新入生の皆様へ

 2013-04-01
 ご入学おめでとうございます。そして、ようこそ法政大学へ!
 ついに筆者が前委員長から現代の書記長にかわりました。世代交代マンセー!12文連執行部初の新年度です。
 ここ法政大学は、2006年以来、 学生の自由をめぐる戦場となっております。 そして、文化連盟というものが何者なのか、どういう歴史をたどってきて今ここにいるのか、ということを知っていただいた上で、皆様に曇のない視点から私たちのことを判断していただきたいと存じ、この記事を書きました。
 かなり長くなりますが、是非ともお読みください。

 法大闘争とはなにか
 【法大闘争の始まり(3・14事件)】
 2006年2月27日に法政大学当局より突如、「ビラまき・立て看板許可制」導入が発表されました。春休み真っ最中であることに加え、伝統的に法政大学のサークル連合の中で政治闘争を担ってきた三本部団体(文化連盟・第二文化連盟・学生団体連合)が行ってきたGLC(Group Leaders Camp)という大会議が終わった直後のことであったため、ほとんどの学生がキャンパスにいない状況での発表でした。三本部団体の個別の会議(3月1日・2日)で反対することだけは決まりましたが、それだけで、満足に学生側の方針が決まらないまま、大学側が3月14日に社会科学研究会(当時ふつうに文化連盟や第二文化連盟によって承認され、法政大学公認のサークルであった)などの政治系・学習会系サークルを「学外団体(全学連中核派)と関わりがあり、事実上の学外団体」として、また、ノンセクト(無党派)系の学生がだしていた個人の立て看板を「無秩序」としてそれらの立て看板の撤去を決定。いわゆる一般サークルと政治系サークルおよび個人の分断が図られました。それまでビラまきと立て看板については明白なルールがあったわけではありませんが、伝統的に「明らかな通行妨害になるものはやめる」という常識にしたがってうまくいっていました。過去に巨大な立て看板が設置されたときも、それによって撤去されることになったことは、その証左です。
 そして3月14日、法大生5名を含む29名が「ビラまき・立て看板規制」に抗議してデモを行いました。そして出発地点であった法政大学に返ってきたところで大学側がこれみよがしに立て看板の撤去を開始。もちろん、デモ隊は抗議。そしてそこで200名の公安警察がキャンパスに突入してきて全員逮捕となりました。これが私たちの言葉でいうところの「3・14弾圧」です。

 この事件は、後に裁判で、当時の学生部長(現在の学生センター長にあたる)および総務部長の証言から、数か月前から公安警察と協議を進め「大学の態度を示す」ために行われた逮捕のための逮捕であったことが明らかになっていますが、当初から不審な点があまりにも多かったことで一般的にも弾圧として認められていました。

① 通報から2分で公安警察が200名きたこと
 一番近い麹町警察署からでも車で5分はかかる場所に法政大学はあります。そもそも200名そろえるだけでも2分を超えることは明白です。本当に通報したのかも怪しいわけです。

② 弾圧に至る過程の法政大学側の計画性の高さ
 上でも述べたとおり、ほとんどの学生がキャンパスにいない時期を狙っての突然の規制発表であり、その後や当日の当局の行動がかなりスムーズに行われていたことから、計画的なにおいがしており、当時の学生団体内でもそういう見方はかなりありました。ゆえに反対する意見もある中で「やるべき時にやれないやつは結局最後まで闘えない」として29名はデモに立ったのです。

③ 当日の逮捕の罪状が「建造物不法侵入」「威力業務妨害」だったこと
 法大生5名も含めてです。中の一名に関しては不穏な空気を感じ取り、学生証を掲示しながら入構したのですが、関係なくその時その場にいた全員が逮捕されたのです。

 そして、結局13日で全員釈放されたのですが、「逮捕された」ことを理由に法学部の二名は停学処分(後に無期停学処分)、文学部の三名は退学処分になります。こうして、この処分および「ビラまき・立て看板規制」の撤回を求めて、法大闘争はその幕を開けます。法大闘争の事実上の公式ブログの名前が「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」であるのはここからきています。

 【弾圧、そしてサークル団体の廃止】
当初、法大闘争はかなり勝利的に進みます。「3・14弾圧」の直後、3月15日には三本部団体名義の抗議声明がだされたことにも見られるように、多くの学生が支持し、2006年の6月15日には(法大生だけの!)1000人の集会になるほどの高揚を示します(「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」の2006年6月あたりの記事を見てみるといいかと思います)。
 
 ※6・15集会
その後の国会デモが、多くの法大生の飛び入り参加によって100名くらいの規模で行われるほどでした。そしてここから、6月15日当日も含めてどんどん学生活動家の逮捕が行われていきます。しだいに、「抗議したら逮捕・処分」というイメージができあがり、運動は2006年末にはいっきょに孤立していきます。
 そして、2007年の夏、社会科学研究会などのサークルを学内団体として認めていた三本部団体の廃止が法政大学から打ち出されます。それまで、法政大学では「間接公認制度」という制度をとっていました。体育会など10団体それぞれが独自にサークルや部活の公認権や予算権を持ち、各団体内の協議をとおして活動内容・活動規模を見て、どのサークルを公認するか、また、毎年どれくらいの部費を各サークルにだすかを決めていました。そして、ここで承認されたサークルは、「法政大学公認サークル」となるのが「間接公認制度」でした。
 つまり、政治系のサークルは、その多くが戦後の学生運動・労働運動の高まりの中でつくられたものであり、文化連盟などの本部団体を創りだした主軸になったサークルたちであった以上、当然社会科学研究会などのサークルも大学側と大学の運営方針などで争い続け、大学当局にとっては目の上のたんこぶでありながらも「法政大学公認サークル」だったのです。
 法政大学は、これを廃止し、大学側による「補助金制度」に変えることを打ち出したのです。これは大学が予算権を持ち、それを基盤に公認権を持つ制度でした。つまり、今実際にそうなっているように、すべてのサークルが大学の顔色をうかがいながらやるしかなくなってしまう制度でした。形式的にはサークル団体の「再編」ということになりますが、実質的には、再編後の法政大学の学内状況を見ればわかるように、自主法政祭のようなイベントだけでなく、学費値上げ阻止闘争などの政治的な闘争を担ってきた三本部団体だけが廃止されました。そして、この過程で早々と解散を決定した学生団体連合の執行部を中心にしてつくられたのがCSK(サークル支援機構)です。彼らが当局の御用団体である歴史は最初から始まるのです。当時も、学生団体連合は「各サークルが闘う気がないから勝てない」といって解散へ行きましたが、サークル連合の執行部というのは、まず自分たちが体を張る覚悟で各サークルの闘争心を引き出していくためにあるのです。サークル連合は、闘争団体としてつくられたのですから、そもそも必然的にあるものではなく、それは歴史的につくられたのです。自分たちが闘わない理由を、結集してくれている学生やサークルのせいにするCSKの体質はここからずっと受け継がれているのです。現在のCSKも、「学生の自主性がないからマナーが悪くなる、それが規制につながる」とかなんとか言っていますが、こういう論拠も全てここから始まっているのです。
 当初、この案はあまりにも破壊的なものだったので、三本部団体合同会議が開かれ、そこで一致して反対の意志を表明して闘うことを決定するところまでいきました。社会科学研究会の代表が5分ほどの演説をしてそれが満場の拍手で迎えられたぐらいでした。しかし、闘争方針は定まらず、方針については各団体一任となり、内部討議で決定されることになりました。
 しかし、ここで2006年からの弾圧が活きてきます。当時、弾圧はいっそう激しくなり、これまでは逮捕だけだったものがついに起訴が行われるようになっていました。並行して、世論研などの言論系のサークルが当局を批判した新入生歓迎号が事実上の発禁処分を受け、世論研の代表が処分を受けることも始まっていました。ほとんどのサークルが「反対の意志はある。だけど、ガチで反対したら逮捕や処分が待っているのは明らか」として「まず交渉で様子を見よう」となったのです。結果、最後まで当局に情報をだす量や時期まで決められ、手のひらの上で踊らされることになりました。9月ごろまでは、「大学側に要求しているのだけれど、情報が出てこない。これでは討議ができない」となり、10月ごろになって情報が出始めると、「これはとんでもないものだ。ここまで具体的に決まってしまってはもう反対はできない。当局の打ち出している新サークル連合構想(後のCSK)に乗るしかないかもしれない」となっていったのです。そして、三本部団体は非公認化され、敗北しました。

 【文化連盟決起】
 三本部団体の中で文化連盟だけが、紆余曲折はありましたが、最終的に解散しないことを決定しました。しかし、2008年度になってみると、法政大学が雇った「ジャパン・プロテクション」の警備員、通称「ジャージ部隊」(いつもおそろいのジャージを着ている)がキャンパスに現れ、法大生に共に闘うことを訴えるビラをまく学生に暴力を加えるようになりました。


 ※ジャージ部隊
 そしてその人間たちが、もはや非公認となり、学内の空いたスペースを使って行っていた文化連盟の会議の場にまで現れるようになる中で、脱退サークルが相次ぐ状況となり、34サークルあった加盟サークルは10サークルにまで減っていきました。そしてその中で、2008年度執行部を選出することになりました。もはや崩壊的状況にある中で立候補したのは三名のみ。しかもこの三名は連立承認であり、一人でも選ばれなければ三名とも選ばれないという形での立候補でした。このときにその中心だったのが社会科学研究会に所属する、08文化連盟の委員長(齋藤郁真)です。結果、10票中7票を獲得して2008年度文化連盟執行部は選出されました。
 しかし、こちらが動けばあちらも動きます。執行委員の一人が宮崎学生センター長(当時)に呼び出され、「文化連盟に残れば君のサークル(新聞学会)に補助金は出さない」と言われ、サークル内で討議した結果、文化連盟を脱退することになりました。時を同じく、脱退サークルはさらに増え、文化連盟は最後はたったの4サークルにまで減りました。
 この中で、一度は5月中旬に飯田橋付近のファミレスで真剣に文化連盟の解散を討議するところまでいきました。そこから、世論研の代表がまたもや処分されることが確実になる中で、文化連盟は「一人の仲間も見捨てない」「これ以上の大学の暴挙を許さない」を掲げ、それまで法大闘争の主役だった全学連に協力を要請。もって5月21日にキャンパスで公然と集会を行うようになりました。彼らだけがクチだけではなかったからです。

 ※全学連の仲間たち
 完全に孤立した状況へ追い込まれたところから、我ら文化連盟は情勢をひっくり返すべく闘いを開始したのです。

 【文連決起以降の闘い】
 5月21日以来、文化連盟は決起し、総力で闘いを始めました。最初は「サークル員同士の交流」(いろんな企画をブログに書きこむことで告知、等)を目的として立ち上げられたこのブログも完全に闘争ブログとして確立します。とにかく怒りにまかせて行動につぐ行動を行っていく様子は、このブログの2008年度の記事を読んでいただければ理解できるかと思います。
 5・28-29弾圧、それに抗議しての委員長の170時間ハンスト(断食)、10・17法大総決起集会、委員長・副委員長への無期停学処分・・・その中で「ジャージ部隊」を追放することに成功したり、運動同士の横の発展を広げたりと、一定の成果を出します。

 ※委員長ハンスト

 ※10・17法大解放総決起集会後のデモ

 ※「キャンパスの騒乱」報道号(ジャパンタイムズ)
 しかし、「不当処分撤回」を掲げた2009年4・24法大総決起集会において、ついに文化連盟執行部は全員が「建造物侵入」「威力業務妨害」で逮捕されます。さらに立て続けに、法政大学門前の看板を壊したという理由で再逮捕・起訴が行われます。2010年、文化連盟は獄中闘争へと突入します。
 そして約半年以上の拘禁の後、保釈を勝ちとって出てきたところで委員長が退学処分を受けます。
※退学処分に対する委員長の抗議文(?)⇒08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-656.html
 この過程の入試において、法政大学は「大学の営業権」をかかげて、裁判所に仮処分申し立てを行い、入試期間中の情宣を禁止してくるようになります。「教育の民営化」=学問の商業化粉砕のスローガンが掲げられるようになります。

 ※情宣禁止仮処分申請書
 委員長の退学処分や社会科学研究会の会員への無期停学処分(学内で許可をとらずにビラをまき続けた)で、文化連盟は学内での合法的な活動の余地をほとんど奪われ、それを機に法政大学当局は「学外団体キャンペーン」を行って、「そもそもそんな団体は法政大学になかった」かのようにしようとしています。
 そして、2011年から、「ジャージ部隊」がいなくなった後を埋めるため、通称「ヤクザ部隊」と私たちが呼んでいる弾圧職員が登場します。

 ※警備員の後ろの青いジャージ
 2010年からしばらくは、文化連盟を知る世代がほとんど卒業(ないし停退学)してしまったこともあって、学祭実の大幅な反動化もあり、2012年の中盤までははっきり言って苦闘の連続でした。この間は外においては大きな前進が見られ、新入部員の増加をはじめ、2012年5月31日には法大暴処法裁判一審無罪を戦取するなど、さまざまな前進が見て取れました。

 ※無罪の文化連盟と弁護団!
 また、この法大闘争を教訓にして、京都大学では同学会(京都大学全学自治会同学会)が再建され、全国の大学における運動も一層の前進を勝ち取りました。また、2011年は文化連盟から全学連へ執行委員も出しました(言ってしまえば、全学連は文連の影響を強烈に受けている、ということ)。

 ※全学連現委員長、齋藤郁真・08文連執行委員長
 この間は学内における逮捕者や処分者も出しませんでしたが、それでも学生に訴え掛けるにはかなり難しい環境でもありました。ですが、年々に規制は強まり、11年はキャンパス全面禁酒が抜き打ち的に決められ、そして12年の自主法政祭において全面飲酒禁止が学祭実行委員会によって決定されるというほどにもなりました。当時、学祭実はさらなる反動化を見せ、大学当局と一体になって文連をなんの具体的な根拠もなしに排除するという暴挙に(※)手を染めました。 この頃に、学内の情勢は一変します。
 ※学祭実行委員会は、学祭の前に参加団体全てを対象にした全学説明会で過半以上の参加団体から承認されて初めて権力を執行できる。学祭実は承認される前に、新たな執行体制で排除を繰り返した。
 これに対する怒りは、10・19法大解放総決起集会で大爆発します。この集会は、4年ぶりとなるキャンパス内集会であり、「やったらパクられんじゃないか」という覚悟(筆者も直前に神社に行って祈願するほどでした)でやったら予想外の反響を生み出し、1000を超える法大生がこれに呼応して集まり、大きな高揚を作り出しました。陰に陽に協力してくれた学生も多数存在します。しかもあれだけやって逮捕者ゼロ。これはこの後の学祭期間においても法大生の好感的な反応にも表れています。やはりこれらの規制は法大生にとってみれば余計なものでしかないという証左です。


 ※10・19法大集会とデモ
 これを受けて当局も動き、現委員長である武田君を(一発目にして!)無期停学処分することで学生の怒りを鎮圧しようとしました。手続き的にも完全におかしいとしか言えない処分でしかないですが、向こうもそれだけ学生の怒りに戦々恐々としていることの表れであると取れるのは明らかでしょう。
 これに対し、文化連盟は処分撤回の裁判闘争を開始。同時に、12月の後期総会で代替わりを決定。12年度執行部に武田委員長・須見川副委員長・岡田書記長体制を立てることになります。全員が市ヶ谷キャンパスに学籍を持つ学内主体です。

 【現在の闘いの状況】
 法大闘争は今年で8年目、文連決起から6年目を迎えます。この間に、述べ119名逮捕-33人の起訴、二桁を超える停学・退学処分がありました。文化連盟は今、学内からの新たな決起をつくりだすため、頑張っています。大学に特定されればある種の恫喝が加えられることもあって、ゲリラ戦のような状況に入っているため、一年生や二年生がいるにもかかわらず、本ブログに登場させることができないのは非常に残念ではありますが、闘いは水面下で進んでいます。二つの闘いが重要であると考えています。

 一つは、学生管理強化への戦いです。
 法政大学のやっていることは、常識的に見ても「横暴」以外の何物でもありません。上から決定したものだから学生は大学の決定に黙って「従え」というものです。これは、大学自体の主観を表しているものであると考えることができます。それは、学生を「管理するもの」としてしか見ていないということです。主体性を築かせない、今の社会に疑問を持たせない、発想を持たせない…。極言すれば家畜と同等に扱っているということです。
 ですが、この状況がまかり通る原因は、学生主体の解体と国家権力のお墨付きがあるからです。要するに言えば、NOという人間が誰一人としていない状況の上に初めて実現できる脆い物でしかないのです。この状況は、極めて限定的な環境において発現します。100%の賛成とは、分母が極めて少ないか、主体が全て洗脳されきっているか、独裁国家くらいの強圧的・強権的な支配が貫徹されている場合にしか存在しないような数値だからです。このような横暴に付き合う必要は全く存在しないのです。学生は、自分の行動に自分自身で責任をとることができます。不当な規制は、学生の伸びしろの否定に他なりません。

 ※増田総長の御言葉。これを御諚として忘れぬよう…。


もうひとつは、反原発と教育の問題です。
 「学費・就活・奨学金」の三重苦によって今の学生は苦しめられています。「学生の本分は勉強」とひたすら机にかじりつくことを要求される(卒業に必要な取得単位数の増加、出席確認)のに、「勉強したくてもアルバイトや就職活動が忙しくてできない」という学生の要求は放置。学費は年々上がり、学費が高くて払えないということにつけこんで金融機関と組んで奨学金ビジネスに精をだし、さらに学生の将来の生活からすら搾取。実際、この10年で無利子奨学金の総額は ほとんど変わっていないのに、有利子奨学金の規模は人数比で7倍、総額で10倍に増えています。何もかも金儲けの道具にする新自由主義の下で、大学そのものがビジネスの道具にされています。
 わが法政大学においても、清成総長体制の時に、「自立型人材育成」なるキャンペーンが展開されるようになります。その内容は結局のところ「自己責任」イデオロギーと一体の、資本にとって都合のいい労働者育成政策でした。それは、2005年、NPO法人「21世紀大学経営協会」総会の席上での発言、「大学の役割は企業と同じ。原材料を仕入れ、加工し、卒業証書という保証書をつけて企業に出す。これが産学連携だ」という言葉によく表現されています。
 多かれ少なかれ、新自由主義=市場原理主義で動いている今の大学は、学生を学費・就活・奨学金の三重苦+学内規制によって政治的・社会的なことに対してアクションを起こす余地をほとんどの学生から奪っています。それによって、従順な学生をつくり、「おかしい」と感じても何も言わない、そういう人材を社会に輩出してきたのです。
 3・11以降、大学・教育というものが国と一体であり、学問という人間を自由にする手段が逆に支配の手段としての道具にされていることが満天下に明らかになりました。大資本は学問を金で買収し、教官を金でからめ取ってその研究の自由を奪い、資本にとって都合のよい「学問」を量産しているこの現実は、まさに新自由主義の行き着いた極致ともいえます。その中で学生は未来の労働力商品として位置づけられ、資本に従順で文句を言わない「社畜」として大学で加工され、失業をしても「自己責任」論を押し付けられる。はっきり言って無茶苦茶です。ですが、そのむちゃくちゃなことを、大学の名を持って教育しているというところに新自由主義大学の本質があります。
 現場に引きつけて言えば、現委員長武田君への処分です。
 彼の処分事由は、大まかにまとめると以下の3点です
 1:2012年10月6日、人間環境学部が外部講師(大久保利晃・放射線影響研究所理事長)を招聘して開講している人間環境学部セミナーⅡの教室近辺において、授業開始からおよそ30分にわたり、大声を上げて授業妨害を行い、学友の学ぶ権利を侵害するとともに、本学の名誉を著しく毀損した。
 2:10月18日に開催された大学祭説明会では、教職員の再々にわたる指導にも関わらず、国際文化学部教授会の警告を無視して、大学の秩序維持に努める学友や教職員に迷惑行為を行った。
 3:10月19日には学外者とともに学内の秩序を混乱させ、大学の業務を妨害した。
 どの項目を見ても「こいつらどうしようもない」というものでしかありませんが、これをとらえていけば、今の社会の在り方がもっとも極端に、そして最も鋭く表れています。また、これらの項目についての詳細な状況は、別に掲載しておりますので、そこをご一読願います(月別アーカイブの2012年10月~11月あたりに掲載しています)。
 そしてついに、反原発の戦いと結びつく決定的な出来事でもあります。御用学者を批判したから、という内容が処分理由に含まれていること自体、反原発闘争への敵対としか言えません。これまで東大や京大、広島大、長崎大といった旧帝大の国立大学における問題でしかないかのように言われてきましたが、ここ法大においても問題は全く同じです。逆に、我々が戦わなければ、ここまでの決断を大学に取らせることはできなかったと考えます。
 そして、3・11から2年目を迎えた今、反原発闘争は踏ん張りどころに来ています。東京においては脱原発テントの撤去命令を始め、再稼働のあらゆる策動がうごめいています。福島現地においては、県外避難者への支援の打ち切り、帰還政策を押し付け、原発事故はさもなかったかのようにされようとしています。この一角に大学が取り込まれ、存在しているのです。

 ※電力会社による大学への資金供与を暴露した記事。毎日新聞2012年1月20日。
 教育の腐敗は、御用学者・原子力ムラだけにはとどまりません。ここ法政に引きつけて考えると、裏金が存在します。その裏金とは、教職員が弾圧に参加した場合、日4万円の弾圧手当が出、役職を得る機会が多くなるようです。つまり、良い学術論文を書く教授ではなく、学生主体を持ち、発信する学生を弾圧する教授が役職を得て、出世していくという全くありえない状況が現出され、それがシステム的に運用されているのです。例えば、2012年に学生センター長だった鈴木義良則も元は体育教師でしかありませんでした(※)。
 ※来歴は、系列校からコネで法学部に就職、2008年まで弾圧の最前線に立って学生に暴力を振るってきた。その結果が教授→学生センター長である。ちなみに本人は一切論文を書いていないという折り紙つきである。

 ※弾圧の最前線に出る教授と職員(10・19法大集会)
 これこそが教育の腐敗です。法政大学の暴挙や醜聞は、書き始めるとキリがありません(無数の偽装請負、元汚職警官の専任弁護士等々…)のでここまでにしておきますが、まるで安物のアメリカ映画を体験しているように、向こうはあまりにも醜聞と腐敗の塊です。
 結局のところ、大学の新自由主義化=「教育の民営化」とは、大学そのものを金儲けの道具に変質させるということ以上に、大学という場所を資本の論理に与する場所に変えることと一体なのです。原発をつくってきた大学と、学生に主体性を与えない大学はコインの裏と表の関係なのでしょう。
 このようなゴミに頼ったところで決して解決できるはずがありません。そもそもまともな論文もかけない能無しなのですから。だからといって変革を放棄すればそれこそ現状の追認にしかなりません。ではどうすればよいか、それは自分自身が主体となる運動によって破壊し、新たに創造しなければなりません。足元からこのような腐ったあり方を揺るがす、この闘いに全てをかけます。

 私たち学生は、若く未熟ですが、しかしそれゆえに可能性を持っています。私たちが今日何を考え、何を行動するかが明日の社会を決めます。私たち学生が強い意志をもって行動に立ちあがるとき、大人も引きずって社会を変えていきます。歴史上の多くの事例がそれを示しています。我ら文化連盟は改めて「処分撤回」をすえなおして法政大学と闘っていきます。
 最後に、いろいろと書きましたが、やはり我々はサークル団体です。誰でもウェルカムです。ここだけじゃ物足りねえ!という新入生諸君は、是非とも新サークルをここに創設してください。もちろんインカレ(インターカレッジ、別の大学から来た学生も含まれるサークル)も結構です。
 我々の理念は「自主文化創造」です。文化はあとから定着します。一緒に新しい文化を作っていきましょう!
コメント
とても良く分りやすい!ありがたい文章でゲソ!自由のために、闘おうじゃなイカ!!
【2013/04/01 21:51】 | あるみさん #IW.FdQjc | [edit]
まとめると、大学の運営について、大学当局が話し合いで交渉しているところに、国家権力が介入して大量に不当逮捕していった

【2013/04/08 17:33】 | あ #LKQ.kB96 | [edit]
新入生の保守派であるが民主主義を否定しかねない組織はいらない。

法規を守らない組織はいらない。

まあまた機会があれば取材にいきますのでよろしく!
【2013/04/13 12:29】 | ふー #- | [edit]
横浜の森下です。皆さん、今年も盛り上がってくださいね。
【2013/04/18 17:17】 | 森下直樹 #B57i6vH. | [edit]












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プロフィール

文化連盟

Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

法大闘争とは何か?


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