旧執行部総括:委員長

 2012-12-19
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総括(委員長:齋藤 郁真)

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【はじめに】

 

08年以来、このまま永遠のものになるんじゃないかと思われた08執行部もついに退任となります。法政大学文化連盟の委員長は私の原点であり、退任となった今でも、あまり気分が抜けきりません。率直にいえば、全学連委員長でない活動家としての自分はありえても、文化連盟委員長でない活動家としての自分というのはありえないのではないかとも思います。

 さて、最後に何を書くかは迷ったのですが、やはり自分がこの5年間で経験し、知り、つかみとった思想的地平を後代へ向けて、長くなると思いますが(学問的論文ではないので平易に、それゆえに微妙な間違いを含みますが)しっかり書こうと思います。文化連盟はもちろんサークル連合ですが、同時に闘争団体です。この二つは決して切り離してはなりません。そもそも大学当局と闘って権利を勝ち取り、それによってサークル運動全体を発展させるために文化連盟はつくられたのであって、それは今は無き伝説の「東アジア最大の自治空間」=法政大学学生会館の建設に文化連盟が深く関わっていたことからも自明です。その原点の大切さを思い知らされた世代として、闘争のために必要な心構え・常に考えて欲しいことを不遜な表現ですが教訓として書きます。後輩諸君はぜひ読み、考え、そしてこれからの運動に活かし、運動の発展の一助にしていただければ幸いです。

 

 

【政治闘争における認識について】

 

まず、政治とは何でしょうか。哲学的な言葉遊びはおいといて、一般に「政治」といわれる行為が何をめぐって行われているかということを考えることが重要です。それは「日常をどうするか」ということをめぐる行為です。つまり、ある集団内において、その集団の中のどのような日常的な要求を重視するのか、ということが政治における最大の眼目になるわけです。

では、それらの要求の優先順位はいかにして決まるでしょうか? その集団内のある要求が他の要求と根本的には対立しない状況(たとえば年末の大掃除における役割分担なら、どこを担当するかに伴う利益対立は存在しますが、全員大掃除をすることには賛成しており、根本的な利益対立は存在せず、話し合いでみんなが納得するように決めることができます)なら何の問題もありません。しかし、社会一般でみたとき、この社会には明白に根本的な利益対立が存在します。たとえばわが国における消費税の増税をめぐる問題なら、いわゆる「輸出戻り税」によって、消費税が上がるほど輸出産業およびその関係者は利益を拡大しますが、民衆一般は不利益を被ります。あちらをたてればこちらが立たない、生活のかかった問題がこの社会には存在します。改めて最初の問いに戻りましょう。では、それらの優先順位はいかにして決まるでしょうか? 社会的な「力」によってしかありえません。国会などの一般の「政治」とは、まさにこの利害をめぐる闘いのことです。

 ゆえに、政治的な力関係の差とは、日常の利害をめぐる力関係の差によって決まるのです。その関係は、スポーツの大会において勝敗が決まるにもかかわらず、その勝敗の決定要因は大会の場ではなく、それまでに積み重ねた日常の練習量の差によって決まるのと同じです。もしくは、テストの結果で点数がでるにもかかわらず、そのテストの結果を決めるのは日常の勉強量だということです。普段からデモも集会もやらない国民に真実など与えられないのは、奴隷が陵辱され、ボコボコにされ、殺されるのと同様に当然であり、何も不思議なことはありません。真実がそこらへんに落ちていると思うのはチョコラテのように甘い考えであり、社会をナメてはいけません。

 

だから、この社会・国家の支配者はこの社会の日常を決めている企業経営者たち-もちろん、商店街の魚屋のおっちゃんという意味ではなく、一部の大独占資本・金融資本(銀行)の頭取たち-です。彼らの声が最も大きく、最も強いのです。大独占資本の力の一端を示す最近のデータを示しましょう。2012年の東京商工リサーチによれば、パナソニックは国内取引企業数11391社、総従業員数は約690万です。シャープは国内取引企業数8495社、総従業員数は約420万人となっています。産業が同じなので、下請け企業の従業員はかなりの部分が重なっているでしょうが、しかしこの二社だけで700800万の国民の生活を左右する力を持っているということです。今の「電機ショック」がどれほどの衝撃力を持っているかは推して知るべし、です。また、現代の生産体制について多少とも知識がある方なら知っているとおり、現代では大量生産のための機械・工場が大きいと同時に、国際的な激しい競争のために、その生産に必要な資本の量を調達するために、金融機関の役割が非常に巨大になっています。つまり、銀行が信用(資金)の貸与の有無を通じてそれらの大企業を支配する関係に立っているのです。わが国においては四大銀行の役員たち-彼らこそがこの国の本当の支配者です。金融王たち-この虚業の王たちが世界の王です。

 

政治は、つまり国家は、この経済構造において彼らの傀儡たらざるを得ません。議会はみせかけであり、そこで決まる法律は中立たりえません。社会に「中立」など存在しないからです。そして今の経済構造を前提にするかぎり、今の社会の利益の最大の代表者はやはり彼らです。彼らが国際競争に勝てなければ、彼らの誰かに仕事をもらい、賃金をもらうことでしか生きていくことができない労働者は死ぬしかないからです。原発立地に住む人こそが、雇用関係において最も「原子力ムラ」と利益を同じくしていますし、それは沖縄の基地問題においても同様の関係です。ある日いきなり故郷を奪われようが、命をとられようが、被曝労働しか仕事が無くても、それでも彼らに従い、仕事をもらうしかない-この関係は、この社会の普遍的な生活のあり方の最も鋭い矛盾です。今の経済構造を前提にする限り、全人口の「1%」にも満たない人間の利益に従属し、支配されることによってしか「99%」の国民は生きていくことはできないのです。

 また、今の経済の下では、官僚はある政策を実行に移すためにどの企業に仕事を発注するかを選択しなければ仕事はできませんし、企業の側も公共事業などその大規模な利益を求めて官僚に接近しなければ、その経営者は無能といわざるをえません。この両者は結びつき、官僚は優秀であればあるほど人脈を買われて天下りします。官僚の天下りとは今の社会から避けがたく生じる「健全な腐敗」です。このような、幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸の網によって私たちの社会は包まれています。だから国家もまた、「中立」たりえません。2008年、政権が自民党から民主党へ変わった当初、「政治主導」に反発して官僚がちゃんと働かなかったと言われましたが、それはあまりにも当たり前のことだったのです。「原子力ムラ」とは、人類史上最悪の福島原発事故の衝撃によってさらけだされた、この蜘蛛糸の網の最悪の存在のひとつです。これに匹敵する例でいえば、たとえばアメリカの軍産複合体がそうだといえるでしょう。

現代の経済構造=資本主義は世界的な体制であるため、他の国においても事情は同じです。貧しい農民の家に生まれ、1975年にサンパウロの鉄鋼労働組合の委員長を務め、2002年にはブラジル大統領にまで上り詰めたルラですら、大統領になった後は新自由主義政策を採用するしかなかったのです。あの南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラも同じ道をたどりました。

 

 文化連盟諸君は歴史を総括して、国家機構を手に入れれば社会を変えることができる(=政治が安直に経済の上に立っているという思い込み)、という左派系知識人の妄言にどうか振り回されないように! 私たちは、「議会制民主主義」という名の、歴史上最も完成された宗教を信仰してはなりません。聖書からしか世界を説明できないキリスト教徒は、現実世界の腐敗に対して「キリスト教精神のさらなる徹底」によって腐敗を解決しようとして、さらに迷える子羊になります。1994年に社会党が政権をとり、国家運営のために自民党との連立に頼らざるをえず崩壊したとき、今の社会の「常識」に最も忠実なマスコミの迷える子羊たちはいっそうの「議会制民主主義の完成=二大政党制を日本につくりだすこと」を訴え、さらに迷える子羊になりました。その結果がどうなったのかはわが国の現状をみればいいでしょう。

 宗教の本質は、人間が自ら創りだした存在に人間自身が縛られることです。昔、まだ科学が発展していなかった時代、人間は「神」に縛られていました。今は自ら創りだした「システム」に人間は縛られています。法律を作り、運用し、社会を運営しているのはまぎれもなく人間であるにもかかわらず、その人間たちは「一票」にされ、自らを裏切るための代表者に数年に一度投票することによって、政治の失敗の責任を引き受けなければならない構造が作られているのです。政治家を動かしているのは資本家なのに、その失敗は民衆の愚かさにあるかのように言われる! 「神」はただ信じればよかった。しかし、「議会」の形成には自らが参加することを要求されます。だからいっそう、「議会制民主主義」はタチの悪い宗教です。これを大衆が政治に関わるひとつのきっかけとして利用するぶんには問題ありませんが、これに希望を託してはなりません。

 法政大学当局の行う「文化連盟批判」のひとつに、「活動が主のひとたち」だから「学生の本分から外れている」というものがありますが、これはまさに今の宗教をよく表しています。政治は数年に一度参加すればいいものであって、日常的に参加するものではない、ということであり、それは日曜日の礼拝に参加すれば救われると信じていた、迷える子羊たちの精神そのものです。

 しかしながら、このような宗教が無くならないのは当たり前です。なぜなら、私たちの今の日常生活において、私たちの命運を決めているのは私たちではないからです。株式市場の騰落・資本家のきまぐれなどの「偶然」・・・これらによって私たちの命運が決まってしまう現実の反映、人間という存在が蔑視されている現実が宗教の根源です。スピリチュアル、政治家、宇宙人、地底人・・・自分や周りの人々とは関係のない「何か」に社会が動かされているという実感こそが宗教を生み出すのです。「神にすべてが決められている」というイデオロギーは「王にすべてが決められている」現実の反映でした。アジアでは「すべての人の親=皇帝もしくは天皇にがすべてを決める」という現実を正当化するイデオロギーが儒教(朱子学)に体現されていました。支配者が存在する社会において、政治は一部の人間の独占物であることを反映し、必ずひとつの職業として、すべての人々から切り離されて「特殊」「非日常」として存在します。それが「王」だろうが「政治家」だろうが、ひとつの本質の別の表現であり、同じことです。

 「システム」があって人間がいるかのような幻想を乗り越える道は、すべての人の日常に政治を持ち込んでいくことです。だから私たち文化連盟、とりわけ執行部は、日常的に闘争を組み、常にその前線にいなければなりませんし、もしくは前線にいる人物と有機的に結びついていなければなりません。人間こそが、人間にとって依拠すべきこの社会の真実の力であることをすべての学生の実感にしていかなければいけません。日常に政治を持ち込んでいくことは今の社会の大多数の人間にとって「キモイ」ことであり、不人気な政策たりうることは避けられませんが、それは必ず挑戦しなければなりません。つらいことも多いですが、やり始めれば結構楽しいということをすべての人に知ってもらわなければなりません。

 

 この章の最後に。08文連執行部は、全学連と共に、「労学共闘」をひとつの路線として据えています。冒頭述べたように、この社会は資本家が支配する社会です。資本家の力の源は生産手段を独占し、労働者を雇って生産の許可を与えることができるのが資本家だけである、という現実にあります。しかし、生産現場を握っている存在がこの社会にはもうひとつ存在します。だから、資本家の支配に根底的に対抗できうる根本的な力を持っているのは労働者です。大地から資源をとりだしているのも、それを輸送しているのも、製品に仕上げているのも、その全体を帳簿につけることで生産を管理しているのも、労働者です。資本家はその力を国際競争にしか使わないし、使えません。自らの資本を拡大することによってのみ生きてきた彼らは、それ以外の生活など想像できません。私たちと安倍や石原では根本的な世界観が違います。彼らはこの社会の利益の最大の代表者ではありますが、彼らの利益に与することによってしか人間が生きられない社会の末路が今の社会です。エルピーダ・メモリの破産、自動車産業の中国市場における惨敗、電気ショック・・・リアルに原発の輸出を軸とする「パッケージ輸出」の成功によってしか日本経済は成り立ちえませんし、原発によって確保されるプルトニウムは抑止力として、国際競争の重要な要素=外交における強力な力です。経団連の米倉会長は頭が悪かったり、新産業の勃興・新たなビジネスモデルに挑戦する気概がないわけではなく(そういう面もあるのかもしれませんが)、アメリカですら「財政の崖」問題にみられるように追いつめられており、日本は実際のところ立ち止まっている余裕などないのです。原発の再稼働は、日本という国の死活的な「国益」がかかった、全国民の生活がかかった問題です。このような利益に従って生きることは「現実的」ですが「人間的」ではありません。

 今から70年以上前、世界的な経済危機および中国市場をめぐるアメリカとの闘争に追いつめられた大日本帝国は、中国への突出的侵攻に踏み出しました。この選択肢は、当時の状況を見る限り、非常に「現実的」な政策でした。今の経済構造においては「政治の失敗」ではなく「政治の延長」「日常の延長」として、人々は殺し合いをするしかありません。私たちは日常から富をめぐって殺し合い・蹴落とし合いをしているわけで、その行き着く先が大戦争であることは何ら不思議なことではありません。また、戦争は内の不満を外にそらし、治安体制を強化することによって政治弾圧をしやすくできるという利点がありますので、その点からも戦争は資本家が何もかもぶっ壊してもう一度今までの日常・世界を繰り返すために重要です。繰り返しますが、これは今の社会における「現実的」な政策です。資本家が国際競争に勝てなければ国民は雇用されず、死ぬしかないからです。ただ、この選択肢は「人間的」ではないのです。

法大闘争の歴史は、この「現実性」に対する「人間性」の闘いです。「一人の仲間も見捨てない」というスローガンは、他人を蹴落とすことを日常的に要求される今の社会に対して、別の社会の価値観を対置することでした。だから法大闘争を担う主体、とりわけ執行部は、資本家に自らの勝利の「現実性」を担保してもらおうと考えてはなりません。その勝利を実現しうる力はこの社会の生産を握るもうひとつの階級、労働者に求めなければなりません。動労千葉のような闘う労働運動との「労学共闘」にはまだまだ「現実性」はありませんが、展望はあると思います。

 

 

【実践において気をつけるべき教訓】

 

08文化連盟執行部は、「三権分立」や「学問の自由」なる、言葉にすぎない宗教を実践をもって乗り越えてきました。しかし、ここで気をつけなければならないことは、自分たちが経験をもって知っているからといって、それをしっかり話せばわかってもらえると単純に思ってはならないということです。これは当たり前のことのようで、非常に難しいことです。正論は言わなければならないのです。しかしそれは人々の実感にならなければいけないのです。

民衆は基本的に善良です。私たちはたいていのことは話し合って解決します。だから、その日常の実感から歴史的・理論的には非和解であるはずの相手とさえ「同じ人間だから話し合えば解決する」と思いがちです。その思想は、彼らの日々の実感であり、民衆が偉大であること、支配者さえいなければすべての問題を解決しうる力を持っていることの証明であって、ネガに捉えるべきことではありません。良心的な人ほどそうなのです。だから政治運動の先輩は、その結果を見通して闘いをつくることに習熟しなければなりません。大学当局に申し入れ書を提出し、対話すら拒否されるなどの相手の対応を引き出し、それを暴露することによって敵の「権威」を奪い、闘いの総括の中からよりラディカルな行動を提起していくなどの方法をうまくやれるようにならなければいけないのです。多くの人の実感を一致させることを基礎に、理論的地平の一致から闘いの路線の一致・戦術の一致が勝ち取られるのです。そもそも「理論」とは経験の集積のことなのですから。

 この点において、私自身の反省を後代に向けて残します。それは、「お酒飲もう委員会」による飲酒規制との闘いに対する文化連盟、とりわけ私がとった態度のことです。当時、文化連盟は「お酒飲もう委員会」の学生の「文化連盟といっしょじゃなければ大学は話を聞いてくれるはず」という、07年のサークル団体をめぐる攻防(文化連盟・第二文化連盟・学生団体連合の非公認・崩壊)によって幻想であることがはっきりしたはずの妄想にとらわれた運動を批判し、この運動に対してなんら関わる努力をしませんでした。そして彼らは当然にも、善良に運動し、善良に交渉し、法政大学当局による悪辣な「飲酒規制は学生と話し合って決めた」という宣伝の道具にされ、善良に敗北しました。重要なことは、彼らの敗北は、実質的には文化連盟の敗北だったということです。なぜなら、私はその結果を見通していましたし、その意味において彼らの敗北を知っていたからです。私は、文化連盟は法大闘争の全経験を持った存在として、影のような形であっても一つ一つの運動にかかわり、共に正しく総括し、それらの発展のために力を尽くすべきでした。

08文化連盟執行部は、07年のサークル攻防の中から生まれ、表面的には単なる「民主主義者」として闘いを開始しました。その中でさまざまな現実にぶちあたり、勉強と実践を積んできましたが、大衆もまたその過程を通らなければいけないことに無自覚な歴史が長かった。もちろん、この失敗はネガなことではなく、それらすらも踏み台にしながら私たちは発展してきました。1019法大闘争は、「ゆとり全共闘」系の学生も参加した法大闘争の全歴史の総決算と呼ぶべき闘いでしたが、それを創りだすことができたのは、私たちが諦めなかったからです。諦めなければ、さまざまな要素が絡み合ってときに奇跡を起こすこともあります。奇跡は、日々それを掴み取ろうとした人間にしか降ってきません。

新たな時代の新たな課題に挑む中心は次の文化連盟執行部です。

 

 

【文化連盟の歴史的勝利性】

 

「人権がなければ、国土面積が増えても、奴隷労働の土地が増えるにすぎない。公平がなければ、経済発展が進んでも搾取の苦難が増すだけだ」「自分の家を(政府の強制収用から)守りぬくことさえできないのに、小島の主権を守ろうとする。みんなは利用されており、それをまだ『愛国』だと思っている」-これは反日デモばかりが報道された中国のツイッターからの引用です。ちょっともう何て言っていいかわからないほど無知な「反日サヨクは中国に帰れ」という伝統的な右派の言葉がありますが、この言葉は今、真実へ近づいています。これまで「反日極左を日本から逮捕・追放しろ」をそのまま実行していた、右翼のお手本であった国家=中国は過去へと消え去り始め、中国全土はストライキ・デモ・暴動に包まれています。むしろ今の日本が、自民党の改憲草案にみられるように、中国政府が得意とする「公共の秩序に反する行為は認められない」を導入しようとしています。ミャンマーにおいても、『東京新聞』128日の7面記事・「チャイナプラス1」によれば、民主活動家が職場に入ってきてストライキを組織しているようです(ちなみに、これに対して会社幹部が言っているのは「活動家は出て行け」。法政大学は北朝鮮や中国だけでなく、ミャンマーでもあるようです 笑)。

 新自由主義は戦後経済成長の限界にぶちあたっていく中で1973年、チリで初めて実施され、1980年以来、全世界でグローバルな勝利を収めましたが、それによって労働者の数をいっそう増やし、帝国主義がその支配のために温存した農民階級(日本においても、かつて自民党は首都の革新系知事に対抗して地方・農村を温存していました)などの中間階級を解体してしまいました。TPPの強行にみられるように、新自由主義に頼るしかない資本家はますますこの流れを強めようとしていますが、それは日本の政治体制の終局的崩壊の条件をつくりだすでしょう。そしてその阻止の闘いは、成功・失敗の如何にかかわらず全民衆の団結を創りだすでしょう。

 国際的な競争戦争・資源戦争・為替戦争・軍事戦争は、資本家によって支配される国家の対立-「国益」の深刻な対立をつくりだしていますが、新自由主義が世界的な強搾取によってつくりだした条件は、世界の労働者民衆の団結へ向かって進んでいます。1114日に「緊縮策反対」を掲げて行われた、歴史上初の南欧7カ国同時ゼネスト・全ヨーロッパ23カ国同時1000万デモはその端緒です。ギリシャとドイツがいかに「国益」をめぐって対立しても、そこに生きる労働者は国境を粉砕しているのです。

大学は、学問は、どちらの側につくべきでしょうか? 「学問の自由」とは、神権政治・王権政治に対する抵抗の表現であったように、今は帝国主義・金融資本に対する闘いの表現としてしか貫徹されえません。それは支配に対する抵抗の、腐敗に対する情熱の意志こそがその内容だからです。

もし仮に法政大学当局が私たち文化連盟の壊滅に成功しようとも、この闘いの記憶はすでに京都大学や東北大学をはじめとして、多くの大学の運動に受け継がれています。「法政大学文化連盟」の名前は、すでにひとつの伝説になりました。その影響力は「キ○ガイ」「過激派」「実は正論」などなど、「誰も無視できない」ことを意味するいくつもの呼び名に示されています。あらゆる闘いがそうであるように、文化連盟が勝つとは限りませんがしかし、やはり私は文化連盟が、もしくは「文化連盟が示したもの」が勝つと信じるに足る十分な根拠は世界中にあると考えます。

 新たな執行部は自覚と誇りを持ち、しかし所詮はまだまだ小さな運動であることを認識し、あまり気負わずに精一杯がんばっていただきたいと思います。

 

以上


コメント
お疲れさまでした!
【2012/12/19 07:15】 | #- | [edit]
飲酒規制を止められなかったのはさすがに総括ものだぞ!
北川とかいうの弱そうじゃん!

しかしながら同志よ、ごくろうだった!
【2012/12/19 20:01】 | #2j50GQ9. | [edit]












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プロフィール

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Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

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