文化連盟新綱領草案
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文化連盟新綱領草案
法政大学文化連盟
大学とは何か? それはどのような場所でなければならないのか?
近代に確立された大学の原型は11世紀に当 時最も文化的に先進的だった地域、現在のイタリア北部に成立したボローニャ大学に求めることができる。イスラム世界から逆輸入された古代ギリシャの哲学や 神話に刺激された学生たちが独自に始めた、いわゆる勉強会のようなものがその起源である。しかし、11世紀とい う時代は有名な「カノッサの屈辱」があった時代であり、キリスト教が全盛へ向かっていた時代である。ギリシャ哲学にみられる合理的な思考は、異端以外の何 物でもなく、学生たちは弾圧され、時に殺された。そのような緊張関係の中で、大学と呼ばれるものは成立した。フリードリヒ2世がナポリ大学を設立した事例にもみられるように、13世紀以降、封建主義体制に取り込まれながらも、その精神は動揺しながらも続いていく。
大学は宗教改革の拠点となり、そして経済構造が農業から商業中心へと移る中で個人の自由 な契約をその基礎とする思想を、啓蒙思想を生みだす拠点となった。この啓蒙思想がフランス革命へとつながったことはそこらへんの高校生でも知っていること のはずだ。
現代に目を向ければ、韓国において開発独裁体制を崩壊させた勢力の拠点となり、中国にお いても一党独裁を批判する勢力はここに強い影響力を持つ。新自由主義と呼ばれる思想の原型が生まれたのも大学である。ケインズ主義的経済政策が行き詰りを 見せ始める中で60年代には極論の一つ、あえて言えば「過激派」だったこの思想はほんの40年ほどで世界の常識へとその地位を向上させた。
大学とは、良くも悪くも変革の拠点なのである。なぜなら、そこは常にある時代の最高水準 の自由な言論活動が保障されてきた、いや、闘いとられてきた場所だからである。
多くの思想が花開き、思想の中のあるものは社会の中で文化へと昇華するものもある。それ らが社会を豊かにしていく。科学は物質的に、文学は精神的に。
ボローニャ大学が法学を得意とし、パリ大学が神学を得意としたように、長い歴史の中で、 大学の中によりいっそうの分化が生じたことは否定しない。芸術を専門にする大学が現れ、それは音楽を専門にしたり、映画を専門にしたりするようになる。だ が、それでも大学の役割はいまだに変わっていない。変わらず大学は知の集積体であり、常識を時に強めることもあれば突破することもある場所なのである。
法政大学当局は2006年2月27日、立て看 板・ビラまきの許可制の徹底を打ち出した。それ以前に許可制自体はすでに施行されていたが、当時の文化連盟などの文化系団体は一致してこれを無視し、実力 で有名無実化を勝ち取ろうとしていた。法政大学関連の裁判で証人として登場した当時の学生部長・安藤氏が述べたように、法政大学は「大学の意志を示す」必 要があると考え、そして2006年3月14日、立て看板の撤去に抗議した法大生5名を含む29名の一斉逮捕へと踏み出す。そしてその後、5名の法大生は二名が無期停学・三名が退学処分を受ける事態へと発展していく。理由は「学生 の本分にもとる」ことである。
そしてそれ以来闘いは2010年1月時点でついに4年になろうと している。かつて学生会館設立要求まで出し、その運動の主力でもあった我々文化連盟も2008年度に 学生団体の再編を受けて先輩たちが勝ち取った公認団体の地位を失った。2009年度に は学祭の構成団体の決定過程に法政大学当局が事実上の最終決定権を握るようになった。戦後の法政大学で勝ち取られてきた多くの自由の中で生まれた法政の気 風、悪い言葉で言えばバカサークルを生み出すような気風、良く言えばオモシロく、学内に活力を生み出す団体を生み出す気風は急速に失われている。それは、 そのような活動をした経験を持つ人材が社会から減ることもまた意味する。
我々文化連盟はこの現状を憂い、「大学」というものの精神に立ち返り、法政大学に以下の ことを要求する。
生の処分撤回
文責・文化連盟執行委員長斎藤郁真