つれづれなること 15(下)

 2010-08-22
 人類史において戦争が常に行われてきた理由を示すために、直接現代の戦争の条件とは関係のない、奴隷制や封建制の戦争の条件を前回の「つれづれ~15 (上)」では簡単にだが論じた。かなり削ったのだが、いざ書き始めるとあまりに長くなってしまい、本論に入る前に(上)は終わってしまった。今から考えればやめておけばよかったと思っている。今から考えればやめておけばよかったと思っている。大事なことなので二回言った。

 さて、本論である。現代の戦争の条件だ。
 ここまでで気付かれたかと思うが、戦争は、集団的な経済的利害が死活的なほど高いレベルに達したとき行われる。もちろん、そうでない場合にも行われるが。事実、封建制や奴隷制の時代には独裁制という政治体制がセットになることが多かったこともあって、独裁者の個人的理由もひとつの戦争の重要な理由だった。というかそもそも、一定程度の集団意志の形成が戦争の開始の条件になるのは現代の経済、つまり資本制になってからなのだが。明白な支配と被支配者の経済関係が身分制という関係で現れたのと同様に、独立した個人を前提する商業が基礎となる政治体制は、全ての人が一票を持つ体制とセットになっていく。そうでなければ、自由な競争を侵害する。人材の自由な移動を侵害するからだ。たとえば現在のインドではカースト制度が経済発展の邪魔をしている。しかしながらこの政治体制ゆえに、戦争は世論なるものの支持が必要となった。
 
さて、現代においても死活的な経済的利害が発生する。「つれづれ~14」でも触れたが、現代において、富の取得は市場を通じて行われる。市場競争に敗北し、第一次産業しかなく、輸出できる商品が労働力しかないような国では、貧困がはびこり、最貧国ともなれば3秒に1人子供が餓死するが、基幹産業、特に車産業で勝利した国、日本・アメリカ・ドイツでは最貧国の3秒ごとに餓死している子供たち全員を十分に養えるだけの残飯が発生する。現代経済全体を見渡せば出てくる当たり前の話である。この現実が、日々の市場を巡る競争が、現代の戦争の条件である。誰が貧しい国になりたいのか?
 もちろん、ちょっと市場競争に負けただけで現在トップを走る国々が最貧国のような現状には簡単にはならない。最近話題の中国がこのままずっと現在の経済成長率を保ち続けても、アメリカの個人あたりのGDPに追いつくにはあと100年かかる(もちろん単純計算)。しかしながら、経済の停滞は簡単に失業率という形で国民一般にのしかかるため、現実にはちょっと市場競争に負けるだけで重大な問題になる。現在の世界経済がいい例である。
 しかし、これらの関係が戦争の条件だと言うと、それなりに現代史に詳しい方ならこういう方がいるかもしれない。つまり、「各企業が連携して、競争にある程度の線を引くことで安定的な経済が可能なのではないか? 現実に、1970年ごろはそういう面があったし、1900年初頭も恐慌さえ起きなければ世界戦争は起きなかった」云々。
 こう答えよう。「恐慌がなぜ起きるかあなたは知っているだろうか? 恐慌が起きる理由は生産力の過剰にある。そしてこれは現代の経済では避けられない。自分がある程度の規模で満足しても、他の企業が成長すれば相対的に自分の持っている金の価値は下がる。50年前には一億円は、持っていれば楽に一生を豪遊できるだけの資金力だったろう。しかし、50年の間に大きくなった世界経済のもとでは、一億円はもはやそれには足りない。常にあなたは他の企業よりも多くモノを売るために技術を革新しなければならないし、または、新たな市場を獲得しなければならない。そして、仮にあなたが新技術を発見し、しばらくの間それによって独占的な利益を得ることができても、それはすぐに普遍化する。飛行機がいったんライト兄弟によって作られれば、それまでどう飛ばせばいいか方向性がわからず、苦心していた多くの学者が成功例をもとに飛行機を作り上げることが可能なように。あなたの商品とほとんど変わらない品質の商品が出回れば、結局のところ商品を安売りするしかなくなる。付加価値をつける? それは結局のところ商品本体を安売りしている。やってることは結局変わらない。利潤率は下がっていく。それを防ぐためにあなたは工場やオフィスを大きくしてよりいっそう人を雇い、大量生産を行う。しかし、ここで悲劇が訪れる。頭の中で需要をいくら発掘しても、現実にそれには限界がある。誰にもわからないある瞬間、ありすぎるモノが売れなくなる。市場での交換を通してしかモノは分配されない現代ではそれはどうしようもない。建物が多くなりすぎ、誰も住まないのにそれを作ってしまえば、それは破綻を意味する。不動産だけではなく、それはコンクリートやその原料を扱う企業にまで波及し、社会全体に混乱は拡大する。それが恐慌だ。これは、第三次産業をいくら増やそうが変わらない。第三次産業は、実物生産業である第一次・二次産業に、(世界全体として)その規模に依存する。あなたの言うとおり、過剰な競争を防ぎ、ある程度の利益を確保するために、企業同士がカルテルやトラストを結ぶことはあったし、それが世界を覆った時代はあった。しかし、彼らがそれらの連合を結ぶのは水面下での競争があるからだ。日本の戦国時代の同盟関係は各地域の大名の対立が基礎だったのと同じだ。均衡が崩れればそれは崩壊するのだ。ともかく、結局生産の拡大は行われ続け、その生産力がある水準に達したとき、恐慌は起きるのだ。そして収縮した市場を巡ってかつての同盟関係が再編され、戦争へ発展していったのが二度の世界大戦ではないか。恐慌は現代経済の必然であり、恐慌を止めることができれば戦争は起きないとするのはあなたの頭の中だけの夢だ」
 ある日市場がいきなり収縮する。わかりやすく言えば、仕事の量が急激に減る。モノが多くなりすぎて、モノを手に入れることが難しくなる。これは、いつ起きるか誰にも予測できない。あまりにも多くの人間の多様な思いが入りすぎている。それは、株式市場の値動きを当てることと同じように不可能である。
 
妙に長い偉そうな回答の中でも触れたが、資本制が完成してより先、大戦争はいつもこのことがきっかけで起きてきた。大規模な戦争の前にはいつも恐慌と生産過剰が関係する。
 イギリスでは、1860年代末から慢性的な生産過剰状態が続いていた。失業率は高い水準を維持し、国民生活一般は困窮していた。そして、イギリスはこれまでに確保していた植民地以外の新たな植民地を確保しようとついに、当時まだ「暗黒大陸」と言われていたアフリカへの進出を開始する。これは、アフリカと呼ばれる地域全体へのイギリスからの国家防衛意識に基づく戦争であった。これを防衛戦争と呼ぶか侵略戦争と呼ぶかは好きにすればいい。どちらも事実である。1890年にケープタウン植民地の首相になったイギリスのセシル・ローズは「帝国とは、胃の腑の問題である」(帝国の維持のためには、自国民の生活水準を下げてはならない)という名言は、そのことを如実に表している。さて、この後、イギリスとの力関係に差が開かないようにするため、アフリカへ進出する余裕がある各国、特にフランスを巻き込んだ一大植民地獲得戦争になったことは知っている方は知っているだろう。これが、次の大戦争を準備する。第一次世界大戦である。
 それぞれの国のさまざまな理由でこの競争に入るのが遅れたが、この競争に参加できるだけの力量を持つにいたった国が当時、5つあった。日本・ドイツ・イタリア・アメリカ・ロシアである。特に、ドイツとアメリカ、ある程度は日本も、新たな産業である重化学工業の発展を背景として大きな力を持ちはじめていた。ちなみに、のちに、この重化学工業の産物である車産業が生産過剰から立ち直れなかった世界経済を新たに牽引することになるが、ここでは、それはまた別のお話。さて、それら5カ国の前には、もはや新たな植民地はなかった。世界の全ての地域が、アフリカまでもが、すでにどこかの国の支配下に入っていたからである。先の5カ国は、その最後の希望をかけて、当時、いわゆる列強諸国のどれの支配下にも入っていなかった(部分的には支配されていたが)中国への進出に望みをかけていた。アメリカの当時の国務長官ジョン・ヘイが中国市場の門戸を開放することを中国に要求したことがきっかけで、そのことがいっきに噴出した。もちろん、すでにそのような傾向はみられていた。日露戦争は、明白にロシアと日本の中国権益をかけた戦いだった。このような状況下で、1901年、世界は再び恐慌に見舞われる。生産過剰を打開できず、ずるずると停滞を続けた経済は、1912年、よりいっそう規模を拡大した恐慌へと叩き込まれる。これらの関係を背景として各国の政策が激しくぶつかりあっていたバルカン半島のサラエヴォで、ついに事件は起きる。オーストリア皇太子がセルビア人によって殺されたのである。ドイツとロシアの経済対立を背景として存在していたパン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義の対立は、さらに激しい経済条件のもとで爆発した。オーストリアはドイツをあてにしてロシアの少ない植民地を奪おうとし、ドイツはもちろんそれに乗っかる。ロシアだけでは勝利の見込みがなかった状況で、同盟関係にあったフランスが即座に登場。ここでドイツを抑え込みたかったイギリスも同盟を根拠にもちろん参戦。世界戦争が始まったのである。これが、第一次大戦の大きな構図である。
 
 ・・・よし。やっとここまで来た。そもそも8月15日にアップする予定だったわけで、メインはやはりここからである。またもや前置きの時点でやりすぎてしまった感があるが、いまさら消すのももったいないのでこのままいく。そして今日はここで止まる気はない。まさかの上中下編は避けなければならない。書いている本人が飽きてきているし、何よりさきほどからPSPが私を呼んでいる気がする。何が悲しくて休日に戦争について語らなければいけないのか!

 さて、第二次大戦である。
ロシア革命など、さまざまな想定外を生み出しながら第一次大戦は終わった。この戦争で、時期を読むことに成功したアメリカは最大のライバル、ドイツを蹴落とすことに成功した形になった。イギリスやフランスは第一次大戦を通じて膨大な金を貸してあるので、現状何か画策する相手ではない。イギリスやフランスから植民地を奪うことができたとしても、結局自分が損をする。だが、常に自分たちがリードできる排他的な市場は用意しなければならない。やはり、中国をとらなければならない。しかし、第一次大戦を通じて直接的な戦場にならず、また、直接的な戦場に参加しない代わりに、中国へ影響力を格段に強めた国があった。日本である。ここから、アメリカの日本封じ込め政策が始まる。パリ講和会議の段階からそれはみられた。第二次大戦の末期にはすでにソ連とアメリカの次の対立軸の闘いが始まっていたように、規模は小さいが中国市場を巡ってすでに日本とアメリカの対立は始まっていた。その後のワシントン会議では、アメリカ主導のもとで日本の中国権益が国際的に否認され、それに伴いアメリカと日本との通商協約である石井=ランシング協定の破棄へと進む。さらに、国民一般の意識の改革へとアメリカは進む。「移民法」を知っているだろうか? 1924年に制定された法律だが、これは明確にアメリカ国内からの日本の影響力を排除しようとするものであった。当時の状況での「アジア系移民の禁止」は事実上「日本人はアメリカからでていけ」という内容だった。それによって日本と自国の対立をあおり、戦争を狙っていた。戦争になれば、あまりにも国力が違いすぎるため、日本など話にならない。日本は日本で、そのことが十分にわかっているから強くはでれない関係が続いていた。日本は、アメリカの挑発をかわしながらよりいっそう中国へ進出する機会をうかがっていた。しかし、1929年、1920年代前半からすでに起こっていた農作物の生産過剰による不況は、ウォール街を巻き込んで恐慌へと発展する。
対立は激化する。すでに起こっていた国内レベルの大不況に追い打ちを食らう形になった日本は、より一層の植民地を求めて、国民の生活水準の維持を求めて、さらに深く、中国へと進出する。あまり重要なことではないが、個人的には、ここにコミンテルンが加わった可能性は高いように思う。当時、世界革命をあきらめたソ連は、スターリン主義と呼ばれることがある体制へと移行していたので、細かいことは省くが、資本主義の軍隊と軍事力で対決する方針だった。日本が市場競争を有利に進めるため(原料を抑えれば、市場の変動に柔軟に対応する力となる)、シベリアの石油を狙っていたのは良く知られている。だから、シベリアから目をそらさせるために、日本が中国へと進出するよう動いた可能性は十分にある。もちろん、できてたかだか10年ぐらいの組織がなんでもかんでもできたように言うのは中二の妄想に等しいとは思うが。そうしてあとは程度の差はあれ多くの人が知っているとおりである。ハル・ノートという、日本からみればぶん殴られたいとしか思えない文書に対して、ついに日本は開戦。短期決戦を狙うが、ミッドウェーで時代遅れの大鑑巨砲主義をさらけ出し、敗北。ドイツの勝利を見込んで長期戦の構えをとり、その後ドイツの敗北が濃厚になったにも関わらず、昭和天皇が天皇制の維持のため、降伏を勧めた近衛文麿を無視。何かができるわけでもなく、東京空襲、沖縄戦と続き、ソ連にはめられていることに気付けず、降伏への動きが遅々として進まず、広島と長崎に原爆が投下される。命が惜しくなったのか、玉音放送。降伏宣言への調印をもって戦争の終結とみなされるため(それでも降伏を決めた相手には普通攻撃を中止するのだが)、9月2日まではソ連軍の攻撃を受け、北方領土をとられる。そしてアメリカ軍による占領。労働運動が急速に燃え上がり、電気関係の労働者が自分たちでどこに、どれくらい電気を送るかを決めるまでの状況になる。アメリカは共産党を脅してゼネストを中止させ、ガス抜きと日本の軍事的弱体化のために憲法9条を制定する方向へと動く。それを左翼は自らの運動のひとつの結果として勝利を叫び、憲法9条をひとつの結集軸とするようになり、右翼は屈辱として自主憲法制定を志向し始める。戦争の責任者は、敗北者としてケジメをつけさせられる。

戦争は、軍部が暴走するから始まるのではない。日中戦争の開戦に反対したのは関東軍作戦参謀・石原莞爾であり、賛成したのは、近衛文麿である。戦争の拡大に反対したのは軍人で、賛成したのは文民ではないか? そもそも、自らと自らが育てた部下を戦場に送ることを軍人が心から望むのか? 戦争とは、本質ではなくその過程において、人類の英知を総動員するものである。単純な火計ですら、成功すれば敵の後ろから奇襲するより敵にダメージを与えられる。しかし、火計にはたいていの奇襲より多くの知識が要求されるのである。これらが組み合わさる戦争は、すぐに暴走すると言われるような軍人には務まらない。軍人は優秀でなければならない。軍人の敵を決定するのは、政治であり、ゆえに戦争とは政治の道具である。戦争とは、政治の失敗ではない。そして、カール・シュミットのいうように政治の本質でもない。戦争とは、もはや交渉不可能な状況における、政治の別の姿である。

事実はいつも冷徹である。たとえば上杉謙信をどんなにロマンをもって見ようとしても、彼の生涯の出兵のほとんどは、石高の低い自国領民を食わせるための隣国への略奪のためのものだったことは変わらない。別に彼だけがそうだったわけではないが、言葉の定義上、上杉謙信が掠奪者であったということは正しいのである。そこにロマンを入れることは、自分の見たいように世界を見ているだけにすぎない。
人間と人間が集団的に対立する条件がある下では、逆説的ではあるが、現実的には戦争の準備こそが平和を意味する。簡単に戦争をできない状況を人為的に創り出すことが、戦争の回数を減らす。まあ、しかしその準備が、戦争が大規模化し、複雑化する一層の要因ではあるのだが。古代ローマのことわざ、「平和を求めるなら、戦争を準備せよ」「平和は大事だから、平和主義者の手にはわたせない」・・・複雑なようで意外と単純な戦争という事象を彼らは良く理解していた。
上のことわざは、同時に次のことを言っている。防衛力とは、攻撃力である、ということだ。これは本来だれでも知っている簡単なことだ。格闘技をやっている人間は、そうでない人間よりも、他人を殺傷する能力が高い。だからこそ、自分の身をより効果的に守れる。もちろん、種類の違いはある。ボクシングより合気道のほうが防衛的であり、大陸間弾道弾(ICBM)よりパトリオットミサイルのほうが防衛的である。しかし、本質は変わらない。パトリオットミサイルは、ある地点にどれだけ多くのミサイルを撃ち込めるか、ということがその防衛力であって、それはもちろん攻撃力である。また、もうひとつの現実的な事情、防御だけでは防御にならない、ということがある。いつまでも閉じこもることは不可能だ。援軍なき籠城は下策であって、侵略なき防衛は戦闘力の浪費を招き、敗北を招く。ちなみに、この二つの事実が、核兵器の先制不使用を不可能にしている。弾の入っていない銃には攻撃力が存在せず、したがって防衛力、つまり抑止力にならないように、爆発しない核爆弾に抑止力など存在しないのである。専守防衛を宣言している国には、力が存在せず、したがってカードの切りあいである外交も行えないことは明らかである。領空侵犯機は即座に撃墜しなければならないし、不審船は粉砕するべきなのである。

だから、戦争が本来無駄なものだということを持ち出して防衛費を縮小するのは現実を見ていない、もしくは知らない人間のいうことである。どんなに厳しくても現実を見なければ現実を変えることはできない。憲法9条を軸として存在している日本のいわゆる左派は、それが本来存在しえないものであり、例外にすぎないものであることを認識していない。封建制度の一般的傾向とそれに基づく戦争の条件はゆるぎないものだが、商業の発展に伴って商業的利益を巡って戦争がおこるようになるように、また、新たな条件、つまり資本制の下で奴隷制度が復活したように、この世界には様々な特殊な条件や地域性や歴史性に基づいて例外は存在しうる。しかし、例外は例外でしかない。そのような一般的傾向からいえば瑣末なことに意識を集中し、瑣末な違いにこだわって見当はずれなことを言うべきではない。インテリにはこういう類の人間が非常に多いことは最近よく痛感する。大事なのは、大きな流れ、世界的な事実と世界的な事実の間に存在する、傾向を認識することだ。おおざっぱにいえば、時代を認識することである。憲法9条は、本来ならば1955年にはなくなっていてしかるべきものだった。それが残っているのは、その大きな傾向とはまったく別の事情、すなわち人間の意識的行為と行動が入り込んだからである。

人は、大事なものを守るために闘う。文化連盟もそうだし、東条英機もそうである。日本人の生活を維持するには、中国に進出するしかなかった。それは侵略であった。しかし、敵国の司令官であったマッカーサーも残しているように、日本の戦争はいわゆる安全保障のためだった。アメリカを中心とする西側諸国は、市場競争に安定的に勝ち続け、国民を食わせていくために、ユダヤ人の資本家と組んでイスラエルを作った。それは確かに侵略である。だが、防衛的要素を多分に含む。それ以来続けられる激烈な闘争は、勝手にイスラムとキリストの対立という表面だけのもののせいにされている。19世紀、中国が貶められていく様を見た吉田松陰は「日本が独立国でなければならない理由」を探し、天皇制にたどりついた。理論だけでいえば、山県太華のほうがより現代的であったし、ラディカルなものを出していたが、それは「日本が他国に侵略されてもいい」という結論を引き出しかねないものだった。維新志士は中国のようにならないための理論と路線を松陰に見出したように、故郷を追われたイスラム教徒はアラーにそれを求めているにすぎない。両者は驚くほど似ている。その背景にあるのは市場を巡る闘争であって、宗教はそれに追随している。

あの戦争において、アメリカが悪いのならば日本も悪いし、アメリカが正しいのならば日本も正しい。正義と悪など、そんなものだ。あまり知られていないが、1943年に東条英機は原爆の開発命令を出している。日本にそれを完成させる力はなかったが、しかし明白に落とす気はあったのだろう。自分も撃つ気だったくせに、先に撃たれたことを逆恨みするのはいただけない。もう一度撃たれたくないなら、撃つ準備をすべきなのである。何を?もちろん、最強の抑止力と呼ばれるものを、である。それは、世界の現実なのである。「核なき世界」を言いながら、核兵器関連予算を去年よりも増加し、意味の薄れた戦略核を廃棄しながら戦術核を再編・強化している大統領は、なぜ北朝鮮とイランの核を認めず、インドの核を黙認するのか? それが真実である。きれいな自分たちだけの世界に住んでいる人間は、きれいな言葉を信じるものだが、事実を見たがらない。この世界は人間の世界であって、人間のいるこの世界に神などいない。いたとしても、それは人類が発見してきた、自然の中に存在する法則を崩すようなレベルのものではないのだから、何の意味もない。黙り続ける神を信用してはならない。

事実を認識し、それでも戦争を無くしたいと思うなら、戦争の条件そのものを、商業というものを、廃棄することを目指すべきだろう。その方向性が何と呼ばれるか、それがどれほど困難かを知っているのなら。今回、あえてそのような観点は盛り込まなかった。私のマスターは中核派の内海祐一であるので、知らないわけではないが。しかし、私はしょせんパダワンにすぎないので、そっちの方面の話が聞きたければ彼に聞いたほうがいいだろう。とりあえず、今回はこんな感じで。長々と読んでくれてありがとうございました。
(≧0≦)イェイ!

2010年8月22日 齋藤 郁真
コメント
何かこの文章だけ読むと「日本は悪くない」という結論のみが出てくるように思われます。
とするなら斉藤氏はつまるところ欺瞞が嫌いということでしょうか?

斉藤氏は商業の廃棄を対案として提出しておりますがなぜ国家の単一化を提唱しないのでしょうか?商業の廃棄よりナショナリズムの廃棄の方が簡単に思えるのに。商業を徹底化すればそれで事足りるのに。
産業資本といえども資源と市場の二つが必要で、この後者の必要性が近代の戦争を生み出しています。前者は侵略であり資本の本源的蓄積過程です。承知のとおり日本は両方ともに目指しました。後発帝国主義ならではの運命でした。国家の廃絶が不可能だとしても国家を一つにすることは可能です。ナショナリズムという病をこそ克服するべき課題だと思います。

社会主義革命とはその当時国有化と電力化を意味していました。結果は農業の近代化という名のもとに農民から収奪した富で産業を形成しました。多分スターリン以外では不可能であったと思います。
ハッキリさせるべきなのはそれ以外の選択枝を提示するのは卑怯だということです。それは歴史に対する冒涜です。
1300万人アジア人民の虐殺と侵略を取るか、それとも自国民の農民の1500万人程度の餓死者(革命を起こすと1/3の農民が死亡するので)を取るのか、戦争反対やあの侵略戦争は間違っていたということを主張することの帰結は非常に無残な二者択一を私たちに迫ります。
スターリン主義などという珍妙な単語を開発して好い気になっている反スタ勢力こそ歴史の冷徹な現実を見ていないプチブル分子であると考えます。

最後に、当時の社会主義を断固として支持することと現在の資本主義を支持することとは矛盾しません。経済活動を巡る条件が変化したからです。
この変化を正しく理解することと、この変化に則った正しい行為を広めることこそ重要であると思います。
反骨精神溢れる文化連盟のみなさんは是非既成左翼の限界を突破して新しい左翼の潮流を形成していただきたいと思います。私も奮闘する次第でございます。
【2010/08/23 14:37】 | 質問者 #mQop/nM. | [edit]
カクマル戦争は何故おきたのか?
内海に聞いて公開してください。
【2010/08/24 07:13】 | もとJac #- | [edit]
私は例のテレビ嫌がらせ報道で嘘を入り混ぜた報道がなされ、「天皇制打倒の中核派」「法政大学の過激派」といわれているようで、最近では朝鮮学校出身者であるかのようなデマをふかれていますが、確かに私は朝鮮学校の支援者でもありますけれども、法大出身者であって現在も法政に在籍しているかのようなキャンペーンは、法大闘争つぶし、および法大の問題を指摘する私に対する公安警察側の言論封殺としてあります。

と同時に、警視庁公安1課の暴力デカが動労千葉組合員を殴った件で、動労千葉は公安警察を告訴し裁判にふみきられた決意を支持し連帯したいと思います。

私も公安警察を告訴する準備を進めようとしているからです。

そんな私からですが、かつて中核派シンパだった私として、中核派である内海さんの「理論」的背景である革命的共産主義者同盟全国委員会のテーゼとは別の角度で、帝国主義論と現代資本主義について提起したいと考えます。

現実には、旧与党勢力、自民党は、敗戦帝国主義として米国と軍事同盟を結んで、アメリカ帝国主義とともに世界帝国主義の市場を争奪しそのおこぼれにあずかることで統治支配を行ってきたわけで、日本帝国主義を敗戦帝国主義とはみなしながらも日本を帝国主義自立とみたてて米国帝国主義と日本帝国主義との対決構造とみなし、朝鮮半島の戦争を契機として過去のドイツとアメリカが対決した第二次大戦のような世界戦争論を想定をしていたのが中核派の理論でしたので私はそのような現状分析にし疑問がありました。

したがって、自民党と民主党の違いを深く分析できていないのではないかと考えるようになりました。

確かに、『第二インターの崩壊』も重要ですが、私は『社民主要打撃論』の感じが今の中核派には強すぎる気がします。

とはいえ、混迷する世界情勢は、第二次世界恐慌とよぶにふさわしく、そのために公安警察側の治安弾圧が激化しているのだといってよいのかもしれません。
【2010/08/25 06:24】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
チラシの裏にかけよ
【2010/08/26 16:18】 | ここはオマエの日記帳じゃねえぞ #- | [edit]
1917年以降の現代資本主義の戦争論として『帝国主義論』と「スターリン主義」の問題がアプローチされています。

とくに、異論はありませんが、日本帝国主義の問題としてドイツと同様に、植民地を持たざる遅れて資本主義国になった後発資本主義としての特質に注目されるとよいでしょう。

つまり金融資本の支配的産業である、重工業の発達と戦争を着目すれば、軍部と財閥の関係と、その後の米帝によってなぜ長崎・広島に原爆投下されたかの理由も明らかになります。

さて、現況の帝国主義論で重要なのは、ソ連スターリン主義崩壊以降、圧倒的な軍事力を誇る米帝が突出した市場再分割戦を開始しはじめてきたことです。

それは、アメリカ経済とドル体制がにっちもさっちもならないところまでいきついた先として、アメリカ経済崩壊から免れるように、米帝は世界各地で戦争を自作自演的に引き起こし始め、極東でそのきな臭い緊張が芽生えだしてきたことです。

この前提をもとにして改憲策動とイラク戦争以降の法大弾圧を筆頭にしたあらゆる市民への弾圧が激化してきたということなのです。

世界恐慌と戦争の問題は、現在も事の本質といえるかもしれません。

私はドイツ社民党政権末期=(第一次大戦における)戦後民主主義末期と似た情勢と考えており、中核派の主張する社民打撃論には反対であり、第二インターの崩壊以上に社民打撃論ではスターリンの二の舞になると考えて、戦後民主主義=社民擁護で挑んでいます。
【2010/08/28 14:48】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
そんな米帝に関してですけれども、日本マルクス主義学生同盟中核派法大支部のみなさまには怒られるかもしれませんが、ネグリの『帝国論』が重要と考えます。

私は米帝論として、アメリカ帝国主義とという見方よりも、アメリカ帝国としてみるほうが現実にせまれると考えています。

理由は、中核派が主張してきた朝鮮第二次戦争ではなく、アフガン・イラク戦争が起き、イラン戦争が準備されてきたからです。

もっとも、中東にけりがつけば、極東地域への戦争発動が準備されているのはいうまでもないようです。

ザイトクの登場も、日米帝国主義の犬として極東地域への緊張を誘発させるなかで勝共連合がそっせんして排外主義を地ならし的に扇動してきたものにほかなりません。

したがって旧与党権力はザイトクを庇い雇ってきたわけです。なぜなら彼らは勝共連合でグルだからです。

すべてはドル防衛戦争といってよく、ユーロとアジア経済圏構想つぶしであるのはいうまでもありません。

帝国主義戦争はいいかえれば、基軸通貨の問題であり、ポンド体制からドル体制への基軸通貨の移行が大一次大戦と第二次大戦の原因・結果だと言いかえることができます。

そのへんの仕組みについては、岩田弘や鈴木こういちろうの『世界資本主義論』で補ってください。


参考
アメリカ帝国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD


世界資本主義論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%AB%96
【2010/08/28 15:01】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]
マル学同のみなさま、島崎さん、前進社のみなさまは、世界資本主義分析フォーラムを参考にしてください。http://www5e.biglobe.ne.jp/~WKAPITAL/index.html
【2010/08/28 15:04】 | 日本国憲法擁護連合 #- | [edit]












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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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