最近はこんなビラまいてる(いまさらだけど当局ぱねっす)

 2011-09-04
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※ケータイのため、写真の質が粗いです。ごめんなさい。

「原発反対のビラをまくな」
学生を恫喝・監視
これが大学のやることか!


反原発のビラまき弾圧弾劾! 
 すべての法大生のみなさん! もう我慢がならない! 法大当局は、反原発のビラをまいてサークル員に訴える文化連盟の学生に対して「ビラをまくな」、「反原発のビラをまくのはダメだ」と5人がかりで取り囲んで恫喝し、しつこくつきまとって盗撮するなどを繰り返している。原発に反対し、学生が大学で考え行動することが、一体どんな理由で弾圧されなければならないのでしょうか!
絶対に許すことはできない!
 3・11福島原発事故からまもなく半年が経とうとしています。全国で多くの青年・学生が人生をかけて反原発デモに立ちあがり、福島のお母さんたちは「子どもたちを守れ! 」と決死の叫びを発し、農民・漁民は「生活を返せ! 」と腹の底から怒りを爆発させているこの時に、法大当局は一体何をやっているのか! 学生の「原発をなくしたい」という真っ当な思いと行動を、「ルール」で縛りつけ、暴力的に抑えつける。これが今、大学のやるべきことなのか! 福島を先頭とする被災地の怒り、法大当局の学生支配への法大生の怒り、全国・全世界で反原発デモに立ちあがるすべての人々の怒りの対極にいるのが法大当局だ。この大学のあり方を真っ向から問いたい!

学生の力で原発再稼働阻止!
9月9-10日は全学連大会へ!


学生が立ちあがれば原発は止められる! 
 「大学生たちががんばってくれるとおっしゃってくれました。それを信じます。若い人の力で原発を止めてください! 二度と福島のような子どもをつくってはダメです」
 これは福島の「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の佐藤幸子さんの発言だ。私たち学生は、この「フクシマ」の怒りに応えなければならない。
 今私たち学生に求められていることは、大学を根本から変えるために闘いに立ちあがることだ。学生が行動にすれば必ず原発は止められる。再稼働は絶対阻止できる!
 法大当局のやっていることは、原発とその利権にしがみつき、福島・被災地の怒りを無視して、恥知らずにも「当面は再稼働に向けて努力することが最善の策」などと宣言し、年内再稼働を狙っている民主党政権とまったく同じだ。学生の行動が暴力的に抑えつけられる、この法大のあり方こそが、全社会の縮図だ。
 これまで原発政策を推進し、そして事故が起きた今でも原発と政府・東電を支える最先兵となってきたのが今の大学・御用学者たちだ。こんな大学の腐敗を私たち学生は絶対に認めてはいけない! 今こそ声をあげる時だ!
 そのために、学生を取り巻く鎖を引きちぎらなければならない。原発事故が起きても学生が、就活や資格で競争させられ、高い学費と奨学金で金をむしりとられ、社会に目を向けることすら奪われているこの現実を変えることだ。そのうえ法大生は、キャンパスでビラ一枚をまくことすらものすごく勇気がいる。しかも学生の代表であるはずのCSKや学祭実が、当局と完全に一体となって今の大学のあり方を容認し、学生の怒りを抑えつけている! この現実を変えるために、文化連盟は闘ってきた。そして法大当局と真っ正面から闘う中で、大学の腐敗を暴くと同時に、学生が団結すれば大学のどんな攻撃にも絶対に負けないことを示してきた。

文化連盟と一緒に全学連大会へ! 
 すべての法大生に9月9-10日に開かれる全学連大会に集まってほしい! 原発再稼働をめぐって9月が正念場だ。とりわけ学生として、今大学と御用学者が「フクシマ」の怒りを押し潰すために福島をはじめ全国で「安全キャンペーン」のデマを垂れ流していることへの怒りを爆発させよう! 全学連大会には、被災地を先頭に全国から仲間が結集する。法大生は全国学生と団結して闘おう!
 そして全学連大会の高揚から、大会翌日の9・11「脱原発! 再稼働阻止! 」の新宿10万人デモを爆発させよう!
 3・11以降、多くの青年・学生が原発とこの社会への怒りを爆発させて行動を開始している。法大当局は、この街頭のうねりが今度はキャンパスの中から爆発することに死ぬほど恐怖している。大学を変え、原発を止める力を私たち学生が持っていることの裏返しだ。
 法大生のみなさん! 文化連盟とともに、法大を学生の手に取り戻そう! 全学連大会に集まりましょう!

法大を変えるために全学連大会に集まろう!
人間環境学部・2年生のアピール

 「暴力的押さえ込み」しか成り立たない存在-これが原発であり、こういうやり方を実践してきたのが法大です。学内で原発に反対する行動は一切許されません。行動したら、声を挙げたら、とにかく排除。そこに正当な理由なんて存在しない。これが法大のやり方です。
 このまま押さえつけられたままでいいだろうか・・・。こういう大学の現状に立ち向かい、吹き飛ばさなければ、再稼動も阻止できないし、私たちの未来もないと思います。
 法大のこの許しがたい現状は絶望だけではないと思います。真の絶望は、誰もが思考を停止し、一切の声を上げなくなったときです。私は、あの大震災と原発事故が起こってからずっと「私たち学生が今、大学でやるべきことは何か」ということをずっと考えてきました。
 私たちが今やるべきことは何か。この回答は、「今こそこの現状に対するNO! の声をあげなければならない! 」、「あげなきゃ何も変わらない! 」ということです。
 「脱原発は選択肢ではなく私たちの生存のための必須条件」であると思います。「変わらない」、「しょうがない」という思考の停止はもうやめて、多くの学生に全学連大会に参加してほしいと思います。
コメント
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【2011/09/05 01:33】 | #- | [edit]
日本の民族主義者、天皇主義ファシスト、日の丸野郎、日の丸小僧、日の丸娘そして在特会、一水会など新右翼ども!!過日この場を借りて私が突き付けた宿題に、何時、答えるんだ? 歴史も分からずに勢がって「日の丸」を振り回してんじゃネーッ!
 
一つ、日本列島と琉球弧の住人は如何なる人種か?二つ、何故、琉球人はアイヌ人と似ていると言われ、何故、西日本の人と朝鮮人は頭蓋骨から血液型まで近いのか?三つ「天皇家」は、果たして日本列島の先住民である縄文人から発生したのか?それとも水稲耕作文化を持って大挙渡来した弥生人集団の末裔なのか?はたまた騎馬民族征服王朝なのか?答えてみよ!!

アイヌ人は民族文化を育てながら民族国家形成の直前に和人に滅ぼされ、琉球人は琉球王国を形成しながら大和に滅ぼされたがゆえにアイヌ人と琉球人には日帝に対して「民族的要求」「民族的大義」を突き付けるべきである!!

日本の民族主義者、天皇主義ファシスト!逃げずに答えろ!!
【2011/09/08 16:34】 | 赤ヘル #- | [edit]
赤ヘルさんこんばんは。

まず日本は単一民族国家という幻想がありますがそれはインチキです。

第一に、沖縄県民の多数は琉球民族すなわち琉球王朝の末裔であり薩摩藩の琉球処分で侵略統治されてきた少数民族であり故に第二次大戦では捨て石にされ集団自決が実践されたのでありそんな地域故に米軍基地に蹂躙され続けてきたのです。

第二に北海道は、蝦夷とよばれアイヌ民族の地域だったものに対して古来大和朝廷から征伐されてきた地域で明治維新以降屯田兵によって統治された地域であり今もアイヌ人差別は残っています。

正式な日本史でも縄文人と弥生人との明らかにルーツの違う民族が入り交じって日本の国は形成されてきたと伝えられてきたわけで日本は単一民族などではなく加藤周一先生の主張にあるように雑種文化が事実なのでしょう。

がこれでは困るのが日本を長く統治支配してきた国家権力の支配的イデオロギーなのでしょう。

日本は沖縄とアイヌなど少数民族の自主独立的な自治圏を認めてアメリカ合衆国やカナダ連邦やイギリス連邦やロシア連邦やかつてのプロシアのような連邦制を伴う自立的・民主民族的な本当の道州制にチェンジした体制のほうがよいかも知れません。

【2011/09/16 22:05】 | 日本憲法擁護連合 #gmTq9WNQ | [edit]
 【 天皇の正体は大陸から渡来したツングース系遊牧民だ!!】

 北海道と琉球を除いて全国(本州、四国、九州)を制覇していった大和政権つまり「天皇家」の出自が朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族である。
 これを認めたら天皇家の出自が白日の下にさらされ皇国史観の屋台骨が崩れ幻想が吹き飛んでしまうので、皇国史観を偽装し護持しようとする御用学者が猛反発している。
 しかし大陸の草原地帯から中国東北部を経て朝鮮半島を南下し高句麗や新羅や百済や伽耶を創設した騎馬民族が九州北部に渡って拠点を作り更に東進して畿内の諸豪族を支配下に置き全国制覇を目指して樹立した政治権力こそ大和政権であり故に天皇の血の原点はツングース系遊牧民である!!
 古墳の副葬品こそ騎馬民族の物証である!宮内庁は天皇家の古墳の科学的解明を拒否している!!

その最も確かな根拠は何かと言うと、古墳から発掘される副葬品の大きな変化である。詳述すると古墳時代のある時期から副葬品の中から騎馬民族だけしか使用しない鉄製の騎馬戦用の武器や馬具が突如として大量にあらわれ同時に日本列島では未だ製造出来なかった灰色の硬質土器「通称、新羅土器・須恵器」の祭器が大量に発掘されるようになったことである。
 端的な問題はこの副葬品の性格の急激な変化を如何に分析し理解するかにある。
 この埋葬品の性格の激変に明白なる回答を出したのが故・江上波夫東京大学教授である!
 つまり江上波夫先生は、ある時期を境にして古墳から出土する副葬品の性格に大きな質的な変化が見られるようになったのは古墳に埋葬される権力者の性格が一変したからである、という解釈を下した。
 つまり騎馬戦闘だけに使用する馬の鉄面や独特の槍や剣があれほど大量に出土するということは埋葬される権力者が鋼鉄を製造する生産力をもち騎馬を自由に駆使して戦闘する能力をもった生活集団の長(おさ)であると明快に分析された。
【2011/09/17 01:02】 | 赤ヘル #- | [edit]
同時に頭から足の先まで全身をキンキラキンの黄金細工で装う埋葬品は金を体一杯身につけて移動する騎馬民族に固有の生活文化を象徴的に示すものであり農耕定着民の生活習慣にはないものであることをも明快に解明した。
 従って江上波夫先生は騎馬民族的副葬品の出土を分岐点として古墳時代を前期と後期に二分したが御用、官制の「考古学会」は前・中・後の三期区分説を採用し埋葬品の変化を中期以降と認めながらも変化の原因を朝鮮半島からの輸入によるものと断定し黄金や鉄器や馬具や硬質土器を生産して使用する生活集団の渡来を絶対に認めないのである。
 後期(定説では中期)以降の古墳から続々と出土する副葬品の数々を朝鮮半島から渡来して畿内を制圧した集団の携帯かつ生産したものであると認めてしまえば「天皇こそ民族の血を純粋に継承する大和民族の本家であり大和朝廷こそ『日本民族』の生んだ国家の始祖」という皇国史観が根底から崩れるからである。  

本当に、物証という事実は何よりも強く皇国史観を護持しようとする側の反論はことごとく次々と論破され完敗していった。
 一つが鋼鉄生産論争である。確かに弥生時代にも砂鉄を小さなルツボで溶かし鉄製農具を造っており前期古墳からも少数の鉄剣は出土していたが鉄がタタラ製法で組織的に大量生産されるようになったのは後期古墳時代なのである。事実は日本列島よりも遥かに早くから良質の鋼鉄を生産していた朝鮮半島南部のテクノクラートたちが大量の鉄剣と騎馬で武装した集団とともに渡来して組織的なタタラ製法で生産を始めたのである。
 二つは須恵器論争である。ロクロ成形と千ニ百度の火力で穴窯焼成される硬質土器は既に新羅や百済で生産され古墳に副葬されていた。
 後期古墳からの硬質土器の突如とした大量出土を皇国史観側の御用学者は朝鮮半島から生産技術が導入された結果だと強弁している。
 しかしドロを固めて成形し地上に積んで枯木や藁をかぶせて焼き芋を焼くようにして造る弥生土器しか生産できない人々が言葉だけでロクロや築窯や焼成の技術を修得できるわけがないのであるから突然の大量出土に見合う陶工の大量渡来を承認せざるを得なくなるのである。

三つは、前方後円墳論争である。皇国史観の御用学者が噛みついて最後にしがみついた主張が、朝鮮半島に前方後円墳がないという主張であった。つまり前方後円という古墳形式は大和民族固有の形式であり騎馬民族が大和民族の上に君臨したのなら前方後円墳は採らないはずだと主張してきた。
 ところが『1984年に前方後円墳が韓国で発見され』森浩一・同志社大学教授らの考古学者も現地を調査して確認された。と同時に韓国の学者も機内で発展し大型化していった前方後円墳の原形であるという見解を明らかにした。
 これを受けて皇国史観の御用学者は決定的なダメージを受け完敗し沈黙した。残る抵抗勢力は「宮内庁」、「神社本庁」、「天皇主義ファシスト」のみである!!

騎馬民族征服王朝を基本的に裏付けるものに古事記と日本書紀の思想がある。
 古事記と日本書紀は蘇我一族から奪権に成功した天武天皇が権力の世襲制を定め国家権力のデザインを固めるために捏造した神話としての『正史』であった。
 だがしかしこの「作文」も騎馬民族に固有な信仰が貫かれざるを得なかった。つまり天孫降臨神話にみられる遊牧民の上天神信仰である。天の神が陸地の高い山や木に舞い降りるという神話形式は西域、蒙古、朝鮮にも共通している。
 遊牧民にとって大草原の上に広がる天空は神そのものであり神なる天の声をシャーマンの呪文で聞き天の命令の代行者として地上の政治権力が決定された。やがて俗なる地上の権力者は聖なる天上の神の化身と称し天より降臨せる神にして人間、人にして神様なる独裁者となった。
 天孫降臨神話に依拠して天皇を現人神と位置付ける記紀神話の基本思想こそ「遊牧騎馬民族の上天神信仰」そのものである。
 記紀神話は騎馬民族の天孫降臨と現人神の基本思想に先住の縄文人や弥生人の信仰を結合させ大和の支配的イデオロギーになったのである!!

 
【2011/09/17 01:06】 | 赤ヘル #- | [edit]
 戦前の天皇制権力は天皇の統治権の根拠を記紀神話に求め、この皇国史観で打ち固められた天皇をプロシア型立憲君主制の君主の地位に嵌めこんだ造った政治的支配制度であった。
つまりまず、天皇を皇国史観漬けにしておいて日本的つまり大和的な民族宗教で染め上げた天皇人格をヨーロッパの封建社会の最後に登場する絶対王政がブルジョア市民革命で崩壊した形態である立憲君主制の君主に当て嵌めて急造したのが天皇制である。
 だから戦前の天皇制は支配的政治制度としては立憲君主制であったが君主の統治権の根拠においては西欧の王政とは全く異なったものであった。
同時に天皇制は天皇を神聖不可侵たる国家の主権者と規定し君主主権主義を取って天皇に①祭祀②国務③統帥の三つの大権を集中させたが天皇に国家の主権者としての大権が与えられる根拠も、結局皇祖天照オホミカミの命令で天孫ニニギノミコトが降臨しその子孫が日本を統治するという「古事記」と「日本書紀」の天孫降臨神話に基づいているのである。
だからNHKの大河ドラマ「竜馬伝」ではないが、「維新の尊王攘夷の志士」から国家権力を掌握して「明治の元勲」となった支配者たちは天皇を神格化するために皇室祭祀を次々と古代から引っ張り出したり、デッチ上げ、祭祀儀礼を大規模に実施して天皇幻想の下に呪縛しようとした。

 戦前の天皇が主催する大祭は十三あったが十一は明治維新以降に元勲たちが創作デッチ上げた皇室儀礼であった。
明治天皇は日本資本主義の誕生と大日本帝国の創立期の天皇制の役悪を演じさせられた。だから現人神のイメージを身につけて宗教的機能を果たし得る人格に変身することが要請され日本人の意識に系統的に刷り込み、売り込むのが第一義的任務となった。
 つまり権力樹立直後の1872年(明治5年)に天孫降臨つまり皇位の始原を祝う元始祭を正月三日に設定、翌年に神武天皇の即位を祝う紀元節と天皇誕生日を祝う天長節を祝日とし初代天皇の命日に遺徳を仰ぐ神武天皇祭を新設した。これに稲の収穫祭・新嘗祭と伊勢神宮を祭る神嘗祭、春と秋の皇霊祭などを加えた。
 従って天皇の神格的権威は西南戦争後の1882年(明治15年)に軍人勅諭として軍隊に注入された。その狙いは天皇の統帥権を明確にし元司法卿・江藤新平の佐賀の乱や陸軍大将・西郷隆盛の如き不平士族の反乱軍の武装蜂起・西南戦争の再発を防ぎ天皇に忠誠を誓う軍隊を造ることにあった。
 自由党をはじめとする自由民権運動を弾圧した段階で1889年(明治22年)に帝国憲法と皇室典範を制定し天皇権を法律的に確定し立憲君主制としての天皇制を確立した。
 自由民権運動が天皇の君主制と闘えず敗北し君主主権の天皇制が確立したことは天皇と部落を対極とす差別構造を日本人の意識に定着させることとなった。

 同時に家族国家観は自由民権運動の屍の上に法的に成立した。
1892年(明治31年)の明治民法は帝国憲法の翌年に発布された教育勅語を法的に確定して祖先崇拝の信仰を天皇崇拝の抱き合わせて忠孝一致のモラルを家族単位に要求して忠君愛国のモデルへと統合するものであった。「法大当局」が顕彰する「お雇い外国人」・ボアソナードなど一顧だにもされなかった。
 国家は家族の拡大であり天皇と皇后は国民の父母であるという家族国家観こそ皇国史観の呪文で神格化した天皇人格を崇拝の頂点に据えて国民を大和民族として統合する天皇制の強力な機構であった。
 従って明治天皇の神格化は完成し天皇制はファシズムの機能を完備した。
天皇制を作り上げた明治の元勲は天皇を「玉」として操り「神」として演じさせる原作者と演出家であった。
天皇の神格化と天皇制の機構が定着する明治後期には本気で忠誠を尽くす東郷平八郎や睦仁に殉死する乃木希典の如き軍人が現れた。
政党政治が台頭し旧い明治の藩閥・軍閥が対応力を失い、それにとってかわって侵略幕僚派と北一輝らの国家改造派2・26で激突した。
勝利した侵略幕僚派は裕仁の神の権威をファシズム確立のために駆使し、裕仁もそれに積極的主体的に応えたのである。
【2011/09/17 01:28】 | 赤ヘル #- | [edit]
 日本の敗戦で天皇制は崩壊した。だが、敗戦過程においても誰一人として日本人は決起することもなかった。天皇と皇族を一掃する天皇制打倒の闘いを組織することもできなかった。唯一、決起したのは強制連行されて差別かつ虐殺されてきた朝鮮人民だけだった。日本人の中には、皇居に向かって正座し泣き崩れる者さえ多くいた。米占領軍も日本人を支配するために天皇を利用しようと考えた。
 天皇と日本資本主義は、明治維新直後に琉球王国を滅亡させ琉球人の国籍を奪い琉球文化を差別し琉球人に皇民化を強制し敗戦過程では地上戦を強要して民間人まで虐殺し「ヒロヒト」の命乞いのために琉球をアメリカに、北方諸島をソ連へ売り渡した『歴史的犯罪』を痛苦の念を持って総括しこの苦悩をわがものとしなければならない。
 天皇制の歴史は侵略と差別と虐殺で彩られている。
【2011/09/17 01:43】 | 赤ヘル #- | [edit]
 マスコミと一水会や在特会ら天皇主義勢力は残忍非道な「ヒロヒト」「アキヒト」を恥知らずにも「平和愛好者」であったかのように言いくるめようとしている。
 しかし如何に軍服から背広に元首から「象徴」に「大元帥」から「生物学者」「海洋生物学者」に衣替えしようと何よりも天皇の軍隊によって赤ン坊まで銃剣で刺され殺戮された二千万に及ぶアジア人民の屍がそして同時に天皇のために赤紙一枚で駆り立てられ三百万の屍が、「ヒロヒト」「アキヒト」こそ差別と虐殺、侵略と排外主義の頭目であることを白日のもとに晒している。
 資本家や天皇の側近は敗戦時の『「御聖断」が国民を救う』などと最大級にヒロヒトを担ぎあげ、いつの間にか残忍な侵略者を「ヘド」の出そうな平和主義者に仕立て上げたつもりでいる。
 こんなシナリオがデタラメなのも宣戦布告も敗戦の詔書を出したのも同一のヒロヒトであることを見れば明々白々だ。
 同時にヒロヒトは広島・長崎への原爆投下についてはやむをえない言い切り、自らの命乞いのために沖縄(琉球)を米帝に、北方諸島をソ連に売り渡した卑劣な輩なのだ。沖縄の現状を見よ!形式的に「返還」されても実質的には米軍が支配しているではないか!!北方諸島は未来永劫「返還」されない!!
【2011/09/17 02:06】 | 赤ヘル #- | [edit]
 
 戦前の歴史は、天皇イデオロギーで武装させられた軍隊が日帝の侵略反革命戦争に抵抗した朝鮮ーアジアの人民を天皇と大和民族に従わぬ敵として虐殺し同時に天皇イデオロギーで武装させられた特高刑事が独占資本に反抗する革命的なプロレタリアートを天皇の命令に服従しない「大和民族の敵」として虐殺し同時に天皇イデオロギーに屈服させられた人民自身が総力戦戦争体制に消極的な「非国民」として排除投獄したことを忘れてはならない。

【 何故、天皇イデオロギーは『ナチズム』 のような他民族虐殺と革命的同胞殺害のファシズム思想になりうるのか? 】
 その根拠は天皇イデオロギーが皇国史観に基づいているからである。
 つまり皇国史観は日本国家を創設した始祖の血を正統かつ純粋に受け継いできた大和民族の本家として皇族を位置づけ、もって、皇族の長子である天皇こそが日本国家の頂点に君臨して国家と民族の統合の人格的要となるべきであると規定し、ここから諸階級諸階層に天皇と皇族への「尊敬」と「忠誠」の念を植え付け天皇と皇族への民族的な血の一体感を抱かしめ琉球人やアイヌ人には大和民族への同化・皇民化を強制して差別支配する歴史観である。
 だからこの大和民族史観である皇国史観は天皇と皇族すなわち天皇一家との血のつながりを保持することを決定的に重視し天皇を基軸とする血族共同体であるところに大和民族の優位を求め「貴く尊く浄い」天皇と皇族に対して血の一体感を持って「忠誠」を誓うことを要求すると同時に、血のつながりを持たぬ異族や他民族を蔑み見下し憎悪し差別排除を要求する、「差別と虐殺と侵略と排外主義」の歴史観なのである!

 皇国史観がこのような大和民族史観であり血族共同体史観であるが故に国家と民族の統合の武器ともなりファシズムの思想として天皇イデオロギーを武装することができるのである。
 で、この天孫神話に色濃く彩られた戦前の皇国史観も、神話色を抜き去って科学的粉飾を施した戦後の偽装せる皇国史観も変わりはない。        なぜならば神話が消されようとも天皇と皇族こそ太古に日本国家を創設して大和民族を形成した「偉大なる民族の始祖の血の正統な継承者である」という一点が残るかぎり偽装された皇国史観も民族統合の武器となり天皇イデオロギーを差別と虐殺・侵略と排外主義のファシズム思想に武装させうるからである。 
 

 だから、民族統合と国民統合の天皇イデオロギーで武装させるから諸階級諸階層を「ナチズム」ばりのファシズムの下に強的に統制し動員することができるのであり他民族虐殺と革命的同胞殺害の天皇イデオロギーで武装させるから自衛隊(暴力装置!!『仙谷官房長官の言』)と「統一戦線義勇軍」等反革命武装勢力、天皇主義ファシストを殺人集団として組織することができるのである。
【2011/09/17 02:22】 | 赤ヘル #- | [edit]
自然人類学はヒト科の進化を猿人、原人、旧人、新人の四段階に分けている。
 日本列島に原人(シナントロプス、ピテカントロピス)が登場したか否かは明石原人論争に決着がつかなければ断定できないが旧人(ネアンデルタール)段階の遺跡は宮城県座々乱木などで発見されている。約三万年前の後期旧石器時代の遺跡からは北方系のマンモスの化石と南方系のナウマン象の化石が発見されて北海道、サハリン、大陸沿海州と九州、朝鮮半島が地続きであったことが証明されている。更に約三万年から一万年前に新人(クロマニヨン)が登場した遺跡が南は沖縄から北は北海道まで三千以上発見されている。
 数万年前の氷河時代、海水が氷となって海面が低下し、もっとも寒かった一万八千年前の日本列島周辺には海面が今よりも一四〇米も低くなって間宮(タタール)海峡、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡、朝鮮海峡、琉球列島の一部は陸続きになっていた。だから縄文人の祖先は北と南のルートから来ているのである。
 地続きであった北と南の架橋が切れて黒潮が日本海に流れ込み日本列島と琉球列島が成立したのは約一万年と推定されている。そのころ先住の祖先は初め土器を使う生活を始めたのである。
              つづく

        大和民族ー血族共同体論のトドメを!!!
 今後の方向性として、日本帝国主義「領土」に生活するアイヌ人と琉球人と和人の祖先が縄文人であり人種的にも古モンゴロイドであることを明確にし、と同時に和人は古モンゴロイドである縄文人が渡来してきた新モンゴロイドである弥生人と混血した雑種であることを遺伝学や自然人類学の客観的な成果を活用して今後明確にしていく。
 和人こそ縄文人から弥生人に直結した純粋な大和民族でありアイヌ人や琉球人は和人の「異人種」であるという「皇国史観」「大和史観」が嘘、デタラメ、デッチ上げでありアイヌ人や琉球人のほうが日本列島と琉球列島の先住民である古モンゴロイドの縄文人の血と形質を混じりなく継承していることをハッキリ言いたい。

 縄文時代とは紀元前一万年頃から紀元前三百年頃までの時代、言いかえれば水稲耕作が始まるまでの有土器の狩猟漁撈採取文化の段階である。縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期という発展段階に区分される。
 「縄文」の名称は一八七七年にモースが大森貝塚を発見して調査し発掘した土器名をコード・マークド・ポッタりーと記したことに由来する。
 一九五九年、芦沢長介・東北大学教授は長崎県福井洞穴を調査し上層に押型文土器、その下にツメ型文土器と細石刃を更にその下層に隆線文土器と細石刃、最下層に土器を伴出しない細石刃を発掘、旧石器時代から縄文時代への移行過程を遺物で立証した。
 一九七三年長崎県の泉福寺洞穴から先の福井洞穴の隆線文土器よりも約千年古い豆粒文土器が発見された。
 細石刃は旧石器時代終末期にユーラシア大陸で広く繁栄した石器文化であるため芦沢・東北大教授は隆線文土器は縄文時代早期直前の晩期旧石器時代の土器であるとしてシベリアと中国東北部と朝鮮半島と九州の関係を推定し縄文土器文化が西九州から伝播し関東や東北で隆盛期を迎えたものと推定している。


 縄文時代は気温の上昇期と同時に始まった。7万年前に始まった氷河時代が1万年前頃には終わった。約1万5千年から1万年前にかけて徐々に海面上昇が起こり縄文海進と呼ばれる現象がはじまると海岸地方では陸地の奥まで深く海が入り込んできた。関東から西南部では照葉樹林が定着し東北部でも針広混合林から落葉広葉樹林へと移り木の実を繁らせた。こうした氷河期の終末期から晩氷期への自然環境の変化に伴って縄文時代の草創期が細石刃文化の中から誕生してきたと考えられる。
 約8千年前には現在より気温が高くなった。高温時代はヒプシサーマル期と呼ばれ約5千年前まで3千年間も続いた。縄文時代前期は広く繁栄は気温の最高の時におこった。人口増加、定住化、集団労働の拡大、土器の多様化などが遺跡数の増大や遺跡規模の拡大などで科学的に実証される。
 中期の縄文社会は鮭の来る東日本で繁栄し八ヶ岳から関東に跨る山麓地帯で採取経済の固有の発展を見た。
 しかし同時に冷涼気候の陰りが中期の終わりごろに現れ始め後期と晩期で最も低温になった。前期後半から中期に繁栄した中部山麓集団は減温に生命の危機を迎え海岸に移住したので中部山地集落は後期に無人地帯と化した。
                続く

日本列島と琉球列島の住人の祖先は紛れもなく共に縄文人である。つまり和人とアイヌ人と琉球人の基層を文化人類学の観点から定義すれば「縄文人」である。
 他方、地質学で琉球列島と呼称する南西諸島では1904年、鳥居龍蔵が伊波(沖縄本島)と川平(八重山諸島)の貝塚を発掘し縄文人の生活が科学的に実証された。奄美諸島の徳之島伊仙町の面縄貝塚と喜念原始墓遺跡の調査は1930年に開始され縄文後晩期遺物が発掘された。
 1975年読谷村渡具知東原遺跡の発掘で上層から九州西部の曽畑式土器や条痕文土器のほか南島的な室川下層式土器が出土、下層からはつめ型文土器が出土した。
 つまり、つめ形文土器は縄文時代の草創期に位置づけられ九州から青森県まで分布する土器である。カーボンテストの結果、東原(あがりばる)遺跡の、つめ形文土器は長崎県福井洞穴のもより3000年若い7000年前の早期における土器と判明した。
 この発掘は沖縄本島には縄文時代の開幕期から縄文人が生活していた事実を実証する画期的な考古学的な意義を持っていたのである。
               


 前記の伊波貝塚の伊波式土器こそ縄文後期に琉球固有の文化を形成した遺物である。
 琉球では9世紀以降に農耕が伝搬するまで固有の発展を遂げてゆく。北海道では旧石器時代と有土器時代の移行期の石刃鏃文化(中国東北部からシベリヤに広く分布する)の遺跡をはじめとし縄文の早期、前期、中期、後期、晩期の遺跡、そして同時に本州の弥生時代と古墳時代に相当する続縄文時代(非水稲ー輸入金属器使用)と擦文土器文化時代(非石器ー金属器ー非水稲ー東北の土師器と関連)の遺跡、アイヌ文化の存在へと続き、縄文人=アイヌ人説を立証的に裏付けている。
 そして縄文人の日本列島に『韓族』が渡来してきた!!!
              
 

縄文時代の晩期の半ば頃、紀元前500~600年の時期に本州の縄文土器の姿形が北東と西南で対立し始める。
 尾張平野以東では青森県の亀ヶ岡に花咲いた縄文文化を象徴する亀ヶ岡式土器が流行かつ普及するが、石ヶ原以西では条痕文土器という土器が圧倒的に定着する。
 亀ヶ岡式土器には精巧な細工が施され一方、条痕文土器には縄文も装飾もなく両者は似ても似つかぬ土器であった。両者の相違は縄文の伝統を守る亀ヶ岡に対して非縄文的文化の西日本への影響を暗示するものであった。事実、条痕文土器(長崎県山ノ寺出土)と夜臼式土器(縄文晩期の福岡市板付水田や佐賀県の菜畑水田遺跡出土)と遠賀川式土器(弥生初期遺跡出土)をならベてみれば、その連続性は火を見るよも明らかである。
                       

 朝鮮半島から水稲耕作集団が渡来する以前に「韓族」は既に九州や西日本と往来していた。1980年代韓国の釜山市の貝塚から出土した黒曜石が京都大学原子炉実験所の分析で紀元前6000年の伊万里市腰岳の産と判明し縄文前期から西北九州ー壱岐ー対馬ー朝鮮半島を結ぶ文化交易圏があったことを科学的に実証した。
 同時に「倭国」の問題が九州西北部と朝鮮半島南端の関係を暗示する。
 『魏志倭人伝』の時代、朝鮮半島の北部は「高句麗」が領有し、南部は馬韓、辰韓、弁韓が領有していた。4世紀に馬韓が「百済」、辰韓が「新羅」、弁韓が伽耶諸国を形成した。
              

「倭」の記録は『山海経』と『漢書地理誌』と『魏志』に出てくる。
 『魏志』の筆者・陳寿の記述に
「韓在帯方之南、東西以海鳥限、南与倭接、方可四千里」とある。
 つまり帯方郡の南方にある韓(三韓)は海ではなく陸続きの倭に接するものとして記述されている。と同時に陳寿はまた弁辰(弁韓)の項においても「弁辰の讀盧国は倭と境界を接している」と記している。讀盧国は現在の慶尚南道梁山郡で釜山や東莱町にあたる。この地の西に接するのは金海である。ともあれ、金海と対馬と壱岐と西北九州が倭国と考えざる得ないのである。
 縄文前期から往来していた西北九州と朝鮮半島南端の人たちは縄文晩期に固有の文化交易圏を形成して韓族の弥生人を九州から西日本へ送り込み「倭国」を形成したとみるのが極めて自然である。
 つまり縄文人の日本列島に縄文晩期から弥生時代を経て古墳時代さらには奈良時代まで韓族とツングース族が続々と渡来したのである。
                 

         和人こそ新旧黄色人種の雑種だ!!!
 
今、民族主義者、天皇主義ファシストらは、「本土」においてまず、天皇を賛美し「日の丸」を掲げ「君が代」を唱うことによって逆らえない抵抗できない現代思潮をつくり上げその勢いに乗じて朝鮮半島へ天皇を上陸させようとしている。
天皇のイデオロギーによる「本土支配」を跳躍台として朝鮮人民、琉球人民を蹂躙しようとしている。
裕仁が没して『昭和』が終わる日を「Xデー」として設定し、今まさにアキヒトの「Xデー」計画は裕仁の経験にならって既に練られ完了していると言われている。
              
 1970年代から、基層集団の縄文人がアイヌ人と琉球人と和人に分化した原因を遺伝学や人類学から追求する試みが進められている。
 骨学の山口敏・国立科学博物館人類研究部長は頭蓋計測の結果、アイヌ人に最も近いのが琉球人、次が北陸と東北、一番遠いのが近畿で、次に、朝鮮人との距離は近畿が最も近く、一番遠いのが琉球人と東北だと言う。それは、縄文時代の日本列島に現在のアイヌ人や琉球人に似た縄文基層集団がいたが弥生から古墳時代に移住民が西日本に入り、土着集団に文化的のみでなく強い遺伝的影響を及ぼし両端のアイヌ人や琉球人に縄文以来の原形質が色濃く継承されたからだという。
                



人類学の埴原和夫・東京大教授は旧来の人種は変わらないという人種不変説を否定し『近代人類学の父』といわれたルドルフ・マルチンの人種可変説に依拠して黄色人種(モンゴロイド)が氷河期に寒冷地適用を受けて小進し温帯や熱帯の古いタイプのモンゴロイドから平顔で薄毛で細目な新モンゴロイドのタイプに転化したと主張し、この新モンゴロイドが弥生人として日本列島に渡来し古モンゴロイドの縄文人と混血したという混血説をとり渡来者の遺伝子が九州北部と近畿に濃拡大し北海道と琉球という北と南の端の人々が日本列島の祖先の特徴を色濃く残したと主張している。
 かって縄文人と弥生人の関係を巡る『東京大と九州大学の論争』があった。
鈴木尚・東大教授は人種可変説から関東の弥生人の骨は縄文人が米食によって大きくなった結果と主張し金関丈夫・九大教授は九州西北部の縄文晩期稲作開幕期の弥生人の骨がはじめから大きいのは米食韓人の渡来以外に説明が付かぬのだと反論した。
 人種可変説も皇国史観に悪用される危険はあるのである。
               続く

以上で、民族主義者、天皇主義ファシスト、大和民族主義者、血族共同体論者の論拠を解体した!!
 日本帝国主義の『領土』に生活するアイヌ人と琉球人と和人の祖先が縄文人で人種的にも古モンゴロイドであることを明白にし同時に和人は古モンゴロイドである縄文人が渡来してきた新モンゴロイドである弥生人と混血した雑種であることを遺伝学や自然人類学の成果を活かして明らかにした。
 従って、「民族主義者」が言う、和人こそ縄文人から弥生人に直結した純粋な大和民族でありアイヌ人や琉球人は和人の『異人種』であるという『皇国史観』がデタラメ、インチキ、デマ、誤りであり、アイヌ人や琉球人の方が日本列島と琉球列島の先住民である古モンゴロイドの縄文人の血と形質を混じりなく継承している。
 同時に縄文時代の東日本と西日本では人口比率が9対1であり弥生人はガラガラの西日本に繁殖し弥生人の上に君臨した騎馬民族征服王朝である大和政権
が九州南部と東日本の縄文人末裔たちを熊襲や蝦夷と呼んで差別かつ征服して民族国家を構築した。

従って和人との同根を主張せんとする『日琉同祖論』に反対し琉球列島には縄文時代の開幕期から住人がおり、その住人が九州から南下したと主張するのなら九州の縄文人が大陸から南下してきたことを主張すべきであると論破する。
 同時に言語学から、日本語とアイヌ語と琉球語が似ているのは縄文語を基層とするであって大和政権の古語が生きているのではない。
            


 自称「民族主義者」どもよ!!!
いいかっ!!!抑圧民族のプロレタリアートに正義、道理、大義は無い!!!民族的大義はない!!!天皇主義ファシストどもに大義は断じてないのだ!!! 
【2011/09/17 02:33】 | 赤ヘル #- | [edit]
 天皇制は明治維新で創られた国家権力機関である。維新政府は資本主義国家を確立するために「国家神道」を国家理念として天皇人格をシンボルとする国家権力機構を急造した。
 中山慶子(よしこ)を母とする孝明の落胤、「16歳の睦仁」こそ「無言の幼いミカド」として最適の「玉」であった。睦仁は大和民族の始祖神の血を純粋に継承する民族ー日本人の本家の長(おさ)としてあがめられる現人神に祭り上げられ「国家神道の『御神体』」になった。
 こうして捏造された天皇と天皇イデオロギーに基づいて政治的支配制度としての天皇制政治機構が出来上がった。
 天皇制の属性の一つは差別性であった。従って幕藩時代の「賤民」を資本主義の階級支配のもとで「新平民」という身分的部落差別に再編した。
 だから頂点に「神聖不可侵」なる「人格神天皇」を飾りその底辺に「新平民身分」を組み敷いて差別支配し「天皇は生まれながらにして貴く清浄で部落民はけがらわしく賤しいものである」という賤視観を資本主義の階級支配に持ちこみ分断支配を図りながら一方でナショナリズムへの民族統合を強制した。

 天皇イデオロギーは常に身分差別と民族統合を併せ持つもなのである。
 天皇イデオロギーは一方では日本人の内部に賤視と身分差別の対象を底辺に創りだして被支配階級を分断支配しつつ他方では大和民族のナショナリズムを煽りたて排外主義で他民族を差別し抹殺し「皇民」化を強制してきた。 
 1869年(明治2年)函館五稜郭の旧幕臣・榎本武揚らの「蝦夷共和国」を打倒・制圧した天皇制権力は即座に蝦夷開拓使を設置しアイヌ民族抹殺を始めた。
 1873年の「地租改正」は土地所有観念のないアイヌ民族から蝦夷地を「持ち主の居ない土地」と称して略奪し天皇の財産とした。このようにしてアイヌウタリ(人間の住む大地)は『北海道』と改称された。
 天皇制権力の侵略性は誕生4年後に台湾出兵となった。
 明治政府は1871年に宮古島の漁民が台湾で遭難した事件を絶好の好機として①清国に琉球人が日本国民であることを強引に承認させ②琉球王国に清国との関係を断ち切らせ「両属」関係を一掃させるために軍隊を台湾に出兵させた。

 この台湾派兵はアジア侵略の前線基地を琉球に構築するための「琉球処分」を政治射程に置いた出兵であった。
 1879年の「琉球処分」で琉球王国は滅んだ。琉球は日本の国内植民地となり琉球人は琉球国籍を奪われウチナグチ(琉球語)を禁じられ大和への同化を強制された。

 天皇イデオロギーの侵略性は明治政府が誕生した7年後の1875年に江華島事件を引き起こして朝鮮侵略の第一歩を踏み出した事実が如実に示している。
 江戸時代日本と李氏朝鮮は善隣友好国であり「朝鮮通信使」と呼ばれる朝鮮の使節が12回も日本を訪問していた。
 維新後も朝鮮では日本を善隣友好国と考えていた。しかし皇国史観で武装した天皇制権力は「善隣」から「征韓」へと朝鮮観を一変していた。つまり天皇の臣下である幕府と対等であった「朝鮮李王朝」も天皇に臣服すべきだという「尊皇征韓」思想で軍艦「雲揚」を朝鮮の江華島海域に侵入させ挑発して交戦を引き起こしこの事件を口実に翌年日朝修好条規を押し付けてきた。
 この軍事的威圧を背景とする開港の強制は朝鮮の植民地支配から中国市場の武力制圧まで射程に収めていた。だから天皇を頂点に据えて天皇イデオロギーで武装した日本の国家権力と軍隊が侵略戦争に突入するのは時間の問題であった。

 1890年山県有朋首相は「我国ノ利益線ノ焦点ハ実ニ朝鮮ニアリ」と断言した。清国の市場分割戦を巡る欧米諸列強の対立抗争を利用して積極的に割り込み朝鮮の植民地支配権を確立し清国市場を拡大するために日清戦争を仕掛けた。
 1900年の義和団蜂起に露・独・仏・英・伊・墺・米の諸列強が武力鎮圧に乗り出すや明治政府は列強の中で最大兵力を北京に投入した。しかも武力鎮圧が終わると同時に日露両軍は一夜にして敵対関係に一変した。
 明治政府は日英同盟を結び米国から戦費調達をとりつけて日露戦争に突入した。
 日露戦争は米西戦争とボーア戦争に並ぶ帝国主義段階への世界史的転化のメルクマールであり日本の独占資本主義を確立し帝国主義を成立せしめた過渡的な帝国主義戦争であった。

 天皇も産業資本の権力から独占資本の権力になり天皇制権力は日本帝国主義の国家権力へとその性格を変えた。
 1910年日本帝国主義は「日韓併合」で朝鮮国を亡ぼし日本領土に併合した。
 日本帝国主義の朝鮮での同化政策は「一視同仁」「日鮮同祖論」に基づき「帝国臣民タルヲ資質ト品性ヲ具へシメム」ものであった。つまり日本人と朝鮮人の祖先は同じであったという口実で朝鮮人の民族文化を全面否定し民族意識を抹殺し尽くして「皇民」化を強要する大暴挙であった。
 神社を造って朝鮮人に礼拝させ朝鮮人学校を潰して日本語の使用を強制した。
 1910年には大逆事件を捏造して偉大な革命家・幸徳秋水、菅野スガらを逮捕し翌年には12人の死刑を執行して天皇への反逆に対する天皇制国家の権力意思をしめした年であった。

 1912年7月ムツヒトが死にヨシヒトが天皇になり「元号」も「大正」と代えた。
 ロシア革命が勝利し1919年に「朝鮮独立万歳闘争」が爆発するや天皇の軍隊は婦女暴行、幼児殺害、大量虐殺、民家の放火、投獄、拷問など暴虐の限りを尽くした。虐殺された者7509名、負傷者15961名、検挙投獄者46948名、焼き払われた民家760戸に及んだ。
【2011/09/17 10:21】 | 赤ヘル #- | [edit]












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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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