2012年度新入生へ向けて:法大闘争とはなにか

 2012-04-02
【文連決起以降の闘い】【現在の闘いの状況】以外は去年の新入生へ向けた記事から引用してます。このブログを読んできた方はそこからがいいかと。
こちらは去年の記事⇒http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-806.html

けっこう長いので、ゆっくり読んでいただけたら幸いです。

法大闘争とは何か

 

【法大闘争の始まり(314事件)】

 

2006227日に法政大学当局より突如、「ビラまき・立て看板許可制」導入が発表されました。春休み真っ最中であることに加え、伝統的に法政大学のサークル連合の中で政治闘争を担ってきた三本部団体(文化連盟・第二文化連盟・学生団体連合)が行ってきたGLCGroup Leaders Camp)という大会議が終わった直後のことであったため、ほとんどの学生がキャンパスにいない状況での発表でした。三本部団体の個別の会議(31日・2日)で反対することだけは決まりましたが、それだけで、満足に学生側の方針が決まらないまま、大学側が314日に社会科学研究会(当時ふつうに文化連盟や第二文化連盟によって承認され、法政大学公認のサークルであった)などの政治系・学習会系サークルを「学外団体(全学連中核派)と関わりがあり、事実上の学外団体」として、また、ノンセクト系の学生がだしていた個人の立て看板を「無秩序」としてそれらの立て看板の撤去を決定。いわゆる一般サークルと政治系サークルおよび個人の分断が図られました。それまでビラまきと立て看板については明白なルールがあったわけではありませんが、伝統的に「明らかな通行妨害になるものはやめる」という常識にしたがってうまくいっていました。過去に巨大な立て看板が設置されたときも、それによって撤去されることになったことは、その証左です。
 そして
314日、法大生5名を含む29名が「ビラまき・立て看板規制」に抗議してデモを行いました。そして出発地点であった法政大学に返ってきたところで大学側がこれみよがしに立て看板の撤去を開始。もちろん、デモ隊は抗議。そしてそこで200名の公安警察がキャンパスに突入してきて全員逮捕となりました。これが私たちの言葉でいうところの「314弾圧」です。

 この事件は、後に裁判で、当時の学生部長(現在の学生センター長にあたる)および総務部長の証言から、数か月前から公安警察と協議を進め「大学の態度を示す」ために行われた逮捕のための逮捕であったことが明らかになっていますが、当初から不審な点があまりにも多かったことで一般的にも弾圧として認められていました。

    通報から2分で公安警察が200名きたこと

 一番近い麹町警察署からでも車で5分はかかる場所に法政大学はあります。そもそも200名そろえるだけでも2分を超えることは明白です。本当に通報したのかも怪しいわけです。

    弾圧に至る過程の法政大学側の計画性の高さ

 上でも述べたとおり、ほとんどの学生がキャンパスにいない時期を狙っての突然の規制発表であり、その後や当日の当局の行動がかなりスムーズに行われていたことから、計画的なにおいがしており、当時の学生団体内でもそういう見方はかなりありました。ゆえに反対する意見もある中で「やるべき時にやれないやつは結局最後まで闘えない」として29名はデモに立ったのです。

    当日の逮捕の罪状が「建造物不法侵入」「威力業務妨害」だったこと

 法大生5名も含めてです。中の一名に関しては不穏な空気を感じ取り、学生証を掲示しながら入構したのですが、関係なくその時その場にいた全員が逮捕されたのです。

 

 そして、結局13日で全員釈放されたのですが、「逮捕された」ことを理由に法学部の二名は停学処分(後に無期停学処分)、文学部の三名は退学処分になります。こうして、この処分および「ビラまき・立て看板規制」の撤回を求めて、法大闘争はその幕を開けます。法大闘争の事実上の公式ブログの名前が「314法大弾圧を許さない法大生の会」であるのはここからきています。

 

【弾圧、そしてサークル団体の廃止】

 

当初、法大闘争はかなり勝利的に進みます。「314弾圧」の直後、315日には三本部団体名義の抗議声明がだされたことにも見られるように、多くの学生が支持し、2006年の615日には(法大生だけの!)1000人の集会になるほどの高揚を示します(「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」の2006年6月あたりの記事を見てみるといいかと思います)。その後の国会デモが、多くの法大生の飛び入り参加によって100名くらいの規模で行われるほどでした。そしてここから、615日当日も含めてどんどん学生活動家の逮捕が行われていきます。しだいに、「抗議したら逮捕・処分」というイメージができあがり、運動は2006年末にはいっきょに孤立していきます。

10036891.jpg※6月15日

 
 そして、
2007年の夏、社会科学研究会などのサークルを学内団体として認めていた三本部団体の廃止が法政大学から打ち出されます。それまで、法政大学では「間接公認制度」という制度をとっていました。体育会など10団体それぞれが独自にサークルや部活の公認権や予算権を持ち、各団体内の協議をとおして活動内容・活動規模を見て、どのサークルを公認するか、また、毎年どれくらいの部費を各サークルにだすかを決めていました。そして、ここで承認されたサークルは、「法政大学公認サークル」となるのが「間接公認制度」でした。
 つまり、政治系のサークルは、その多くが戦後の学生運動・労働運動の高まりの中でつくられたものであり、文化連盟などの本部団体を創りだした主軸になったサークルたちであった以上、当然社会科学研究会などのサークルも大学側と大学の運営方針などで争い続け、大学当局にとっては目の上のたんこぶでありながらも「法政大学公認サークル」だったのです。

 法政大学は、これを廃止し、大学側による「補助金制度」に変えることを打ち出したのです。これは大学が予算権を持ち、それを基盤に公認権を持つ制度でした。つまり、今実際にそうなっているように、すべてのサークルが大学の顔色をうかがいながらやるしかなくなってしまう制度でした。形式的にはサークル団体の「再編」ということになりますが、実質的には、再編後の法政大学の学内状況を見ればわかるように、自主法政祭のようなイベントだけでなく、学費値上げ阻止闘争などの政治的な闘争を担ってきた三本部団体だけが廃止されました。そして、この過程で早々と解散を決定した学生団体連合の執行部を中心にしてつくられたのがCSK(サークル支援機構)です。彼らが当局の御用団体である歴史は最初から始まるのです。当時も、学生団体連合は「各サークルが闘う気がないから勝てない」といって解散へ行きましたが、サークル連合の執行部というのは、まず自分たちが体を張る覚悟で各サークルの闘争心を引き出していくためにあるのです。サークル連合は、闘争団体としてつくられたのですから、そもそも必然的にあるものではなく、それは歴史的につくられたのです。自分たちが闘わない理由を、結集してくれている学生やサークルのせいにするCSKの体質はここからずっと受け継がれているのです。

 当初、この案はあまりにも破壊的なものだったので、三本部団体合同会議が開かれ、そこで一致して反対の意志を表明して闘うことを決定するところまでいきました。社会科学研究会の代表が5分ほどの演説をしてそれが満場の拍手で迎えられたぐらいでした。しかし、闘争方針は定まらず、方針については各団体一任となり、内部討議で決定されることになりました。

 しかし、ここで2006年からの弾圧が活きてきます。当時、弾圧はいっそう激しくなり、これまでは逮捕だけだったものがついに起訴が行われるようになっていました。並行して、世論研などの言論系のサークルが当局を批判した新入生歓迎号が事実上の発禁処分を受け、世論研の代表が処分を受けることも始まっていました。ほとんどのサークルが「反対の意志はある。だけど、ガチで反対したら逮捕や処分が待っているのは明らか」として「まず交渉で様子を見よう」となったのです。結果、最後まで当局に情報をだす量や時期まで決められ、手のひらの上で踊らされることになりました。9月ごろまでは、「大学側に要求しているのだけれど、情報が出てこない。これでは討議ができない」となり、10月ごろになって情報が出始めると、「これはとんでもないものだ。ここまで具体的に決まってしまってはもう反対はできない。当局の打ち出している新サークル連合構想(後のCSK)に乗るしかないかもしれない」となっていったのです。そして、三本部団体は非公認化され、敗北しました。

 

【文化連盟決起】

 

三本部団体の中で文化連盟だけが、紆余曲折はありましたが、最終的に解散しないことを決定しました。しかし、2008年度になってみると、法政大学が雇った「ジャパン・プロテクション」の警備員、通称「ジャージ部隊」(いつもおそろいのジャージを着ている)がキャンパスに現れ、法大生に共に闘うことを訴えるビラをまく学生に暴力を加えるようになりました。そしてこの人間たちが、もはや非公認となり、学内の空いたスペースを使って行っていた文化連盟の会議の場にまで現れるようになる中で、脱退サークルが相次ぐ状況となり、34サークルあった加盟サークルは10サークルにまで減っていきました。そしてその中で、2008年度執行部を選出することになりました。もはや崩壊的状況にある中で立候補したのは三名のみ。しかもこの三名は連立承認であり、一人でも選ばれなければ三名とも選ばれないという形での立候補でした。このときにその中心だったのが社会科学研究会に所属する、現在の文化連盟の委員長(齋藤郁真)です。結果、10票中7票を獲得して2008年度文化連盟執行部は選出されました。

1211765706.jpg
半澤

※ジャージ部隊
 
 しかし、こちらが動けばあちらも動きます。執行委員の一人が宮崎学生センター長に呼び出され、「文化連盟に残れば君のサークル(新聞学会)に補助金は出さない」と言われ、サークル内で討議した結果、文化連盟を脱退することになりました。時を同じく、脱退サークルはさらに増え、文化連盟は最後はたったの4サークルにまで減りました。

 この中で、一度は5月中旬(15日ぐらいだったと思います)に飯田橋付近のファミレスで真剣に文化連盟の解散を討議するところまでいきました。そこから、世論研の代表がまたもや処分されることが確実になる中で、文化連盟は「一人の仲間も見捨てない」「これ以上の大学の暴挙を許さない」を掲げ、それまで法大闘争の主役だった全学連に協力を要請。もって521日にキャンパスで公然と集会を行うようになりました。完全に孤立した状況へ追い込まれたところから、我ら文化連盟は情勢をひっくり返すべく闘いを開始したのです。

              【文連決起以降の闘い】

 5月21日以来、文化連盟は決起し、総力で闘いを始めました。最初は「サークル員同士の交流」(いろんな企画をブログに書きこむことで告知、等)を目的として立ち上げられたこのブログも完全に闘争ブログとして確立します。とにかく怒りにまかせて行動につぐ行動を行っていく様子は、このブログの2008年度の記事を読んでいただければ理解できるかと思います。
 5・28-29弾圧、それに抗議しての委員長の170時間ハンスト(断食)、10・17法大総決起集会、委員長・副委員長への無期停学処分・・・その中で「ジャージ部隊」を追放することに成功したり、運動同士の横の発展を広げたりと、一定の成果を出します。

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※10・17法大総決起集会後のデモ

 しかし、「不当処分撤回」を掲げた2009年4・24法大総決起集会において、ついに文化連盟執行部は全員が「建造物侵入」「威力業務妨害」で逮捕されます。さらに立て続けに、法政大学門前の看板を壊したという理由で再逮捕・起訴が行われます。2010年、文化連盟は獄中闘争へと突入します。
 そして約半年以上の拘禁の後、保釈を勝ちとって出てきたところで委員長が退学処分を受けます。
※退学処分に対する委員長の抗議文(?)⇒08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-656.html
 この過程の入試において、法政大学は「大学の営業権」をかかげて、裁判所に仮処分申し立てを行い、入試期間中の情宣を禁止してくるようになります。「教育の民営化」=学問の商業化粉砕のスローガンが掲げられるようになります。
 委員長の退学処分や社会科学研究会の会員への無期停学処分(学内で許可をとらずにビラをまき続けた)で、文化連盟は学内での合法的な活動の余地をほとんど奪われ、それを機に法政大学当局は「学外団体キャンペーン」を行って、「そもそもそんな団体は法政大学になかった」かのようにしようとしています。
 そして、この2011年から、「ジャージ部隊」がいなくなった後を埋めるため、通称「ヤクザ部隊」と私たちが呼んでいる弾圧職員が登場します。
 現在のジリジリとした攻防戦(文連・全学連の門前演説による新たな学内決起の呼びかけ VS 法大当局の特に学内との運動の結合を阻止する弾圧体制)が始まります。







※ヤクザ部隊。このおそろいの青いジャージを着ている。見えにくいと思いますが、右側の方が一番よくでてきます。半澤氏(左)はジャージ部隊崩壊の後、ヤクザ部隊にも配属されたようです。わからない人は上の写真を確認してください。

           【現在の闘いの状況】


 法大闘争は今年で7年目、文連決起から5年目を迎えます。この間に、述べ118名逮捕-33人の起訴、二桁を超える停学・退学処分がありました。しばらくは、この数字は動かないでしょう。なぜなら、闘いの局面、情勢が変化したからです。文化連盟は今、学内からの新たな決起をつくりだすため、頑張っています。ある種のゲリラ戦に入っているため、一年生や二年生がいるにもかかわらず、本ブログに登場させることができないのは非常に残念ではありますが、闘いは水面下で進んでいます。二つの闘いが重要であると考えています。
 
 一つは、学生管理強化との闘いです。法政大学の側は、文連を基本的には学外に追い出したということで、大学をいっそう自分たちに都合のいい空間に変えようとしています。具体的には、自主法政祭を事実上なきものにしようとしています。その状況の中で、実質的には大学の御用団体的な様相を強めていたCSKにも少々の戦闘化がみられます。この流れをさらに強めていかなければなりません。多くの学生が闘う意志を取り戻してこそ、「処分撤回」への道も開けます。
 
 そしてもう一つは、反原発の運動です。私たち自身、原発の問題などほとんど興味はなく、東北大学や広島大学の全学連の仲間が女川原発反対闘争・島根原発反対闘争に関わっていることは知っているくらいでした。私たちも「3・11」を受けて自分たちが問われ、自らの行動を問い返しました。自分たちはこの状況にいったい何ができるのか。何を活かすことができるのか。そう考えた時、やはり私たちが見すえなおしたのは法政大学の現実です。
 教室では「民主主義」「自由」をエラそうに語る一方、金で学問を売り渡して理事会にこびへつらうゴミ教授と闘ってきたのはまさに自分たちではないか。大学が「営業権」など掲げて学問を金儲けの道具にするあり方と対決してきたのが法大闘争であるはずだ。「一人の仲間も見捨てない」「これ以上の大学の暴挙を絶対に許さない」・・・福島で多くの人たちが「100ミリシーベルトまで安全」という基準によって見捨てられ、しかもそれをつくっているのはまさに大学の暴挙ではないか!
 私たちは2011年、運動をやる中でそう考えていくようになりました。大学生のデモ参加がなぜこんなにも少ないのか、ということは反原発運動の中でけっこう言われていることですが、これはまさに今の法政大学のあり方を見据えたとき、当然のことです。多かれ少なかれ、新自由主義=市場原理主義で動いている今の大学は、学生を学費・就活・奨学金の三重苦+学内規制によって政治的・社会的なことに対してアクションを起こす余地をほとんどの学生から奪っています。それによって、従順な学生をつくり、「おかしい」と感じても何も言わない、そういう人材を社会に輩出してきたのです。それは2005年の大学経営協議会で言われた「21世紀の大学の役割とは、原材料を加仕入れ、加工し、企業に売ること」という発言に最もよく示されています。「原発」とは、この象徴であり、原発事故とは、それゆえにこのような教育のあり方、社会のあり方の破綻です。
 だからこの大学のあり方を腐りきった教授に頼るのではなく、学生自身が主体となる運動によって変えなければならない。新自由主義大学の象徴・法政大学での闘いにこそ勝たなければならない。原子力ムラの足下から原子力ムラを粉砕する闘いをやらなければなりません。

 結局のところ、大学の新自由主義化=「教育の民営化」とは、大学そのものを金儲けの道具に変質させるということ以上に、大学という場所を資本の論理に与する場所に変えることと一体なのです。原発をつくってきた大学と、学生に主体性を与えない大学はコインの裏と表の関係なのでしょう。
 わが法政大学においても、3・11直後、世間が「とりあえず今は騒ぐのはやめよう」という雰囲気が出てくる中、それに乗って4月からの授業を一カ月停止した一方、むしろそれを利用して倉岡さんへの無期停学処分のために人間学部に教授会を開催させることは平気でやりました。原発には口をふさぐが、抵抗する学生への処分は社会がどんな状況でも積極的にやる。これが3・11に対する法政大学の態度だったと言えるでしょう。
 しかし、3・11は多くの人を目覚めさせました。新たな学生の政治グループとして「ゆとり全共闘」が誕生し、今年の3月20日、ついに「大学を取り戻そう」デモをやりました。彼らも法政大学を今の大学の最も腐った象徴としてみなし、2008年の文化連盟が掲げたデモコールを使っていたところをみるに、本当に新しい時代が始まったと感じています。多くの学生が、「原発」を通して大学が学生を抑えつける機関になっていることを実感し、大学のあり方そのものを変えようとしています。我々文化連盟も戦闘的ゆとり世代のトップランナーとして彼らと連帯していきたいと考えています。

 アメリカのオキュパイ運動も、最初は「教育の民営化」に抗議する10人の学生の座り込みから始まりました。アラブの春も青年・学生の人生をかけた決起が全情勢を切り開きました。
 私たち学生は、若く未熟ですが、しかしそれゆえに可能性を持っています。私たちが今日何を考え、何を行動するかが明日の社会を決めます。私たち学生が強い意志をもって行動に立ちあがるとき、大人も引きずって社会を変えていきます。歴史上の多くの事例がそれを示しています。
 去年、ついに日本の学生の自殺者数は1000人を超えました。本当に多くの学生が友達に仲間外れにされたくないために、社会の事について考えていないふりをしていますが、悩んでいます。今、必要なのは説明や評論をする人間ではなく、闘いを呼びかける人間です。そしてその仲間を裏切らない不屈の闘志です。
 我ら文化連盟は改めて「処分撤回」をすえなおして法政大学と闘っていきます。

 長々と書きましたが、すべての学生、特に新入生のみなさんはぜひ私たち文化連盟と共に闘いに立ちあがってくれることを訴えます。

コメント
一法政OBとして少々意見書かせていただければ幸いです。
私がいたころの法政大学は様々なサークルがあり、学生団体があり、表現の自由があり、私にとっては何ともそこに魅力を感じました。反面多摩キャンパスの状況はひどく、いつかは法政全てがこうなるのだろうなと予想はしていました。
でも良い悪いは全て表裏一体、また感じ方も人それぞれですから私がいいなと思った事(おそらく皆さんがイメージしているものと同じだと思いますが)も見方を変えればそれを望まない人も多くいるという事です。

ちょっと話変わりますが、
学問やサークル活動や、その他処々の行いの先には、地平として社会の抱える問題がつながっています。というか全て社会の中で行われているので関係ないわけない。しかしでは多くの方が参加するであろうサークル活動で、音楽やって、スポーツやって、文章書いて等々やっていくなかで果たして初めから、若しくは段階を得てその社会性を自覚し向き合う事が出来る人がどれだけいるでしょうか。
もちろん”先鋭”として考えを提示していく皆さんの姿勢も一つの方法ですが、まず各自がどうやって己の足元を意識するのか、今の自分はどこに立っていて、それを広げるにはどうするのか、要は自分やひいては仲間や他者が少しでも”居心地良く”するための最大項は何なのか、そこに思いをはせられるような”運動”でなければ皆さんの望む”爆発的・大衆的”な拡がりは生まれないと思います。

大学当局、公権力に弾圧されるから運動しない、という事はわずかな一面です。
みなさんが本部員としてまず先頭に立つ、というのであれば、その行動の全てが果たしてみんなにとってどうなのかなという視点も必要ではないでしょうか。
何故全学連なの、何故一政治党派の色合いが強いの(周知の事実ですよ)、何故ヘルメットかぶってるの、何故旗や横断幕の字体が独特なの、いわゆる当局の行いは全て悪いと言い切れるのか、ではどんな明確な展望があるの等々....。
善悪二項対立でみんなが納得するほど単純ではないことを基礎に、みんなにとっての良い最大項を真摯に考える運動を期待します。
それは”先鋭”にとってはあまりにももどかしく、あまりにも地味で耐えられないかもしれませんが。
それなければ唯のお祭りです。
【2012/04/04 23:10】 | #R9FelWv2 | [edit]












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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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