事を混えずに信仰しなければ、なんの功徳もありません。
  大聖人が、
  「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば、ゆヽしきひが事なり」(上野殿御返事・新編一二一九) と仰せのように、成仏の大利益は、日蓮正宗の仏法に余事を混じえず、清浄な心をもって信じ行ずるとき、はじめてもたらされるのです。


6 日蓮正宗では、なぜ神棚や神札をはずさせるのか

  あなたが神棚や神札をはずすことに抵抗を感じるのは、それらに神の力がこもっており、その力によって守られると考えていることによるのでしょうが、それはまったく逆なのです。
  大聖人は、
  「世皆正(しょう)に背き人悉く悪(あく)に帰す。故に善神(ぜんじん)国を捨てゝ相(あい)去り、聖人(しょうにん)所を辞して還らず。是を以て魔(ま)来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる」(立正安国論・新編二三四) と仰せです。
  諸天善神は、妙法が広く流布することによってそれを法味として威力を増し、民衆を守護する力をましていくのです。
  ところが、白法隠没(びゃくほうおんもつ)の末法の世の中においては、正法を信仰する者が少なく、正法に背いている者が多いために、諸天善神は法味に飢えて、社を捨てて天上にのぼってしまっているのです。
  したがって現在の神社には、悪鬼・魔神が棲みついて災難をひきおこすのです。
  ですからあなたの家の神棚にも、神札にも悪鬼が棲みついていますので、拝まなくてもそれがあることによって、あなたの生命はもちろんのこと、生活にも悪影響を及ぼし、ひいては先祖をも苦しめることになるのです。
  法華経には、
  「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば則ち一切世間の仏種(ぶっしゅ)を断ぜん。(中略)其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん」(譬喩品第三・新編一七五) と説かれています。
  末法においては、「此の経」とは、法華経の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経のことです。
  したがって日蓮正宗以外の宗派の本尊や、神社の神札などの信仰の対象ともなるものは、正法に背くものであり、人々を不幸に陥れる謗法の根源なのですから、神棚や神札は速やかに捨てることが肝要です。


7 もっとも正しい宗教とはなにか

  もっとも正しい宗教としての条件は、
  第一に教主が宇宙の真理と人間の生命の実相を完璧に悟った方であること
  第二に教義が因果の道理に基づいたもので、それが経典として誤りなく表記されていること
  第三に本尊が全人類にとって尊崇に値するものであり、現実に即したものであること
  第四に信仰修行の規範が普遍的で社会的人道的通念に反しないものであること
  第五に信仰によって得られる利益が教説に適っており、表面的一時的なものでなく本質的永続的な利益であること
などを挙げることができます。
  第一の教主の悟りについていえば、数多い宗教のなかで、宇宙の実相と人間生命を深く観達し、適確に説き尽くした教えは仏教に勝るものはありません。キリスト教の教主イエスやイスラム教のマホメットなどは神の子とか神の使徒として絶対神を説きましたが、彼らは神の啓示を受けたというだけで、過去に何を修行し、いかなる道理によって何を悟ったのかはまったく不明です。その教義内容も生命の本質に立脚したものでなく、戒律によって表面 的な言動を規制し、奇跡と空想を説いているにすぎません。
  その点仏教は教主釈尊の因行と果徳を明らかに教示し、五十年間の説法を通して宇宙の真理と人間生命の実相をあらゆる点から完璧に説き尽くしています。釈尊が成仏した根本の一法とは、久遠元初というこの世の最初の時代に、我身がそのまま大法界の真理の当体なりと悟られた自受用報身という仏様の教えであり、この久遠元初の仏様が末法に日蓮大聖人として出現されたのです。
  第二の教義の正当性と経典については、釈尊の説いた仏典は数多く現存し、その内容もすべて道理に適ったものですが、その究極が法華経です。この法華経の予言通 りに末法の御本仏として日蓮大聖人が出現され、一切衆生を救うために命におよぶ迫害のなかで南無妙法蓮華経の七文字を説きました。この南無妙法蓮華経は諸仏成道の根本原因の仏法であり、教義の面 からも、功徳の面からも釈尊の法華経より、はるかに勝れたものです。大聖人はこの大仏法を広く人々に説き示すために厖大な量 の御書を書き遺されています。
  第三の本尊については、本尊とは、“根本として尊崇すべきもの”の意味で、少なくとも人間として誰もが尊敬するに値いするものでなければなりません。世の宗教のなかには、キツネ(稲荷)、ベビ(竜神)、ワニ(金毘羅)などの畜生を拝むものや、先祖供養に名を借りて亡者の霊を本尊とするもの、仏としての悟りを得ていない菩薩や天上の神などを本尊とするものなどがありますが、これらは最上至尊の本尊ではないのです。またいかに立派な神や仏を立てても、それが架空のものであったり、空想上のものであっては、貴重な人生を托する本尊としてはきわめて頼りなく、危険なことというべきです。
  久遠元初の仏である日蓮大聖人が、
  「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(経王殿御返事・六八五) と仰せられて、御身に備わる一切の悟りと大功徳の力をそのまま図顕遊ばされた本門戒壇の大御本尊こそもっとも尊く勝れた御本尊なのです。
  第四の信仰修行についていえば、宗教のなかには修行として、山にこもったり、断食をするもの、神札や守り札を貼っておけば修行は一切必要ないというものなどさまざまです。また戒律宗教などの教えを現実生活の中で堅持しようとすると、さまざまな支障をきたしたり、非常識な行為になることもあります。日蓮正宗の信仰は教条的に現実生活上の行動を規制するものではなく、日常生活の中で日日、御本尊を信じ礼拝し唱題することが基本であり、誰でも支障なく信行に励むことができるのです。
  第五の信仰による利益については、大聖人が、
  「道理証文よりも現証にはすぎず。」(三三藏祈雨事・新編八七四) と仰せられるように、現証は宗教を判定するうえでもっとも大切なことです。
  さらに大聖人は、
  「南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべし」(諌暁八幡抄・新編一五四三) とも、
  「南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」(九郎太郎殿御返事・新編一二九三) とも仰せられています。すなわち、日蓮正宗の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、諸天善神に守護され、未来永劫にくずれることのない仏の境界を築くことができるのです。
  現在、日本国内のみならず全世界において、正宗信徒が飛躍的に増加し、歓喜にみちて仏道修行に邁進しています。
  日蓮正宗の仏法が世界でもっとも正しい宗教であることを、全世界の人々に理解される日もそう遠いことではないでしょう。


8 なぜ日蓮正宗だけが正しいといえるのか

  「正とは一に止まる」という言葉がありますが、正しい教法が二つも三つもあるわけがありません。これについて、釈尊は、
  「十方佛土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」(方便品第二・開結一一〇) と説き、日蓮大聖人は、
  「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事・新編一二一九)
と仰せられています。
  日蓮正宗がもっとも正しい宗旨である理由は、法華経の予証どおりに末法に出現された御本仏日蓮大聖人の教えを、七百年間にわたって現在まで清浄に誤りなく受けついできた唯一の教団であるから、といえましょう。
  鎌倉時代に出現された日蓮大聖人は、末法万年にわたって人々を苦悩の闇から救済するために、数々の大難に遭いながら、南無妙法蓮華経を説き顕わされました。そして南無妙法蓮華経の法体として一閻浮提総与(全世界のすべての人々に与えるという意味)の大曼荼羅御本尊を図顕建立されたのです。この御本尊は日蓮大聖人の当体でもあり、久遠元初の自受用身という宇宙法界の根本真理の当体でもあります。
  大聖人は、
  「抑当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず」(教行証御書・新編一一一〇)
と、大聖人ただ一人末法の仏として仏勅によって出現され、三大秘法の大法を広めることを明かされています。
  三大秘法とは本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇をいいますが、本門の題目とは大聖人が建立遊ばされた一閻浮提総与の大御本尊に向かって唱える題目のことであり、本門の戒壇とは、この大御本尊が安置され、しかも一切の人々が修行する場所をいいます。
  したがって三大秘法のなかには「本門の本尊」が中心であり、本門の本尊なくしては題目も戒壇も存在しないのです。このゆえに本門の本尊を「三大秘法総在の御本尊」とも尊称します。
  日蓮大聖人は入滅に先立って、門弟のなかから日興上人を選んで、本門戒壇の大御本尊をはじめとする法門のすべてを相承し付嘱されました。
  大聖人の精神と法義を固く守られた日興上人は、時あたかも地頭の不法によって謗法の地になりつつあった身延の地を去る決意を去れ、大聖人が生前より、
  「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ」(三大秘法禀承事・新編一五九五)
  「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(身延相承書・新編一〇二二)
と遺命されていたとおり、日本第一の名山富士山の麓に一切の重宝を捧持して弟子たちと共に移られ、そこに大石寺を建立されたのです。
  その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝えられているのです。この間の宗門史は、また正法厳護のための尊い苦難の歴史でもありました。
  いま私たちが総本山大石寺に参詣し、一閻浮提総与の大御本尊を拝するとき、
  「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(本尊供養御書・新編一〇五四)
の金言どおり、私たちの生命の奥底は仏の威光に照らされて金色に輝き、即身成仏の姿になっているのです。
  現在、国の内外を問わず、大御本尊の広大な功徳によって苦悩を希望に転じ、福徳に満ちて信心に励む多くの人々の姿が、日蓮正宗の正しさを物語っているといえましょう。


9 日蓮正宗がそんなによい宗旨なら、なぜ社会の人から広く受け入れられないのか

  質問の内容はいろいろな意味に解釈できます。具体的にいえば、
  「そんなによい宗旨なら」
  一、もっと昔から広まっていたはずだ
  二、もっと大ぜいの人が信仰するはずだ
  三、もっと学識者や著名人に受け入れられるはずだ
  四、もっと短期間に広まるはずだ
 などの意味を含んでいるように思われます。
  いま、これらの疑問に対して、まとめて説明しましょう。
  釈尊は法華経に、
  「此の法華経、最も為れ難信難解なり」(法師品第十・開結三二五)  
と説き、法華経は随自意といって衆生の機根にかかわりなく、仏が悟った法をそのまま説かれたもので、教義が深遠なために難信難解であり、さらに正法を信ずる時は必ず大難や障害が起るために難信難解なのであると仰せられています。
  とくに末法は衆生の機根も邪悪な時代であり、出現される仏も弘通される教法もより鮮明に破邪顕正を旨とするものであるから、迫害や誹謗は身命に及ぶものとなり、弘教は困難をきわめるであろうと、釈尊は予言されました。
  釈尊の予言どおり、末法の御本仏日蓮大聖人の生涯は、立正安国と衆生済度の大慈悲に貫かれ、同時にまた邪悪な大難障魔との闘いの連続でもありました。
  日蓮正宗は日蓮大聖人の教えのままに、法の正邪を峻別する折伏の宗旨であり、個個の人間に活力を与え、現実生活の向上を説く宗教であるため、封建主義の時代には、民衆を抑圧して体制維持を計る為政者から弾圧されたのです。
  したがって日蓮正宗の本格的な布教は、信教の自由・布教の自由が認められたのちといっても過言ではありません。
  折伏弘教が進むにつれて、その反動としての中傷や妨害もさまざまに起りました。なかには、せっかく日蓮正宗の話を聞いても、「日蓮正宗は新興宗教だ」「葬式の香典を全部持ち去ってしまう」「病人と貧乏人の集まりだ」などの悪質なデマに惑わされたり、世間の目を気にして入信できなかった人も多くいたのです。
  現在でも、正邪をはっきりさせることに抵抗を感じる人や、信仰するよりは遊んでいた方が楽しいという人、朝夕の勤行と聞いて尻ごみする人など、入信できない人も大ぜいいるようです。
  そのようななかで、人生を真摯に考え、先祖からの宗教を改めて日蓮正宗に帰依することは実に勇気のいることであり、至難の業なのです。それにも拘らず、日蓮正宗の信徒は、現在、日本国内のみならず全世界に広く活躍しています。
 さまざまな障害のなかで、このように発展したのは、正宗僧俗の折伏弘教の努力によることはいうまでもありませんが、何よりも日蓮正宗の仏法が正統であり、御本尊に偉大な功徳が厳然とましますからにほかなりません。
  世間には学識者や有名者、著名人といわれる人がおりますが、このなかには日蓮正宗の信仰をしている人もいれば、この宗教にまったく無知な人、世評や保身を気にして信仰できない人などさまざまです。ですから学識者や著名人が信仰するしないによって宗教の必要性や正邪を判断することはあまり意味のないことです。
  また“なぜ短期間に広まらないのか”という点ですが、日蓮大聖人の仏法に大利益があるからといって、一年や二年で願いごとがすべて叶うというわけにはいきません。
  なぜなら私たちには過去世からの種々の宿業があり、花も時がこなければ咲かないように、信仰の功徳が開花する時期は人によって異なるのです。また賢明な親は子供の欲しがる物を言いなりに買い与えないと同じように、目先の願望を叶えるだけが仏様の慈悲ではありません。いかなる時でも、正法を堅持し生命力を発揮して人生を悠々と歩む人間に転換されていくところに正法の真実の利益があるのです。したがって信仰の利益は、他人の目から見て容易に判断できるものではありません。
  しかし信仰によって御本尊の功徳を実感し、体験した人々の歓びと確信が、現在多くの人々を正法に導き、真実の幸福への人生を歩ませているのです。難信難解の正法を語り、その功徳の素晴らしさを伝えていくためには、着実な努力と時間の積み重ねが必要なことはいうまでもありません。
  あなたが、もし本当に“日蓮正宗は社会に広く受け入れられていない”と思い込んでいるならば、それは無認識による誤解であり、さもなければ偏見というべきです。
  また“もっと大ぜいの人が信仰しなければ、自分は信仰する気にならない”という意図で冒頭の質問をされるならば、それはあたかも“もう少し大ぜいの人が法律を守らなければ、自分も法律を守る気がしない”ということと同じで、良識ある大人のいうことではありません。
  他人がどうあろうと、周囲にどう評価されようと、正しい道を知ったならば、確信をもって自ら邁進する人こそ、真に勇気ある人であり、聡明な人というべきでしょう。


10 日蓮正宗の信仰をすると、どのような利益があるのか

  法華経に、
  「如来の知見は広大深遠なり」(方便品第二・開結一八九) と説かれているように、仏の知見と功徳のすべてを書き記すことはとうてい不可能なことですが、経文と御書のなかから主な教示を挙げてみましょう。  まず分別功徳品には、
  「釈尊の滅後に是の経(法華経すなわち南無妙法蓮華経)を能く行ずる者は
  (1)本尊を安置する塔寺を建立し
  (2)僧坊などの修行者の道場を建立寄進する境遇になる
  (3)正法を修行する人に対して深く敬い供養する
  (4)仏法を正しく理解して他の人に法を説くことができる
  (5)行動や言葉が正しく清らかになる
  (6)正法の善友にめぐまれる
  (7)忍耐の心が強くなり瞋りがなくなる
  (8)意志や信念が固くなり、周囲の悪法に紛動されなくなる
  (9)心が落着き、考えが深くなる
 (10)何物にも恐れず善行をたゆまず積み重ねる
  (11)多くの善い教えや知識を正しく生かすことができる
  (12)感覚が鋭利となり、頭脳は明晰に、智慧は深くなる
  (13)難問を解決する力が備わる」(開結四五九取意)
と説かれています。
  また随喜功徳品には、  
「正法を聞く功徳について、
 一、正法を説く寺院に詣で、あるいは座り、あるいは立って、是の経をわずかな間でも聴聞する功徳は、来生には最上の宝車を得て天人の宮殿に生まれる。
  二、正法を講ずるところに行き、座して聞き、他人に座を分かち与える功徳は、来生は仏法守護の統領である帝釈天の座に、また、裟婆世界(しゃばせかい)の主である大梵天の座に生まれる。あるいは人間世界の最高統治者である転輪聖王(てんりんじょうおう)の座に生まれる。
  三、他人に勧めて共に法華経を聞く功徳は、来生は聡明で智慧が深く、健康な身心と整った美しい容姿をもって生まれ、世世に仏に値い福徳を増すようになる」(開結四六八取意)
と説かれています。
  また日蓮大聖人は経王殿御返事に、
  「この御本尊を信ずる者は、
  (1)病魔や障害に犯されない
  (2)諸天善神に守護される
  (3)福徳が増して幸福になる
  (4)どんな場合でも恐れることがなくなる
  (5)自由自在の境遇になる」 (新編六八五取意)
と説き、
  当体義抄には、
  「正直な心で南無妙法蓮華経と唱える人は、
  (1)不幸の根源である悪心(煩悩)が、そのまま仏のような清浄な生命(法身)に転ずる
  (2)悪い行為(業)は、正しい判断力を備え、仏のような智慧(般若)に転ずる
  (3)苦しみや悩み悲しみは、希望にみちた自在の境界(解脱)に転ずる」(新編六九四取意)
と仰せられています。
  総本山大石寺第二十六世日寛上人(にちかんしょうにん)も、
  「この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用(みょうゆう)あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」(観心本尊抄文段・歴全五-二六六)
と教えられています。
  大御本尊の功徳は、即身成仏の境界に極まるのですが、そのためには、自ら信心を奮い起こし、正しい指導のもとに修行しなければならないのです。


11 日蓮正宗の信仰には、なぜ利益があるのか

  天台大師(てんだいだいし)は、利益と功徳について、
  厳密にいえば、功徳とは自ら積むものであり、利益とは他から与えられるものという違いはあるが、仏道修行による得益の相からいえば、その意義は同一である(法華玄義巻六取意)、といわれています。
  したがって、ふつうは利益のことを功徳といってもさしつかえありません。
  妙楽大師(みょうらくだいし)の弘決には、
  「仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境(しょうきょう)に縁すれば功徳猶多し」
といわれるように、日蓮大聖人が顕わされた一閻浮提総与の大御本尊には、仏様が一切衆生を救う仏力と、あらゆる災いを除いて人々を幸福に導く法力が厳然と納められておりますので、これに縁する者は大きな功徳を積むことができるのです。
  御本尊を拝しますと左の御かたに「有供養者福過十号(うくようしゃふくかじゅうごう)」としたためられています。
  十号とは、仏様の尊称で、如来・応供(おうぐ)・正偏知(しょうへんち)・明行足(みょうぎょうそく)・善逝(ぜんぜい)・世間解(せけんげ)・無上士(むじょうし)・調御丈夫(ちょうごじょうぶ)・天人師(てんにんし)・仏世尊(ぶっせそん)のことですが、これについて大聖人は、
  「末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万億倍すぐべしと説き給ひて候。これを妙楽大師は福過十号とは書かれて候なり」(法蓮抄・新編八一三)
と仰せられ、法華経の行者日蓮大聖人の当体である御本尊を信仰し供養する者の功徳は、仏典に説き示されている生身の仏を長い間供養するよりも百千万億倍勝れ、その無量 の智慧と福徳は仏の十号にもまさると説かれています。
  したがって仏力・法力の功徳は、他から安易に与えられるものではなく、御本尊に対する信力・行力を磨くことによって、はじめて積むことができるのです。
  ふつう“ご利益”というと、お金が儲かったり、病気が治ったり、願いごとが叶うなどの目前の現証だけを考えがちです。このような今世の利益も大事ではありますが、仏様はすべての生命は今世だけのものではなく、過去・現在・未来の三世にわたって永遠不滅なるがゆえに過去世の罪障を消滅し、今世のみならず未来永劫にわたって清浄な幸福境界を確立することが真実の利益であると教えられています。
  日蓮大聖人は功徳について、
  「功徳とは六根清浄の果報なり。(中略)悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり。功徳とは即身成仏なり」(御義口伝・新編一七七五)
と仰せです。六根とは、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の生命の識別作用の器官をいい、それが清浄になるとは、六根に備わる煩悩のけがれが払い落とされて清らかになり、ものごとを正しく判断できる英知が生まれることなのです。
  したがって正しい御本尊を信ずるとき、煩悩はそのまま仏果を証得する智慧となり、生命に内在する仏性はいきいきと発動し、迷いの人生は希望に満ちた楽しい人生に転換されていくのです。
  これを即身成仏の境界というのです。
  正しい信仰を知らない人は、この六根が無明の煩悩におおわれて、人生に対する判断に迷い、とりかえしのつかない過ちを犯すことが多いのです。
  このように日蓮正宗の信仰は、人間の生命を根本から浄化し、英知と福徳を備えた幸福な人生を築くものですが、その利益は個人の人間に止まるものではありません。
  大聖人は依正不二という法門を説かれています。依とは、私たちが生活するこの国土をいい、正とは、私たち人間のことです。この法門は、人間の思想や行動がそのまま非情の国土世界に反映するという“不二”の関係にあることを明かしたものであり、国土の災害や戦乱・飢餓を根本的に解決し、悠久の平和社会を実現するためには、正報である人間が清浄な福徳に満ちた生命に転換しなければならないことを示したものです。
  私たちが三世にわたって即身成仏の境涯を築き、しかも国土を平和社会に変える方途は、日蓮正宗総本山大石寺に厳護される本門戒壇の大御本尊を純真に拝し、弘宣していく以外にはないのです。

http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/link/kyogaku/shinko/shinko_6j.htm
【2009/05/13 04:14】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
「邪法の僧等が方人(かとうど)をなして智者を失はん時、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これ驕(おご)れるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。傲る者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小身と成って隠れしが如し。正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし。千経萬論を習学すれども時機に相違すれば叶ふべからず。」

佐渡御書の一節です。弱きを者を脅し、強き者を怖れるような畜生の如き僧等が、正法を弘めようとする智者を潰そうとするような時代には、師子王のような強い心を持っていなければ仏にはなり得ない。如何に正しい心を持って柔順であっても、勇猛なる決心がなければ、途中で破られてしまうのである。

例えば、この日蓮が手本である。これは日蓮が驕って慢心して言うのではない。正法を惜しむ心が盛んなるがためであり、法を弘め、それを信じる者に真の利益を得せしめたいと言う精神を、如何なる迫害があっても動揺しないと言う精神を学ばせたいからである。驕れる者は、強い敵に出会った時には必ず恐れるものである。驕ると言うことは、弱い立場にある者にすることであり、強いものがやってくれば尻尾を巻いて逃げてしまうような者を言うのである。例えば、修羅が威張っていても、帝釈天に攻められれば、無熱池の蓮の中に小さくなって隠れてしまうようなものである。日蓮は、如何なる強敵が現われても憶したことはない。正義を確信したる正しき信念があるが故に、決して恐れを懐かなかったのである。

正法は、一字・一句なれども時機に適いさえすれば得道が出来る、現在にも利益はある、未来にも仏に成れるのである。千経萬論を習学したからと言っても、時代を観ず、実際の必要にも当てはまらないようなものでは、何の役にも立たないのである。と、云われています。


「止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時、具(つぶさ)に起れり。又、天台伝教等の時の三障四魔よりもいまひとしほ勝りたり。一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。天台伝教等の御時には理なり、今は事なり。観念すでに勝る故に大難色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊(こと)なること也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候。」

富木殿に送られた殆ど晩年の御書「治病抄」の一節です。天台大師の「止観」に実経の修行を積んでいけば、三障四魔という様々な妨害が起こると述べられてあるが、今まさに日蓮に於いて、この三障四魔が起こっているのである。それは、天台・伝教大師の時よりも更に強いものである。一念三千の観法には二つある。一つは、天台・伝教大師の坐禅・瞑想をして妙理を観念する「理」のものであるが、今一つは日蓮がなしている、その妙理を応用して実際に社会の中に於いて大活動を起こす「事」の観念である。

一念三千というのは簡単に言えば、様々に矛盾・対立するものの弁証法的な因果を一念に捉えることである。「理の一念三千」の観法とは、ただ心に起こることを眺めるのではなく、この因果が仏法即ち道理になされていくことを、実際問題として瞑想の中で応用して活動させ、そしてそれを妙理として統一的に捉えて仏智に至ることである。この修行の間には、三障四魔による様々な迫害が精神や身体に起こるものである。

ところが今、日蓮がやっている「事の一念三千」とは、僧堂の中で、ただ心の中だけで行なっている観念でなくして、実世界の中の矛盾や対立の中に自ら身を置いて、仏法・道理において活動をなして、それを実際に現わしていく観念である。であるから当然、そこには現実の問題として衝突が起こり迫害が起こるのである。心の中で瞑想する観念と、社会の中で実践しつつする観念との違いであるが故に、そして観念が勝る故に大難も勝ると言っているのである。したがって、彼を迹門の一念三千、此を本門の一念三千とするのである。ここが、天地の違いであること、最後の大事な臨終の時にまで忘れてはならぬ。日蓮主義者は、正しき教えを立て、法華経の精神を実社会に実際化して、この世界を浄土化して行く奮闘を続け、そしてその功徳が積まれて仏になるのだということを、けっして忘れてはならぬと、最後まで日蓮大聖人は私達に申し渡されているのであります。
             
【2009/05/13 04:18】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
 2 平頼綱と日蓮

 イ 日蓮の立場

 日蓮〔1222~82.61歳〕は貞応元年(一二二二)に生まれているから、頼綱〔?~1293〕よりは年下であるがほぼ同世代と推定される。十二歳の時に出生地の安房国長狭郡東条郷の清澄山に登って学問を修め、十六歳で出家した(27)。はじめ浄土教を学んだようであるが、やがて仏教界の現状に疑問を抱き、京畿の諸寺・諸山を歴訪して研鑽を積み、『法華経』こそ真の仏教であるとの確信を得た。建長五年(一二五三)故郷の清澄山に帰り、『法華経』の教えを説き、特に念仏の信仰が誤っていることを強く主張した。このため、地頭の東条景信らに弾圧され、鎌倉に出て教えを説くことになったのである。

 日蓮の教えは、釈迦がすべての人びとを救おうという意図のもとに説き明かしたのが『法華経』である、とするものである。しかもその教えの徳は「妙法蓮華経」あるいは「南無妙法蓮華経」という五字・七字の題目にすべて込められている。人びとは『法華経』の教えを信じ切ってひたすら題目を唱えるべきである。そしてその救済は、あくまでも現世でなされなければならない。浄土教のように来世においてなされるのではない。

 この『法華経』の教えを広めるためには、まず国王に信じさせ、その力で日本全体を法華王国にするのである。こうして日蓮はその教えを『立正安国論』としてまとめ、文応元年(一二六○)、前執権北条時頼〔1227~63.37歳〕に呈上した。すなわち、日蓮は北条氏の得宗時頼を事実上の日本国王と認めていたわけである。このころ、天変地異がしきりに起こっていた。特に正嘉元年(一二五七)の大地震はすさまじく、鎌倉も大きな打撃を受けていた。日蓮はこの社会的大災害を仏教的に解明し、次のような結論に達していた。日本では『法華経』が信じられていないので、国土を守護する善神が天に上って行ってしまった。このため、日本には七つの大災害が起きる。それは『薬師経』に説く七つの難である。人民疾疲難・他国侵逼難・自界叛逆難・星宿変怪難・日月薄蝕難・非時風雨難・過時風雨難という七つの難である。日蓮によれば、このうち五つの難はすでにやってきて人びとを苦しめている。この上『法華経』を信じないならば、残りの二つの難が襲いかかってくるであろう。それは他国侵逼難(外国の襲来)と自界叛逆難(国内の反乱)である。このように日蓮は北条時頼に迫った。日蓮いうところの第一回の国王諫暁である。

 しかし日蓮は黙殺された。そればかりか、翌弘長元年(一二六一)五月には伊豆に流されている。日蓮の『一谷入道御書』(28)に、


弘長元年五月十三日に御勘気をかをほりて、伊豆国伊東郷というところに流罪せられたりき、兵衛介頼朝のながされてありし所也、さりしかども、ほどもなく同き三年二月に召し返されぬ、


とある。日蓮が幕府によって流されたのは、『御成敗式目』第十二・二十八条(29)などにその言動が抵触したからであると考えられる。第十二条は「悪口咎事」である。その説明として、次のようにある。


右、闘殺之基起自悪口、其重者被処流罪、其軽者可被召篭也、


 日蓮は鎌倉善光寺の道阿弥陀仏や長安寺の能安らの念仏者と争い、彼らから「悪口者」として訴えられていた。日運の弘長二年(一二六二)の『論談敵対御書』に、


論談敵対時、不及二口三口、以一言二言退屈了、所謂善光寺道阿弥陀仏・長安寺能安等是也、(中略)或向貴人云、謗法者・邪見者・悪口者・犯禁者等誑言不知其数、


とある。第二十八条は「構虚言致讒訴事」である。そこには、次のように定めてある。


右、和面巧言、掠君損人之属、文籍所載其罪甚重、為世為人不可不誡、為望所領・企讒訴者、以讒者之所領可充給他人、無所帯者可被処遠流、


 日蓮は悪口を言い、嘘をついて他人を攻撃したとして逮捕され、伊豆国に流されたのである。

 弘長三年(一二六三)二月、日蓮は許されて鎌倉に帰った。前年の二月には奈良西大寺の叡尊〔1201~90.90歳〕が時頼や北条実時〔1224~76.53歳〕の招きで鎌倉に下ってきている。約半年の滞在であった。戒律を重視する叡尊とその弟子の忍性〔1217~1303.87歳〕の真言律宗は、時頼に深い感銘を与えている。「悪口」「虚言」の日蓮とは対称的な僧侶として認識されたであろう。その時頼も日蓮が鎌倉に帰った年の十一月に没している。

 執権北条政村〔1205~73.69歳〕・連署北条時宗〔1251~84.34歳〕という幕府体制のなかで、文永五年(一二六八)二月、蒙古の使者が国書をもたらした。翌月、幕府は得宗の時宗を執権とし、政村を連署に回して責任体制を明らかにして、蒙古の襲来に対する防衛策を取り始めた。翌四月、日蓮は再び『立正安国論』を幕府に呈上した。時頼に差し出した時と同様、得宗被官の宿屋入道最信を通じ、今度は北条時宗に呈上したのである。いわゆる第二回の国王諫暁である。自分が予言した他国侵逼難が現実のものになったとして、日蓮はいっそう『法華経』の教えに自信を深めていた。大国蒙古による日本の滅亡を救うのは日蓮しかいないという自信である。文永五年四月五日付の『安国論御勘由来』に次のようにある。


日蓮見正嘉大地震・同大風・同飢饉・正元々年大疫等記云、自他国可破此国先相也、雖似自讃、若毀壊是国土、復仏法破滅無疑者也、而当世高僧等与謗法者同意者也、復不知自宗玄底者也、定給勅宣・御教書祈請此凶悪歟、仏神弥作瞋恚、破壊国土事無疑者也、日蓮復対治之方知之、除叡山日本国但一人也、


 強烈な自信と使命感である。ところが 三年後の文永八年(一二七一)九月、日蓮は幕府に逮捕されてしまうのである。逮捕の直接の指揮者は平頼綱であった。


 ロ 文永八年の日蓮の佐渡流罪

 文永八年九月十二日、平頼綱は数百人の武士を指揮して日蓮を逮捕した。建治元年(一二七五)の日蓮の『種種御振舞御書』によると、


去文永八年太歳辛未九月十二日御勘気をかほる、其時の御勘気のやうも常ならず法にすぎて見ゆ、了行が謀叛ををこし、大夫律師ガ世をみださんとせしを、めしとられしにもこえたり、平左衛門尉大将として数百人の兵者にどうまろきせて、ゑぼうしかけして、眼をいからし声をあらうす、大体事の心を案ずるに、太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり、ただ事ともみへず、日蓮これをみてをもうやう、日ごろ月ごろをもひまうけたりつる事はこれなり、さいわひなるかな、法華経のために身をすてん事よ、くさきかうべをはなたれば、沙に金をかヘ、石に珠をあきなへるがごとし、さて平左衛門尉が一の郎従少輔房と申者はしりよりて、日蓮が懐中せる法華経の第五巻を取出して、おもてを三度さいなみて、さんざんとうちちらす、又九巻の法華経を兵者ども打ちらして、あるいは足にふみ、あるいは身にまとひ、あるいはいたじき、たゝみ等家の二三間にちらさぬ所もなし、日蓮大音声を放て申、あらをもしろや平左衛門尉がものにくるうを見よ、とのばら、但今ぞ日本国の柱をたをす、とよばはりしかば上下万人あわてて見し、日蓮こそ御勘気をかほれば、をくして見ゆべかりけるに、さはなくして、これはひがことなりとやをもひけん、兵者どものいうこそへんじて見えしか、


また同じく日蓮の建治元年〔1275〕六月の『撰時抄』にも、


去し文永八年九月十二日申時に平左衛門尉向云、日蓮は日本国の棟梁也、予を失は日本国の柱橦を倒なり、只今に自界反逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打殺るのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらひて、彼等が頚をゆひのはまにてきらずは、日本国必ほろぶべしと申候了、


とあり、さらに建治二年〔1276〕七月二十一日の『報恩抄』にも、


去文永八年九月十二日平左衛門并数百人に向云、日蓮は日本国のはしらなり、日蓮失ほどならば日本国のはしらをたをすになりぬ等云々、


と呼んだとある。長文にわたって日蓮の著書を引用したが、日蓮に関する幕府側の史料は全くないので、文永八年〔1271〕九月の日蓮逮捕・佐渡流罪についても、まず日蓮の史料を使わざるを得ない。

 さて「平左衛門尉」あるいは「平金吾」と称されている平頼綱は九月十二日、日蓮を逮捕した。この時の日蓮の怒りようはものすごく、続いて鎌倉西郊の竜ノ口で斬罪にされそうになったり、佐渡へ流されて苦労させられた結果となったため、平頼綱はその後の日蓮教団から「聖人に最も直接なる法敵の第一人者」(30)とされてきた。しかし、鎌倉における治安の維持、犯罪者の逮捕、糺問、刑の執行は侍所の事実上の責任者である所司の仕事である(31)。頼綱は役目上、日蓮を取り締まったのである。

 当時、蒙古の襲来が現実のものになりつつあり、日蓮逮捕の翌日には異国の防禦と悪党の鎮圧を目的にした、鎮西に所領を持つ御家人への下国令が出ている。悪党とは、鎌倉幕府体制に従わない者たちのことである。北条時頼のころから、幕府はこの悪党への対策に手こずっていた。やがては彼らが鎌倉幕府を倒す一大要因となる。この文永八年の六月、日蓮〔1222~82.61歳〕は祈雨のことで真言律宗の忍性〔1217~1303.87歳〕と争い、彼から訴えられている。この時、忍性は、旱天続きの鎌倉を救うため、自分が七日間祈雨の法を行なって雨が降ったら日蓮が忍性の弟子になる、降らねば忍性が『法華経』の信者になるとの約束の上での祈雨の法を行なった。日蓮の建治三年(一二七七)六月二十五日の『頼基陳状』によれば、忍性のみならず、


弟子百二十余人頭より煙を出、声を天にひびかし、或は念仏、或は請雨経、或は法華経、或は八斎戒を説て種種に祈請す、四五日まで雨の気無、たましゐを失て、多宝寺の弟子等数百人呼集てカを尽て祈たるに、七日内に露ばかりも雨降らず、


という状態で終わってしまった。このため、日蓮がさんざんに忍性をけなしたため、忍性は幕府に日蓮のことを讒言したという。また忍性や浄土宗の良忠〔1199~87.89歳〕・道教らも、日蓮が『法華経』のみを認めて他の経典や修行方法等を認めない法華至上主義を幕府に訴えた。さらに、日蓮は武器(兵仗)をも蓄えて僧侶の道にはずれているとも、良忠らは攻撃したのである。

 これに対し、日蓮は陳状(弁明状)を出した。これが『行敏訴状御会通』と称されているものである。これは、


当世日本第一持戒僧良観聖人(忍性)并法然上人之孫弟念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等諸聖人等訴訟日蓮状云、


から始まり、ひとつひとつ忍性らのいい分に反論を加え、特に武器の所持については、


又云兵仗云云、涅槃経云、天台云、章安云、妙楽云、為法華経守護弓箭兵仗仏法定法也、例如国王為守護集刀杖、


といい切ってしまったのである。むろん鎌倉のなかでは僧侶が兵仗を帯するのは禁止されている。『吾妻鏡』文暦二年(一二三五)一月二十七日条に、


被禁断鎌倉中僧徒之兵仗


とあり、幕府法の『新編追加』のなかにも、延応元年(一二三九)四月十三日付で「僧徒兵仗禁制事」の項があり、同じく仁治三年(一二四二)三月三日にも「可被止鎌倉中僧徒従類太刀腰刀等事」の項がある。

 このように見てくれば、蒙古襲来に備えて防衛体制を整えようとし、また悪党対策にも心を砕いている幕府が、お膝元の鎌倉のなかでの日蓮の行動を黙認するはずがない。こうして日蓮は罪人となり、その罪人補縛の責任者である平頼綱が自ら武士を率いて日蓮の前に現われたのである。この時、日蓮はあくまでも自分が正しいといい張った。前掲の『撰時抄』に「日蓮は日本国の棟梁也、予を失は日本国の柱橦を倒なり」とある言葉には、それなりの説得力を平頼綱は感じていたであろう。でなければ伊豆流罪後の数年間の鎌倉での日蓮の布教を許しているわけがない。まして「只今に自界叛逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打殺るのみならず、多くいけどりにせらるべし」という予言は、幕府の責任ある立場にいる者として、無関心ではいられなかったはずである。「他国侵逼難」は蒙古によって現実のものになりつつあったのであるから。しかし恐らくは侍所の責任者である頼綱自身の決心によって日蓮は逮捕された。この状況のなかで、頼綱がどのように発言したかは日蓮の著書・書状の中には記されていない。

 日蓮は鎌倉の町を朝敵や謀叛人のように引きまわされ(文永十二年二月『神国王御書』)、その日のうちに佐渡流罪が決まった。竜ノ口で斬首されそうになったが、恐らくは頼綱と対立関係にある安達泰盛〔1231~85.55歳〕のおかげで当初の予定どおり佐渡へ流されている。命を助けられた口実としては、執権時宗の妻〔堀内殿.1252~1306.55歳〕 が懐妊したことと考えられ、日蓮の檀越の武士が泰盛に頼みこんだようである(32)。


 ハ 文永十一年の平頼綱と日蓮の会見

 文永十一年(一二七四)二月、日蓮は佐渡流罪を許された。この間の同九年二月十一日北条時宗は長年得宗家に反抗してきた一族の名越時章〔1215~72.58歳〕と弟の教時〔1235~72.38歳〕を殺した。続いて幕府からの早馬の連絡を受けた京都六波羅の北探題北条義宗〔1253~77.25歳〕が、南探題で時宗の庶兄である時輔〔1248~72.25歳〕を襲って滅ぼした。『保暦間記』にいうところの二月騒動である。日蓮の建治三年(一二七七)四月十日付の『四信五品鈔』に、


相州流罪日蓮百日内遇兵乱、


とあり、日蓮の真筆はないけれども文永九年〔1272〕三月十日とされている『佐渡御書』に「今年二月十一日十七日又合戦あり。(中略)薬師経云自界叛逆難是也」とある。

 日蓮自身、自分の予言に対してさらに自信を深めたであろうし、幕府の実力者である安達泰盛や平頼綱にしても、日蓮の予言を思い起こさざるを得なかったであろう。

 日蓮の流罪免除は、主に安達泰盛の力によるようである(33)。三月に鎌倉に帰った日蓮を、翌四月八日、平頼綱は侍所に呼び出した。『下山殿御消息』に、


去文永十一年二月に佐土国より召返されて、同四月の八日に平金吾対面して有し時、理不尽の御勘気の由委細に申含ぬ。又恨らくは此国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎申せしかば、金吾が云、何の比か大蒙古は寄候べきと問しかば、経文には分明に年月を指したる事はなけれども、天の御気色を拝見し奉に、以の外に此国を睨させ給か、今年は一定寄ぬと覚ふ、若寄するならば一人も面を向者有るべからず、此又天の責也、日蓮をわどのばらが用ぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢、


とある。平金吾(頼網)は、日蓮に「いつごろ蒙古が攻め寄せて来るか」を聞きたかったのである。頼綱は流罪を許す直前まで日蓮を警戒していた。それは、前年の文永十年〔1273〕十二月七日付で、「佐渡国流人僧日蓮引率弟子等、巧悪行之由有其聞、所行之企甚以奇怪也」に始まる幕府の御教書を佐渡の守護代依智六郎左衛門尉に送っていることでもわかる(文永十一年一月十四日付、日蓮『法華行者値難事』)。しかし、頼綱は悪党鎮圧と並ぶ最大関心事の一つである蒙古襲来について、日蓮の予知能力を評価していたのである。“蒙古の襲来はいつごろか”を尋ねるためだけに日蓮を呼びつけたのである。したがって日蓮が佐渡流罪を「理不尽の御勘気の由委細に申含」ても、耳にもかけず聞き流したし、また「王地に生たれば身をば随られたてまつるやうなりとも、心をば随られたてまつるべからず、念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑なし、殊に真言宗が此国土の大なるわざわひにては候なり、大蒙古を調伏せん事真言師には仰付らるべからず」(『撰時抄』)と他宗を非難しても、頼綱は動ずるものではなかった。蒙古襲来の防衛体制の責任者として、集められる情報は集めて参考にしようという態度だったのである。

 しかし頼綱をはじめ侍所の要路の者の間には、蒙古襲来(他国侵逼難)や名越時章・教時・北条時輔の乱(二月騒動、自界叛逆難)について不思議に正しく予言する日蓮を、全体的に理解しようとする思いが生まれていたようである。『種々御振舞御書』に、


四月八日平左衛門尉に見参しぬ、さきにはにるべくもなく威儀を和げてただしくする上、或入道は念仏をとふ、或俗は真言をとふ、或人は禅をとふ、平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ、一一に経文を引て申す、


とある。日蓮の考える仏教についても質問が出たのである。他の者が念仏や禅・真言などをたずねたのに対し、頼綱は「爾前得道の有無」について問うている。「爾前」とは、「その前」という意味で、天台宗やのちの日蓮宗で使う用語である。釈迦一代五十年の説法のうち、『法華経』が説かれる以前の四十二年間を指すとされている。この四十二年間に説かれた教えは方便の教えであり、「得道」、すなわち悟りを得ることができるとはいっても、結局は『法華経』の徳が覆いかぶさった上での得道であると天台宗では考えていた。この「爾前得道」があるのか、あるのならどのように存在するのかの説明を頼綱は求めたのである。

 こうして文永十一年〔1274〕四月八日の平頼綱と日蓮との会見は終わった。頼綱は、文永八年〔1271〕九月十二日の日蓮逮捕の時とは打って変わった冷静な態度で臨み、蒙古の実際の襲来の時期を日蓮にたずねた。日蓮は今年であろうと答えている。さらに頼綱は、このような予言能力を持ち、鎌倉や流罪地の佐渡にさえ信者を増やしている僧侶を理解しようと努め始めていることがわかるのである。


 ニ 熱原の法難

 平頼綱〔?~1293〕と日蓮との関係が次に問題となるのは、文永十一年から五年後の弘安二年(一二七九)のことである。正確にいえば、直接のきっかけは日蓮の駿河国の弟子の動きである。日蓮は文永十一年四月八日に頼綱と会見した後、五月に甲斐国身延山に入った。

 駿河国富士郡の地方では、日蓮の弟子である日興〔1246~1333.88歳〕を中心にして信者が増加しつつあった。ここで後に「熱原法難」(34)と呼ばれた事件が起こった。富士郡下方熱原は得宗領であった。この地域にある滝泉寺に住む日秀は、日蓮の熱心な弟子で法華経信仰を有していた。しかし同寺の実権を握っていた院主代の行智は念仏者であった。両者の対立は文永十一年〔弘安二年の誤り〕の九月になって頂点に達した。行智らは、日秀たちが九月二十一日に熱原の百姓を引き連れ、院主分の田の稲を刈り取り、横領したと幕府へ訴えた。日秀・日弁の名で記した日蓮の弘安二年十月の弁明状『滝泉寺申状』に、その行智の訴状には次のようにあったという。


訴状云、今月二十一日催数多人勢、帯弓箭、打入院主分之御坊内、下野房乗相具、熱原百姓紀次郎男立点札、苅取作毛、取入日秀住房畢云云取意


 しかし日蓮は、これはまったく事実でないとする。同前書に、「此条無跡形虚誕也」とある。しかし熱原の百姓二十名がすでに逮捕されて鎌倉に送られていた。理由は「刈田狼籍」、すなわち暴力的に他人の所有する田の作物を刈り取り横領してしまうことである。

 この訴訟の審理を担当したのは平頼綱である。文永十一年四月八日の対面において、頼綱は日蓮の発言を冷静に聞くかにみえたが、やはり本心からは信用していなかったのであろう。日蓮の信徒に厳しく当たったようである。十月十七日付の日蓮の『変毒為薬御書』に、


今月十五日酉刻御文・同十七日酉刻到来、彼等蒙御勘気之時、奉唱南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経、偏非只事定平金吾之身入十羅刹、試法華経行者歟、(中略)平金吾可申様者、文永之御勘気之時、聖人仰忘給歟、其殃未畢、重招取十羅刹罰歟、


と、頼綱の厳しさを、十羅刹女が日蓮の信徒を試す形でとらえている。また、日興の『弟子分帳』に次のようにある。


一、富士下方熱原郷住人 神四郎兄
一、富士下方同郷住人 弥五郎弟
一、富士下方熱原郷住人 弥五郎
此三人者、越後房弟子廿人内也、弘安元年奉信始処、依舎兄弥藤次入道訴被召上鎌倉、終仁被切頸畢、平左衛門入道沙汰也、子息飯沼判官十三歳ヒキメヲ以テ散々仁射天可申念仏之旨、再三雖責之、廿人更以不申之間、張本三人オ召禁天、所令斬罪也、枝葉十七人者、雖令禁獄、終仁放畢、其後経十四年、平入道父子発謀叛被誅畢、父子コレタヾ事ニアラズ、法華現罰ヲ蒙リ、


 「ヒキメ」とは、矢の先に鏃をつけず、かわりに朴や桐で作った大型の鏑矢のことである。穴があけてあり、音を発した。犬追物など、射る物に疵をつけないための矢である。しかし当たれば痛いには違いない。頼綱の子息飯沼判官、すなわち飯沼助宗〔1267~93.27歳〕が、熱原の者二十名をこの「ヒキメ」で射て責めたという。熱原の者たちの不法(刈田狼籍)は、日蓮の法華経信仰がその基礎にあると把握して、頼綱は念仏への改宗を二十名の者たちに迫ったのである。しかし彼らの信仰は固く、ついに『法華経』を捨てることはなかった。そこで見せしめのためであろうか、神四郎をはじめ三人の者を斬罪に処した。残りの十七名は牢につないでいたが、やがて解放し、事件は終わっている。

 以上、平頼綱と日蓮との三回にわたる交渉について述べた。頼綱は侍所所司という治安維持あるいは外国との戦争の事実上の責任者の立場から日蓮に接した

平頼綱は、その後、熱原法難で信徒を処刑した同じ木にくくりつけられて処罰された。これは総じて権力者に罰が下った証拠である。

また、日蓮大聖人を散々抑圧した北条政権は、大聖人を島流しに使った由比ガ浜で同士討ちして自滅した。

これが現証である。

その時代の『立安安国論』から七百五十年目の今年、現代の平頼綱こと漆間巌(公安警察官僚のトップ、すなわち法大弾圧を指揮しているトップの人物)と、現代の北条政権こと自公政権は七百五十年前と同様の総じて権力者に罰が下り、彼らは必ず自滅していく現証にいたるは必定なのである。(靖国参拝した七年後の同日の小泉や、9月の総選挙から一年後の安部はすでに自滅したのは総じて「百日・一年・三年・七年がうちに自界叛逆難」の総罰が下った証である。)

私のいうとおりに政局は必ずそのように帰結するから、法大文化連盟の斉藤さん、恩田さんは、ぜひここに確信をもって日蓮大聖人と法華経に帰依して幸福の境涯に切り開こう。
【2009/05/13 04:31】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
靖国神社と大東亜戦争に思う



「改革!」と、庶民の期待感をくすぐる耳障りのよいかけ声だけで五年間国民をあざむきつづけた小泉ハッタリ宰相の、最後の見栄である靖国参拝がおわり、当人はご満悦のようであるが隣国の中国、とくに韓国では反日行動が爆発して反日感情が暴発したかんがあるが、東南アジアのシンガポール、マレーシアからも批判が噴出し、フランスのリベラシオン紙でも批判の論説を発した。

日本国内では所信を貫いた孤高の態度が評価され支持率はあいかわらず高いようである。口先ばかりの改革論議で行った規制緩和は破綻しているのが現状である。その一例にタクシー業界がある。

小泉の規制緩和で不審の建設業界までタクシー業に乗り出したがサービスの低下と交通事故が増え、新たに運転手の資質向上を名目に実際にはいったん解放した規制を、あらためて規制しているのが現状である。小泉改革の規制緩和などこの程度の張り子のトラに過ぎないのである。(笑)、

米国の属国主義をとった小泉改革はじつは格差社会を生み出し他人をかえりみない独善主義の社会を作り出したのである。社会を構成する多くの庶民が、技術の取得や労働をアホラシイと感じるような社会を作り出した小泉自民党と創賊の公明党は売国集団と断じてよかろう。


【靖国神社は国民を戦場に送るための装置である】


「英霊」の祀られた靖国を擁護する評論家は多い。が、戦場で散った多くの徴兵兵士が天皇のために戦い「靖国で会おう」を合い言葉に戦ったとする評価には多くの疑問が残る。銃弾の飛び交う中を後ろから銃剣でつつかれて味方に殺されるか突撃するかの二者択一のなかで「天皇陛下バンザイ!」と突撃する徴兵兵士がいるであろうか。

攻撃当初は「カミカゼ」と恐れられた「神風特別攻撃隊」の第一次攻撃隊の指揮官であった「関行雄(せきゆきお)大尉」は当時新婚四ヶ月であったが出撃には自ら志願し報道班員に云ったことばは、

「ぼくは天皇陛下や大日本帝国のために征くんじゃない。愛する妻のために征くんだよ」と語ったことがのこされている。これこそ戦場で散った多くの兵士の心ではなかったろうか。

当初「カミカゼ」と呼ばれて恐れられた特攻だが後半は、豊富な物量をほこる米軍は弾幕を張って防止し笑いながら「バカボン=バカ・ボム(バカ爆弾)」と呼んだことは知られている。

徴兵を拒否すれば逮捕され「非国民」といわれて家族ともに犯罪者扱となって村八分の扱いになり親戚一同に辛いおもいをさせてしまう。このような状況では「天皇バンザイ」どころのさわぎではなかろう。


旧日本陸軍・海軍はまぎれもなく「天皇の軍隊」である。「統帥権」とは戦をする意思決定権でありそれは軍隊に帰属するものでありその頂点に天皇がいたことはいうまでもない。

私が不思議でたまらないのは、靖国問題においてA級合祀を肯定する徒輩が、いわゆる「東京裁判(極東国際軍事裁判)」を否定するためにA級戦犯を合祀することの妥当性を論ずることである。

戦争責任を論ずれば左翼ならずとも右翼思想からも「天皇の戦争責任」を追究しなければならなくなる。すなわちA級戦犯問題に立ち入れば必ず統帥権の頂点にあった大元帥たる天皇の責任問題が浮上するのである。

もし、昭和天皇が御自らマッカーサーに「戦争の責任は私にある」と云ったことで昭和天皇ご自身が自らの戦争責任を認められているから問題ではない、と論ずるのであればA級の戦争犯罪者たちは全て「極東国際軍事裁判(以降は東京裁判と略記する)」に於て、みずからを「無罪」と論じているので矛盾が生じるのである。

いわゆるA級戦犯たちが無罪を主張したのは東京裁判の違法性を論じるためであると論じたにせよ昭和天皇のご意見と矛盾することは否めないのである。

また、ソヴィエトとのノモンハン事件のおり捕虜となって帰還した佐官級いじょうの将官に拳銃を渡し、自決をほのめかして自殺にむかわせた陸軍の精神から云えばA級の軍人戦犯は東条英機が論じた「戦陣訓」にも違反していることは事実である。「生きて虜囚の辱めをうけず(趣意)」からいえば、完璧に生きて虜囚となっているのだ。


靖国神社については九州の福岡地方部霑妙寺の法華講員が運営するサイト「妙法の英剣」に詳細な研究発表があるので参照されたい。アドレスは http://homepage3.nifty.com/57577-55716/ であり、メインコンテンツから「東京招魂社の成立過程とその問題点」に詳しいので是非とも読んでいただきたい。

「妙法の英剣」からの引用、

  「この京都招魂社の精神は、そもそも悲運の人々を純粋に埋葬しようと
  言う人間本来の心から発生したものである。東京招魂社は、この京都
  招魂社とはまったく性格が変わってしまっているといって良いのである
  のである。東京招魂社には、あきらかに長州を中心とした官軍戦没者
  だけを祀るという政治的意図がその根底にあるのである。

  これに対し、京都招魂社には、もともと時の権力から葬り去れた敗者
  あるいはまったく権力から遠い行き倒れの人を埋葬してあげようという
  京都の人々の哀れみの情がその原点にあるのである。

  権力側・民衆者側一切関係なし、むしろ権力によって無惨な目に遭わせ
  られた人々を埋葬したのがもともとの京都招魂社の精神である。
  東京招魂社すなわちのちの靖国神社は、明らかに権力側の褒美としての
  意味合いを持たせた、純粋な政治的装置であると言えるのである。」


もともと維新にあたり敵味方の区別なく戦死者を葬ったのが京都の「招魂社」である。国事に倒れたもの、特に反権力者側にいて倒れたものは平民がかってに埋葬することは権力をはばかってなかなか出来るものではない。靖国の前身である京都の招魂社は純粋に庶民の社会意識によって成り立っていたものなのである。

東京招魂社は後に旧日本軍の管理下に入って「靖国神社」となり、旧日本軍が国民を戦場に送るための装置となったのである。これが靖国神社の本質である。


【余談】

静岡の侠客である「清水ノ次郎長」が徳川軍の兵士を弔ったごとく、北海道では戊辰戦争(じつは函館戦争前半が戊辰であり、戦場が本格的に函館となったときは「己巳の役=キシノエキ」という)のおり、「徳川脱藩家臣団」の遺体を地元の侠客である柳川熊吉が葬ったごとく、倒れたものは敵味方の区別なく鄭重に葬るのが人の道というものである。

明治時代の函館の侠客である「柳川熊吉」は、江戸の大侠客である新門辰五郎(娘が徳川慶喜の側室)の配下で浅草を縄張りとしていた侠客であったが、友人だった旗本の子息の仇討ちに助太刀し、熊吉が仇の首級をあげ、そのまま江戸を出奔して蝦夷の函館に落ち延びたが、熊吉を慕う子分が二~三百人があとを追って函館に集まり、ほどなく函館を仕切るまでになった人物である。

なお、幕末における国民的英雄である「清水ノ次郎長」は、江戸の大侠客である「新門辰五郎」の舎弟分である。


【靖国神社のA級合祀は靖国の暴走である】


靖国神社の祭祀は靖国神社が決定できることは、現在の宗教法人法によって定められた靖国神社の教義として尊重されなければならないことは当然といえよう。

しかし、本来は祭祀の対象として申し込むと靖国神社から天皇に上奏し天皇の裁可を得て祀ることが原則であったのだ。現在靖国には軍人のみならず沖縄の「ひめゆり部隊」や民間の運輸船に搭乗していて某国の潜水艦の攻撃にあい犠牲になった民間人も祀られているのは遺族、関係者が申し込んだものである。

現在の問題になっているA級戦犯合祀は『松平永芳宮司』がそれまでの慣例(原則)を破って勝手に祀ってしまったものである。本来は祭祀に関し天皇のご意思が尊重されるべき行為を平然と破った松平宮司の行いはいたく昭和天皇の御不興をかこったのではないだろうか。

もちろん敗戦後に一宗教法人となった靖国神社が戦前のように宮内庁に上申しても宮内庁は関与できるわけがないからたぶんに形式的に靖国神社から天皇宛に上奏(具体的には宮内庁)しても裁可の許否回答は無いものと思われる。松平宮司は『諸君』の92年12月号に以下のように述べている。

  「いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、『すべて日本が悪い』
  という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えてお
  りました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、
  総代さんのほうから『最終的にA級はどうするんだ』という質問があって、合祀
  は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。

  私の就任したのは53年7月で、10月には年に一度の合祀祭がある。合祀する
  ときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿
  を御所へもっていく、そういう書類をつくる関係があるので、9月の少し前でし
  たが、『まだ間にあうか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと
  千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱(A級戦犯)をお入れしたわけです」


この背景には、靖国神社の本来的な祭祀の許諾を決定する天皇(宮内庁)が裁可も否定も出来ない状況に於て勝手にまつりあげてしまったものと考えることが出来る。この靖国神社の暴走には昭和天皇もいたって不快感をお持ちになられたのではないかと推察されるものである。

松平宮司がA級戦犯を祀ったのは、「東京裁判史観」の否定が根拠となっていたと云うからあきれ果てたものではないか。そもそもである宗教が政経を指導するのはあり得るとしても、より高度な政治行為を批判するために宗教の本尊を決定するなど邪道であり宗教の本質にもとる行為ではないか。

靖国神社に本尊として祀られている神々は、いわゆる国作りの「皇祖・皇宗」以下の「守護神」としての地位でありいわゆる諸天と区別すべきものであることは云うまでもない。

しかし現行の憲法下においても、国民統合の象徴(国家意思の象徴)たる天皇の参拝の無い状態では靖国の御魂(みたま)は国家的英霊とは認め難いのであり、強いて云えば、『一宗教法人の教義による勝手な神格化』に過ぎないもので、靖国神社が本当の意味で国家守護の英霊の御社と決定づけるには天皇の参拝は必須なのである。


A級戦犯合祀がいくら宮司預かりとなっていたとしても、ことは重大事である。当時の中曽根総理の公式参拝に対する世論の風当たりの強さを考えてもことは慎重に行うべきもので、特に非公式の昭和天皇の御内意を探るべきであり察するべきであった。


東京裁判(極東国際軍事裁判)が国際法のうえからも違法なことは法曹の原則から論じても違法であることは云うまでもないし、この東京裁判の誤った史観によって現在の日本国民が民族的精神支柱を失っていることには筆写も同意である。しかしそれはあくまでも個人の思想であり意見に過ぎないのである。

その個人的史観のうえで靖国神社を政治的に利用するということは宗教の本来的存在の否定にもつながるという危険な自滅的要素を含んでいることにも留意すべきであろう。靖国を国民の手による畏敬の対象として存続することを考えるのであれば原則や原理を踏み外すべきではなかろうと思うのだ。


ともあれ現在惹起した富田メモの問題のほかにも敗戦後の時間とともに戦争遺族は減少しつつある状況から今後の靖国神社の存続そのものが危うくなっていることは事実と認識せねばならないであろうし偏った民族主義者の徒輩が、靖国を利用してふたたび軍国主義への道を歩もうとする勢力の動きは十分に監視しなければならない。

世の中が不況に陥り行き詰まりを示しはじめるとなにかにつけて右翼思想に走りがちになることは世界の通例である。アルゼンチン対英国のフォークランド紛争のように、韓国のノムヒョン政権の竹島侵略のように、古今東西の行き詰まり政治の当事者は国民の関心を引くために景気よく軍隊に花火をあげさせる傾向がある。(笑)、

郵政民営化のブチあげに、郵政の株式をもってヒトヤマ当てられるとくだらない夢を与えられて目をギラつかせている愚かな庶民や、ブッシュの愚政によって石油高騰によってカネあまりになった中東のバカ殿様の建築投資で踊らされている現今ではもはや暗澹と沈むことしか出来ない状況である。


【註】- 現在、札幌市はマンション建設がさかんであるが、これはイラク戦争のおかげで中東の産油国にカネが余って世界各国にマンションを建設し、マル投げで不動産販売業者に売りつけているからである。結局のところ建設利益の多くが中東に行ってしまうのであり国内の景気にはあまり寄与しないことになるのである。



【今こそ立正安国論の精神を】

親が子どもを殺し、子どもが親を殺し毎日の新聞に殺人事件は当たり前、コンビニ強盗は日常的になり銀行・郵便局への強盗も日常化してしまっている現在の我が国はまさに末法の現証が如実にあらわれていると感じるのは筆写のみではあるまい。

介護の限界から愛する母を手に掛けた事件はついこの間の事件である。認知症にかかり仕事を止めて必死の介護をした息子はついに家賃も支払えなくなり、わずかに残ったカネをもって小さいころに親子で歩いた京都の町を、母親の車イスを押してまわった。

夕方になり、「母さん、もうダメや、家賃を払えなくて帰られんのや」「そか、ならこっちにこい、わしらはいつまでも親子だけん忘れんなや」、そして息子は母親の首に、咽び泣きながら手をかけて絞めた後に、自らは手首を切って川に入った。

助けられた息子の供述、「今度生まれて来る時も母さんの子どもに生まれてきたい」--法廷の裁判官の全員が涙を流しながら尋問を行ったという。執行猶予のついた温情判決となったが、これに似た事件は同じころもう一カ所で起こっているのである。

これが世界第二位の経済力を誇る「小泉自民党」の率いるニッポンの現実である。

改革には痛みがつきまとう、と云いながら小泉は自分の実姉を秘書として雇い多額の退職金も支払っていたことが発覚している。これが国民に痛みを押し付け、自分たちは甘い汁を吸うという小泉自民党の実態なのだ。

こんな売国奴揃いの自民党を政府与党にまつりあげた国民にもその責任の一端はあろう、今後の自民党はどこへニッポンを持っていこうとしているのであろうか。ついにはわずかな繁栄のために米国の一州となり果てるのであろうか。

それとも戦争の出来るフツーの国家(これは小沢民主党も同じ)となって軍事力を背景とした恫喝国家へ変貌しようというのであろうか。少しばかりの繁栄の持続のために米国の属国となって米国の国益のために日本の青年たちを外国の戦場へ送れる国にしようというのであろうか。

現在の我が国は、本来あるべき日本民族の精神を米国に売り払い、米国の属国になって過ぎた繁栄の夢をみようとあがいている亡国の淵に立たされた、まさに試練のときを迎えているのではなかろうか。

小泉自民党は日本国民から搾り取れるだけ搾り取って最後は国家を米国に売り払おうとしている売国奴集団にすぎない。わずかな繁栄のために民族精神を見失った国民もバカであればその程度にふさわしい権力機構といえなくもない。

この精神的に病んだ祖国日本を再建するために、今こそ立正安国論の精神を確認すべきである。少しばかりの物質の豊かさよりも清廉な精神に生きる豊かさを学ぶべきであり広げてゆくべきではなかろうか。独立した精神をもって自立した国家を建設し世界の国と対等の祖国日本を再構築すべき時が来ているのではないだろうか。


☆法大当局は、公安や権力者たちからカルトがどうのこうのさけばされているが、靖国こそ日本最大のカルト宗教である。魔神・鬼神が背理し靖国の亡霊に依拠した小泉は、靖国参拝の七年後の同日に自民党から処分をちらつかされ引退を余儀なくされた。これは大聖人が『種種御振舞御書』で明言された「百日・一年・三年・七年うちに自界叛逆難」の現証であってそれ以外にない。

斉藤さん、あなたたちを悩み苦しめたすべてのやつらに反撃をくらわすのは、法華経を兵法にするしか方法はないのです。

私がすでに実践しているようにこれしか自公政権を叩き斬る方法はないのです。

【2009/05/13 04:39】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
↑の宗教の人

うんざり~~(/_・) 
うんざり~~(/_・)
うんざり~~(/_・)

外でやってよ

朝から具合悪くなった。
オーエー
【2009/05/13 09:06】 | #- | [edit]
>外でやってよ

擁護連は自分のブログと掲示板を持っているけど、いろんな所でやらかした過去の荒らし書き込みが知れ渡っていて、同じ公安マニアの「名無し」って人しか書き込みに来ないんだよ。

日本国憲法擁護本当の自由主義と民主主義連合~法大OBのブログ
http://navy.ap.teacup.com/union/
お笑い警備公安警察を告発する掲示板
http://6502.teacup.com/cpcp/bbs

寂しくて構って欲しいんだろうけど、宗教の話題を文連ブログでご開陳するKYさ。救い難い奴だから宗教が必要なのかも知れないよ(笑)。
【2009/05/13 11:19】 | #- | [edit]
擁護連マジキチだな。
最近は隔離病棟の中でもインターネッツできるんですね。
【2009/05/13 12:51】 | #z1/vyMRg | [edit]
以前に職業である「(チンケな)イベント屋」と名乗って書き込んだ所、ある病気患者に「松本氏がどうの」と答えて頂き、自分としては?の世界。で、在学中の成人式用に地下の洋品店で購入したブレザーの色(紺色)と改名した者です。

ハナコさんや逃散主義者同盟さんが手厳しく指摘していましたが、「日本国憲法擁護連合=うちはだいこ殿」は・・・先週の土曜日に神宮で会った連中が皆「2ちゃんねるのゾンビ」だと。私が文連ブログに書き込んだことと合わせて、爆笑されてしまいました。まぁ、笑いは健康にも良いとアニマル浜口さんも言われているので良しとしましょう。

しかし、宗教の話題は頂けない。宗教は趣味の範疇にはないことは大人の常識。ある病気患者殿は、自分の信仰する宗教を「信じている人=信仰者」から「宗教を広める人=宗教者」になっていることが、病気故に判らなくなってしまった。どこでそうなったのかは判らないが、一番重要なことは「文連ブログは、一人で作る場所ではない」ことだ。

書き込む人、見ているだけの人、文連のIT担当の人・・・皆が「同じ時間と空間を共有する場所」が「ここ」なのだ。いろいろな人がいる場所に自分の宗教を振りかざすことが果して良いことなのだろうか。法学部で法哲学を学んだとすれば、宗教者に成っている病気患者殿も判ると思うが。

追記 土曜日に会った連中には「ゾンビに説得は無駄」と言われてしまったのですが、母校のロケーションの中で一番好きな大内山庭園が汚されている、そんな想いがして。乱筆、乱長文ですみません。
【2009/05/14 02:48】 | 紺色(元・チンケなイベント屋) #- | [edit]
日本国憲法擁護連合さん、迷惑行為もいいとこだと思いますよ。
宗教活動をしたいのなら他所でやってください。私は文化連盟を支持しているけど、貴方の行為は態の良い妨害活動だと思います。
右翼がよくやる「誉め殺し」の部類ですね。


文化連盟諸君、がんばって。
恩田くん、倉岡さん両名の奪還おめでとう。
洞口さん、がんばってね。
あなたのファンクラブになりま~~す。
【2009/05/14 18:04】 | 法大OB #- | [edit]
ここは擁護連の宣伝場じゃねーんだよ

とっとと巣に帰れ!!!ヴォケカス!!
【2009/05/14 21:35】 | 新人 #- | [edit]
笑わせるなよ、擁護連。笑い過ぎて腹イテー。

>ホモにも中曽根元総理をはじめとして

本人やご子息の耳に入れば名誉毀損で訴えられるぞ。お前、法学部だろ?

>ということで、法大の中核さんたちを直接たずねて俺のこと聞け。お前にそ>の勇気があるのならば。

はいはい。で、2000年前後に男の坂本千秋と雑談したわけね。

>俺はいずれ同性愛の人権を掲げるため議員にでも立候補しようと考えてい
>る。

国家賠償訴訟の次は議員さんですか(爆笑)。お前が立起すれば「嘘つきは議員の始まり」ってことになっちまうぞ。質の良い議員さんもいるにはいるだろうが。
【2009/05/15 00:52】 | #- | [edit]
ずっとそちらが貼り付けていることからすべては出発しているがネット右翼の手法はばれているわけ。

お前が四国の馬鹿ウヨってのはばれているわけだよ。

ずっとお前が俺の掲示板に難癖・挑発コメントをずっと繰り返していることもすべてばれているんだよ。

今度は、紺色となのって書き込んでいるが、その思わせぶりなところをばっさりと斬ってやろう。

お前が後付的に紺色となのる前はチンケなイベント屋となのり、法大OBと称して公安ようにサウンド・デモの情報収集をたずねてきた目的はそもそも何なのか?

で、お前は「土曜日に神宮で会った連中」などと思わせぶりの書き込みして必死で法大関係者を印象づけているが、なら神宮ではなくてお前に勇気があれば法大正門に直接きて、中核さんに聞いてみればよいと指摘しているわけだよ。

俺の情報を時系列的に教えているからさっさと法大正門前にきて中核さんたちに聞けばよろしい。(内海さん、新井さん、内山さんなどに聞けばよろしい)

で、2001年、2003年までの自主法政祭、第一文化連盟のパンフも紹介したから、お前が本当に法大OBなら調べられるではないか。

それに答えられないのは、お前が法大出身でもなんでもない四国の右翼にすぎないからだよ。

お前は「2ちゃんねる」をあげているが、お前が必死で2ちゃんねるを拠点に俺の嫌がらせ書き込みを繰り返しているという自己暴露でしかない。(「共産党板」は、お前のような右翼がほとんど常駐して左翼を叩いている場所でしかない。お前はその住人だということを自己暴露しているにすぎない。)

母校のロケーションの中で一番好きな大内山庭園が汚されている、そんな想いがあると嘯くのなら、弾圧している当局と公安に対してまずは批判してからいえ。

それから、お前は、街頭で文連が街宣したエントリーがあると、ビラを受け取ったサラリーマンとして難癖をつけたり、入試街宣のエントリーがあるとビラを受け取った受験生の母よりとして絶えず文化連盟に対する難癖をつけたりしてきたのもばれてるんだよ。

俺が文化連盟に対する難癖を書き込みする右翼らを指摘したら、その流れがぷっつりとまったのは偶然ではない。

2ちゃん共産板をおもな根城としている右翼団体員=ネット右翼の主犯どもの手法は、リモホを変えて複数を偽装して挑発するということをずっと繰り返すわけだが、同時に、俺の後を追い掛け回してくるという傾向もまったく同じだといわなければならない。

お前の素性などすべてばれてんだよ。





【2009/05/15 06:49】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
もうひとつ。


法大OBとハンドル・ネームを出して、宗教活動をやめろという指摘について。(どのようなOBなのか開陳していただきたいものです。)

これは、あなたからいろいろいわれる必然はありません。そもそもすべて事実ですので。

私が指摘しているようなこういう現証はほかの宗教では絶対にでません。警察の不祥事がおきたり政権が自らがたがたに失墜していくことは偶然ではありません。

必ず今年自公政権は自滅します。それだけのことをしてきたやつらには当然の報いがでるだけでしかありません。

某ブログでは、私のことを「九州の魔法使い」とちゃかす愚か者もいたが、事実には勝てません。だから私は公安警察がどんな嫌がらせをしようと、おたくらが嫌がらせの書き込みをしようが、ひるんでいないのです。

たんにあなたは、警察権力へのすべての罰が下ってきた私の指摘がいやなだけではありませんか?

問題なのは、もし私がキリスト教平和主義の立場で書き込んでいれば、あなたのイメージはまったく違ったものになったことでしょう。

こういうイメージのみで語られる風潮が日本では非常に強いことそのものを私は問題提起したいとも存じます。

自分に正直にいきられない社会、自分を押し殺さなければなりたたない社会、という風潮が日本は強ことを同時に指摘したいと存じます。

というわけで、信じないものには偶然としかみえないだろうが、すべては偶然なんてものはないんです。

ちなみに私をずっとネットで追い掛け回してきた四国の右翼団体員斉藤慎太郎が製作した動画のなかには、日蓮正宗に対する憎悪がこめられた動画があるのも決して偶然ではありません。
【2009/05/15 08:45】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
右翼と保守の区別もつかない人間がわいてるな・・・・。。

日本の右翼はもうとっくに死に絶えたのに。
【2009/05/16 00:31】 | 現役法大生 #- | [edit]
そうか、法大OBのHNは先客があるのね。
四国の右翼ですか? それは失礼しました。

これからは法大JVに改めましょう。
わたしは久ぶりの訪問でね、長い間学内の様子は覗いてなかったので、学館がなくなったことも知りませんでしたよ。もちろん、今日の法大闘争の発端が何なのかも知らなかった。
ここ2~3週間、文化連のブログを過去にさかのぼって読み返してだいたいのことは掴んだけどね。

日本国憲法擁護連合さんに言いたいことはそういうことではないのだ。

文化連に対する嫌がらせや妨害活動はやめなさい、ということなんですよ。
公安警察の弾圧の手口やその他は、このブログで、あなたにわざわざ教えていただかなくても宜しい。
文化連に中核の活動家が居るのならば、そんなことは、大方のことは知ってるだろうし、ましてや、中核は60年代、70年代、80年代を戦った歴戦の経歴がある党派だから、この場で権力犯罪についてあなたに教えを請う必要もあるまい。
彼らは専属の弁護士も持っているし。

右翼の誉め殺しにも似た、親切ごかし殺しとでもいうべきもので、宗教者とも思えない邪悪な意図を感じます。
だいいち、文化連が貴方に感謝してますか・・・?
だれも感謝してないのと違いますか?
迷惑だと思ってるでしょう。

にもかかわらず、アラシにも等しい行為を連日、続ける意図には相当の邪悪なものを感じますよ。
普通じゃないな。
ネチケットもなにも一切、無視してるし、常識的にはあり得ないことだ。

即座にやめるべきだよ。もしも、続けたいのであればネチケットを無視する行為を自らの良心に問いかけてから、行うべきでしょうよ。
「真実を書いているのだから、そんなことはどうでも良いことだ」ってことはないでしょ?
ここは文化連のブログ活動の場なんです。ここは文化連の活動の場なんですよ、勘違いをしてはいけませんよ。
その活動を汚すようなことは、直ちにやめるべきです。文化連のブログを借りてするような貴方の宗教活動の場ではありません。

わたしは、そう思いますよ。
日蓮宗って、そんなに邪悪な意図をもってする宗教なんでしょうか・・・?
【2009/05/16 00:33】 | 法大OB改め法大JV #- | [edit]
この記事の書き込みの成り行きをざっと見ていて思ったことは、
「日本国憲法擁護連合さんは、議論の仕方について何も理解してない」
ということです。
誰から何回言われようとも、全く理解できないんですね。
これは「ひるむ」とか「ひるまない」という問題ではありません。
人間として必要最低限のコミュニケーション能力が欠如しているという
ことをいろんな人から指摘されているということを理解してください。

その証拠として、
あなた自身の書き込みにどれほどの価値があるか、示して差し上げます。

>お前が四国の馬鹿ウヨってのはばれているわけだよ。

>ずっとお前が俺の掲示板に難癖・挑発コメントをずっと繰り返していることもすべてばれているんだよ。

>お前は「2ちゃんねる」をあげているが、お前が必死で2ちゃんねるを拠点に俺の嫌がらせ書き込みを繰り返しているという自己暴露でしかない。(「共産党板」は、お前のような右翼がほとんど常駐して左翼を叩いている場所でしかない。お前はその住人だということを自己暴露しているにすぎない。)

>俺が文化連盟に対する難癖を書き込みする右翼らを指摘したら、その流れがぷっつりとまったのは偶然ではない。

>お前の素性などすべてばれてんだよ。

>これは、あなたからいろいろいわれる必然はありません。そもそもすべて事実ですので。

>私が指摘しているようなこういう現証はほかの宗教では絶対にでません。警察の不祥事がおきたり政権が自らがたがたに失墜していくことは偶然ではありません。

>必ず今年自公政権は自滅します。それだけのことをしてきたやつらには当然の報いがでるだけでしかありません。

>たんにあなたは、警察権力へのすべての罰が下ってきた私の指摘がいやなだけではありませんか?

>自分に正直にいきられない社会、自分を押し殺さなければなりたたない社会、という風潮が日本は強ことを同時に指摘したいと存じます。

>ちなみに私をずっとネットで追い掛け回してきた四国の右翼団体員斉藤慎太郎が製作した動画のなかには、日蓮正宗に対する憎悪がこめられた動画があるのも決して偶然ではありません。


何を根拠に?
終わり。
【2009/05/16 18:37】 | #Q1xuIObo | [edit]












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プロフィール

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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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