新入生の皆さまへ

 2014-04-01

新入生の皆様、ようこそ、法政大学へ。入学おめでとう!一緒に文化を創ろう!

【文化連盟って一体何者?】
 文化連盟は、1959年に法政大学で創立されたサークル団体連合です。1970年代に設立された学生会館(2004年に小火を理由に解体され、現在の外濠校舎となっている)の設立の過程で中心的な役割も担いました。「自主文化創造」をスローガンに掲げ、学生生活を守り、発展させるための活動体として2008年までは公認団体として、三本部団体の一員として学生生活の向上に努めてきました。2008年に非公認化されるころには、34の公式サークルを抱えていました。
 では、なぜ我々は2008年に非公認化され、国家・当局と戦うのか?
この「法大闘争」の起源は2006年にまで遡り、今年で9年目となります。ゆえに、しっかり説明していきますと非常に長くなりますが、ぜひ新入生、そして在校生のみなさん、少しずつでもいいですので、読んでいただきたいと思います。

【法大闘争の始まり(3・14事件)】

 2006年2月27日に法政大学当局より突如、「ビラまき・立て看板許可制」導入が発表されました。春休み真っ最中であることに加え、伝統的に法政大学のサークル連合の中で政治闘争を担ってきた三本部団体(文化連盟・第二文化連盟・学生団体連合)が主催するGLC(Group Leaders Camp)という大会議が終わった直後のことであったため、ほとんどの学生がキャンパスにいない状況での発表でした。三本部団体の個別の会議(3月1日・2日)で反対することだけは決まりましたが、それだけで、満足に学生側の方針が決まらないまま、大学側が3月14日に社会科学研究会(当時ふつうに文化連盟や第二文化連盟によって承認され、法政大学公認のサークルであった)などの政治系・学習会系サークルを「学外団体(全学連中核派)と関わりがあり、事実上の学外団体」として、また、ノンセクト系の学生がだしていた個人の立て看板を「無秩序」としてそれらの立て看板の撤去を決定。いわゆる一般サークルと政治系サークルおよび個人の分断が図られました。それまでビラまきと立て看板については明白なルールがあったわけではありませんが、伝統的に「明らかな通行妨害になるものはやめる」という常識にしたがってうまくいっていました。過去に巨大な立て看板が設置されたときも、それによって撤去されることになったことは、その証左です。

 そして3月14日、法大生5名を含む29名が「ビラまき・立て看板規制」に抗議してデモを行いました。ところが出発地点であった法政大学に返ってきたところで大学側がこれみよがしに立て看板の撤去を開始。もちろん、デモ隊は抗議。直後に200名の公安警察がキャンパスに突入してきて全員逮捕となりました。これが私たちの言葉でいうところの「3・14弾圧」です。
※当時立てられた立て看板


 この事件は、後に裁判で、当時の学生部長(現在の学生センター長にあたる)および総務部長の証言から、数か月前から公安警察と協議を進め「大学の態度を示す」ために行われた逮捕のための逮捕であったことが明らかになっています。当時的にも当初から不審な点があまりにも多かったことで一般的に弾圧として認められていました。

①    通報から2分で公安警察が200名きたこと
 一番近い麹町警察署からでも車で5分はかかる場所に法政大学はあります。そもそも200名そろえるだけでも2分を超えることは明白です。本当に通報したのかも怪しいわけです。

②    弾圧に至る過程の法政大学側の計画性の高さ
 上でも述べたとおり、ほとんどの学生がキャンパスにいない時期を狙っての突然の規制発表であり、その後や当日の当局の行動がかなりスムーズなことからも、計画的なにおいがしており、当時の学生団体内でもそういう見方はかなりありました。ゆえに反対する意見もある中で「やるべき時にやれないやつは結局最後まで闘えない」として29名はデモに立ったのです。

③    当日の逮捕の罪状が「建造物不法侵入」「威力業務妨害」だったこと
 法大生5名も含めてです。中の一名に関しては不穏な空気を感じ取り、学生証を掲示しながら入構したのですが、関係なくその時その場にいた全員が逮捕されたのです。

 そして、結局13日で全員釈放されたのですが、「逮捕された」ことを理由に法学部の二名は停学処分(後に無期停学処分)、文学部の三名は退学処分になります。こうして、この処分および「ビラまき・立て看板規制」の撤回を求めて、法大闘争はその幕を開けます。法大闘争の事実上の公式ブログの名前が「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」であるのはここからきています。

【弾圧、そしてサークル団体の廃止】

 当初、法大闘争はかなり勝利的に進みます。「3・14弾圧」の直後、3月15日には三本部団体名義の抗議声明がだされたことにも見られるように、多くの学生がこの闘争を支持し、2006年の6月15日には(法大生だけの!)1000人の集会になるほどの高揚を示します(「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」の2006年6月あたりの記事を見てみるといいかと思います)。

 その後の国会デモが、多くの法大生の飛び入り参加によって100名くらいの規模で行われるほどでした。しかしここから、6月15日当日も含めてどんどん学生活動家の逮捕が行われていきます。しだいに、「抗議したら逮捕・処分」というイメージができあがり、運動は2006年末にはいっきょに孤立していきます。

 そして、2007年の夏、社会科学研究会などのサークルを学内団体として認めていた三本部団体の廃止が法政大学から打ち出されます。それまで、法政大学では「間接公認制度」という制度をとっていました。体育会など10団体それぞれが独自にサークルや部活の公認権や予算権を持ち、各団体内の協議をとおして活動内容・活動規模を見て、どのサークルを公認するか、また、毎年どれくらいの部費を各サークルにだすかを決めていました。そして、ここで承認されたサークルは、「法政大学公認サークル」となるのが「間接公認制度」でした。 

 

 つまり、政治系のサークルは、その多くが戦後の学生運動・労働運動の高まりの中でつくられたものであり、文化連盟などの本部団体を創りだした主軸になったサークルたちであった以上、当然社会科学研究会などのサークルも大学側と大学の運営方針などで争い続け、大学当局にとっては目の上のたんこぶでありながらも「法政大学公認サークル」だったのです。
 法政大学は、これを廃止し、大学側による「補助金制度」に変えることを打ち出したのです。

 これは大学当局が一方的に予算権と公認権を持つ制度でした。つまり、今実際にそうなっているように、すべてのサークルが大学の顔色をうかがいながらやるしかなくなってしまう制度でした。形式的にはサークル団体の「再編」ということになりますが、実質的には、再編後の法政大学の学内状況を見ればわかるように、自主法政祭のようなイベントだけでなく、学費値上げ阻止闘争などの政治的な闘争を担ってきた三本部団体だけが廃止されました。そして、この過程で早々と解散を決定した学生団体連合の執行部を中心にしてつくられたのがCSK(サークル支援機構)です。彼らが当局の御用団体である歴史は最初から始まるのです。当時も、学生団体連合は「各サークルが闘う気がないから勝てない」といって解散へ行きましたが、サークル連合の執行部というのは、まず自分たちが体を張る覚悟で各サークルの闘争心を引き出していくためにあるのです。サークル連合は、闘争団体としてつくられたのですから、そもそも必然的にあるものではなく、それは歴史的につくられたのです。自分たちが闘わない理由を、結集してくれている学生やサークルのせいにするCSKの体質はここからずっと受け継がれているのです。現在のCSKも、「学生の自主性がないからマナーが悪くなる、それが規制につながる」とかなんとか言っていますが、こういう論拠も全てここから始まっているのです。
 当初、この案はあまりにも破壊的なものだったので、三本部団体合同会議が開かれ、そこで一致して反対の意志を表明して闘うことを決定するところまでいきました。社会科学研究会の代表が5分ほどの演説をしてそれが満場の拍手で迎えられたぐらいでした。しかし、闘争方針は定まらず、方針については各団体一任となり、内部討議で決定されることになりました。
 ここで2006年からの弾圧が活きてきます。当時、弾圧はいっそう激しくなり、これまでは逮捕だけだったものがついに起訴が行われるようになっていました。並行して、世論研などの言論系のサークルが当局を批判した新入生歓迎号が事実上の発禁処分を受け、世論研の代表が処分を受けることも始まっていました。ほとんどのサークルが「反対の意志はある。だけど、ガチで反対したら逮捕や処分が待っているのは明らか」として「まず交渉で様子を見よう」となったのです。結果、最後まで当局に情報をだす量や時期まで決められ、手のひらの上で踊らされることになりました。9月ごろまでは、「大学側に要求しているのだけれど、情報が出てこない。これでは討議ができない」となり、10月ごろになって情報が出始めると、「これはとんでもないものだ。ここまで具体的に決まってしまってはもう反対はできない。当局の打ち出している新サークル連合構想(後のCSK)に乗るしかないかもしれない」となっていったのです。そして、三本部団体は非公認化され、なすすべもなく敗北しました。

【文化連盟決起】

 三本部団体の中で文化連盟だけが、紆余曲折はありましたが、最終的に解散しないことを決定しました。しかし、2008年度になってみると、法政大学が雇った「ジャパン・プロテクション」の警備員、通称「ジャージ部隊」(いつもおそろいのジャージを着ている)がキャンパスに現れ、当局を批判するビラをまく学生に暴力を加えるようになりました。

※最も象徴的な場面。これは後にJapan Timesにも掲載される

※キャンパスの騒乱~「不当逮捕、強制処分、公安警察による誘拐まがいの逮捕、職員による暴行。これらは南国の独裁国家での出来事ではない。東京・市ヶ谷にある法政大学のキャンパスで起こっていることなのだ・・・」
そしてこの人間たちが、もはや非公認となり、学内の空きスペースを使って行っていた文化連盟の会議の場にまで現れるようになる中で、脱退サークルが相次ぐ状況となり、34サークルあった加盟サークルは10サークルにまで減っていきました。そしてその中で、2008年度執行部を選出することになりました。もはや崩壊的状況にある中で立候補したのは三名のみ。しかもこの三名は連立承認であり、一人でも選ばれなければ三名とも選ばれないという形での立候補でした。このときにその中心だったのが社会科学研究会に所属する、08文化連盟の委員長(齋藤郁真)です。結果、10票中7票を獲得して2008年度文化連盟執行部は選出されました。


※旧役員

 しかし、こちらが動けばあちらも動きます。執行委員の一人が宮崎学生センター長(当時)に呼び出され、「文化連盟に残れば君のサークル(新聞学会)に補助金は出さない」と言われ、サークル内で討議した結果、文化連盟を脱退することになりました。時を同じく、脱退サークルはさらに増え、文化連盟は最後はたったの4サークルにまで減りました。
 この中で、一度は5月中旬に飯田橋付近のファミレスで真剣に文化連盟の解散を討議するところまでいきました。そこから、世論研の代表がまたもや処分されることが確実になる中で、文化連盟は「一人の仲間も見捨てない」「これ以上の大学の暴挙を許さない」を掲げ、それまで法大闘争の主役だった全学連(全日本学生自治会総連合)に協力を要請します。

 

 そして5月21日、キャンパスで公然と集会を行うようになりました。彼らだけがクチだけではなかったからです。
 完全に孤立した状況へ追い込まれたところから、我ら文化連盟は情勢をひっくり返すべく闘いを開始したのです。


【文連決起以降の闘い】


 5月21日以来、文化連盟は決起し、総力で闘いを始めました。最初は「サークル員同士の交流」(いろんな企画をブログに書きこむことで告知、等)を目的として立ち上げられたこのブログも完全に闘争ブログとして確立します。とにかく怒りにまかせて行動につぐ行動を行っていく様子は、このブログの2008年度の記事を読んでいただければ理解できるかと思います。
 5・28-29弾圧、

 それに抗議しての委員長の170時間ハンスト(断食)、

 10・17法大総決起集会、
 

 委員長・副委員長への無期停学処分・・・その中で「ジャージ部隊」を追放することに成功したり、運動同士の横の発展を広げたりと、一定の成果を出します。
 しかし、「不当処分撤回」を掲げた2009年4・24法大総決起集会において、ついに文化連盟執行部は全員が「建造物侵入」「威力業務妨害」で逮捕されます。さらに立て続けに、法政大学門前の看板を壊したという理由で再逮捕・起訴が行われます(これに関する無罪が今年の2月に確定)。2010年まで、文化連盟は獄中闘争へと突入します。

 そして約半年以上の拘禁の後、保釈を勝ちとって出てきたところで委員長が退学処分を受けます。

※保釈直後の写真。三役もようやく出獄。
※退学処分に対する前委員長の抗議文(?)⇒08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-656.html
 この過程の入試において、法政大学は「大学の営業権」をかかげて、裁判所に仮処分申し立てを行い、入試期間中の情宣を禁止してくるようになります。情宣活動が営業権の名の元に禁止される、正に憲法無視のめちゃくちゃな攻撃です。ここから「教育の民営化」=学問の商業化粉砕のスローガンが掲げられるようになります。

 

※全学連、教育の民営化粉砕を掲げアメリカへ飛ぶ!文連のメンバーも参加し、アメリカにも法大闘争が持ち込まれた。

 委員長の退学処分や社会科学研究会の会員への無期停学処分(学内で許可をとらずにビラをまき続けた)で、文化連盟は学内での合法的な活動の余地をほとんど奪われ、それを機に法政大学当局は「学外団体キャンペーン」を行って、「そもそもそんな団体は法政大学になかった」かのようにしようとしています。
 そして、2010年度から、「ジャージ部隊」がいなくなった後を埋めるため、通称「ヤクザ部隊」と私たちが呼んでいる弾圧職員が登場し、ジリジリとした攻防戦(文連・全学連の門前演説による新たな学内決起の呼びかけ VS 法大当局の特に学内との運動の結合を阻止する弾圧体制)が始まります。

※右から二人目、前列にいる白髪交じりの男。

 2010年からしばらくは、文化連盟を知る世代がほとんど卒業(ないし停退学)してしまったこと、学祭実の大幅な反動化もあり、2012年の中盤までははっきり言って苦闘の連続でした。この間、外に置いては大きな前進が見られ、新入部員の増加をはじめ、2012年5月31日には法大暴処法裁判一審無罪を勝ち取るなど、さまざまな前進が見て取れました(ちなみに、99・9%の有罪率を誇る刑事裁判で無罪を取る弁護士というのは、業界的に相当のやり手とみなされるそうである。写真の弁護団には若い方もいるので、彼らの依頼も増えたそうな)。

※新たな無罪戦士と無罪弁護団が誕生!

 また、この法大闘争を教訓にして、京都大学では同学会(京都大学全学自治会同学会)が再建、

 

 広島大学でも学生自治会が再建され、

 

 全国の大学における運動も一層の前進を勝ち取りました。また、2011年は元文化連盟委員長が全学連の委員長に選出もされました。

※福島で吠える!全学連委員長!

 この間は学内における逮捕者や処分者も出しませんでしたが、それでも学生に訴え掛けるにはかなり難しい環境でもありました。ですが、3・11があって、多数の規制が強まり始め、そして12年の自主法政祭において、全面飲酒禁止が学祭実行委員会によって提示された時から状況が180度変化しました。
 この頃から、大学の商業化という問題が社会的にもますます表面化する中、法大闘争から一歩引いていたようなノンセクト(無党派)系の一翼と再び結合が始まり、運動の横の幅もさらに広くなります。
 しかし同時に、文連側と当局側の板挟みになっていたという状況から自主性を失った学祭実は完全に腐敗し、大学当局と一体になって文連をなんの具体的な根拠もなしに排除するという暴挙(※)に手を染めました。

※その光景in多摩

 そして、学祭実は当局との密室会議を経た完全な独断で、サークルの意見を無視して学祭規制の強行を始め、その強権的な手段は全学生を失望させました。その怒りとつながるため、文化連盟は実に4年ぶりのキャンパス集会を行います。
 集会自体は陰に陽に協力する学生が現れ、当日は1000人近い学生も誘引されてキャンパス集会に集まり、文化連盟の主張が全法大生的に認められていることを小なりとも示しました。


 

 これを受けて当局も動き、現委員長である武田君を(一発目にして!)無期停学処分にすることで学生の怒りを鎮圧しようとしました。手続き的にも完全におかしいとしか言えない処分でですが、向こうもそれだけ学生の怒りに戦々恐々としているという事です。
 また、武田の処分事由の一つには(簡単に言えば)「放影研理事長大久保利晃の講義を妨害した」というものも含まれてます。大久保利晃とは日米両政府が運営する原子力推進機関である放射線影響研究所の理事長であり、郡山市の原子力対策アドバイザーとして政府の意をうけ、同市で放射能安全論を撒き散らしている札付きの御用学者です。この為、私たちは武田処分を3・11福島原発事故以降、全社会的に問題化した原発御用学者の問題とも一体だと考えています。学生自治を破壊し、学生を管理対象として貶める大学は、学問を金で売るのです。この年から、文化連盟として3月11日の反原発福島行動の成功のために、現地で事前に諸活動をする仲間を送るようにもなりました。
 武田君への処分に対し、文化連盟は処分撤回の裁判闘争を開始。同時に、12月の後期総会で代替わりを決定。12年度執行部に武田委員長・須見川副委員長・岡田書記長体制を立てることになります。全員が市ヶ谷キャンパスに学籍を持つ学内主体です。10・19型の抗議を何度でも繰り返すという方針をとります。

※学祭実行委員会は、学祭の前に参加団体全てを対象にした全学説明会で過半以上の参加団体から承認されて初めて権力を執行できる。学祭実は承認される前に、新たな執行体制で排除を繰り返した。


【12年度以降の文化連盟の闘い】

 そして13年は、より当局にすり寄る学実との攻防も激化し、かつてから(3・14事件以前から)非公認サークルで、三本部団体に所属すらしていないようなサークルにも弾圧が拡大、自主法政祭などいくつかのイベントで明らかな妨害を受けるようになります。
 
※我々ではありませんが、あるサークルが作成し、掲示されていたビラの一つ。このように当局の都合にそぐわないものが最近は無断で剥がされるようになった。

 その妨害に学祭実は大きな役割を果たし、一般学生からの信頼をさらに失墜させました。その過程でいくつかのサークルとの交流が始まりました。この年の10月に行われた集会では、そうしたサークルが組織的に参加を行いました。規模は小さいし力不足という点もありますが、学生自治の復活へ大きな一歩を踏み出したのです。また、暴処法裁判では一審無罪になりますが検察が控訴。第2審が開かれます。
 2014年、無罪弁護団の鈴木たつおも出馬した東京都知事選も経て、暴処法裁判第2審も全員の無罪判決。


※二度目の快哉!
 そして、検察が上告を断念し、ついに法大暴処法の無罪が確定します。


※無罪をうけての祝勝会の様子
 
 学生運動史上では有名な東大ポポロ事件を超える歴史上初の無罪です。法大当局は被害者面をして居直っていますが、被害届を出して公安に逮捕させ、さらに裁判で検察側証人まで出し、武田君の処分理由の肉付けに暴処法を利用していたのですから、明白に責任があります。この責任は必ず追及されなければなりません。
 また、今年度から総長が変わります。秘密保護法反対、原発反対を公言する6大学初の女性総長、田中優子氏です。リベラル知識人の代表ともいえる彼女は、上述の暴処法弾圧の記事を二度にわたって掲載した、週刊金曜日の編集委員でもあります。しかし彼女に対して私たちが内容証明・配達証明つきの暴処法弾圧の責任を問う申し入れ書を送った結果、彼女の所属する社会学部の窓口の段階で受け取り拒絶され送り返されてきました。普段、我々の運動に対しルールを守れだとか、一般社会通念上許されないとか言っているくせに、自らはこんな失礼かつ非常識な事を平然と行う。しょせんは当局を批判する学生を弾圧すべく、都合よく「常識」や「法律」を持ち出しているにすぎないという事です。

【現在の闘いの状況】

 さて法大闘争は今年で9年目、文連決起から7年目を迎えます。この間に、述べ125名逮捕-33人の起訴、二桁を超える停学・退学処分がありました。文化連盟は今、学内からの新たな決起をつくりだすため、頑張っています。大学に特定されれば様々な恫喝が加えられることもあって、ゲリラ戦のような状況に入っていますが、闘いは水面下で進んでいます。

  ますます膨れ上がる「学費・就活・奨学金」の三重苦を前に今の学生は苦しめられています。「学生の本分は勉強」とひたすら机にかじりつくことを要求される(卒業に必要な取得単位数の増加、出席確認)のに、一方で「勉強したくてもアルバイトや就職活動が忙しくてできない」という学生の要求は放置。
 学費は年々上がり、高くて払えないということにつけこんで金融機関と組んで奨学金ビジネスに精をだし、さらに学生の将来の生活からすら搾取。実際、この10年で無利子奨学金の総額は ほとんど変わっていないのに、有利子奨学金の規模は人数比で7倍、総額で10倍に増えています。何もかも金儲けの道具にする新自由主義の下で、教育そのものがビジネスの道具にされています。

 わが法政大学においても、清成総長体制の時に、「自立型人材育成」なるキャンペーンが展開されるようになります。その内容は結局のところ「自己責任」イデオロギーと一体の、資本にとって都合のいい労働者育成政策でした。それは、2005年、NPO法人「21世紀大学経営協会」総会の席上での発言、「大学の役割は企業と同じ。原材料を仕入れ、加工し、卒業証書という保証書をつけて企業に出す。これが産学連携だ」という言葉によく表現されています。

 多かれ少なかれ、新自由主義=市場原理主義で動いている今の大学は、学生を学費・就活・奨学金の三重苦+学内規制によって政治的・社会的なことに対してアクションを起こす余地をほとんどの学生から奪っています。それによって、従順な学生をつくり、「おかしい」と感じても何も言わない、そういう人材を社会に輩出してきたのです。

 例えば、現在の労組の組織率は全労働者の17%に過ぎません。相次ぐ労災や過労死など、労働組合の組織率の低下と比例して増加を見せています。もしくは、キャノン労組(※1)のように労働組合が積極的に過労死を推し進めるような協定を結んでいる場合は本当に多く存在します(特に「連合」系の労働組合に顕著に見られる)。沖縄大学の学生からの情報によれば、大学をあげて基地に反対しているようにみえる沖縄大学のような場所においても、それは同じです(※2)。労災も過労死もみんな自己責任で済ませようとする、極めて悪辣な資本の論理です。

 ※1:キャノンの労働組合は三・六協定で9時間の標準労働時間にプラスして、15時間の時間外労働を出来る協定を結んでいる。つまり、労使の協議があれば24時間働かせることができるようになっている。3・6協定とは時間外・休日労働に関する法規のことで、労使の協議で時間外労働を設定できる規定である。名称の由来は労基法第36条にちなむ。

 ※2:「琉球新報、沖縄タイムスには偉い先生がいて『基地がなくても成り立つ』というが、それはウソだ。まともな経済学はそんなことは言わない」「安倍さんは基地負担を減らそうと頑張っている」「授業中しゃべったやつは試験を受けさせない。そんなやつには就職先はありません」inとある経済学の講義。
 「沖縄の学生は長期的にものを考えられない」「非正規だと子どもの学費は払えない。結婚し子どもを産みたかったら正社員にならないとダメ」「沖縄の若者は非正規が6割。頑張ってね」inとあるキャリアデザインの講義。このように、ひたすら学生に大失業・非正規の現実を突きつけ、競争をあおり、現状に従えと刷り込む「教育」なるものが蔓延している。


 2000年代に小泉政権が行った国立大学法人化(2004)は、この現実への決定的な一歩だったと言えるでしょう。経営協議会制度によって、大学の経営陣に企業が入る構造がこれによって制度化されます。大学を企業として、競争原理に叩き込んでしまうということです。これによって教授たちはスポンサー企業を探さなければいけなくなります。国立における競争の激化は私大にも波及し、大学への補助金カットもこれに拍車をかけていきます。その結果はびこったのは、大資本と閣下に従順な御用学者を大量に生み出し、カネによって腐敗した学問なるものの量産です。

 ※増田法政大学総長(08~13年度)はこのような事を言っていました(笑)


 そして、それと同時に並行して行われたことは、全国大学で学生運動の拠点-自治会・自治寮・サークル棟、サークル団体への破壊攻撃でした。
早稲田・地下サークル棟、

 東北大学・有朋寮、


 東京大学・駒場寮、


 そしてわが法政大学・学生会館などが

 この過程で更地と化しました。 

 ほんの少し前に、 ノバルティスファーマ社が血圧の抑制剤に関する研究データを都合のいいように改ざんさせ、それをデータをもとに広告を行っていた事件がありました。誇張広告という形で問題になった原因も、教育の民営化に源流があります。 

 この図から分かるように、ノバ社は東大病院の教授に対して研究費を流しています。大学への補助金も年々少なくなる中で、その後ろ盾を失えば研究ができなくなるのは明白です。このような状況がデータ改ざんが起こる温床となっているのは、誰の目に見ても明らかです。
 この関係の最も象徴的な例の一つは、3・11以降に焦点となった「原発御用学者」の存在です。

※放射線影響研究所理事長・大久保利晃氏。現郡山市原子力災害対策総合アドバイザーも兼ねる。

※前述したように、武田君は2012年に法政大学で行われた彼の講演に出席した上で批判しようとして入室すら断られ、それに抗議したことをもって「授業妨害」として処分されている。

 東電の寄附講座なども象徴的な事例でしょう。つまり、東電や三菱重工(原発プラントメーカーの一つ)などの大資本から流れる研究資金が自らの研究の後ろ盾となる以上、 教官は莫大な資金力を持つスポンサーに逆らうことはできません。ゆえに企業の都合のいいように、それこそ東電の都合のいいような研究をせざるを得ないのです。その結果生まれたのが、山下俊一や神谷研二をはじめとする「放射能安全キャンペーン」を平気で主張しまくる原発御用学者です。

 


 私たち学生は、若く未熟ですが、しかしそれゆえに可能性を持っています。私たちが今日何を考え、何を行動するかが明日の社会を決めます。私たち学生が強い意志をもって行動に立ちあがるとき、大人も引きずって社会を変えていきます。

1968年フランス五月革命や、


2011年エジプト革命など、

歴史上の多くの事例がそれを示しています。
 

 ついに日本の学生の毎年の自殺者数は1000人を超えました。本当に多くの学生が友達に仲間外れにされたくないために、社会の事について考えていないふりをしていますが、悩んでいます。今、必要なのは説明や評論をする人間ではなく、闘いを呼びかける人間です。そしてその仲間を裏切らない不屈の闘志です。

 

※1960年三井三池争議当時の全学連。共闘団体の全学連もこの系譜を引いている。

 我々は、利害で動いているわけではありません。その結果が08年の「予算権」をちらつかせらての団結の破壊→非公認化という敗北だったのですから。
 では何で動くか?それは、この不条理のまかり通る社会をひっくり返したいからです。ゆえに自らの現場を変革する闘いから始め、キャンパスにしがみつくのです。その非和解性を恐れ、自分の現場を放棄する者に、人間に眠る真の力は引き出せません。

 我ら文化連盟は、改めて武田君をはじめとする、不当な処分の撤回を第一目標とし、もって自由な大学を社会に取り戻すため法政大学と闘っていきます。

 そしてなによりも、やはり我々はサークル団体です。誰でもウェルカムです。ここだけじゃ物足りねえ!という新入生諸君は、是非とも新サークルをここに創設してください。もちろんインカレ(インターカレッジ、別の大学から来た学生も含まれるサークル)も結構です。
 我々の理念は「自主文化創造」です。文化は認められてやるものではありません。文化はあとから認められるものです。道は元からあるのでなく、切り開かれて作られたのです。学生自治を復権させ、学生自身が考え、発信していく環境を作っていくべく努力しますので、是非共に行動しましょう。

法政大学文化連盟執行部一同


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【2014/06/06 01:17】 | # | [edit]












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プロフィール

文化連盟

Author:文化連盟
1959年創立の法政大学サークル連合。2008年3月に非公認化。活動理念は「自主文化創造」。本業のサークル活動に邁進しつつ、2006年3月14日以来延べ126名の逮捕者、34名の起訴者と13名の処分者を擁する監獄大学爆砕へと学生運動も同時並行。直接行動系。ゆとり世代代表。愛は強し。

2012年5月31日、東大ポポロ座に続き暴処法を粉砕し無罪を勝ち取る。もはや敵なし。俺たち最強。

法大闘争とは何か?


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