G.齋藤 郁真、奮起

 2010-02-06

 ここ数日の法政大学を取り巻く状況は目に余る。昨日はいったん沈んでいたところを文化連盟IT革命軍に激写されてしまい、見苦しいところをみせたが、改めてこの状況を弾劾し、それによってこれがどれほどのことなのか、ということを主張したい。さらには、結論として法律という存在についての根本的な問題を提起したい。たぶん今回は、できるだけ短くまとめるようにしている「つれづれ~」とは比較にならない長さになる可能性がある。閲覧される皆様方にはあらかじめ申し伝えておきたい。

 

 ここ数日の法政大学を取り巻く状況、つまり

①情宣禁止仮処分

②2月5日の洞口以下6名の逮捕

の二つをまずは主として法律的観点から批判する。

 ①について。内容は、要するに2月5日から始まり、3月2日までの期間に合計10回行われる法政大学の入試に来てはならず、そのために当日は、指定されている12名と「全学連」は法政大学と九段校舎の半径200m以内に入ってはならない、とするものである。

 まずこの法律的定義のあいまいさである。指定をうけている12名はともかく、「全学連」とはなんだろうか? 全学連はそもそも個人加盟の組織ではないことは全国学生自治会総連合という組織の正式名称から明らかである。そして、その性質から全学連はたとえば参加個人の名簿をもっていないし、また、全学連としての印章すらもっていない。これは、法律的な意味での組織、つまり法人ではないことを意味する。ゆえに、「全学連」という組織を対象にするならば、裁判所は法律とは別個に「全学連」とは、誰を指すのかを明らかにし、また、理由を書き加えなければならない。ビラをまくときに「全学連でーす」と言っているからといって、それは法律的にはどこまでも自称なのである。このようなあいまいな定義を振りかざすことは、どこまでも拡大解釈を行う余地を残すため、法律的にはきわめてお粗末な、はっきり言って裁判所が、そして担当裁判官渡邉氏が法律に無知であることを示す決定としか思えない。モンテスキューの三権分立というありもしないものを信仰している人間にはわかりかねるかもしれないが、裏に政治的意図があるからこその判断であるということだ。

 次に、債務者審尋をせずに仮処分を決定したことについてである。仮処分命令についての規定がある民事保全法第23条の2および4項の定めるところによると、仮処分命令を発する際には、債務者(仮処分の対象者)の口頭弁論もしくは審尋(話し合い)を経ることが原則とされている(2項)。例外規定としてあるのは、債務者審尋を行うことによって、「仮処分命令の目的を達することができない」場合だけである(4項)。我々を裁判所に呼び出して審尋をしたことによって①の内容が達成できなくなるのか? まず間違いなく我々はそのことをブログなどで公表し、批判を加えるだろう。だが、はっきり言えばそれだけである。明確な法律違反の決定といってさしつかえない。

 最後に、本決定の理由についてである。理由は、やはり「営業権」である。ここでは、大学という教育機関が「営業権」を主張することのくだらなさを無視してもなお問題がある。法概念の話になるが、営業権とは当たり前ながらいわゆる私的権利、個人的権利に属する。それに対して、本決定によって禁止された行為はビラまきや演説という行動であり、これらは言論・表現の自由に関わる行為であるため、法律的には公的権利、社会的権利に属する。法律学の初歩の初歩で教えられるとおり、法律に明確に規定されているわけではないにしても、「公的権利の私的権利に対する優越」は常識のはずではないのか? 確かにこれは社会的なさまざまな要素によって変わりうる(パチンコ屋の店内で「学生運動やろう」とかのビラをまくのは厳しい。そのパチンコ屋のある店員が不当に解雇されたとかで、それに関連するビラであればその正当性は比較的上がる、など)が、やはり原則なのである。結局ここまで話を進めると、本決定がいったいどこに、どういう性質を持った施設に適用されたのか、という話を避けて通れなくなる。最初に無視したが、これはご存知のとおり法政大学という教育機関での話しなのである。大学論については、時代時代でさまざまな変遷はあったし、そして今も法政大学の主張する「自由」のように、それは見られる。だが、ジャック・デリダの「条件なき大学」に見られるように、現代でも大学論の核心はボローニャ大学以来変わっていない。本決定の理由はあまりにもくだらない。去年の仮処分のとき、「法政大学は受験生を3万5000円と見ている事実はない」とかなんとか主張していたが、去年のオープンキャンパスとは違って今年は受験そのものを「営業」の場として位置づけているではないか。いいかげんにしておけ。

 さて、余談になるが、もうひとつだけ。今回の決定は審尋がなかったので決定書が各自にいきなり届いたわけだが、そのとき、法政大学がなぜ仮処分の申し立てを行ったのかということを示す資料の写しすら送付されなかった。届いたのは「決定」だけで、その決定がどんな理由で下されたのかすらわからない状態であった。弁護士が異議申し立てをやることでやっと理由が「営業権」であることがわかったのである(予想はしていたが)。そこらへんの裁量は裁判所よりも申立人の側に依存するので、この場合は法政大学がその理由を隠したかったということを示す。法政大学は自分たちでも本決定のくだらなさを認識しているのだろう。

 

 さて、次に②に入る。逮捕されなかった方の話を聞いたが、おぞましいものである。詳しくは前ブログ記事「なんてこった2」を見ていただければいいかと思う。「つれづれ~12」で警察は、特に公安警察は警察の正義のためにしばしば法を濫用する、ということを書いたが、今回のはもはや濫用のレベルではなく、明らかに違法な逮捕といわざるをえない。ビデオを撮影していただけの人間まで逮捕したのは、証拠を隠蔽するためと考えてまずまちがいないだろう。ビデオを撮影することが「威力業務妨害」になどなるはずがないのだ。というか、ビラをまいたり演説をしたりすることだってなるはずがない。ビラを無視することは簡単であるし、演説は飛行機の爆音みたいな音量が出るわけではないのだ。そういう抗議行動を法的に「威力」とみなすかどうかは法律関係者の間でも言われるように力関係の問題であり、違法だから逮捕されるわけではない。コンビニの入り口前にヤンキーが座り込んでいるのとは明確に違うのである。この逮捕は麻生邸前での逮捕と同じ質のものであると考えていいだろう。ただ、今回違うのは公安警察側があの失敗から学び、撮影者を逮捕する、ということを覚えたということである。②については法的観点から言うことはほとんどない。「権力犯罪」という言葉しか思いつかない。

 

 ・・・さて。ではそろそろ結論に入る。ここまでは主に違法であるかどうかや、今の常識に照らしてどうか、ということから批判した。ここからは、ここまででいったん提起した内容を自らぶち壊すような内容であるが、法律というものの根本問題となる。

 端的に言おう。法律とは「力関係の反映」にすぎない。ここでいう力関係とは、例えば世論、例えば経済構造など、非常に広い範囲をあらわす。このことは近代の法概念、「自然権」などの現実には存在しないものを前提にした概念しか勉強したことがない場合、把握することは困難である。

 法律という問題を古代の法からみなければならない。たとえば奴隷制度の時代。ある氏族が人口の増加に伴って自らの領域を広げていくにしたがって、他の氏族とぶつかるとき、そこで戦争が行われ、負けたほうは勝ったほうの奴隷となる。これを繰り返す中で、古代の国家はできあがった。支配者は奴隷を暴力で統治していたが、支配者層の各個人それぞれにそのやり方は異なり、それは無秩序であったため、支配者の中の指導者層は明文化したルールを必要とした。詳細に各国家のでき方を見ていけばもちろん偶然性によるところは多いし、上の3行ほどで述べた構造にすべて流し込むことは難しいが、大きくはこのような形で法律はできた。文化を同一にする氏族間の慣習という形でしか存在しなかった法という概念は、ここで初めて誰かが誰かを支配する形式になった。国家法である。奴隷制の時代、国家の法は奴隷を人間として見ないことを定めていた。最古の法典、ハムラビ法典を見てみるといい。「目には目を、歯には歯を」で有名なあの法典は、市民が他人の奴隷の骨を折ってしまった時は、その奴隷の価値の半分を支払うだけで済んだのである。法律は明確に奴隷と市民を分け、奴隷は奴隷のままであることが正当なものとして位置づけていた。法律は、氏族間戦争の勝者と敗者の間の力関係を反映したものに過ぎなかった。古代ギリシャのポリス、アテネやスパルタでもそれはなんら変わらない。奴隷はアゴラ(広場)での選挙に参加することはできず、奴隷のままであることが求められた。アリストテレスの奴隷制擁護論は、彼もまたあくまで市民であり、支配者であったことを意味する。民主主義であるか、独裁王政であるかによってこれはなんら変わらない。

 現代に戻ろう。2007年のことだ。フランスでCPEという略称で呼ばれる法律ができた。内容は、要約すれば企業は25歳未満の若年労働者の解雇に理由を必要としない、というものであったため、各地の大学で学生が蜂起、暴動的な事態も散発的に起こる事態となった。結果として政府は一度議会を通して可決されたCPEを撤回することとなってしまった。「フランスの話でしょ?」という方もおられるかもしれないので、もうひとつ。我らが法政大学の話である。2000年ルールなるものについての話だ。内容としては、キャンパスで拡声器などを使う際に大学側に届出(許可制ではない)をするというものだったが、当時の文化連盟など文化系の学生団体は「学生管理の強化である」として猛反発。施設管理権との力関係で、法律自体の撤回はできなかったが、全員で一致してこれを無視。2000年ルールは有名無実化し、一般サークル員はその存在自体知らない、という状況にまで追い込まれる。3・14事件は、この2000年ルールの強化・徹底を目的としたものであった。挙げた事例はたったの二つだが、これは重要なことを示唆している。力関係を無視した法律は法律たりえない、ということである。

 これは、冷静に考えれば当たり前のことである。なぜなら、法律があって人間がいるのではなく、人間がいて法律があるからである。つまるところ、法律とは紙に書いてあるインクにすぎない。憲法21条よりもジャージ部隊の拳のほうが強いのだ。ジャージ部隊を憲法に従わせるのは憲法の立場に属する人間の拳であって、それ以外のものではない。憲法9条が天の世界から何を言おうが現実的に国家と国家の対立は存在し、軍事力を持つ必要性は存在する。ミサイルを防げるのはテトラカーンでもマカラカーンでもマホカンタでもバリアでもない。ミサイルなのである。それでも憲法9条の内容を国家に守らせたいのであれば9条の立場に立って政治的暴力であるデモを中心としながらも、時に暴動的事態を起こすほどの戦闘性を持った強力な集団がいなければならない。日本以外で正規軍を持たない国であるコスタリカでは、政府が軍隊を編成することを言い出したとき、国民一般の強力な反対運動が巻き起こり、結局それは撤回されてしまった例はそれである。そういう運動体が存在しない日本では、憲法9条の拡大解釈云々について何を言おうがそれは懸念にしかならない。政治において同意と服従は事実上同一のものにすぎない。ストライキは初め反社会的な行動とみなされたが(大規模なストライキは本当に社会を止めるため)、巻き起こるスト権スト(ストライキの権利を合法化するためにストライキをすること)の結果、大量の逮捕者を出しながらも合法化されていった。何度も繰り返し言うが、法律はいつも力関係を反映していた。人々が何を社会に求めるのかによって法律はコロコロと変わる。現状を追認し続ける存在、それが法律の本質である。

 現在、新自由主義なんて言葉で大きくあらわされているが、この言葉が表す現象は、要するに私的権利が公的権利を踏みにじる、ということなのである。デモは確かにその通るルート一帯の平穏を侵害する。この30年ほどの間に(特に日本では)デモは迷惑なものへとその社会的地位が落ち、端緒的ではあるが法政大学ではデモをすると逮捕されるわけだ。そして今日、法政大学ではついに、本当にビラをまいただけで逮捕される事態にまで発展した。事実上、すでに法律は変わろうとしている。このようなことが頻繁に続けば明文化された法律そのものが現実を追認するようになる。これは、日本国民が試されている事態として私は重く考える。徹底的な抗議を行い、状況は厳しいが運動を前進させ、法政大学に責任をとらせなければならない。

 力関係を変えなければならない。

2010年2月6日 齋藤 郁真

コメント
主張には概して共感しますが、二度と逮捕はされないで下さいね。
あなた方が今逮捕されても、関係者の心痛と左翼の飯のタネしか生みませんから。
【2010/02/06 16:03】 | #- | [edit]
ガンジーは自分と親どっちが大事?もぉ何年この憎しみ合いが続いてるんだろ。後に引けない気持ちわかるよ!後に引くのは勇気がいる。戦う事より勇気がいる。でも自分が変われば状況は変わる。水に流すんだ。人は戦争中の事も水に流せた。君はまだ若い。まだ偏ってるところがある。でも君には勇気がある。先輩が捕まって立ち上がったんだ、勇気があるぢゃないか。
【2010/02/06 18:14】 | #- | [edit]
逮捕は麻生邸前での逮捕と同じ質のものであると考えていいだろう。ただ、今回違うのは公安警察側があの失敗から学び、撮影者を逮捕する、ということを覚えたということである。

ベトナムの失敗に学んだアメリカみたい・・・
【2010/02/06 19:47】 | 京大生 #- | [edit]
文化連盟の諸氏は私怨でなく義憤によって行動しているので水に流すような性質のものではないでしょう。

撮影者ごと逮捕されたのは興味深いですね。
裁判になった時に証拠として出てくるでしょうか。
もちろん48時間で全員が釈放される事を期待していますが・・・。
【2010/02/06 20:38】 | #- | [edit]
名文章です。これ本当に名文章ですね。
でも日本社会ってこういう文章を書く人を排除するからなー。
負けるなよー。社会にも人生にも。
応援したいけど自分のことで精一杯なので出来ません。
ごめんなさい(笑)!

なのでこの文章を読んでいる一般読者のみなさんに訴えます。

文連を孤立化させてはならない。
革命的愛情で文連を見つめ、励まし、お金があればカンパをしよう!
全国の労働者、市民のみなさん!
ボローニャ精神で武装した日本で唯一の学生団体を防衛しよう!!

byスポルタシスト

PS.「昔の法政は凄かった!」という親父の話を一つ。昔法政大学では体育の講義が必修でした。しかしその講義ではなんとオリンピックに対する批判が延々と講師の口から展開されていたのです。内容は拝金&記録主義の弊害について、とくに記録主義の弊害については、記録更新を重視するあまり安全配慮が疎かになりスポーツ事故が増えたということを述べていました。今から考えると共産党系なのかなと思いますが、若かりし頃の自分にはとても面白く聞けた記憶がありました。
【2010/02/06 21:11】 | スポルタシスト #mQop/nM. | [edit]
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【2010/02/09 01:11】 | # | [edit]












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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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